山といで湯(クロニクル)  昭和63年(1988年)6月〜平成3年(1991年)12月
                                 (文責:KA;加藤、HA;挾間、TA;高瀬、KU;栗秋)
6/5 九重・平治岳ミヤマキリシマに囲まれて結婚式
 加藤の知人で山仲間の門脇青年と横山嬢の恋が実り、今秋めでたく結婚のはこびとなった(何と!加藤の媒酌となるのだ)。そしてその前段として、ミヤマキリシマの咲き誇る九重・平治岳を舞台にプレ結婚式ともいうべき祝宴が山仲間のイキな計らいで実現となった。このユニークな企画とミヤマキリシマにひかれて栗秋ファミリーも急遽参加することになり、吉部の大船林道入り口ゲートに午前9時30分集合(このとき参加すべくゲートに早く着きすぎた荒金はしびれをきらしてか、あるいは場所を間違えたと思ったのか長者原付近をさまよっていた模様)。もちろん大船林道を車で駆け上り、子供連れでも楽に平治に登れるとよんだのだが。仲間の到着が少し遅れたので新郎、新婦らしき人に挨拶をして加藤、太田よりも先に林道に乗り入れる。何せペースメーカーの長男坊主(4才)をかかえているので早く出発しても途中で追いつかれるとよんでのことであったが、坊ケつるまで登ると登山客でいっぱい。「これじゃ後から登ってきてもわからないかも」と思いつつ平治への登りにかかる。さすがにこの時間で下って来る人は少なかったが、樹林帯のぬかるみに足をとられながら下から追い立てられるように歩を進める。まだ問題の4才児に『反乱』の兆候は見られず一安心。ほどなくの大戸越しは想像はしていたものの人の輪でいっぱい(もちろんミヤマキリシマの花の輪もいっぱいで快晴の三俣を背景に美の競演ではあったが)。ここから見上げる平治への登路も人の”鎖”が連なっていていささか頂への意欲をそがれる。しかし『山頂での祝宴』が今日のテーマである以上、止める訳にもいかず重い腰をあげる。ふだんであれば20分ぐらいで登れるところを、じゅずつなぎのうえに下りの人との離合待ちで(ミヤマキリシマの群落を切り開いて造った登山道で急峻かつ狭隘)50分を要し前峰のピークにたどり着く。「さて、ここで加藤のおじちゃん達を待とう」 疲労の色が見えはじめた子供達は期せずして「ワーッ」と歓声をあげる。周りはもう弁当の輪が広がっているが、山頂祭にとっておかなくてはならないのでつよく子供達を戒めながら待つことに専念する。ところがである、一分の隙間なく登山客が上がってくるが、1時間以上待ってもいっこうに加藤等の姿は認められない。だんだんイライラが昂じてくる。「よし、昼ご飯にしよう」
 人とミヤマキリシマの群落に占められた僅かなスペースにくるま座になり昼食をとるが、目はしっかりと登ってくる人の連なりを追ったままである。更に20分以上待ち続け、ひょっとしたら別のルートから山頂に行き、宴を始めているかもしれないと思い付近一帯を探してみるも結果は同じ。後髪を引かれる思いで下山を決意。 途中、大戸越で人の波をかきわけて探索を試みるもわからずじまいで早々と下山。(実はこの大戸越の一角で宴たけなわであったと後で知ったのだが)結局、20人近く大挙して駆け付けたにもかかわらず、その他大勢の登山客に隠れてしまいフタを開ければファミリー登山となってしまったというお話。下山後、筌ノ口温泉も大勢のイモ洗いで賑わっていたが、ここの湯量はたのもしくゴォーゴーと流れ落ち、山のいで湯は健在であった。(KU) 参加者:加藤、太田、栗秋ファミリー、荒金、ほか多数

