H編集長の気まぐれ編集日記

 2011.7.22
 仕事と山ともに共通の話題ができる友人と昨晩酒を飲み、ついつい深酒になってしまった。そんなときの翌朝は早い。いつものように午前4時頃目覚め、仕方なしにパソコンに向かう。毎日jp の「梅棹忠夫・山と探検文学賞:角幡さんに決まる」という記事をみて、受賞の対象となった「空白の5マイル」と著者の角幡唯介という人に興味を覚えた。

 探検にもいろいろあるが梅棹忠夫といえば人跡未踏の地を行くようなものではなく文化人類学のフィールドワークといったイメージだったから、受賞した角幡唯介氏もてっきりその筋の人かと思いつつネット検索していると、彼のブログを見つけた。その内容の一例、植村直己冒険賞の歴代受賞者の一部の人に対する批判的な記事ではあったが「冒険もしていない」野口健のことなど、正鵠を射ていると思い、さらに知りたくなって結局、YouTubeの日本記者クラブでの講演に辿りついた。

 約1時間半の講演とその後の記者とのやりとりで、彼の人となりが少し分ってきた。「将来が見えてしまいそうになるとそこから逃げ出したくなる」という。比較的裕福な家の長男、早稲田大学(探検部)〜朝日新聞社など、その結果が今日の彼なのだ。ブログの文章もメリハリがあり「空白の5マイル」を早速購入することにした。それにしても、講演後の質疑で、ある記者の「禁を犯してまでチベットの未踏の地に潜入した自分の行為をどう思うか」…愚問と言えば愚問だがこれに対し探検の本質論に加え「チベットは独立国との認識。支配者たる中国に許可をとるというのは、中国によるチベット支配を是認することになる。」というあたりこの人の反骨精神のようなものを垣間見た思いだった。

 この歳になるまで、いろいろな先人(先生)に教えられ、学んできたが、ついこの間の栗秋正寿氏講演会もそうだし、角幡唯介氏の生きざまも含め、僕などよりはるかに若い人(後生)に学ぶことがこの頃多くなった。まあこのことはいろいろな人の話に耳を傾ける謙虚さあったればこそだと勝手に思ってはいるが。それにしても「空白の5マイル」楽しみだ。

で、今日は更新すべきネタもないことだし、編集作業はサイト内のチェックだけにとどめた。チェックを終えた頃になって階下から朝食の用意ができたとのテレホンコール。もう7時過ぎか…。
2009.10.19   講義で90分しゃべったら脳が疲れ、頭の芯が痛くなった。幸い、本業の方は本日内勤としていたので、午後3時頃までメール対応でパソコンに向かう。在宅勤務を始めてはや1年半。ネットで見つけた在宅勤務を成功させるための8つのルールは大いに参考になり、常に意識しており、僕にとっては座右の銘ともいえる存在なのだ、このルールは。項目だけ紹介すると1. スケジュールを守ること、2. 仕事着に着替える3. オフィスのドアを閉めて立ち入り禁止にする、4. すべての用事を任される“頼りになる”人になってはいけない、5. 外出する、6. 時間管理能力を磨く、7. 家の財産を使うな、などとともに8番目に8. もっとも大事なこととして在宅勤務の特典を享受することを恐れてはいけない、とある。いちいちごもっともだが、特に8番目の「特典を享受することを恐れてはいけない」は我が意を得たり、だ。

で、一向に良くならない頭の芯の痛さに、午後3時で本日の仕事にキリをつけることにし、気分転換に、つい一昨日録っておいた「剱岳測量物語」(Bshi,10月17日)を観た。新田次郎原作剱岳点ノ記を映画化したものとは一味違う、柴崎芳太郎の点ノ記にできるだけ忠実に当時を再現しようとするドキュメンタリーで、剱岳登頂はもちろんのこと63kgもある三角点標柱を山頂に担ぎあげる可能ルートとして早月尾根→別山尾根→長次郎雪渓と転戦していく、そこには‘測量官としての愚直なまでの正直さ’が伝わってくる、当時の様子がリアルに再現されていた。ちょっと感動した。

