Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第12回)
          
                       吉賀信市
 

9.ベースキャンプ(4800m)

929日 雪  起床:7

目が覚めて外の様子を見ると曇り空に小雪が舞っている。朝食後、全員でベースキャンプの整備に本日一日をあてる。昨日、キッチン兼食堂天幕は竹竿や木を骨組にしてブルーシートを何枚か使用して作っている。それを風や雪に耐えられるように支柱やロープで補強する。

         

 地面はモレーンのデコボコに石を敷き詰めて均す。また、地面とシートの隙間には石を積み上げて石壁を作り風が吹き込まないように整備した。

内部には炊事用に石積みのかまどを2ヶ所設ける。このキッチン天幕はBCに於けるリビングルームである。ここで料理を作りみんなで食事をする。また、薪で暖をとりながらミーティングをする。全員が集まれる唯一の場所である。

          

9時すぎに、ナイケとポーターが残りの荷物と共に上がって来た。荷物は32個の約束であるのに22個担いで来た。残りの10個(薪)はまだグンサの近くにあると言う。約束と違うので10個はキャンセルする。もし足りなくなればシェルパをグンサまで下らせることにする。

22個分の賃金1513Rs( 22 ×34.375Rs×2日)を支払う。ナイケの話では、ポーターたちは朝食抜きでBCまで来たとのこと。みんなに朝食を振る舞うことにする。

その代わりに今まで運んで来たすべての薪を彼らの持っている斧で小さく割ってもらうことにした。

グンサのポーターは煙草など見たものをねだるのは困ったものだ。ダランバザールに集まったポーターには、私たちが持っているものを欲しがったりした者は誰一人いなかった。他のポーターよりも暮らし向きは良いのにどうしたことだろうか。

キッチン兼食堂天幕が完成するころから雪が本降りとなった。2030分毎に各天幕の雪かきを強いられるようになる。この時期にこんなに多く降られるとは思っていなかった。

リエゾンはこの雪の降る中、観光省に報告のためグンサのチェック・ポストに向かってヤマタリ氷河を下って行った。

今日は雪が降り続くため雪掻き以外は何も出来ない。キッチン兼食堂天幕のかまどで薪を燃やして暖を取りお茶を飲んでゆっくりと過ごす。

ベースキャンプの全容は、1張りのキッチン兼食堂天幕と天幕3張り。(隊員用:1、リエゾン用:1、シェルパ用:1)合計4張りである。この広い氷河に私たち以外のパーティーはいない。我々8人のみである。雪が降り続きモレーンの石ころも雪に覆われて辺り一面銀世界に変わった。

注)食堂兼キッチン天幕は木や竹で骨組みをしてそれに工事用のブルーシートを覆った物である。

 

930日  晴れ  起床:7

シェルパの「サーブ、ティー」の声で起きる。シェルパが外から差し入れるコーヒーカップを受け取り、シュラフに入ったまま半身を起こした格好でコーヒーを飲む。「いままでに読んだ遠征記の中にあるシーンだなぁ」と頭に浮かぶ。これはヨーロッパ・スタイルであって、私たちのようなごく普通の日本人には、朝起きて顔も洗わずにまずお茶という生活スタイルはない。

昨夜は早い時間にシュラフにもぐり込んだため、夜中に小用をもよおすが雪が降り積もっており外に出るのがおっくうである。そこで排尿はビニール袋のお世話になった。羽毛服を着てシュラフに入っているのに背中が「ゾク、ゾク」と寒気がする。まだ、体調が完全に回復してないようだ。

コーヒーを飲み終え外に出る。天気は雲ひとつない快晴。昨日の雪が嘘のようだ。

ベースキャンプの周辺の積雪は30cm弱ほどである。強い日差しにより1〜2日で解けて消えてしまうことであろう。キッチン天幕で焚き火にあたりながらゆっくりと朝食を済ます。

さぁ〜てと、積もった雪を払いのけてパッケージの梱包を解き荷物の整理を始める。

快晴の空のもと正面に見るジャヌーは、王座氷河からヤマタリ氷河に落ち込む断崖の懸垂氷河とその左の南西稜が凄い迫力で眼の前に迫る。怪物の頭を想わせる頂稜は頂上を僅かにのぞかせているだけである。ここから見えるジャヌーは凄い、すばらしいと見ほれるような姿ではない。

       

どちらかと言えば、山の全容を見ることが出来ずに写真にもならず退屈する場所である。

私たちの目指す西稜はヤマタリ氷河本流のアイス・フォール帯を遡行しなければならない。このBCの位置からはアイス・フォール帯の状態をうかがうことは出来ない。

ここBCから頂上までの高度差は3000m近くもあるが、見た目にはそんなにあるとは感じない。

今、こうしてヤマタリ氷河に立ちジャヌーを目の前にしてその山に挑もうとしている。

昔、V・セッラの撮った写真を見てなんともいえない恐怖を覚えたこと。また、フランス隊のジャヌー遠征記を読んで「凄いなぁ〜」と思ったが、自分がその舞台に立つということは夢の中の世界であった。それが現実の事としてあの夢の舞台に立とうとしている。

あとはこの舞台をどのように演じることができるかである。

今日もキャンプの整備、荷物の整理、明日からの登攀活動の準備をみんなで行う。陽が高くなり気温が上がってくると『ズドーン、ズッドーン』と雪崩の音があちこちで響き始めた。

昨日積もった雪が落ち始めたのだ。眼の前の南西稜からも雪崩が稜線の両側から音を響かせて落ちるのが良く見える。「危ないのは今日中にみんな落ちてくれ。どんどん落ちろ」と思いながら写真のアングルを求めてモレーンをあっちこっちと動きまわる。標高4800m動きまわると息切れがする。また、太陽の反射熱で暑く、太陽光線は強くまぶしくてたまらない。それらの熱で積もった雪はみるみる溶けていく。

「そうだ、ジャヌーをバックに写真を撮ろう」と3人並んでカメラに納まる。

          

リエゾンは、朝迎えに出したシェルパ(アンリンジン)と共に16時すぎにBCに帰り着く。

夕食時、リビンク・ルーム(キッチン兼食堂天幕)で状況と今後の予定を検討の結果、明日からさっそく高度順応を兼ねてヤマタリ氷河本流のアイス・フォール帯へのルート工作を開始することにする。(つづく

          


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