6/19 野津原、大野町境、四辻峠〜鎧岳に遊ぶ
 挾間から野津原の山へ誘いがかかる。霊山から障子岳、御座ケ岳、鎧岳、神角寺とつづく大野・大分郡境に位置するこの山群は標高も900mに満たず、西の九重、南の祖母・傾といった九州のメジャー山群から常に見下ろされる位置にあり派手さもなくつい見過ごしがちである。新たに松ケ丘に居をかまえた挾間にとって南方に仰ぎみるこれらの山々を知らずして(踏まずして)大分の名(迷?)登山家を目指すお題目が泣こうというもの...栗秋の憶測はズバリだろう...との目算もあり四辻峠から鎧岳をやろうということになった。勿論、アプローチはBIKE(自転車)で。松ケ丘を午後1時出発、野津原のメインストリートを抜け石合集落の手前から七瀬川へ谷を下り、いよいよ上りの連続となる。(石合分岐から四辻峠まで7.4kの表示あり)荷小野集落から右手へ谷沿いの林道を喘ぎあえぎ。途中の杵ケ原集落で一休みする。ここには国指定の重要文化財である後藤家庄屋屋敷跡があり往時の生活様式がしのばれる。さらに峠まで後一息、途中急坂でBIKEを押す箇所もあって2時45分に四辻峠にたどり着く。ここにBIKEを置き右手の稜線沿いに踏み分けを急登すると、ほどなく雑木林の明瞭な登山道となる。木々の間から黄色っぽい小さな果実が確認できる。おぉ、あれは木イチゴの群落だ! 甘い薫りに誘われて1つ、2つと..うまい。わき目もふらず採取にいそしむが、袋の類いは小さなビニール袋が1つあるだけ。他にないか?手にBIKE用のボトルを握っている。よし!これを空にしてとりかかることにするが、まずは鎧岳を踏んでからにする。途中、雨乞岳と鳥帽子岳のピークを越え、峠から約1時間で頂に着く。南北に細長く、樹木で視界はあまりきかないがこの山群の最高峰840mである。満足感を土産に帰途につく。もちろん、もう1つの土産もしっかりと携え夕刻の松ケ丘目指しての豪快なダウンヒルが我々を待っていた。(コースタイム 松ケ丘13:00→杵ケ原14:20 14:30→四辻峠14:45 14:58→鎧岳16:01〜16:03→四辻峠17:05 17:11→松ケ丘18:30)(KU) 参加者:栗秋、挾間

7/9 由布院・岳本の下ん湯へ
 大分市松ヶ丘から由布院往復のBIKEトレーニングに精を出す。岳本の露天で汗を流していると、ひんやりとした夕風が金鱗湖から吹き抜けてくる。梅雨空の由布院もなかなかすてたものではないぞ。(KU) 参加者:栗秋、挾間、永田(会友)

8/28 九重山家族登山
 足腰のまだ元気なうちにいろんな山に登ってみたいという家内の両親をはじめ、釘宮家の一族を引き連れ、牧の戸から九重中岳を目指したが天狗城まで。この4月から我が家の住人になった愛犬ペロも狭い庭から解放されて大喜び。もちろん、僕(挾間)は、荷物運搬人にまわり、日頃の山登りを心配そうに見守っている両親の心証を挽回したことは、言うまでもない。参加者:挾間ファミリー、義父母兄とその家族

10/7 万年山&万年山温泉
 会社の出張が杖立温泉であり、この帰途玖珠に立ち寄り、万年山北麓に湧く万年山温泉・美人の湯へ案内する。山峡の幽閉宿(杖立温泉)で4日間の仕事を終えたばかりなのに、またぞろ山中に分け入り、いで湯に浸るなんて(ようやるよ)・・・・ことは誰も思わないのだ。湯小屋の窓をいっぱいに開けると玖珠盆地を挟んで、正面に宝山を望みながらの湯浴みができるの構図。ツルツルの肌に高原のひんやりとした風が心地よい。陽もまだ高いし「万年山に登るか?」の誘いに一同うなずく。もちろん、「車を降りて、頂まで5分」という触れ込みを信じてしまったらしいのだが。実際には車は吉武台牧場までしか登らず(ここにあるゲートが閉まっていた!)、ここから約2.5km、標高差200余mを歩くことになる。ハイキング目的なら短すぎて、不満の出るところだが、物見遊山グループのこととて、少し歩いただけで、「まだ?」、「歩いて5分とは大ウソツキ」、「足が痛い!」だのとブツブツの行進だったが、それも野原を分けて山頂に立つと、その広大な眺望に魅せられて感嘆の声に変わった。(KU) 参加者:栗秋、伊藤、その他2名