それとともに35年ぶりの剣岳が、いよいよ現実味を帯びてきた。その一方で剣岳には負い目があり、躊躇いや近寄りがたいものを感じている自分がそこにある。笠ヶ岳から剣岳・・・、別にこれで縦走が終わりというわけではないけれども長大な尾根の踏破という意味では最後の大縦走と言えなくもない、その終着点は剣岳山頂であらねばならないし、コースとしては剣沢を下り長次郎雪渓に取りつく、さらに早月尾根を下る・・・そうでなければ昭和50年夏池の谷〜長次郎雪渓で止まってしまった時間を再び動かすことも、時(とき)を取り戻すこともできないような気がするのだが。

 本日は「ひこさんクラブ」の11月山行計画をアップした。加藤会長から、業を煮やしたのか催促のメールが届いた。それにしても会長も星生山での事故以後、余程の痛恨事であったのか、しばらくは元気がないように思えた時期があったが、‘検証登山’以後は、以前の会長に戻ったような気がする。
2009.10.18
(日)
 今朝は4時過ぎに起床。別府にアジ釣り・・・先日のリベンジのつもりだったが、釣果はアジ3匹と振るわず。まあ、型はまあまあ(22-23cm)だし、外道とはいえチヌとクロ(いずれも25-27cm級)計3匹ということで満足することにしよう。

8時過ぎに帰宅後、霊山にボッカトレーニング。実は最近、ザックを新調、というか更新した。ミレーの65リットル・・・来年の北アルプス縦走を視野に古くなりほころびを生じた55リットル級ザックの買換えのつもりが、ちょっと大きめになってしまった。スポーツDEPOでの格安さに惹かれての衝動買いは否めない。そのザックの調子をみるために、テント、寝袋、コッフェルなどあらん限りの山道具私物を詰め込んでの霊山中腹の急登1時間、程よい汗をかき、それとともにザックの身体へのフィット感などチェックした。少し大きめだったことに少しの不満が残るが、積載容量に弾力性があり、人間工学的にうまく出来てるし、登山スタイル(ノルディック歩行など)や環境変化(ペットボトル、デジカメなど)に対応して随分と機能的になっていることなどにまずまずの満足感を得ることができた。

本日は夕方、義兄と久しぶりに一杯やることになっており、前述の魚釣りも今宵の酒肴に、というのが主目的であった。しかしその前に明日朝一での仕事(短大の講義、植物病理学)の準備だけはしておかなくてはと午後から机(パソコン)に向かった。短大は今年2年目ということもあり、PPT(パワーポイント)資料は15回分を昨年1年かけてじっくり作成したから、内容の若干の見直し程度でそう大した時間がかかるわけではない。それでも我々の業界も日進月歩であり、うっかりすると内容が陳腐になりかねない。例えば昨年は植物病理学の起こりを説明するのにケネディ大統領を持ち出した。キーワード・・・アイルランド、飢餓、移民、アイルランド系アメリカ人、Potato famineジャガイモ疫病と序論で誘導していく。しかし、学生はすでに平成生まればかりとなりケネディそのものを知らない人が多いから説明が長くなる。学生の気を惹くためにオバマ大統領を加えてみた。それに本日のニュースで明日は季節はずれの黄砂の可能性ありというのが報じられていたから、黄砂と植物病原菌との関係などもタイムリーかな、などなどで資料作成にそれなりの時間を要すことになった。

で、本日はトップページの写真だけ張り替え、更新のカッコウだけはつけた。酒の方はもちろん、大事な仕事の前ということもあり、いつになく冷静沈着、控え目に抑えたことは言うまでもない。
2006.2.21  昨年秋からの懸案事項であった祖母傾の記事をやっとアップした。文章を考えながらいろいろ思い巡らすうちに、しだいに気持ちがエスカレートしていく自分を感じる。昨年9月から今年2月まで都合3回の祖母傾山行で表題の‘完全縦走’コースを繋げた。単純に所要時間を足すと20時間くらいになる。その3回の紀行は、筆無精ながら2回の出張に‘汽車’を利用したお陰でわりとすんなり筆が進んだ。

 問題は前書きであった。そのタイトルだけでも序章にしようか、序文にしようか、緒言にしょうか、序にかえてとしようか、それともプロローグのほうがいいかな?などなどあれやこれや考えてしまう。本来なら前書き的なものを先に練り上げ、文章のリズムや文体の構成と流れを作り上げ、そのリズムと流れに沿って本文の紀行に入ると調子よく書けるのだが、先に本文となる紀行を仕上げてしまったものだから、前書きの構成と調子が定まらない。

