Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第14回)
          
                       吉賀信市
 

11.南稜への転進

10月3日  晴れのち曇り

今朝はゆっくり起きる。朝食後、南稜ルートの登攀スタイル及び装備の検討を行う。

南稜ルートに転進することはまったく思いもしていなかったことである。

登攀スタイルについては、1978年・秋のラブ・キャリントン(4人)隊のようなアルパイン・スタイルに魅力を覚えるが、高度順応ができてない私たちには無理である。また、7〜8年振りに高所登山をするようはクライマーでは力量的にも無理である。

時間をかけて高度順応をしながら登らなければならないができる限り速く登りたい。

そこで、なるべくアルパイン・スタイルに近い方法として、天幕一張りを持って移動するカプセル・スタイルで登ることにする。予定としては、C1を5500m、C2を6000m、C3(アタックキャンプ)を6500m付近とする。

キャンプは3〜4日くらいで上部に移動することにし、日数は20日以内とする。装備及び食糧の検討を行い早速準備にかかる。装備はここにある物を活用するとし、食糧はそれぞれのキャンプ毎に分けてパッキングをして準備を終える。

さて、どこから攻めていくか。先日、降った雪は跡形もなく融けて消えてしまっている。

ジャヌー周辺の地形は複雑でBCからはどのようにルートを取って登ればよいのか判断がつかない。山の全容が見えないのだ。したがって、BCから頂上に達するまでのアプローチを描くことが出来ない。

正面に王座氷河から落ちる断崖のような大氷瀑。その左がヤマタリ氷河に喰い込むように突っ込む大きな南西稜。この稜の真上(後景)がジャヌーの円錐頂(怪物の頭を想わせる)の位置になる。

しかし、高く盛り上がった大きな南西稜に遮られてわずかに頂上付近が見えるだけである。大氷瀑の右が‘新参者の側稜’、さらにその右からアイス・フォール帯が右上気味に続いている。BCから見る限りルートはこの右上するアイス・フォール帯よりほかはないと思える。

しかし、ここからはアイス・フォール帯上部の状況は見えず、登攀ルートを頭に描けない。

どうこう考えても仕方ない。まず、目の前のアイス・フォール帯を登り詰めてそこから先はそこでまた検討することとし、アイス・フォール帯の左端しから登攀を開始することに決める。

夕方になり、リエゾンを通じてシェルパから「荷上げをしたい」との申し出がある。

ルートが南稜に変更となり危険が少なくなったためにその気になったのである。今までの経緯もあってシェルパを使うつもりはなかったのだが、意地を張っても仕方ない。ジャヌーに登頂するのが目的である。彼らの申し入れを受け入れC1までの荷上げを手伝ってもらうことにする。

食糧及び装備は次のリストとした。もし、不足が生じればC1までシェルパに荷上げしてもらうことにしょう。

        
                    取り付きのすぐ上部 

10月4日 晴れ  起床:5時

朝もやの中、6時、2人のシェルパ(アンテンバー、アンリンジン)を伴いルート工作兼荷上げに出発する。ヤマタリ氷河のモレーンをほぼ真っ直ぐに横切る。モレーンの中は見た目よりも大きな起伏となっており、対岸までは思ったよりも2倍ほどの距離があり感覚の違いに驚かされる。周辺に見える物すべてのスケールが今まで経験したことよりも大きい。

そのために状態を見て判断したことと現実との誤差が生じてくるようだ。しばらく経験すればその誤差も少なくなってくるだろう。

対岸に着きアイス・フォール帯左端し側のガレ場から取り付く。傾斜のある不安定なガレ場がしばらく続きアイス・フォール帯となる。西稜の氷瀑に比べて小さく、また、不安定なセラックも多くない。クレバスはいたるところにある。しかし、特に支障にはならず注意すれば問題なし。

          
                     氷瀑帯を進む

2人のシェルパはさすがに強い。私たちよりも重い荷物を背負っているが足取りは軽い。毎シーズン登っているのだ。高度に順化して体力も出来ている。

ルートは傾斜のゆるい氷瀑に1ヶ所20mの固定ロープを張ったのみで大きな障害になる箇所はない。クレバス、氷瀑、セラックはうまく回避して登高する。特に困難な箇所なく12時すぎにアイス・フォール帯を抜けるときれいな雪原となる。

見る限りにおいてクレバスはないようであるがヒドン・クレバスに注意して勾配のゆるやかな雪原をまっすぐに進む。勾配を登りきると広い台地に着いた。

          
                      雪原を行く

標高は5450m。クレバスはところどころに口を開けているが、天幕を張っても危険はなさそうである。クレバスのない場所を整地してC1を設営する。

ここからの上部は、正面は支稜に塞がれているため真っ直ぐは進めない。左手から大きなアイス・フォール帯(懸垂氷河)が上部へと続いている。見る限りではかなりズタズタの氷瀑帯となっているようである。

壊れかけた階段状になって続く氷瀑帯の上部がどうなっているのかは見えない。しかし、ここを進むより他にルートはない。ジャヌーもまったく見えない。13時すぎにBCへと下り始める。雪と氷のルートは良いがガレ場は不安定で足が疲れる。ヤマタリ氷河に降り立つ頃には辺り一面ガスに覆われてしまいBCへの方向が分からなくなった。いわゆるホワイト・アウトの状態となってしまった。ガスが晴れた時、我々のいた位置はBCより大きく左にそれていた。右に軌道を修正して16時ごろに帰着。

          
                       BC全景

朝波Drをタブレジョンまで送って行ったチェーワン(メールランナー)が帰って来ていた。

Drはタブレジョンから予定どおり飛行機でカトマンドゥへ発ったとのことである。

10月5日 晴れ  起床:5時

6時半、昨日と同じく2人のシェルパを伴いC1に向かう。高度順応を兼ねての荷上げである。昨日のトレールに歩を進める。昨日よりも身体が慣れたようで苦しさはやわらいだが足はまだ重い。シェルパの後をゆっくりと登って行く。氷河の中は暑くて額を流れ落ちる汗が目にしみる。

C1には10時40分に着いた。荷物の整理を済ますとすぐにBCへとかけ下り13時ごろにはBCに帰着する。

今日は昨日よりもかなり時間を短縮できている。順調に高度順応しつつあるようだ。

明日から3人はC1に移動することになる。今までの汗と垢がしみ込んでいる下着をすべて着替える。さっぱりとした気持ちでこれから本格的となるジャヌーとの戦に臨むことにする。

大鍋にお湯を沸かして身体の汚れを拭き汗臭くない清潔な下着を身に着けると、気持ちが良く身体がすこし軽くなったような気がする。

昼食後は天気も良いので今までの汚れた衣類の洗濯となる。ロープを何本か張り洗った衣類を干す。食堂天幕の周りに洗濯物のカーテンができた。アンデスの時もこんな光景であったことを思い出した。

ベースキャンプとのトランシーバーの交信時間は、12時、17時の前後1時間とする。また、頂上アタックが近くなる10月18日からは24時間開局しておくこととする。

明日、リエゾンが観光省へ報告書を出すためにチェーワン(メールランナー)が、タブレジョンに出発するので日本への便りを書いて託す。
(つづく)

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