9月25〜26日(土〜日) 九重・吉部のロッジ「チョータラ」にて観月会 

           

 かっての岳友、石村女史の肝いりで彼女の友人の吉部在住、鎌田夫妻所有のロッジ「チョータラ」に集った。九重の一角で澄みきった秋冷の空気に身を任せつつ、中秋の名月を愛でようとの企画であったが、昨年2月、厳冬の涌蓋山行の際にお誘いがあって以来、ようやく訪問が実現したのだ。おっと細々とした経緯より怪しい響きの「チョータラ」とはいったい何ぞや?こっちの疑問解明の方が先決かもしれない。

 女史からは「ネパールトレッキングの際、道中の休憩所の意味よ」とは伺っていたが、早速インターネットで調べてみると、ネパール語で「石を積んで上を平らにした休み場」とある。そして「大きな荷物を背負っている時、道から背中の荷物の方に仰向けに倒れると、荷物がちょうど休み場の上に載るような高さに造られている」との補足説明があった。

 ニッポン国の山ヤ用語では「一本立てる」に通じるところだが、ただ単に休憩する場所だけの意ではなく、狭隘なる山道?ゆえ物資の搬送は人手に依らなければならなかったこの国の事情を斟酌すると、物流や交易、或いは情報発信の場としても機能していたのではないか、と大袈裟を承知の上で考察してみたくもなる。 

 その意味で、かってネパールヒマラヤに通い詰めた鎌田氏(女史から彼女の夫・義男氏ともどもヒマラヤ遠征に複数回参加したと聞き及んでいた)も、ここ吉部にロッジ「チョータラ」を設えたことで、登山者が集い交流の場として、彼の地の思い入れを具現化したかったのでは?いや今からもっともっと喧伝されるべきであろう。とまぁ、そんな勝手な思い入れで乗り込んだ訳だが、まだまだ宵の口にもかかわらず、庭先では既に観月会(バーベキューパーティ)は始まっていて、ほろ酔い加減の挟間、吉賀はもうご機嫌な様子。

 しかし筆者は初対面の石村氏と鎌田夫妻にきっちり挨拶をしなければと、多少緊張した面持ちの筈だったが、想像したとおり正統派の山ヤらしい物腰柔らかなおじさんたち(うん、鎌田夫人もだぞぃ)であって、すぐに話の輪に入り込めたのだ。何より駆けつけ三杯のビールは美味かったし、周りの雰囲気は最高。吉賀や後刻加わった大平を含めて、まごうことなきヒマラヤニストたちの回顧談や近未来話は熱気を帯び、薀蓄を傾けるおじさんたちの瞳は少年の輝きになっていたぜ。

 であれば時の過ぎ行くのも忘れさせ、飲食が進むのも道理だ。まるで十年来の知己の如く、話は盛り上がりかつ和み、まったくこのシチュエーションは「チョータラ」化していたのだった。

 ところで観月会としての趣きは如何に、などと気遣ったのは筆者ぐらいかも知れぬ。トイレに行くたびに広い庭を彷徨い、見上げた中秋の名月はくっきりと大きく浮かび、それはそれは見事な存在感を示していて恐れ入ったのだ。一方でみんなの記憶に果たして残っていたかとなると、喧噪度合いからしてはなはだ疑問であろう。少なくともおゆぴにすとおじさんたちの思考を代弁すれば、「花より団子」のクチであったし、その意味で鎌田・石村両夫妻のもてなしには感謝するのみであった。それでも高原の一角は夜更けとともに、ロッジから漏れ伝わってくる寝息と引き換えに、静けさを取り戻していったに違いなかろう。
(参加者) 挟間、吉賀、大平、栗秋、石村夫妻、鎌田夫妻(栗秋記)

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