 まあしかし、考えようによっては、先に格調高く序章を書いて竜頭蛇尾となるよりは、先に書いた本文に前書きの調子を合わせるのも悪くないか・・・・。しかしそれにしても序章とか、プロローグでは少々構えた感じになるし、ということでそれなりに思案した挙げ句取っ付きやすそうな「チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その1 祖母傾への熱き想い」に落ち着いた。良いタイトルに落ち着いたと自画自賛しているから世話ないよな。

 ところで、文章を書き終えた時点では‘祖母傾山系’であったのに、手頃な写真を探して貼りつけたところ、‘祖母傾連峰’の方がぴったり来るような気がして、全部置き換えてしまった。どっちだって大したことないのにね。まあそんなわけで何気なくできあがったような文章のひと言ひと言の選択に結構行きつ戻りつで大変なのだ。・・・あっ、いけねえ、手の内をそこまでばらしてしまうこともないか。そうでなくとも閑人扱いされているのに・・・。推敲もここまで来ると考えものだ。

 それにしても今日はこの日記をしたためるのに今ひとつノリの悪さを感じる。これまでさりげなく書いていたものを、昨日の副編集長の「読者諸兄へのご案内」などという掲示板への書き込みを見てしまったものだから、ついつい意識してしまったせいか。

 とりとめもなく長々と編集日記を書いても、結局のところ今日はトップページの写真1枚の貼り替えだけに終わった。というのも、久し振りに、多分1年ぶりくらいにもなろうか、夕餉に馬刺付きとあって、とっておきの日本酒山廃純米吟醸「天狗の舞」の封を切ってしまったのだ。愚妻も少し口にして「あらっ、これいつものと違うのね」ときた。ぐい飲み2〜3倍のつもりがまたまた少々深酒になってしまった。
2006.2.4
 正月からこっちでは久々の寒波に震え上がる朝、それでも気まぐれ編集長の朝は早い。モーツアルトを聴きながら過去のデジカメファイルを大分県内山域毎に仕分けをした。この作業は近い将来「大分山岳案内」的なものを立ち上げようとする、その準備作業だ。暇ひまに少しずつ整理し、写真と地図、カシミール3Dのトラック軌跡、高低図、それに一番大事な紀行文をリンクさせるのは当然だ。

当サイトは立ち上げ時、テキストファイルオンリーで行こうとしたことがあった。世の中にはテキストファイルだけで構成された素晴らしいサイトは結構あるものだ。それに倣って少人数でもマニアックな訪問者が理解してくれればいいと思ったのは事実だ。そうは言っても様々なメディアのある今日、表現力は豊かな方が良いと、最近では写真をできる限り取り込んで仲間内はもちろん訪問者にも気を使っている。

しかし、基本的に我がサイトはガイドブックではなく、好き勝手な自己表現の場に固執してきたことも確かだ。アクセス5万回を超え、県内では、いや県内外というべきか、それなりに秘かな知名度が高まってきたことでもあるし、県内山岳に対する情報もかなり集積されてきたことから、データベース的な山岳案内を立ち上げるのも訪問者に対するサービスの一環として必要だろう。ということで、少しずつ作業を進めようと思っている。とはいっても気まぐれ編集長のすることだから先は長いよ、きっと。

ところで、冒頭モーツアルトを聴きながら、と書いた。そんな趣味があったの?と冷やかされそうだが、もちろん単なる気まぐれだ。このところモーツアルト生誕250年ということで何かと話題になっているし、「モーツアルト100曲」なるリーズナブルなダイジェスト版CD(6枚組み3000円也)も登場した。にわかモーツアルトファンと言われようが、このCD、聴いてみると結構沢山どこかここかで聞き覚えのある曲が多い。モーツアルトが知らず知らずのうちにいかに我々の生活の中には入り込み溶け込んでいるか、改めてその偉大さを知った次第。

