H編集長の気まぐれ編集日記
2002.7.28 | 台風一過、昨日、今日と再び猛暑が戻ってきた。早朝、久しぶりに愛車コルナゴに跨り、銭瓶峠(標高335m)までヒルクライムした。このところの運動不足がたたり、以前の2倍ほどの時間をかけてやっと峠まで辿り着くという体たらくだ。 当然鰻登りに気温が上がった日中は、まずYの遥かなるアンデス第4回をアップした。次いで、ここ1か月以上もほったらかしにしていたK副編集長からの原稿の編集に取りかかる。取り敢えずは、20数枚の写真をスキャナーで取り込んで保存するという作業・・・1枚の取り込み・保存作業に4,5分はかかるので、20数枚ともなると、これが結構な作業だ。もちろん、効率よくリズミカルにルーチンワークとして黙々と行えば、かなり時間は短縮出来なくもないが、TVの時事、高校野球などに脇見をしながらだからなのだが。 今週は週の間に四国松山への出張が入っていっている。これに1日の休みと週末を加えると石鎚山まで足がのばせ、かなりゆったりとした四国の山旅が楽しめそうだが、若い時分のようには行きそうにもない。出張に引っかけた山行は、どこか後ろめたいものがあるし、それ以上に、パートナーへの遠慮もあるし、今の仕事事情からして2日以上はとても開けられそうもない。K先輩は今夏穂高に行くというし、結局のところ、山への想いの濃密さの問題かな・・・。 |
2002.7.26 | 昨夜はアクセスカウント2000祝賀会と称して大分駅裏の居酒屋で飲んだ。台風9号が夜半から明け方に接近することが分かっていながら・・・。祝賀会といっても、副編集長のKと二人だけでのはなしだが、これで7月18日以降の懸案事項に一応のけじめがついたわけだ。アクセスが1000単位で増すごとに一杯飲む、というのがKとの暗黙の了解事項だ。最初の1000に4か月以上、次の1000に2か月半を要したことから、もうちょっとアクセスアップのペースが上がらないと、飲み会の頻度としてはちょっと寂しい感じだ。まあ、しかし、これで数か月に一度は確実に飲む機会に恵まれるわけだ。だが待てよ、近い将来、当サイトが大ブレークするようなことにでもなれば、カネも続かないし身体も持たなくなる・・・などといった心配は杞憂というものだろうな、きっと・・・。 そんなわけでいつものように早朝3時の早い目覚めで、やや二日酔い、というよりもまだ酔いが覚めやらぬ意識朦朧混濁酩酊のなかで、ややタイミングを失した感の否めないH先輩のフィリピン帰国報告会の報告をトピックスのなかにアップした。 その後、もしかしたらまだ血中アルコール濃度はNT(検出限界)に達していないかもしれないのに注意力散漫ながらマイカー出勤してみて吃驚。農大開校時に植えられた樹齢40年近い桜など至る所に倒木があり、大野川の増水状況からしても、昨夜はどうものんきに構えすぎたらしい。 夜、Yから「遥かなるアンデス第4回」の文書ファイルとjpeg画像が届いた。この週末の仕事?だ。Yはしきりに文章の手直しを求める。 仕事柄、上手な文章、理路整然とした文章を書きたい、という気持ちをこれまでずーっと持ち続け、その種の書物をいろいろ読みあさった時期もあった。とりわけ、本田勝一著「日本語の作文技術」は幾度となく繰り返し熟読した書物の一つである。この中の‘リズムと文体’の項で、氏は、人の文章にはそれぞれに「固有のリズム」があり、他人が安易に手を付けられない、また付けるべきでもない旨述べている。 Yの文章には、先(7/20)にコメントしたように、荒削りながらもY独特の調子(リズム)=個性がある。これをYが要求するように深入りして安直に手を加えると調子が台無しになってしまうおそれがある。Yの個性を大事にしたいのだ。 |
2002.7.20 | 昨晩は珍しく直上・昏睡することなく最後まで、旨い酒、手作り料理、HPと山の話題などの楽しいひとときを過ごせた。明けて本日早朝5時頃から、Yの超大作・遥かなるアンデス第3回のアップに取りかかる。 ヒリシャンカは世界100名山に選定されているとはいえ、googleで検索してもわずか10件程度しかヒットしない。それも、こういってはなんだが大した記事は皆無だ。Yらの30年前の死闘の痕跡はHPの世界では、忘れら去られた存在なのだ。大いに気に入らない。そんな時のYの連載記事のスタートだ。 普段、朴訥でぶっきらぼうなYではあるが、その分、文章の中の彼は雄弁だ。簡潔ながらもストレートな文体から、彼の思いの丈が伝わってくる。すべての迷いを吹っ切って羽田を飛び立った第1回、リマでの諸手続に(当時の)ペルーのお国柄が見て取れる第2回、そしてチキアンで登山準備を完了した第3回を今回立ち上げた。