10/8〜9 『徳本峠』の九州版、祖母から九重のいで湯を巡るの巻
 “おゆぴにすと”5号をご覧になった方は記憶の片すみに残っているかもしれないが、──おゆぴにすと6周年企画・・・『あゝ徳本峠』──というタイトルで大アドバルーンを揚げてしまった提唱者の高瀬は、休暇の取れる見込みもなく次第にトーンダウンして、結果がこの『九州版』に落ち着く。目指すは川上谷からの祖母山。同行者は同じしがらみから抜け切れぬ挾間と栗秋。久し振りにテントの宴を盛りあげようと、8日夕刻大分発。尾平の手前1.5kmのクーチ谷出合にテントを張る。瀬音と満天の星に見守られ、おじさんたちの話ははずみシュラフにもぐりこんだのはAM2時。
 翌9日、雲ひとつない秋晴れのもと尾平から登山開始。ウルシワ谷と別れ川上谷へ入るとナメラ、ナメ滝が随所に現れこれぞ渓谷美といえる絶景がつづく。ことになめらかな幅広い花崗岩の川床をすべるように流れる沢水の妙は思わず我々を立ち止まらせることしばしば。やがて右手に顕著な黒金山谷が現れ、これにルートをとる。この谷の下半分は小規模な滝とゴルジュが連続し、おもしろい登りが楽しめるが上部は変化に乏しく、途中から黒金尾根に取り付き急峻なヤブ漕ぎ20分で一般登山道へ出てホッとする。更に天狗の基部岩壁を臨みながら50分で縦走路と合流し、一般登山者で賑わう祖母山頂へ。稜線の木々はすでに紅葉が始まって艶やかな世界である。谷筋から湧き立つ雲の果てに傾の岩峰を眺め、宮原経由で尾平へ下山。途中、頂上直下で“おちこぼれおゆぴにすと”の宮崎正兄とバッタリ出会い、缶ビールをごちそうになるというおまけまでついて、久し振りの祖母の山歩きを堪能した。 しかし、いつもながらこの山に一つ物足りないものがある。そぅ、又してもいで湯を求めて、久住高原経由で筋湯、筌ノ口温泉を稼ぎ、28時間振りの大分の雑踏が我々を現実に戻した。(コースタイム 大分18:30→クーチ谷出合21:10→尾平7:50→川上谷→黒金山谷→黒金山尾根11:00→縦走路11:50→祖母山頂12:35〜13:15→宮原14:00→尾平15:30〜16:10→くじゅう→大分22:10) (KU) 参加者:高瀬、栗秋、挾間

10/16 親と子の紅葉鑑賞会INくじゅう
 15〜16日の一泊二日の行程で九重少年自然の家が主催した紅葉観賞会に挾間&栗秋Familyで参加申し込みをしていたが、栗秋の仕事のやり繰りがつかず、挾間Familyのみ全行程に参加し栗秋Familyは16日、日帰りでくじゅうへ足をはこんだ。観賞会の本コースは長者原を始終点として、すがもり越えを経て法華院〜坊ツル〜雨池のコース。栗秋Familyは長者原から法華院まで往復雨池越えを採り、法華院で合流し、さわやかな秋空の下昼食をとる。帰路、筌ノ口温泉で汗を流す。(KU) 参加者:挾間&栗秋ファミリー、その他大勢