話を元に戻す。昨夜、吉賀会員から鞍馬山の写真とメールが届いた。これもついでに先程アップした。奥さんと夫婦水入らずの、旅情豊かな旅だったらしい。鞍馬山の写真と原稿受領しました。雪の中、なかなか風情がありますね。うちの女房は、「どこにも連れていかん」と不満を言いますが、一方で夏は暑い、冬は寒いだの・・・。苦労をかけた奥さんを大切にしないと罰が当たります。今のうちにサービスしとくと、将来笑って見送ってもらえる(あの世の旅路ではなく、もちろんライトエキスペディションのことですが)と返礼しておいた。
2006.1.29  昨日、今日と、めずらしくトレーニングに身を入れた。1年以上もの長い間患っていた左肩の炎症(五十肩)が昨年暮れあたりから快復に向かい、周囲から肉体改造計画の刺激を受けたこともあり、とにかく今年は2日以上おかないよう、コンスタントに運動を継続しようと、心に誓ったからということもある。

 できれば近郊の山とバイクトレーニングを、それにクロスカントリー、トレール・ランをセットにして山ヤとしてのアイデンティティの発露にしたい、との‘強い’意思からだ。

 で、昨日は裏川の周回コース1周3.4kmを5周、裏川までの往復20kmはもちろんロードレーサーで。そして今日は、標高700mの平成パークラインのヒルクライムと、ついでに障子岳(750m)と宇曾山(644m)にまで足を伸ばした。

 今月は、このところ‘大分百山’に興味を持ち始めた相棒・豊明君と連れだって平成パークライン沿いの山並みを御座ヶ岳、雲ヶ背岳、烏帽子岳、雨乞岳、鎧ヶ岳と稼いだ。それに独りでも今日の障子岳のほか、霊山と本宮山にも登った。月初めに加藤会長に誘われた佩楯山は腰痛を理由に断ったが、その後開き直ったのが良かったのか、腰痛は相変わらずだがバイクもランも登山もできなくはない。お陰で体力も少しずつ向上しつつある。腹の周りの余計なものはいっこうに減る気配はないが、心肺機能と筋力は着実に増強しつつある。これで良いのだ。

 夕方のメールチェックで、栗秋副編集長の古い激闘の記録’89宮古島トライアスロンの原稿が届いたのを知る。編集長にこのところ原稿のことでいろいろと注文をつけられるせいか、やや遠慮がちの添え書きがしたためてあったが、おゆぴにずむ実践の延長線上にあり、しかも10時間以上に渡る完走の記録だ。それなりの扱いをしないわけにはいくまい。やや疲れ気味ながら、先程アップ完了。
2006.1.27  吉賀会員から3日前に職場宛てに送られた由布岳の写真を今日トップページにやっと載せた。職場から自宅宛てに転送しそこねていたこともあるけど、ここのところちょっと忙しかったし、それに取りあえず急ぎの原稿もないしで、サイトの管理作業が頭から消えてしまっていたのも事実だ。

せっかく送ってもらった由布岳の写真、何とか昨日のうちにとは思ったけど、岩槻市までのとんぼ返りの所用で、パソコンを前にする元気が失せてしまっていた。このところ吉賀会員の肉体改造計画に刺激されてか、なんだかんだ云いながらもそこそこのトレーニングは消化しており、少し体力回復を実感できるようになったというのに、羽田から浦和美園間の駅の階段の上り下りがたいそう堪えたのだ。

岩槻市と云えば鈴木会員のお膝元付近であることは先刻承知のうえだったのだが、挨拶もせず申し訳ない。金曜日に行事が入っていなければそのままご厄介になり奥多摩辺りでも案内してもらえたのに・・・。
2006.1.14  昨夜は午後から大分市内で会議。久々に早く帰宅できるし、それに昨日朝の天気予報では夕方は降水確率90%、ランニングはできないだろうから副編集長からのメールにあった正寿さんのアラスカ行きのニュースのアップ、サイト内の点検作業もしなくちゃあと会議終了後いそいそと駐車場に向かったまでは良かったが、酒飲みのお誘いがあり予定変更。金曜日の夕方とあっては仕方がない。それにしても居酒屋をハシゴしてよく飲んだ。最終バスに乗り自宅近くのバス停では昏睡状態になるところを寸前のところで女房からのケイタイコールで起こされ乗り越しをどうにか回避。バスを降りると雨の中、傘を片手に女房が立っていた。感謝。

 酒飲みの朝は早い。頭の働きはイマイチながら身体は快調。午前5時頃から更新作業に取りかかり正寿さんのアラスカ行きをアップした。ついでにサイト内の点検作業も行い、リンク漏れや不要ファイルの消去作業などに約2時間。

