Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第15回)
          
                       吉賀信市
 

12.第1キャンプ(5450m)

10月6日 晴れ  起床:5時30分

アンテンバー(シェルパ)によるラマ教の祈りとC・ビクラム(リエゾン・オフィサー)の激励に送られて、アンリンジン(シェルパ)を伴い7時にC1へと出発する。実は昨夜からひとつ気になっていたことがあった。BCを留守にする場合、隊の資金(ブリキのマネーボックスに入れてある)の管理をどうするかである。上部のキャンプに持って行くことはできない。ならば天幕の中に置いて行くか。それもできない。「さて、どうするか」と思い悩んだ末、C・ビクラムに預けることにした。

リエゾン・オフィサーとの間でお金のトラブルとなる登山隊が時々あることを耳にしたこともあるが彼ならば大丈夫だと思った。

最初の頃は、なんとなく威張ったような態度で良い感じはしなかった。

しかし、キャラバン開始以来、同じ釜の飯を食べ約1ヶ月間行動を共にした結果まじめで信頼できる男だと判断したのである。

朝、起きてすぐ彼を呼んで「おまえに預ける」と言ってマネーボックスを渡す。彼はちょっと驚いた表情で「金額は全部でいくらあるのか?金額毎の札は何枚あるのか?ノートに書いてくれ」という。それぞれの札の枚数を正確に書くのはめんどうだ。総金額をメモして「これだけある。預かってくれ、お前を信じる」と強引にマネーボックスを手渡した。

今日のC1への登りは今までよりも荷物が多い、少しは高度順応して来た身体とはいえやはりこたえる。陽が当たってくると汗が流れ落ちて目にしみる。激しい息づかいであえぎながらゆっくりと1歩1歩C1へと登高する。我々が2/3ほど登った辺りでアンリンジンはC1に荷物を置きもう下って来てきた。シェルパはさすがに強い。体格こそ見た目にはひ弱そうに感じるが強い。すれ違ってBCへと降りて行いく彼の体力をうらやましく思う。

シェルパはプロであり毎年2回以上高所に登り身体が高度に順化している。それに比べ私たちは久方ぶりの高所登山である。アルパイン・スタイルですばやく高峰を登るためには、何年か連続して高所登山を実践して、高所順応をすると共に高所におけるノウハウを体得する必要がある。

数年いや10年に1回程度高所登山をしようとする私のようなクライマーは歩くのがやっとである。ましてやジャヌーをアルパイン・スタイルで云々の話ではない。しかし、登山スタイルの如何はどうであれジャヌーの頂に立ってみたい。ジャヌーに本気で挑めるのは最初で最後の機会であろう。特別な生活能力が有るわけでない極普通のサラリーマン・クライマーは度々ヒマラヤに行くことはできない。

10時40分C1に到着。さっそく荷物の整理にかかる。空は雲一つない快晴無風。太陽からの直射日光と雪面からの強い照り返しで暑い。半袖のシャツ1枚で作業をしているが、風がないので上半身裸でも大丈夫である。

12時すぎに「第1キャンプ設営完了」をBCにトランシーバーの定時交信で連絡する。

今日からシェルパがいないので「サーブ、ティー」ではなくなった。お茶、食事ほかすべてを自分たちでやらなければならない。

今日のような天気の良い日だと日本での春山合宿のような感じがする。山全体を漠然とながめるとそんなに難しくは思えない。しかし、ここはすべてのスケールが大きくしかも酸素が薄い、この2つが問題である。

整理を終えてミルクコーヒーを飲みながら後方(BCの方角)を眺めるとはるか遠方に尖った山が小さく、小さく見えている。姿からしてマカルー(8463m)と思われる。         

写真で見覚えのある8000m峰をジャヌーの懐から眺めると、「あぁ〜ここまで来たか。山登りを始めたころはここに来れるとは思いもしなかった」というある種の感慨を覚える。お茶を何杯も飲みながら日向ぼっこをしている。日陰がないので直射日光がもろに当たるために暑い。かといって天幕の中はもっと暑くて入れない。海水浴場で見かけるパラソルがあればちょうど良い日陰ができるだろうと思う。

17時の定時交信で不足分の物を少し荷上げするようにBCのシェルパに指示をする。

しかし、どこまで通じたか分からない。言葉がよく喋れない者がトランシーバーで英語に日本語やネパール語を交えて連絡をするのである。身振り手振りのボディー・ランゲージはトランシーバーではできない。

指示しても伝わったという確信は持てない。おまけに音声は雑音がひどく、他の山域からフランス語だか英語だかよくかわからない登山隊の声も混信してよく聞き取れない状態だ。明日持って来た荷物の結果をみなければ連絡が通じたのかどうかは分からない。