次回からはいよいよヒリシャンカの山域に足を踏み入れることになる。 まだまだこのHPはごく少数にしか知られていない。アクセスカウントが2000に達したといっても、実人数はせいぜい100名あるかないかだろう。自由に書き込み可能な(ある意味では無責任な書き込みが横行する)掲示板を設けていないから、訪問者の意見はメールでしか、こちらからは知りようがない。 HP制作者としては、訪問者の姿がいつまで立っても見えてこないことに若干の苛立ちを禁じ得ない。願わくば、ほんの数行程度でもいい、訪問者の感想が欲しいなあ。姿が見えれば、制作者の張り切りようがまた違ってくるのだが・・・。 |
2002.7.19 | 職場は今日から約40日間の夏休みに入った。夏休みといっても、それは学生のはなしで、我が職場は学校教育施設ではないから、教官に休みがあるわけではない。毎日の日課であるホームルームや午前中の講義がなくなったことで、取り敢えず精神的負担や資料作成などが軽減され、随分気が楽になったことは確かだ。けれどもこれまでその維持管理の大半を学生に頼っていただけに、広大な敷地と農場の管理に炎天下の過酷な肉体労働が待っているのだ。閉講式まえ最後のホームルームで学生のために用意した言葉は月並みながら「男子三日会わざれば刮目して待つべし」だ。すでに気持ちはよそに飛んでいるであろう学生の心にどれだけ訴えられたことやら・・・。 昨日、今日と、結局HPアクセス2000達成祝賀会の誘いは、なしだった。Kも忙しいとみえる。妻は博多にいる次男坊のところだ。バイク(自転車のこと)仲間からもらった球磨焼酎「大石」も寝かせたままだ。Kのおやじさんが三隈川で釣ったウナギもある。「よし!今日はTo兄のところに転がり込もう」 To兄は、我がHPへの熱心な訪問者の一人だ。これまでにもいろいろと示唆に富んだアドバイスをもらった。「当HPは、基本的にテキストファイル、すなわち文字情報主体のサイトであることにこだわっている。登山の奥深さ・神髄を理解する者のみ訪れてくれればそれでよい」などと多少の強がりな反論を試みながらも、ビジュアル面での改良をみれば自明のとおり、人のはなしにきちんと耳を貸す謙虚さは持ち合わせているのだ。 To兄は大石のオンザロック、こっちはとっておきの越乃寒梅。で、話題は当然のごとくおゆぴにすとHPのこと。きわめてゆっくりながらも、口コミでじわじわと登山愛好者の間に浸透しつつあるらしいことが窺えた。尤も「このHPはどんな人を対象に、どんな方向を目指しているのか今一つ解りにくい」との指摘は、そのままHP制作者の‘迷い’を反映しているといっていい。結局のところ、いたずらに孤高を保つことに固執せず、マニアックな岳人のみならず、山に興味のある御仁なら誰でも気楽に訪れてもらえるような‘気楽さ’こそ、これから取り込まねばならないだろう。だが待てよ?もともとは30年来の山仲間のミニコミ誌的な役割が果たせればそれで可としようというのが出発点だったかな? |
2002.7.18 | またしても深夜、午前1時半のお目覚めだ。これで三晩連続の変則睡眠パターンだ。これでは、いくら短眠型人間を標榜・自称しても、身体に良かろうはずはないのだが・・・。 昨日は、気になっていた当HPのアクセスカウントが2000に達した旨を告げるメールがK副編集長から朝一番に入った。「アクセス数今朝確認。2002だったぜ。おめでとう。おっちゃんの努力のたまものだね!」という短いコメントだった。当然のことながら彼も、HP‘共同制作者の1人’なのだが、当事者の意識がいささか希薄な印象はぬぐえない。このことは看過するにしても、そのあとに続くべき言葉がないのが不満だ。夕方の仕事を6時には切り上げられるよう段取りをつけていたのに、‘2000達成祝賀会’に全然触れていないのだから・・・。こっちも講義の準備で余裕がなく即座の返信もままならず、結局、昨日は音信が絶えてしまった。めずらしく編集スタッフ間の‘阿吽の呼吸’が乱れたここ数日だった。原因の多くはこっちの自分勝手な都合にあることは確かだが・・・。 そんな訳で8時に帰宅後、「あら?今日は何かあるって言ってなかったっけ?振られたの?」との愚妻の問いを無視し、パソコンを前に独りさみしい祝賀会だった。アサヒスーパードライ350ml缶2本に、焼酎「西の星」のロック2杯ですっかり酩酊してしまった。気がつけば深夜、HPのカウントは2014をさしていた。 ところで冒頭触れかけた身体のことだが、昨日もらった健康診断結果通知書の中味はオール1だ。これで3年連続だ。口の悪い、前職場のO副部長などは「五十路に入ってオール1なんて信じられん。