 お酒もだいたい抜けたようだし、女房を起こして車を取りに行こう。有料駐車場は7時以降は1泊料金に時間料金が加算される。やれやれ・・・。 
2006.1.13
 昨晩は久し振りにまとまった走り(といっても10kmであるが)をした。

 昨秋以降の不摂生を改めるべく12月に入って心を入れ替え体力造りを再開。そんな矢先に吉賀会員の肉体改造計画のメールが入り、ついつられて少々悪乗りしすぎたのか張り切りすぎた結果腰痛に見舞われ、わずか10日間で体力造りが頓挫。今年に入って元旦からこっち気持ちを切り替え、今のところはどうにか続いている。気になる腰痛の方は一向に回復の兆しはないが悪くもならないので、開き直って気にしないことにした。

 話を元に戻すが、元旦以降少しずつ距離を伸ばし昨晩どうにか10km走れたことに満足し、水分補給はアサヒスーパードライ500ml。これ1本で止めておけば良かったのに焼酎に手を出してしまった。というのも正月以降、日本の伝統文化に習って日本酒オンリーだったので焼酎が懐かしくなっていたからだ。

 焼酎は‘唐津くんち’25℃のオンザロックで一杯だけのつもりであった。昨秋唐津くんちの見物の時に買ったものだ。みやげ物であるからして味への期待はほとんどなかったのだが一口で「旨い!」と感じた。まろやかさが口の中にじわっと広がりアルコール度数を感じさせない。あらためてラベルを見直すと「原材料名: 米・清酒粕」とある。なるほどひと味違うのは清酒粕だからか、こんな焼酎もあるんだ。立て続けに三杯。当然前後不覚になったことは云うまでもない。朝、メールチェックで栗秋副編集長からPDFファイルが添付されたメールを確認。

 それにしても2年半ぶり、本当に久々の日記だ。気まぐれにも程があるが、栗秋副編集長のようにマメだったら、別の人生があったかもしれないなあ。
2003.6.5
 3週間ほど前、当ホームページの容量がサーバーの基本容量である30MBを超えたため転送できなくなった。契約変更し容量をアップするのが最も簡単な対処法であるけれども、当然のことながらこれには経費が加算される。相撲の金星の(逆の)ようなもので超過分が増加すればするほど、HPを続ける限りその分は累積加算されるから馬鹿にならない。

 こちらのディスク上の合計サイズが23MB程度の時のことであり、まだ当分は大丈夫と思っていただけにちょっと意外であったし、納得がいかなかった。そこで、その道に詳しい知人の意見を求めたり、また、転送したサーバーのおゆぴにすとボックス内を直接覗き込んだりすることによっていろいろなことが分かった。

 まず、サーバーのファイル最小単位の問題。ファイル最小単位をクラスタというのだそうだ。これは原稿用紙で考えれば分かりやすい。つまり例えば400百字詰め原稿用紙に100字だけしか書かなくても1ファイルに最小限1枚は必要となる。残りの300字分は無駄な領域となるわけだ。しかもサーバー側が用意した原稿用紙が400字詰めとは限らず、もっとずっと大きなものかも知れないのだ。当方のパソコンと、それよりはるかに大型のサーバーのコンピュータとではクラスタの単位にも差があるだろうから、当然といえば当然だ。当方のパソコンでのディスク上の合計サイズが23MBの時点で、サーバー側が満タンになった訳はこれで一応納得せざるを得ない。携帯電話の「35分コミコミコール」(基本料金に35分までの通話料が込み、というやつ)で、35分までは無料と思い手短に何十回とかけてみて請求金額にびっくりする、あれと同じだ(10秒でも1分として扱われるから)。

 さて、ファイル数がかなり膨大となった当HPだけれども、ファイル内の無駄に消費している領域を整理することは不可能なことは前述したとおりだ。次に転送先のサーバーに接続し、おゆぴにすとHPボックス内のファイル一覧をチェックしてみた。テキストファイルを保存するとき自動的にバックアップファイルも保存されるが、驚くべきことに(勝手に驚いているだけかも知れないが)このバックアップファイルまでもが転送されているのだ。本来‘テキストファイル中心のサイト’としてスタートした当サイトだけに、20年以上に及ぶ活動記録のファイル数となると膨大だし、それとほぼ同じ(正確に言えばわずかながら少ない。これは最終的に保存されたファイルとバックアップファイルのタイムラグによるもの)容量分かつ削除可能なバックファイルの存在を発見し「やった!」という心境であったことを吐露しておこう。