11/2〜3 第1回熊本河内みかんの里クロスカントリー大会出場、金峰山〜熊ノ岳〜三ノ岳を駆け巡るの巻
                       (本文「山岳走への挑戦」参照)

11/13 晩秋の倉喜、城ヶ岳、雨乞は山頭火の心で
 マイカーで乗りつける山行ばかりでなく、たまには汽車・バスを乗り継いでの柴田夫妻的オールドスタイルの山登りをと、かねてよりの計画を実行すべく、閑散とした久大線に乗り込む。由布院駅からはバスに乗り換え由布山登山口下車。眼下の由布院盆地を背に、まずは倉喜山の頂を踏み、次ぎなるピークへ向けて急下降後、ホコントウをトラバース気味に捲きながら、程よい薮漕ぎ。
        分け入っても分け入っても青い山
 登る程に倉喜山の頂の向こうから由布岳の双頭がしだいに高く聳え印象的だ。二等三角点のある城ヶ岳の山頂からは県北部の山々、九重など360度のパノラマを楽しんだあと、急ぎ雨乞岳へ。途中の小枝に、わずかに実った秋の味覚ヤマブドウを見逃さなかった。紅葉し始めた落葉松と、対照的な杉、桧の植林との境界を進む。深まりゆく秋を肌に感じながらの静かな山歩き。
       落葉するこれから水がうまくなる
 黒岩山(1106m)を過ぎ、雨乞岳山頂は午後3時。九重の連山が逆光に映えるが、秋の陽はつるべおとし。庄内町柚の木目指してそそくさと下山。途中の道端に散乱したほだ木にオバケ椎茸数葉を発見、さらにタイミング良く自生?の柚子を行き掛けの駄賃にし、秋の山の恵みは締めくくりの松ヶ丘の酒宴のお供えとなったのは言う迄もない。
       ほろほろ酔うて木の葉降る
 かくして、この秋少しばかり興味を覚えた放浪の俳人種田山頭火の一句一句がぴったりとマッチする晩秋の倉喜〜雨乞の山々を終えた。 (コースタイム 由布岳東登山口9:30→倉:13→倉喜山山頂11:06→城ヶ岳山頂12:18〜12:50→黒岩山14:40→雨乞岳15:00) (HA) 参加者:挾間、高瀬

11/19〜20 牧の戸バイアスロン大会
 これはバイアスロンではない!立派なトライアスロンである、と挾間が言った。レースは久住南登山口ヒュッテで前日開かれた酒宴から始まっていたのだ。栗秋、永田、矢野の3選手とボランティアの野上、挾間、それに夜遅くヒュッテの窓からリザーブを持って侵入し、早朝6時に静かに窓から消え去っていった高瀬の計6人の宴レースは、サッポロジャイアンツ3本を皮切りに、西の関1升、ワイン2本、いいちこ5合ビン2本、リザーブ1本、ブランデー少々を空にし、明日のエイドの分もと15人前用意したオデンもカルビーもほとんど平らげ、夜更けを占拠したまま翌朝の本番レースに突入した。この日参加の吉野、倉原、端倉3名を加えて午前9時半、6人でまず牧の戸峠までのバイク(17kmのヒルクライム)からスタート。久住山の頂は前日の降雪で初冠雪。気温はかなり低く、風もあるという厳しい条件であったが阿蘇、祖母の連峰を背後に景色は実に素晴らしい、と伴走(by car)ボランティア挾間の弁。一方、二日酔い選手団は酩酊、喘ぎの連続なれど何とか峠をクリアーしたが殆ど戦意は喪失か。続いてのランは日本一のクロカンコースでの10kmのクロスカントリー。バイクスタート地点までいったん戻り、バイクのタイム差で再スタート。阿蘇の峰々までつづく大草原の中の1周2.5kmの周回コースを4周するものだが、昨夜のフカの一人、矢野は1周目で早々とリタイア。つづいて吉野もヒザを気遣ってのリタイアとなり、トップの端倉、倉原2名のデッドヒートを遠い世界の出来事としか映らなかった栗秋と、昨夜の溜め込んだ燃料を使い果たして猛追をはかった永田の4名がフィニッシュラインを踏んだ。レース終了後は例のヒュッテで閉会式を行い、挾間特製のだんご汁に舌つづみをうち散会。帰路は県道久住ー直入線沿いの久住町城にある三船温泉に浸る。この地に住み製材所を営む淵翁が掘り当て、新築の湯小屋に炭酸水素塩泉が涌く。あぁ、また頭がからっぽになってしまった!とはもちろん挾間の口癖。(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋その他大勢

