岳麓寺〜大船山〜入山公廟、いにしえを偲ぶ山旅
                            
挾間 渉

 九重の山々はこれまで数え切れないほど登ってきたが、大半が牧ノ戸や吉部などを起点とするものであり、これまで残してきた足跡を改めて振り返ってみると、未踏の、しかもこれまで経験したコースよりもはるかに味わい深い登山コースを、数多く登り残していることが、最近気になり始めた。
 
 黒岳周辺を例にとっても、最高点の高塚に登ったことがあるだけで、前岳(鷹巣)〜最高点(高塚)の縦走も未経験だし、ソババッケや奥ゼリからの平治岳、風穴からの大船山、それに大船山南面はほとんど皆無といった具合だ。稲星山〜鳴子山の南面も高校時代道に迷って本山ノ滝付近を下山したことを除くとほとんど未体験ゾーンだ。

 地図を広げて(といっても最近は実際には専らパソコンのカシミール3D画面上でのことが多いが)しげしげと眺めここら辺り一帯をイメージするとき新たな登高意欲が湧いてくる。こんな気持ちは昨年くらいからで、思いついたら即実行、手始めに御池〜奥ゼリ〜平治岳〜ヒージの野〜大船林道を昨年晩秋に、今年のゴールデンウイークには黒岳(鷹巣)に登り、この付近一帯の未踏のコースへの想いがいっそう強くなった。
 
           
            カシミール3Dから持参のハンディGPSに転送した予定コース
               (赤破線どおりに忠実にナビゲートしてくれる)


5月22日
 今日の予定は七里田温泉〜岳麓寺〜風穴〜大船山〜(入山公墓)〜板切集落〜岳麓寺だ。大分市の自宅を早朝発ち七里田温泉館横を通って岳麓寺集落に入ると入山公墓などを示す指導標にすぐに気づく。岳麓寺集落付近を出発点とする予定であったが、集落内に手頃な駐車場所がなく、やむなく1kmほど林道を車であがるとゲートとなっており登山者用の駐車場もちゃんと用意されていた。すでに先行パーティの車が3〜4台停めてある。

 大船山(入山公墓又は風穴経由)登山口駐車場

7時半過ぎ、登山開始。最初は牧場の中の比較的急な車道を上っていくと、のんびり牧草を反芻している黒牛数頭に行く手を阻まれ、すり抜けるように、また、足下至る所にある牛糞を踏みつけないよう気を遣いながら上っていく。見通しの良い真っ直ぐな上り坂を目標の大船山目指して進んでいくと、ゲートより2.8kmで車道は行き止まりとなり、ここから山道となり実質的な登山の始まりだ。

  

 天気予想では本日は終日晴れとのことだが、見上げる九重の山腹はまだ大半がガスに覆われている。登山道や道標は思っていた以上に整備され、小枝にくくりつけられた鮮やかなピンクのリボンが先へ誘導してくれる。入山公墓との分岐まではごろた石の歩きづらい道が続いた。

 最初はごろた石に足を取られ歩きづらい

 入山公墓分岐から先は、原生林・黒岳の山懐といった感じで、新緑と木洩れ日の差す緩い上りの歩きやすい小径を登っていく。この付近では傍らのバイケイソウが花茎を大きく伸ばし開花が近い。

  

  

 今日は、風穴を通り過ぎた辺りから大船山への直登コースを採るのが予定コースだ。しかし、風穴の数100mほど手前に大船山への標識がある。準備してきた地図上のコース図とは違っている。念のために予定の取り付き点まで行くことにし、そこをやり過ごし風穴に9時半前に到着。ここに来て今日初めての登山者に出会う。風穴を覗き込むと、まだ残雪があるのがはっきり確認できる。風穴を過ぎ予定の直登コースの取り付き点に達し登山道を探すが、見当たらない。GPSで現在位置を確認しながらの行動なので、衛生電波の受信状態が良くないにしても分岐点付近に居ることは確かなのにだ。やむを得ず引き返し、前述の指導標に従って大船山米窪の火口壁上部を目指すことにする。この間ロスタイム30分。

 大船山米窪への直登コース入り口

 風穴からの米窪火口壁直登ルートは標高差300m、全体として急登だ。鬱蒼とした下部斜面の急登を我慢して登っていくと、登路は尾根筋に入り、登るほどに木々の丈は低くなり、時折展望も開けてくる。先ほどまでガスに覆われていた黒岳の山体が漸く姿を現し始めた。急登とはいえ踏み跡はしっかりしており悪場はない。

 大船山米窪中腹から高塚を望む

 風穴から30分の頑張りで米窪火口壁の最下部に到達。ここら辺りではミヤマキリシマはまだ大半が蕾だが日当たりの良い斜面では鮮やかに咲き誇っている箇所もある。ミヤマキリシマなど低灌木をかき分けるように進んで行く。目の前のミヤマキリシマや頭上の風景ばかりでなく、足下を注視すると、今を盛りのイワカガミが目に入ってくる。

   
   ミヤマキリシマは二分咲き、イワカガミは見頃、マイズルソウはこれから
 
 北大船山側の火口上部付近までくると、先ほどの新緑が嘘のように山腹を覆うミヤマキリシマの大半が全体に茶色っぽく、ただならぬ雰囲気だ。注意深く観察すると、どうもシャクトリムシなど害虫により新芽や新葉が食害を受けたことによるものなのだ。聞くところによると最近、この付近一帯で恒常的に害虫被害が目立つようになったことを受けて、空中散布の話が持ち上がっているが、自然保護団体の反対などもあり実現に至っていないそうだ。

 無惨!