よっぽど仕事でラクしてんだろう」と、まるで健康であることが罪であるかのように非難囂々であったものだ。愚妻は素直に喜んで焼酎のおかわりにも珍しく機敏に動いた。こっちとしては素直に喜べない。御長寿早押しクイズへの出場は御免こうむりたいのだ。 おっと、もう午前3時を過ぎてしまった。気まぐれな編集日記などに時間を食い、結局、深夜の作業は、懸案だったM先輩の伊勢神宮の写真をスキャナーで取り込みサイトに転送するところだけに終わった。Yの大作・第3回のアップは明日、いや今晩(日付の感覚が麻痺している)やることにしよう。もっともK副編集長からのお誘いがなければの話だが・・・。 |
2002.7.17 | 梅雨の終わりを告げるような雷鳴に加え、あまりの蒸し暑さから目覚めたら、まだ午前2時半だ。昨日は終日研修だった。いつも講義をする側だが、昨日は久しぶりに人の話を聞く側に立った。知事訓話や男女共同参画社会のことなどだが、知事が誰彼となく指名して厳しい質問を浴びせるものだから、ちょっとびびった(確率7〜8分の1)。正直、自分にあてられなくてよかったと思った。前もって提出を義務づけられたレポートや意見発表ならともかく、即断即興即答は大の苦手だ。それにしても、あてられた人は皆、そつなく‘官僚答弁’をこなしていた。大したものだ。 ところで、我がHPへの、一昨日時点のアクセス数は1987。いよいよ2000の節目まで秒読み段階に入った。ここのところ1日平均10〜15件の訪問者数である。副編集長のKのことゆえ、先刻承知のはず、きっとメールが入るに違いないと思った。しかし夕方近くになっても何も来ない。業を煮やしてついにこっちから催促のメールを発信。これには即座の応答があり、‘商談’は成立。 研修終了後、一目散に帰宅。何はともあれ‘2000達成祝賀会’の前に、アクセス数の確認が必要なのだ。ところが肝心のパソコンがまたしてもサーバーにうまくつながらない。ここ数週間というもの、原因が良く分からないが、つながったり、つながらなかったりだったから、「今日こそは」と修復作業に取りかかる。といってもネットの管理人からの指示をケイタイで受けながらではあるが。 約1時間半ほどかけてやった作業はモデムの設定のやり直し、接続の確認、フォントキャッシュ破損(文字化け)の修復etcである。 で、やっとつながった我がHPのアクセス数は昨日午後7時現在1991。うーん、夕方までにたったの4件か・・・。駅裏の居酒屋・迎楽で待機しているであろうK副編集長には悪いが、萎えた気持ちの修復は、パソコンの修復より難儀だ。取り敢えず1日順延としよう。 |
2002.7.16 | 昨夜は晩酌としてはちょっと深酒だったかな。といっても、定番のアサヒスーパードライ350ml缶1本に、焼酎「西の星」のお湯割りが加わっただけなのだが・・・。 こんな場合、大抵食事も済み終わらぬうちにそのまま寝入ってしまい、お目覚めは午前2時前後。その後は眼が冴えて眠れない。これはもう老化現象以外の何ものでもないが、自称‘短眠型人間’の真骨頂はここにあり、だ。 眠れなきゃ、寝れないでいい。起きていてすることは山ほどある。7月10日にメールで届いたM先輩の「大阪便り」第2回も、早く立ち上げなければと思いながらも、そのままになっていた。先週来、15日に迫った、学生のプロジェクト課題計画発表会の指導で週末も潰してしまった。正直、自分が仕掛け人となったH先輩の帰国報告会(12日)前後はそのピーク、職場からの早々の退散は‘敵前逃亡‘みたいで冷や汗ものだった。 で、発表会も滞りなく終わった今日、いや昨晩久しぶりの晩酌・昏睡ののち、「大阪便り」を立ち上げた。といっても、パソコンの調子が先日来今一つ快適な動作環境になく、今日のところは取りあえず本文の転送だけで、画像の取り込みなどはもうちょっと辛抱していただこう。 もう一つ、気になるのが新刊書「九州の岳人たち−−その登山史」。H先輩の帰国報告会の際、K先輩から譲ってもらったものだが、これがなかなかに面白い。ところどころ、拾い読みしているうちに、家庭内別居中(このところの蒸し暑さから、我が家の中で一番涼しい二階の部屋に独り引っ越中)の妻が朝飯の支度のためにごそごそと起き出してきた。短眠型人間の面目躍如といったところか。 台風も大したことなかったようだし、昨晩のHPアクセスカウントが1987といよいよ2000の大台への秒読みにさしかかった。「昨晩は、台風対策で寝とらん。」などと管を巻きつつ「2000の節目を迎楽(駅裏の居酒屋)で迎えよう」などといったメールが副編集長のKからきっと届くに違いない。 |