 で、サーバー内の‘・・・.bak’とある何百(正確には5月末時点で284)ものバックアップファイルの削除作業に取りかかった。テキストファイルは余程の長文でもないかぎり1ファイル当たりせいぜい20KB程度、平均して10KBをちょっと超える程度で、10×284÷1000=2.84、つまり今回の作業で約3MBの空き領域を確保できた。しかし、しか〜し、長い文章を信条とするKの大作「ああ徳本峠」がいくら長いといってもテキストファイルそのものは前・中・後編合わせてもたかだか40KB弱、挿入した画像2枚分にも満たない。ってことは、3MBの空き領域は、最近頓に画像が多くなったYの超大作シリーズ‘Jannu Expedition 81’の残り分すべてに充てることすらできない。もっと効果的に空き領域を確保する手だてはないものか・・・、再びサーバーのボックス内を覗き込む。

 そして見つけたのが‘Thumb.db’なる、気になるファイル。「何じゃこれは?」、ファイルをジャンル毎にまとめるために作った各フォルダ毎に必ず存在し、大きいものでは1個で200KB以上ものサイズである。早速googleの検索にかけてみる。世の中には同じ悩みを持った者は結構いるものだ。その多くは小生のような、ホームページの管理人たちであり、彼らの疑問に応えるべく、ちゃんと答えは用意されていた。で、このThumb.dbというやつは「隠し属性ファイル」というもので、これがあると一旦読み込んだものは次回からより高速に表示するようになるらしい。そんな役割を持ったファイルだが、削除したからといって動作に影響はどうやら出ないらしい。そこでHPボックス内の全32のThumb.dbを削除し、新たに4.2MBの空き領域を確保できた。これは短時間の効率的な作業であったし、これにより当分の間、基本容量のことを心配しなくて良いことになった。

 これまでは基本容量の30MBは、当HPにとって充分すぎるスペースと考え、紀行の内容によってはかなり贅沢に画像を取り込んできた。贅沢といっても、それなりに著者が厳選したものであり、本文とリンクしているため一概に削除することには逡巡してしまう。そこで、サイト内の見直し作業の最終段階はこうだ。

 サイズの大きい画像は本文の内容を損なわない程度に縮小する。これがまた難儀でチマチマした作業だ。ヒマを見つけてはHPを読み返し、添付画像サイズとの適合性を再チェックする。例えばつい先日の日曜日は、Kの「トライアスロンミーティング九州」について添付した6枚の画像をまったく削除することなく、うち4枚のサイズを変更し100KBを新たなスペースとして確保した、といった具合にだ。尤も、画像は一つ一つが別ファイルとして独立しているから、小さくして転送してもサーバーには大きいサイズのものがそのまま残ってしまったままになるので、それを削除する作業も必要で、難儀かつチマチマたる由縁だ。何もそこまでしなくても、と思いながらもそこまでしないと気が済まないのが、もって生まれた性分、人に頼らず新たな知識と知恵を会得したときは、一種達成感のようなものがあり、このような作業にはそう悪い気もせずこれによるストレスもない。

 節約の方法はまだある。いよいよとなれば1テキストファイル当たりの添付画像数を少し削ればいいし、さらにもっと言えば、このHPの目指す方向から考えてジャンルによっては今後スクラップアンドビルドの対象にしても良いのではないか。

 現在、インターネットを巡って接続業者間の過当競争はさらにヒートアップしてきている。それにともなってHPの基本容量も100MBの時代に入ってきている。当HPが加入するoct−netも、早晩容量アップを検討せざるを得ないだろう。これまで述べてきた、当HP管理人兼編集長の‘苦労’も、案外近いうちに徒労となるかも知れない。一方、このところなるべく気にしないようにしていたアクセスカウントも10,000が近くなってきた。一つの節目の時期が近づいたと言えよう。節目といえば、何の相談もせず勝手に始めたこのHPではあるが、そろそろおゆぴにすと6人衆の共有財産として認知される日が近づいているのではなかろうか。そうなると、このHPは山のいで湯愛好会会報1〜6号総集編を含む第7号として位置づけられることになる。

 あっ、いけねえ、周囲が明るくなってきた。もうあと1時間は寝なくちゃ。
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