 さて、10時55分、段原着。これまでの道中の大半が一人静かな山歩きであったが、ここからは坊ヶつる方面からの登山者と行き交うことになる。それでも、山開きまでまだ2週間、ミヤマキリシマもまだ一、二分咲きとあってか、登山者も程よい数である。

 11時11分大船山山頂着。気がつけばガスも完全に晴れ360°のパノラマを欲しいままにできる。10数名の登山者がめいめいのんびりくつろいでいる。昨夜は九重一帯は雨だったとのこと、そのせいか九重連山一帯の新緑が遠目にもひときわ映える。

  

 休憩もそこそこに、これまでまだ足を踏み入れたことのない大船山南面を、板切集落付近目指して下山開始だ。山頂から標高差にして140mほど急坂を下ったところにミヤマキリシマが八分咲きの格好の展望所(標高1,642m地点)があった。ここで害虫の被害にも遭っていない今日一番のミヤマキリシマをゆっくり鑑賞したあとさらにしばらく下ると、標高1,520m付近で道は二手に分かれている。右へ採れば今日予定の板切集落方面への下山路であろう。しかし、左手の木枝に取り付けられた、「至 七里田」と書かれた古ぼけた道しるべを見たとき、何故か急に左方を選択してしまった。

 
  ミヤマキリシマが八分咲きの格好の展望所(標高1,642m地点)

入山公廟
 結果的にはこれが良かった。というのも、往路、入山公墓分岐を過ぎたとき、帰路に是非立ち寄ってみたいと思っていたが、予定の下山コース途上、入山公墓へのアプローチが手持ちの地図では定かでなく、半ば諦めかけていた。かなり以前におゆぴにすと仲間で入山公墓までは往路のコースを辿って足を伸ばしたことがあるものの、じっくり味わっておらず心残りがあったからだ。

 「至 七里田」との古い指導標に従う

 何とはなしとはいえひょっとしたらの気持ちで左方に下山路を採ったお陰で、分岐から程なくで入山公墓地へ入り口に出くわし、思いがけずも(単に事前調査の不足からということなのだが)入山公墓に足を踏み入れることになる。右手、崩れかけた、夏草が生い茂る、苔むした石段を上って行くと、まず右手に石祠がみえ、さらに上がって行くと久住町教育委員会による以下の文面の案内板がある。

「昭和46年9月23日町指定史跡 入山公廟
竹田岡藩三代藩主、中川久清(隠居し入山と号する)が家督を相続したのは承応二年(一六五三)で三九歳の時でありました。久清は藩政改革等を積極的に行い又万一、異国船が渡来した時に備え軍制の整備にも取り組み洋式の火器を採用し秘かに訓練を行いました。その演習場に大船山鳥居ヶ窪を選んだといわれています。入山が大船山に初めて登ったのは、寛文二年(一六六二)八月二三日のようであり入山は山麓で休息ののち地元農夫の背負う人鞍に乗って登山したといいます。入山は大船山をこよなく愛し、自分の墓所を大船山に設けるように書き付けを残し天和元年正月二十日六七歳で死去しました。入山の霊廟(御霊屋おたまや)は公の意に添って大船山の鳥居ヶ窪を見下ろすこの位置に建てられました。久住町教育委員会」


 夏草に覆われた入山公廟

 夏草に埋もれているとはいえ廟そのものは数百年の風雪にも耐え原形を保っている。あまり視界は効かないが木々の間から黒岳の天狗が遠望できる。静寂の中、しばし往時を偲び中川公をイメージしてみる。

 「地元農夫の背負う人鞍に乗って」の登山などの文面から察するに、中川公の登山は近代登山の走りとはおよそ言い難く、強いて言えば、いわゆる「大名登山」の元祖ではなかったろうか。岡城から朝な夕なに九重の山々を望み登高意欲を掻き立てたであろうことは容易に想像できる。この‘意欲’は我々の若いときと共通したものであろう。岡藩の家督を相続する身では「個」の自由意思はかなり制限されたことであろうから、思うに任せなかったに違いない。ただ、九重の山々に間近に接していた中川公にはやはり独力で山頂を極めて欲しかったと思う、錫杖を振りかざしながら槍ヶ岳に登った播隆上人のように。

   
          大船山南面一帯地図(赤線は今回実際に歩いたコースのGPS軌跡)


 さて、中川公墓を後にしてからは、約20分ほど駆け下り往路に合流。牧場道路に出てからは、収穫には余りにも早すぎたクサボケの実をわけもわからず採取したりしながら午後1時過ぎに登山口駐車場着。帰路七里田温泉館に立ち寄る。ここは古くからある地元の共同湯と泉質は同じで湯に浸かりながら大船山を心ゆくまで眺められるし、露天もある。山開きの前の閑散な時期と思ったが、地元の利用者が結構多く賑わっていた(入湯料300円)。

 下山途中牧場の路傍に見つけたクサボケ(収穫適期は盆頃とか)

 七里田温泉館

コームタイム 登山口駐車場7:38(737m)→登山道入り口8:24(1,024m)→入山公墓分岐8:35(1,101m)→風穴9:27(1,260m)→大船山米窪取り付き9:47(1,260m)→米窪火口壁最低部10:19(1,577m)→段原坊ヶつる合流点10:55(1,687m)→大船山山頂11:11(1,785m)→登山道分岐11:50(1,523m)→入山公墓入り口12:03(1,369m)→入山公墓12:09(1,403m)→入山公墓入り口12:15→往路との合流点12:34→登山道入り口12:45→登山口駐車場13:26(標高は高度計測定値、全行程17.4km、累積標高差1,620m、平成16年5月22日)

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