11/23 岳滅鬼峠〜岳滅鬼山〜岳滅鬼岳
 かねてから一度は登ってみたいと思っていた日本百名峠の一つ、岳滅鬼峠から、そぼ降る雨の中を岳滅鬼岳を目指した。パートナーは、仕事でいつもお世話になる九州農業試験場の内藤さんと小板橋さん。この峠は天領日田と豊前の国を結び、英彦山詣ででも有名な、かつての交通の要衝でもある。峠には「従是至豊前国小倉領」の石柱が寂しく往時を偲ばせており、そこから縦走路を30分ほどで、岳滅鬼山頂(1037m)に、さらに15分で三等三角点のある岳滅鬼岳(1036m)に至る。山頂に着くなり、内藤さんはザックからワンカップを取り出し、早速宴会が始まる。「酒か山かどっちか一つにしなさいと女房に言われるけど、どっちも止められないよねー」との、雨で濡れた頭から湯気を出しながらの内藤さんの言葉が印象的であった。帰路は、天瀬温泉で筋肉の疲労をほぐした。それにしても「日本百名峠」(井出孫六編、桐原書店)の中の白石悌三氏の岳滅鬼峠に関する記載は、まったく見当違いの場所を示しており、憤慨すら感じた。一方、古賀敏朗氏の「くにさかいの碑 藩境石物語」では、この峠のことが詳述されており、興味深いものがあった。(コースタイム 登山口10:36→岳滅鬼峠11:15→岳滅鬼山11:45→岳滅鬼岳12:00〜12:45→岳滅鬼峠13:20) 参加者:挾間ほか

12/1 熊本県中央町、釈迦院の3333段 日本一の石段に挑戦
 日奈久温泉での出張の帰途、釈迦院へ立ち寄る。日本一の石段とはどういうものか興味あるところであったが、期待に違わず延々と重厚で立派な石段がつづいていた。途中で引き返した同僚の弁を借りると『果てしなくつづく地獄の階段』ということになるが、日ごろまったく運動していない中年世代には完登は難しいものに映ったというところか。地元の中学生が鍛練遠足を兼ねて大勢おしかけており、初冬の冷え冷えとした山中に歓声がこだましていた。(所要時分 上り1時間20分、下り50分) (KU) 参加者:栗秋、伊藤ほか3名

12/4 蛇越岳〜野稲岳
 九州横断道路の蛇越岳直下のドライブインで腹ごしらえをしたあと、新雪降った蛇越岳の山頂目指して杉林の下をほとんど匍匐前進にて、まずは蛇越岳山頂。そこより眼下の林道目指してイバラの急斜面を下り、出光地熱開発の林道を行き止まりまで利用したのち、雑木林を程なくで野稲岳山頂。山頂であることを示す標識は朽ち果て、雪の中に二等三角点がひっそりとあるのが印象的であった。(コースタイム やまなみドライブイン12:50→蛇越岳13:40→林道14:20→林道終点野稲岳取り付き15:17→野稲岳15:50) (HA) 参加者:挾間、高瀬

12/10〜11 初冬の国東の山旅
 武蔵町のゲストハウス矢野に泊まり翌11日、国東半島中央部の湯の里、赤根温泉をベースに黒木山、鷲巣岳を踏む。(KU) 参加者:挾間、栗秋、矢野
                       (本文「国東半島の山 その3」参照)

