Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第11回)
          
                       吉賀信市
 

8.ヤマタリ氷河

926  晴れのち曇り一時雨

 ポーターたちは730分頃から集まり始めた。しかし、キャンプに来たのは女、子供がほとんどで男は5〜6人しかいない。その代わりにゾを引いて来ている。

 ゾの背には2個の荷物を積めるとのこと。ゾ1頭で2人分である。男たちはみなダブルキャリーで行くと言う。彼らならば6070Kgくらいの荷物は平気であろう。

           
                       出発準備

 私たちが思っていた事と多少違い戸惑うが彼らに任せるしかない。隊荷の数は52個。1時間ほどをかけて荷物を人とゾに振り分けてキャラバンはヤマタリ氷河へと出発する。

 昨晩、交渉したゾはまだ準備できてないと言う。それならば「BCまで連れて来れば買ってやる」と言い残してグンサを後にした。

 キャラバンはゾの歩く速さで坂道をのんびりと進む。ゾが歩く度に首に付けている大きなカウベルが「カラン、コロン」と辺りに鳴り響く。路はまもなく林の中に入っていく。歩いていると枯れた倒木が時々目に付くようになる。「あぁ〜これを薪にするのか」とひとり納得した。実は、薪は「山にある」とシェルパはいうがどんなふうにあるのだろうかと思っていた。この枯れ木ならば良い薪になると思いながら歩を進める。

 シェルパはBCでシートの骨組に使用する竹竿や細い木を切って準備をしている。森林帯を抜けた辺りから少し頭痛がしてきた。標高が4000mを越えたのであろう。女性のポーターは子供を連れて来ている者が多く、赤ん坊(56ヶ月)を籠に入れ背負って登る子供もいる。

 したがって、歩みはゆっくりでにぎやかである。その子らにカメラを向けるとやはり横を向いて撮られるのを嫌がる。タイミングを計りシャッターを切りながら子供たちと登って行く。子供たちは高度の影響はまったくなし。高地に生まれて赤ん坊の頃から高所に登っているので身体が完全に順化しているようだ。

           
                        ひと休み

 まもなく6000m級のスノーピークが見え始めた。目指すジャヌーはまだ見えて来ない。しばらく進むとまだ遠いが前方にモレーンらしきものが少し見えるようになってきた。ヤマタリ氷河だ。いよいよ山が近づいて来たという想いがする。

今日も昼前から雲が広がり一時雨に打たれる。60kgの荷物を乗せて歩くゾも標高が高くなると頻繁に立ち止まる。舌を出して「ハァー、ハァー」と荒い息づかいである。坂道を蛇行して高度を上げて行き登り詰めると広い台地に着く。この場所が4500m地点である。フランス隊(1959年)、成城大学隊(1974年・春)、チェコ隊(1981年・春)などがベースキャンプを設営したキャンプ地である。

 ここがヤマタリ氷河の入り口である。付近にはまだ土があり短い草も生えており這い松の茂みもある。すぐ前には青い水を湛えた氷河湖がある。BCとしては良い場所である。

 ここからはジャヌーも良く見えるはずであるがガスに覆われて何も見えない。左側の岩壁にここでBCを張った隊の名前を彫りこんでいるのを見かける。

          
                     キャンプ地(4,500m)

子供たちはこの高度になっても「ワイ、ワイ、キャー、キャー」と駆け回って遊んでいる。高地に順化している彼らの身体がうらやましい。当然であるがこの高地では、裸足の子はおらずみんな中国製の靴を履いている。しかし、鼻をたれているのはおなじだ。赤ん坊も高度の影響はなくニコニコしていて機嫌が良い。

 高地に生まれると私たちとこれほどに違うものかと、私たちとの身体の違いを実感する。

 グンサのポーター(住民)は、これまでのポーターと違い横着というか、賢いと言うべきか扱いにくい。荷物の取り扱いが乱暴なため、ウイスキー1本とケロシン10リットルを容器が破損して損失した。こんな事はキャラバンを開始して初めてである。強く注意したが謝る態度はまったくない。賃金からさっぴきたいがそれができない。言葉がある程度喋れないとその辺の交渉がむずかしい。最後尾のポーターが1630分に着く。

 彼らはフライシートを張り食事の準備を始めた。シート1枚では寒さに慣れているとはいえ辛かろう。ベースキャンプでの燃料は、ケロシンも持って来ているが薪が主体になる。1日にどの位必要かというと、キャラバンで約20kg/1日ほどであったのでBCの場合は30kg/1日くらいであろう。アンテンバー(コック)に確認する「OK」との返事だ。そこでポーターに50個(50日分:1500Kg)手配した。

 コースタイム:グンサ(830)〜ヤマタリ氷河4500m地点(1410


 927日 雨のち曇り 起床:6

 昨夜、降り出した雨は9時ごろまで続いた。24時ごろ小用に起きた時、ポーターたちはほとんど起きていたようであった。また、時々赤ん坊の泣き声が聞こえていた。シェルパたちは夜中にキッチン・シートが雨水の重みで崩壊して大変だったようだ。