 

10月7日 晴れ  起床:6時

「サーブ、ティー」の目覚ましがないためかいきなり朝寝坊である。朝食の準備にももたついて2時間ほどを要す。ガスコンロ2台をうまく使用して1時間くらいで済まさなければ時間のロスである。上部へのルート工作に出る準備をしていた8時半過ぎにはアンテンバーがBCから上がって来た。しかし、心配したように交信はうまく伝わっていなかった。再度荷上げする物を伝えてBCに返す。

           
                       左側に氷瀑帯

           
                      氷瀑帯に踏み込む

9時にルート工作に出発する。ルートは左上のC1からはズタズタに見える氷瀑帯へと向かう。クレバスを避けながら雪原を進むと氷瀑帯(懸垂氷河)に入る。ヤマタリ氷河の本流のような大きなものではない。小さい氷瀑をいくつか越すと大きなクレバス地帯となる。割れ目が大きいため真っ直ぐ進めない。深い深い割れ目を覗くと下部の氷壁は蒼白い光を発している。

その割れ目に沿って右に左にと大きく蛇行しながらヒドン・クレバスに注意して進む。

           
                      クレバスの淵を進む

注意するといっても目視するのみで特別な対策はとっていない。登攀する場合の私たちの基本的な考えは、岩場及び氷壁はとうぜんザイルを使用する。それ以外の場合はノーザイルで行動し、必要とあらば部分的にアンザイレン(スタカット)しての行動となる。

安全を考慮してコンティニュアスで登高するとスピードが鈍る。また、3人がつながり制約された行動となりストレスが溜まる。ましてや勝手に立ち止まって写真を撮るようなことはできない。3人でジャヌーに挑んでいるのである程度の危険は甘受しなければ前には進めない。

初めてのルートはどんな状態だろうか。また、よいアングルが現れたならば写真を撮ろうと興味が湧き身体はきついが楽しみがある。したがって、常にカメラを肩にかけており良い場面があると立ち止まってシャッターを切る。ピント合わせからシャッターを切るまで何秒間か息を殺すのが平地と違い苦しい。歩行スピードは30歩ほど歩いては立ち止まり荒い呼吸を整えるといった進み具合である。

クレバス帯ではクレバスに梯子を架けて真っ直ぐ行けば2〜3mの所を100〜200m以上も遠回りさせられることもある。太陽の直射と雪面の照り返しで暑く顔には日焼け止めクリームをたっぷり塗り上半身は下着1枚で歩いている。とにかく暑くてたまらん。皮膚が焼ける臭いがするように暑い。

暑さで身体は重く背中の荷物も重い。かたつむりのようなゆっくりとした足取りである。

休むと苦しさは無くなり、マカルーの方を眺めながらこのまま座っていたい誘惑にかられる。その気持ちを振り払い歩を進める。大きなクレバス地帯を抜けると雪原となる。まったく足跡のない綺麗なゆるやかな登りの雪原を、ヒドン・クレバスに気をつけて‘新参者の側稜’方向へと真っ直ぐに進む。

           
                       雪原に変わる

           
                        雪原の登高

その行き着いた所から雪面は側稜の下部(左側)方向へのゆるやかな登りが続く。

雪原にトレールがくっきりと残り‘新参者の側稜’の中間ほどの位置に天幕が設営出来そうな幾分平らな場所を見つける。思ったよりも順調と言えよう。ここまで幸運にもヒドン・クレバスに冷や汗を流すようなことはなかった。

時間は14時20分。標高は約5800mである。C1から350m高くなっている。この場所をC2予定地と決めて持ってきた荷物をデポしてC1へと下り始める。汗で身体の水分が出てしまい喉の渇きがひどくてとにかく水が飲みたい。

下る途中に氷瀑のツララが午後の太陽を受けて溶けた水滴の溜まり水を見つけた。顔を突っ込んで腹いっぱい飲む。飲む場合に酸素が薄いために20秒も30秒も顔をつけて飲めない。

精々10秒くらいである。何度も水溜りに顔を突っ込んで飲む。水で重たくなった身体でクレバスの淵を、ヨタヨタと蛇行を続けて降って行く。16時すぎにC1に帰り着く。

初めての高度なので仕方がないが今日は疲れた。身体が高度に順応するまではこのような状態であろう。明日は休養日とする。

 

10月8日 晴れ 

本日は休養日

昨日、あれほど多くの水を飲んだのに夜小用に起きることはなかった。摂取量がちょうど良かったのだろうか。いや、身体は絞ったタオルのように水分がなくなっていたのであろう。