12/23〜24 “おゆぴにすと”忘年会IN青少年の森
 サニースポーツの西孝子オーナー率いる山の仲間の忘年会に“おゆぴにすと”も加わり23日夕刻から未明にかけて県民の森の最奥部、障子岳〜本宮山の分岐部にあたる青少年の森キャンプ場で盛大に開催。自由に使える薪が多量にあり、キャンプファイアーの炎が宴を盛り上げた。サニースポーツ提供の山用具抽選会や歌合戦、果てはディスコティック…裸踊り?まで飛び出し、『高潔で知られるおゆぴにすと』の忘年会も少し?はめを外した模様。更に、宴も静まりかけた丑三時、加藤の提案で本宮山登山を思いたつ。放歌喧噪、闇夜にヘッドライト、大分市街の『元気な夜景』がこの登山での期待に合致した。(KU) 参加者:加藤、西、挾間、荒金、栗秋、その他大勢

昭和64年(1989年) 
1/14〜15 国東半島の山歩き 新春第1弾の巻
 一泊二日で国東の未踏の山々(栗秋にとって)を巡ろう。もちろん案内人に挾間。この人、時として方向性が定まらない場合があり現地人、野上&矢野(会友)をサポートにつけることにより、スムーズな山行を心がける。まず、14日午後から挾間、野上、栗秋で向野の入口にそびえる津波戸山(529m)へ。この山はJR日豊本線の西屋敷駅付近から北側車窓に広がる岩峰群の山並みを仰ぎ見ることができ、登高意欲を大いに湧きたたせてきたが、いよいよである。向野の十代集落で道を尋ねる。しっかりとしたコンクリートのたたき道を車で5分ほど上ると行き止まり。登山開始となる。挾間の説によるとこの登山道には88体の石仏が安置されているという。確かに道中5〜6体の石仏が岩壁の基部に彫られているのを認めたが、谷沿いというか峡谷の鬱蒼としたルートのなかで異様な雰囲気になる。稜線直下に石室があり、古びて朽ちかけた庵の中にまたもや小さな石仏が数体眠っていた。この霊気を帯びた谷を抜けると、明るくひらけた稜線にでて西方へなだらかな尾根を4分で山頂である。頂の南面は壁となり、ここからの眺望はすばらしい。左手にすぐ華ケ岳、真正面に遠くに由布岳、鶴見の連山、右手前に御許山、雲ケ岳と大パノラマ。直下の谷までスッパリと切れ落ちて、その下部は鋭くくいこむ峡谷を形どっていた。 さて、今宵の宿は真玉町、有寺にある野上氏の別荘(数年前まで祖父母が住んでいたが、今は農作業の前進基地。電気、水道完備)泊まり。闇に乗じて駆け付けた矢野を加えて、ふもとの大岩屋温泉(黄色のビニールテントで覆われた簡易造りのいで湯。男女別浴。戸を開けて入ると小さなたたきになっていてここに『湯釜薬師』が祭っており、お賽銭が湯銭がわりとなっている。すぐ近くに大黒様を祭る社があり別名、大黒屋温泉とも地元の人は言うのだそうな)に浸り、豪華絢爛たる宴の始まり〜。
 翌15日、まず尻付山(587m)を目指す。西狩場の集落をつめ、林道を上る。舗装が切れたところで車を置き登山開始。途中から踏み跡もなく、ひたすら杉林を直登する。稜線には40分程でたどりつくが頂へ東進するルートはイバラの道。苦労の末、かやの群生する山頂へ。挾間が根気よく探し出したのはもちろん三等三角点。サァ次は隣の鈍頂、ハジカミ山だ。東へ下る杉林へルートをとり、最低コルへ出る。ここからは立派な登山道を僅か20分でハジカミの山頂(570m)に容易に達する。頂からの眺めは東面がすばらしい。日だまりに腰を下ろしテルモスの熱い紅茶をすすりながら、両子山から千灯岳手前の黒木山、伊美岳と国東の主峰をほしいままにする。そぅ、冬枯れの国東はいいぞぅ。低山の魅力ここにありなのだ。意気揚々とベースの有寺に引き返すと、尻付山へ誘っていたが出発までに現れなかった、金ちゃんが首を長くして待っていた。彼女のためにとっておきのフリークへ案内しよう。もちろん天念寺耶馬の岩峰群で日だまりクライムを楽しもうという案だが、誰も異議は唱えまいぞ。(コースタイム 向野・十代集落(登山口)14:42→石室15:21〜15:26→津波戸山々頂15:32〜15:52→登山口16:25→(車)→真玉町・有寺18:30(泊) 有寺→(車)→登山口10:02→尻付山々頂11:08〜11:25→コル11:49→ハジカミ山12:10〜12:29→登山口12:45→(車)→有寺13:15〜14:20→(車)→天念寺耶馬の岩峰巡り→(車)→有寺16:30) (KU) 参加者:挾間、栗秋、野上、矢野、荒金
                        (本文「国東半島の山、その3」参照)

