加藤会長夫人 加藤衣子さん 大分百山完登成る
            
(加藤会長より以下の報告の原稿が届いた。)
「99山目経読岳同行記」
 女房の大分百山完登が残り10山をきった昨年暮れから今年の3月にかけて、毎週末ごと残された山を一つずつ登っていき、その完登に同行した。特に残された山が県北の地域に集中しており耶馬渓地方はこの冬場雪のため道路事情が悪く不通になるところもあり、予定よりも完登がやや延びた結果となった。

 それでも3月14日は野峠から鷹ノ巣山、3月21日は相ノ原から犬ヶ岳へと済ませて4月4日は99山目にあたる経読岳へと出かけた。

 この山は、おゆぴにすと第6号によると平成3年5月26日に私は1回登っている。この時のメンバーは高瀬、挾間、栗秋と4名で、確か鳥井畑よりウグイス谷を登り経読林道〜経読岳〜笈吊峠そして犬ヶ岳へ縦走して恐淵谷を経由して求菩提へと下りた記憶がある。そして今年の2月21日に一度出かけたが笈吊峠まで登ったものの、雪のため引き返したばかりである。

 さて4月4日、朝7時大分出発。少し小雨が降っている。予報では午後から回復するとのことで出かける(車2台6人)。宇佐別府道路を経由、安心院インターにて院内経由、県道500号線を本耶馬渓へ。国道212号へ出て左へ、栃木より右へ津民方面へ入り小屋ノ原へ。このルートは今回3回目だが去年暮れより何度となくこの方面へ出かけてきたので、何時にどこを通ってメンバーには誰がいたのかの記憶が入り混じっている。

 相ノ原を過ぎ最奥にある「ペンション森の木」を右手に見て200m、終点の登山口到着(8:45)。犬ヶ岳登山口の案内あり。道路右手に駐車。林道入り口にはくさりがあり鍵がかかっているが車が入るので駐車には注意せよとの看板あり。9:00出発。小雨模様は変わらず全員雨具。ザックカバーをつけて歩き出す。

   

 このルートは今年3度目だがしばらくは舗装された林道を登る。分岐点の要所には犬ヶ岳への案内あり。やがて林道終点。ここから山道という入り口に登山届を記入する小さなボックスがあり備え付けのノートに日付と名前を記入。今年3回目の記入となる。ここからが杉林の中の登りとなる。杉の葉の落ちたやわらかな山道を一歩一歩と登る。涸れた沢を渡り谷の最後の水場を過ぎると、昔の炭焼き釜の跡がくずれてある。これからやや急斜面をジグザグに登っていく。大木の倒れた下をくぐると峠も近い。やがて笈吊峠へ着く(10:05)。犬ヶ岳へは左だが今日の目的地経読岳へはここから右へ。九州自然歩道の案内板があり、経読岳への指導標もあり、ここから2.8kmとある。これは福岡県が1994年に整備したためこの案内板には大分県側の案内はほとんどない。

 天候は相変わらず不安定で、やんだかと思うと又パラパラと降り出して、少し温度が下がっているが、ややみぞれ状である。この縦走路にはシャクナゲの林でやや山道をふさぐかたちでかき分けて行く状態のところもあり、それで雨具は葉についたしずくで又ぬれた状態となる。右手・茶臼山(1,039m)のピークを北側へ捲いて縦走路ははっきりとした踏み跡があり案内板もしっかりと残っている。県境の稜線をやや下りそして971mのピークへのゆるやかな登りとなる。

 次のピークを左へ90°へ曲がる。直進すれば大分県側の小屋ヶ岳へと地図にはあるがほとんど踏み跡がない。ここを下ったところで経読林道が左から上がってきているが、この林道は荒れた状態で車が通れるものではない。福岡県側の眺望も開けたところだと求菩提山への稜線が見えたりする。ここから前方に大きな岩を左(福岡県側)へ捲いて最後崩壊状態のところは簡易なロープが張ってある。やがて最後の登りとなる急登があり、そのピークをもう一度左へ折れるようにしてもう一つの登りを登り切るとそこが経読岳山頂である(11:45)。

   

 「両界山経読堂跡」と彫り込まれた新しい石柱があり、そのうしろ30cm大の仏像が安置されている。何となく雰囲気を漂わせる山頂で、いかにもこの山の名前にふさわしいかつての修験者のかもし出す山頂となっている。13年前の記憶がよみがえる。記念撮影後、このすぐ直下のベンチのある広場にて昼食。風があるのでやや寒い感じだが、99山目を登り終えてあと一つとなったことを祝いビールにて乾杯とする。
 
