菅原道真公ゆかりの山、二日市・天拝山〜飯盛城跡ハイクの巻 栗秋和彦 昨日午後、思い立って太宰府温泉・みかさの湯と背後に控える四王寺山の一端を廻ったものの(※1)車で上り、展望台付近を探っただけで、とても山登りという行為にはほど遠く、その意味では不完全燃焼であった。で本日は花冷えのする寒々とした日和に一転したが、低山歩きの欲求はくすぶったままだ。そこで昨秋、二日市温泉に入った後、登山口を冷やかしただけでお茶を濁した天拝山へ登ろうと奥方に提案。この山なら標高は257mほど、丘みたいなものだからカミさんにも楽勝の筈?だし、山登りというよりハイキングの趣であろう。またこの山は太宰府に流された菅原道真公が、100日間も登り続け、山頂の岩上に立ち無実を天に向かって訴えた伝説の山としても有名なのだ。とびっきりの低山とはいえ、興国の歴史を秘めた由緒ある山だもの、一度は足跡を残しておかなければなるまい。と動機付けを披瀝したものの、重力に抗うことが苦手のカミさんは、どうも257mの標高に食指が動いた模様で、お手軽ハイキングの謳い文句で最終決断をしたとみて間違いなかろう。 で、登山口の天拝歴史自然公園ではいくつかのグループが花見の宴の準備に勤しんでいたが、どうみても寒風吹き、花冷えのするこの日和では屋外の酒宴はそぐわない。「よりによってこんな日にご苦労なこった!
」などと自然に笑みがこぼれてくるのは、今春花見の宴に縁のなかった己の境遇に比してのことか(ホンマ、性格悪りぃぞ!)。とそれはともかく、登路をしゃくなげ谷に取ると、シイ、タブ、カシなどの広葉樹の森が広がり、谷沿いに植えられたシャクナゲの幼木を確認しながらの登りだ。またこの時期、桜の散り際とシャクナゲのつぼみを交互に眺めながら微妙な季節の移ろいを感じるのも一興。低山とて侮れないのだ。 ![]() 展望台から見た天拝山山頂一帯 さてそれもものの20分程で登り詰め尾根に出ると、荒穂神社からの本道と合流し、ちょっとした広場に出くわした。ここは山頂と飯盛城跡への分岐となっており、何組かの中高年ハイカーが休憩していた。しかし九州自然歩道の案内板を見ると、ここから山頂まではわずか280mしかなく、駆け足でも登れそうなゆるやかな木の階段が高みへ導いている。そして実際にすれ違う一部のおじさんやおばさんは駆け下ったり、競歩の体で追い抜いたりと、トレーニングの場としていることが伺える。いくら重力に抗する奥方であっても、わざわざ体勢を整えて頑張る必要もなさそうである。彼女の歩調に合わせて、小鳥のさえずりを聞き、広葉樹のトンネルを潜り抜け、一歩一歩確実に登り詰めると、5.6分程で木々が途絶え、いきなりの山頂だ。 ![]() 山頂から宝満山方面の眺め 先ずは道真公ゆかりの「天拝岩」を認め、それを守るかのように頭上を覆う満開の桜が我々を出迎えてくれたが、一段上がったところには道真公を祭った天拝山社を配し、その奥にはコンクリート造りの展望台が設えられ、これが細長い山頂のすべてであった。とそれはともかく、さすがに新緑の日曜日だもの、あいにくの肌寒き曇天にもかかわらず、多くのハイカーで賑わっていたが、第一級の展望はとなると、博多の市街、博多湾、能古島、東よりに立花山、さらに遠くの山々、また手前へ若杉山〜三郡〜宝満山へと連なり、真正面には太宰府政庁跡や太宰府の街のたたずまいが一望のものに眺められた。しかしボクの興味はその左手、昨日ひやかしたばかりの四王寺山丘陵だ。やや左寄りに最高点の大城山(410m)が認められるが、なるほどお鉢巡りができそうな、すり鉢状を想起する山容はなだらかで、ランニング登山も視野に入れた早急の課題として改めて捉えた次第。加えて背後に続く基山(405m)への自然歩道の早駆け走も、この頂に立てば感覚が掴めて食指が動くし(※2)、あぁ、やりたいことは尽きぬなぁ。と、傍らのカミさんを見遣れば、このピークだけで大満足の様子。 「飯盛城は天拝山城の砦として筑紫広門の家臣である帆足弾正が守っていた。築城の時期は明らかではないが、筑紫氏の戦略上、重要な位置を占めていたと言う。またこの城跡は標高140〜150mの南北に細長い尾根上にあり、北側の一段高い部分がその中心と考えられており、北斜面は約60度の急傾斜で周囲には谷がめぐるという自然の地形を巧みに利用した砦だったが、天正14年(1586年)に薩摩・島津氏との戦いで落城した」
![]() ![]() 飯盛城跡北端から見た宝満山 登山口の天拝歴史自然公園のたたずまい とまぁ、丘歩きと割り切って赴いた割には、思いがけず歴史の一断面に触れ、実りある低山ハイクとなったが、それ以上に実り多かったのはカミさんの次の一言、 「ねぇ、お父さん、これで油山」登れるかねぇ?」である。福岡市民にとって市の南部に位置する標高600m弱の油山は憩いの山であり、これを知らずして近在の山は語れない。そんなこんなを知ってか知らずか、或いは周りから聞き及んでのつぶやきかもしれないが、引導を渡す前の自発的発言には少なからず驚きは隠せなかった。「なら、リクエストに応えて次は油山ばい
!」と、ちょっとむ心配ながらも答えたのは言うまでもない。 |