とにかく水分を多く摂るように心がけなければならない。8時半ごろアンリンジンがBCより上がって来た。彼の足はBCから2時間余りで来るようだ。

コーヒーを1杯飲むと荷上げする物のメモを受け取りBCへと下って行った。

今日も雲一つない良い天気だ。後方彼方(BCの方角)に先日よりも幾分よく見えるマカルー。遠すぎて小さく見えるだけであるが標高8500mを越すだけあってジャイアント峰の風格を感じる。他に見える山は勉強不足にて名前を知らない。

前方にはジャヌーとカンチェンジュンガが見えるはずであるが、C1のすぐ上に延びている南稜の支稜に遮られて両峰とも見えず楽しみがない。ここC1の位置はロケーションとしては良い所ではなく退屈する所である。

           
                        正面は支稜

キャンプの場所としては目指す山が見える所としたいのだが、ここは地形が複雑に入り組んでいるために望み通りにはならない。

体調は、少し痔が痛むのと咳がでる程度である。咳はキャラバンの時、風邪をひいたのがまだ完全に良くなってないのか?。一方、篠原、森口は靴擦れがまだ良くなっていないようである。しかし、体調は良さそうである。

上部キャンプに持っていく食糧などのチェックを行い1日中日向ぼっこ。マットに座ってお茶を飲んでいれば何の苦しみもない。しかし、明日からまた苦しい日が始まる。

17時に定期交信をしたが、音声が悪く良く聞き取れなかった。

 

10月9日 晴れ  起床:4時30分

昨夜はなぜか良く眠れずに夜中に何度か目を覚ます。6時に出発。まだ、陽が当たらず雪がよく締まっており歩き易い。歩く度にアイゼンが「キュッ、キュッ、キュッ」と鳴り小気味良い。

篠原、森口は快調に飛ばす。吉賀は咳が出てピッチが上がらない。2人の後をノコノコとついて登る。そのうちに距離が離れて2人の姿は見えなくなってしまった。天気は快晴無風で暑い。

2時間余りで10月7日到達の地点に達した。2人は1時間半ほどで着いたようだ。

もう少し上に良い場所を見つけて荷物を運び上げる。標高は50mほど高くなり5850m。

明日はこのC2予定地にC1の天幕を移動させることにして10時にC1へと下り始める。

多少高度に順応して来たようで氷河を駆けるように下り11時半ごろC1に帰り着く。

天幕の中を見るとBCからの荷が上がっていた。頼んでいたオレンジ色のセーターもある。トランシーバーでの連絡が通じていたようだ。

C1の天幕は広くて居住性はよいが重い。重いのを上部に運び上げるのは大変である。C2から上部は居住性、耐寒性共に劣るが小型、軽量(2〜3人)の天幕を使うことにした。それもBCから荷上げされている。

 

10月10日 晴れ  起床:4時

C1の整理を終えて6時20分にC2へと移動を開始する。3人ともザック一杯に荷物を押し込み、入りきれない物は袋に入れてザックに引っ掛けて氷河を蛇行して進む。体調は咳が相変わらず出るが一昨日よりは良いようである。2人に遅れないように歩を進める。9時にC2予定地点に着く。

さっそく、雪面をスコップで均してC2設営にかかる。天幕の設営を済ませて荷物の整理を始めたその時、上部の氷壁から大きな氷塊が音も立てずに『スル、スル、スル』と転がり落ちて来た。気がついた時にはもう1歩も動く余裕はなかった。凄い速さで『バシッ』と天幕を少しかすめて氷河に消えて行った。3人とも一瞬、無言で顔を見合す。

天幕又は我々を直撃していたならば大変なことになっていた。当たらなくて運がよかったものだ。まだ落ちてくるかも知れない。天幕を‘新参者の側稜’の基部まで上げることにする。今、張り終えたばかりの天幕をたたみ荷物と共に基部までの何往復かの荷上げ作業となった。

側稜基部の硬い氷や雪を削り取ってスペースを確保し再度C2の設営にかかる。

この場所は上からの落下物が当たる確率は先程の所よりは少ないであろう。

標高は約5900m。

           
                     第2キャンプ(5900m)

14時ごろには第2キャンプの設営を完了する。この場所もC1と同様で景色の良い所ではなく気休めになるような光景はない。天幕の付近から上部を見上げるとジャヌーの頂上が‘新参者の側稜’越しにわずかに見えた。ほんの少しだけ覗いている。明日は目の前(頭上)の側稜の基部を左側(下部へと)に進み傾斜がゆるやかな所を探して攻めることにする。夜になると氷河の内部から「ミシッ、ミシッ」と氷の動く音が聞こえ、氷河が動いていることを実感する。左耳を下にして横になると左の耳が詰まったような感じで少し異常を自覚する。

脈拍数:100、呼吸数:20、両方とも数値が少し多いようである。(つづく)

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