名山探訪 第7回 大峯奥駆け〜紀行と印象〜(2006年5月3〜4日)
                                        狭間 渉
この山行の報告はてっきり筆者が書くものと勝手に決め込み、この紀行文も昨年、山行の直後に書き上げたものです。その一方で、リーダーの加藤さんからいち早く「大峯山修験の旅 弥山−釈迦ヶ岳そして大普賢岳そして付録に大台ケ原へ」(前編・後編)が送られてきたこと、それに加えてこの頃「チャレンジ!祖母傾完全縦走」に全勢力を傾注していたこともあり、掲載のタイミングを失したまま今日に至ってしまいました。約1年になろうとする最近になって、大変お世話になった佐藤さんへの不義理をわびつつ、あらためてこの山行を想起したいとの思いから、遅ればせながら掲載に踏み切った次第です。(筆者)

 大峯山については日本百名山の一つ、それに近畿の最高峰で大変に山深いところであることなどを除いて予備知識はほとんどなかった。恥ずかしながら、‘奥駆け’という、この山域での修行のことも、この計画に誘われて初めて知ったくらいである。

 初めての山を登るにあたって僕の考え方はこうだ。凹凸の俯瞰、高低差、標高、山と渓谷の位置、距離、困難度など地形図の数値データをはじめ登山を行うに当たっての必要最小限の下調べは岳人の常識として当然である。しかし、そこで体験するであろう数々の事象について、ガイドブックなどで必要以上に下調べをしてしまうと、映画や小説のクライマックスや結末をあらかじめ知ってしまったのと同じように興味が萎えてしまうか、そこまでないにしても半減する。また山の印象、感じ方は千差万別のはずだからガイドブックの詳細を読みその考えを押しつけられるのも嫌だ。主観・・・自分がどう感じるかだから先入観をあまり植え付けられたくない。

 そこで僕は事前調査は地形図とだけ睨めっこすることでこの山域をイメージした。不勉強の対する屁理屈っぽい言い訳と受け取られても仕方ないが、そんなわけで加藤さんに誘われるままに予備知識なしで大峯行に臨んだわけである。

5月3日
 今回のガイド役の佐藤さんは、加藤さんから伝え聞くところによると、大峯の山域に大変精通されているとともに、この山域に大変な思い入れの持ち主である。早朝、6時20分過ぎ、大阪南港のタラップを降り始めるとカメラを構えた御仁あり。降りたつと我々に近寄り握手を求めてきた。これが件の案内人・佐藤さんの出迎えであった。

 近くに停めてあった佐藤さんの愛車・ビッグホーンに乗り込み直ちに大峯目指して出発。都市高速を乗り継ぎながら次第に山間部に入って行く。その間、佐藤さんは運転しながらも、近畿の地理に疎い我々のために移りゆく風景・名所や周囲の山々のガイドに余念がない。その一方で、今回設定したコースの概要紹介も矢継ぎ早に飛び出し、余りの情報量に少々吸収不足・消化不良であったが、「和佐又の、今回設定したコースは厳しいよ、50mの岩場がありますよ、覚悟しといてよ!」との言葉に多少の不安を禁じ得ない。だが、初めての山や、山域に入るに当たっての、この緊張感は嫌いではない。

「北アルプスはカネとヒマがあればいつでも行けるけど、大峯は交通手段が大変なだけにいつでも誰でも行けるところではないよ」と、大峯の奥深さを強調する。なるほど、まだ紀伊半島最奥部の随分手前ながらも周囲の景色は次第に奥深い峡谷の趣が色濃くなる。

 途中、近鉄下市口駅で今回の最年少(といっても53歳)メンバーでもある埼玉大宮からの鈴木君を拾う。このところ再び(三たび?)精力的に山に登るようになった鈴木君とは昨夏大分で旧交を温めて以来の再会。佐藤、渡部両氏にとっては初対面、おゆぴにすと仲間とはいえ加藤会長は実に10数年ぶりの再会だ。これで今回の山行の予定されたメンバー5人全員が揃った。

 途中、道の駅ルート309で休憩。佐藤さんお薦めの‘日本一黒滝のこんにゃく’に舌鼓を打ったりした後、予定よりかなり早く今回の出発地・行者還トンネル西口に到着。

 山深く、公共交通機関の少ないこの山域で縦走を効率良く、また、できるだけ安価に行うためには、マイカーは欠かせない。日本百名山や世界遺産での注目度もあり、そのためマイカーの回送が‘業’として成り立つのも、この山域ならではのことだ。佐藤さんがあらかじめ予約していた、この地で回送業を営む蒲田夫妻がすでに早くから待ってくれていた。車を下山口の前鬼まで夫妻に委ね、夫妻の見送りを受けて10時15分、いよいよ大峯奥駆けの第一歩を踏み出す。