 朝方、青年(ポーター)と子供たちは小雨の降る中、バレーボールのようなボール遊びに興じてにぎやかで元気が良い。雨脚が強くなると我々のキッチン・シートに入り込み避難する。また、女、子供のにぎやかなこと。グンサの若者はカタコトの英語を喋る。スクールで教わっているという。

 925分。薪の荷上げに行くポーターとBC予定地の下見に出発する。ヤマタリ氷河のモレーンを登高しはじめる。モレーンには岩や石がゴロゴロしていて非常に歩きづらい。ポーターは30kgの荷物を背負い、中にはダブルキャリー(60kg)の者もいる。私たちは空身同然なのに歩く速さは同じである。氷河とはよくいったもので大きな河原を歩いているようである。

      
              薪の荷上げ

 12時半にチェコ隊(1981年の春)のC1地点に着く。標高は約4800m。上部はガスで見えないが、目の前に写真で見たことのある巨大な氷爆が落下している。西稜のコルへのルートは良く見えないがかなり切り立っているようだ。

 付近の偵察を終えてキャンプへと下り始める。モレーンのガレ場を歩くのは疲れる。高度が下るに連れて頭痛もして来た。15時ごろにキャンプに帰着する。腰を下ろしてまもなく激しい頭痛と吐き気がする。それに手の指と腹筋がしびれてきた。深くゆっくりと呼吸を1時間余り続けると回復する。篠原、森口はほとんど異常なしのようである。

 今日の下見の結果、チェコ隊の場所は氷河の中ほどであり大氷爆が落ちれば危ないかもしれない。BCの位置はチェコ隊のC1地点よりも左上の方が良いとの結論となった。明日、現場に行って再確認することにする。

 コースタイム:キャンプ地(4500m):(925)〜4800m地点(121030)〜キャンプ地(4500m):(1410


 928日 晴れのち曇り 起床:6

 夜中に、軽い頭痛で目が覚める。また、小用で2回起きる。高所では水分を多く摂る必要がある。それが高度障害を防ぐことの基本である。しかし、夜中に2回も起きるのは面倒なことである。

 730分。篠原とリエゾン、シェルパはポーターと共にBC地点に向かう。

 吉賀、森口はキャンプの整理をしてここの残る荷物の内容を確認する。後の事を留守番で残るナイケに指示して1時間ほどの遅れで先発隊の後を追う。「今日こそジャヌーを見ることが出来るか」とヤマタリ氷河を急ぐ。930分ごろ、空を覆っていた雲が流れ去り青空がのぞきジャヌーが前方間近に現れた。「おおー、ジャヌーだ」と森口と2人声を出してしばし立ち止まる。頂上からわずかに雪煙を上げている。グルジャガウンの丘より遥か遠くに小さく見えたが、今は前方すぐ前に見えている。ダランバザールを出発して野を越え山を越えジャヌーを目指し歩いて20日目である。しかし、まだ肩から上部の怪物の頭を想わせるような円錐形の頂稜は、ほんの一部がのぞいているだけで全容を見ることができない。

      
            「ジャヌーだ!」

 氷河の登りも2日目になると最初の日よりも高度に身体が慣れて歩くのが速くなる。1030分過ぎに昨日の地点に着くとポーターたちが騒いでいる。篠原やシェルパに事情を聞くと、私たちが考えていたBC予定地まで行く事を拒否しているという。騒ぎになった経緯は良く分からないが男も女も騒いでいる。私たちはどうしたものかと協議をしていると、リーダーが発した合図の声と同時にポーターたちは荷物を足蹴にしはじめた。リエゾンとシェルパを伴いリーダーの元に行って話を聞くと、彼らは私たちが賃金を払ってくれるのかを心配しているらしい。

 「なんだとぉー!この野郎」と思いすぐにザックから札束を掴み出して「金はここにある」と見せて「今すぐ金を払う」とポーターらに言う。彼らは途端に元の陽気さに戻った。

 しかし、荷物を足蹴にして倒すとは何事だ。腹が立って仕方ないが、本日までの賃金4950Rs(72個×34.375Rs×2日)を支払う。荷物は明日までにあと32個上がって来るはずである。

 このゴタゴタ騒ぎでBCはこの位置に決める。もう少し左上に移動したいがこの場所とする。

 お茶を飲み気持ちが落ち着いたところで幕営地の整地に取り掛かる。7人(隊員:3人、リエゾン、シェルパ:2人、メールランナー、)で2時間半ほどをかけてモレーンの石を敷いて整地する。キッチン用天幕ほか3張りの設営を一応完了。明日、ナイケと残りの荷物及び薪が上がれば、まあまあここまで順調であったと言えるのではなかろうか。3人で初めてのヒマラヤ、しかも東端に位置する遠いジャヌーである。しかし、言葉が喋れないというのは大変な気苦労である。

 それは、ともかくとして、ヤマタリ氷河4800m地点にベースキャンプを設営完了。キャラバンを開始して20日目であった。まあ良しとしよう。荷上げした荷物を点検してみるとウイスキーの瓶が数本割れていた。ポーターたちが蹴り倒したのが原因だ、腹が立つがどうしょうもない。酒が少なくなっても困りはしない。とにかく良しとしよう。
(つづく)

        吉賀信市ジャヌー写真集  トップページ