 昼食後すぐに(12:35)出発。古峠へ向かう。すぐに最初のピークの三角点(992.0m)があり本当の山頂であるが、眺望はあまり良くない。ここからはすぐに急な下りとなり15分にて登山道を横切るかたちの林道に出る。これをクロスして少し下っていると下から3人の老婦人のパーティが登ってくる。聞くと轟部落から古峠経由で登ってきた、途中道に迷ったという。すぐに地図を出して現在地を教えて気をつけるよう言って別れる。
 
 ここからもやや急な下り。くさりのある岩場を過ぎると、尾根をやや横切るかたちでの岩場をクロスするとまた下りのくさりがある。この後2回くらい上ったり下ったりでそのたびにくさり場があり、古峠まで計6ヶ所のくさりがあった勘定である。古峠手前は岩場の連続で絶景ポイントであろうが、ガスが晴れずに残念だ。そしてまだときおりみぞれみたいにパラパラと落ちてくるが、やっと古峠へ到着(14:00)。ここから雁股山方面への縦走路は整備されてなく立入禁止となった標識がある。左手福岡県側は轟より上がってきた林道がすぐ下にみえる。そして右へ小屋ノ原への道はわずかな踏み跡があるだけでいきなりイバラが現れる。テープもほとんど見当たらず右手へ谷を忠実に下っていく。すぐに変な声が聞こえ出す。何の音かと下っていくと下にみえる湿地帯にいるカエルの鳴き声だったのだ。

 やがて湿っぽい杉林の中を右手に谷をみながら沿って下っていく。テープが全然見当たらない。やっと一つ見つけた。やはり間違いなくこのルートである。だんだん下っていくと往時をしのぶ石段のくずれかけた跡や掘り割りが出てきた。炭焼きの跡もみられる。なおも杉林を下るとやっと右手谷に堰堤が現れ鹿よけのネット張ったところに下り、やっと人の気配のあるところに下りついた感じで、エノハの養殖水槽に出くわす。ここでコンクリート舗装の道に出るとすぐ下に今朝方通った車道がみえて最終道路に出る(15:00)。ここから空身で運転手2人で車を回収に30分登り戻って無事99山目を終了。帰路耶馬渓町の深耶馬渓光円寺の境内ヒメシダレザクラをみて院内町余(あまり)温泉に入浴して帰宅(18:00)。

 今日のコースは逆に小屋ノ原→古峠→経読岳→笈吊峠→犬ヶ岳へと縦走してみると楽しくもっとおもしろいルートだと思う。特にシャクナゲの頃はおすすめである。人が少なく山歩きを楽しめるコースである。

そして100山目 4月11日 大将陣山
 女房は翌週4月11日に好天に恵まれて山桜散る中を大分百山最後の山、日田の大将陣山(909.8m)へ、いつも一緒に登っている仲間のメンバー18名と登り、山頂にて声高らかに万歳をしてお祝いの餅まきというセレモニーで全員から祝ってもらった百山完登となった。奇しくも大分百山最後の山は私もこの大将陣山であったが(平成15年2月22日)、私の時はどしゃ降りの雨の中、僅か4名の仲間だけでの万歳であった。
  
           
                   大将陣山山頂にて

 そして帰路体力の余った組は大石峠を経由して一尺八寸山(みおうやま)へ。山頂には日本一難読の山という記念碑が建てられていた。そして帰路ワラビを採り、日田温泉に入浴後サッポロビール日田工場にて再度祝福の乾杯で無事大分百山を終了した。

   
       難読日本一の山 山頂にて(一尺八寸山:みおうやま、707m)


 私は大分百山達成の登山には昭和62年9月5日福岡市の柴田夫妻を天神原山におゆぴにすと仲間とご一緒したのが第1回目(おゆぴにすと5号参照)、次に平成14年10月27日には大障子岩にて大分の方が、そして同じ年の12月22日は雁股山にてと、この2回はたまたま登りあわせた時にその山頂にて百山達成を聞かされたことがあり、そして今回の女房と計4回百山達成に立ち合った事となった。

 今後も我々山仲間の中から大分百山を完登するメンバーが1人でも多く出てくれる事を期待し、そしてまたどこかの山頂でその達成の瞬間に立ち合い祝福の場に参加できる日を待ちながら、その手助けのため又百山を案内していきたいと思っています。
2004.4.20 加藤英彦

             私の立ち合った大分百山完登達成者(加藤英彦)
昭和62年9月6日 天神原山  

柴田芳夫・ツネ子夫妻
 
平成14年10月27日 大障子岩

浅水芳雄氏
平成14年12月22日 雁股山

藤井啓一氏
平成15年2月22日 大将陣山

加藤英彦(星生倶楽部での祝賀の宴)
平成16年4月11日 大将陣山

加藤衣子

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