    ガイド役・佐藤さんを先頭にいざ出発
 今山行では、基本的に山小屋や宿坊を繋ぐためテントなどの露営用具は不要。その分肩に背負ったザックの重量は10kg前後と軽量だが、一人佐藤さんのだけはずっしりと重そうだ。それもそのはず「遠来の客人に持たせるわけにはいかない」と、我々のために用意した缶ビールほかの酒肴、草餅、みやげなどで満載なのだ。
 今日の行程は弥山小屋(標高1895m)までと、比較的に時間に余裕があること、天気も良いことから、当初計画の最短コースを変更して稜線漫歩を楽しめる、弥山小屋までは少し遠回りの‘しなの木出合’(1450m)経由とする。この出合は大峯奥駆けの本道にある。

標高1094mのトンネル西口から約350mを一気に突き上げるため短時間だがなかなか登りごたえがある。登るほどに周囲の展望が開け、弥山付近の直下に残雪が見えてきた。それもつい最近降ったものというよりも雪渓だ。今冬は例年になく雪が多かったという佐藤さんの話もうなずける。
 

 出合いに着くやメンバー中最高齢の渡部さん、ザックから大きなタッパーを取り出し、汗をぬぐいながら「荷を軽くしたいから空にしてくれ」と。中味は甘夏柑、それも私の郷里・旧佐賀関町(大分市関)の産とのこと。エネルギー効率の良いクエン酸を大量に補給して、今日のこれからに備える。
 
 出合いには御影石の立派な標柱がある。表側に道案内、裏側に「天川村平成17年6月」とある。「世界遺産に指定されたのを機に、奥駆け全道の要所にヘリなどを駆使して関係市町村の協力で設置された」と佐藤さんの説明。

ここから先はゆったりとした起伏の稜線をのんびり歩く。どこからともなく法螺貝の音が聞こえてくる。行き交う登山者は一様に会釈が良い。ここでは「こんにちは」ではなく「お疲れさん。ようお参りなさいました。」が行き交わす言葉のスタンダードと、佐藤さん。12時丁度に当初予定の奥駆道出合(標高1545m)に着く。ここで道中のコンビニで調達した弁当を広げる。

 ここら辺りでは木の芽はやっとふくらみ始めたところで、数日前に登った九州・傾山に比べかなり植物の生育は遅い。大峯奥駆け道では今が眺望を楽しむには一番良い季節らしい。というのも、冬は雪深く寄りつきがたいし、この時期から先の尾根筋は新緑から深緑に移り変わり鬱蒼とした樹林に覆われ眺望が利かなくなる。だからといってわざわざ木を切り倒して展望所をつくるようなことはしていないらしいからだ。

 13時26分 聖宝ノ宿跡着。これより少し前、理源大師像が先ず目につく。「ほほう・・・、これが」と近寄り思い出したように歩を止める。ここに到着する少し前、案内人の佐藤さんから「今回の山行は役行者にお願いをしておりますから4日間、間違いなく好天です‘が’、・・・」と語尾を強調しつつ、「聖宝ノ宿跡で理源大師のお像に直接手を触れたら雨が降り出しますから、くれぐれも触ることのないように!」とあらかじめ言い含められていた。寸でのところで思いとどまった。


理源大師像にて

 14時26分 標高1,788m 木の階段を登り眺めの良いところで休憩。最終日に予定している大台ヶ原が初めて遠望される。

  

 14時40分 弥山小屋。荷をおろして空身で山頂へ。錫杖の謂われを佐藤さんが解説。
小屋の前の残雪の多さに驚く。大峯は雪の多いところではあるが、この山に精通している佐藤さんでさえ、5月にこれほどの残雪はやはり珍しいらしい。まだ時間が早いので小屋の前でくつろぐ。佐藤さんは我々遠来の客人のために缶ビールをわざわざ背負って登ったのである。気を利かせ(すぎ)て凍らしていたため、あいにく折からの冷気でほとんど融けておらず、このビールは翌日釈迦ヶ岳での楽しみとなった。小屋は収容人員80名。この日は連休後半の初日とあって大変な数の登山者であったが、佐藤さんの‘顔’で我々5名幸運にも個室に恵まれた。

       
                     
 17時きっかりに夕食。小屋は主人の西岡氏を含む3人による運営。三々五々入ってくる100人近い宿泊客の夕食、朝食、昼食弁当まで用意する。手際の良さが管理する側ばかりでなく、宿泊客にも要求される。当たり前のことだ。オムレツ、シャケ、サラダ、煮豆、それに昆布の佃煮と漬け物。麩のみそ汁とご飯はお代わり自由だ。食後、まだ日があるので見晴台(国見八方睨)まで散歩。好天を期待しつつ明日と明後日に辿る山並みを確認。18時就寝。個室だから何の遠慮も不要。昨晩も、往路の関西汽船も佐藤さんが手配した特別優待券のお陰で大型連休にもかかわらずドライバー室の個室を得ることができ、山で一番大事な快眠休養が二晩続いてとれることに感謝、感謝。(以下続編へ)

(コースタイム)5月2日 大分19:00発(ダイアモンドフェリー)
5月3日 大阪南港6:20→行者還(1094m)トンネル10:15→しなの木出合い(1450m) 11:10→奥駆道出合(1520m)12:00→聖宝ノ宿跡13:26(1608m)→弥山小屋14:40(1879m)→弥山山頂14:56(1895m)

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