1/16 庄内町の熊群山家族登山     
 今年の新春の家族登山は、信仰の山・熊群山に是非詣でたいとの両親の希望で実現。力石、鬼くずし、つづら曲がりの念仏坂など、いわく因縁のありそうな箇所をとおり、御滝、見返り坂を経て、御神木から右にコースを取り、急な石段を登って上宮に至る。数日前の大分合同新聞日曜版にグラビア特集されたこともあって、参拝者が多い。ここからは急な鎖場となっており、不安そうに見上げる女房、両親にはお構いなしに、息子たちは果敢な挑戦で山頂へ。(HA) 参加者:挾間ファミリー、義父母

2/26 由布院へ、地鶏鍋、にごり酒そして湯 by Bicycle
 挾間宅(松ケ丘)をベースに由布院まで挾間、永田(会友)と自転車で汗をかき、岳本の露天に浸り、湯の岳庵で地鳥鍋を肴にごり酒を楽しんだという、すこしリッチでうれしい漕・浸・飲と三拍子揃ったおゆにすとメニューであった。(KU) 参加者:挾間、栗秋、永田(会友)

3/18〜19 霧島の山旅
 おゆぴにすと”JR支部の栗秋、伊藤が会社の宮崎キャンペーン(JRと宮崎県がタイアップして、お客さんを宮崎へ送りこもうという企画)にこじつけて、支社長以下を、その気にさせて霧島山行をもくろんだ話。あいにくの雨で高千穂峰のみの登頂となった。えびの高原温泉(国民宿舎・えびの高原荘&市営露天温泉)、霧島神宮温泉(民宿・清水荘)入湯。(KU) 参加者:栗秋、伊藤、ほか大勢

4/9 第2回由布岳早登り大会(通算6回目)
 山のいで湯愛好会と大分CTCの共催による第2回目の大会。山のいで湯ファミリーがボランティアで大活躍。今回初めて、“おゆぴにすと”ジュニアの挾間博史、壮史兄弟が出場し、話題をまいた。出場者11名の中、優勝者はサブ・スリーランナーのザトペック倉原氏。1:05:16の好タイムで駆け抜けた。例によって加藤会長から各人に完走証と豪華な?記念品(加藤、挾間、高瀬家提供)が贈られ、お互いの健闘を称えた。つづいて場を鶴見山ロープーウェイ高原駅前の桜祭り会場へ移し、ささやかなビールパーティ、そして鉄輪温泉の簡保指定・海南荘へ大勢で押しかける。詳細は大分CTC会報27号に。(KU) 参加者:加藤、挾間、高瀬、栗秋ファミリー、大分CTCメンバー

        

5/14 カルト山への林道は山菜の王者「ウド」の宝庫
 カルト山への林道のゲートから先は道の両端の至るところに、ウドが顔を出している。本来の目的はそっちのけで山菜狩りに興じ、それでも目的のカルト山の三等三角点はしっかり撫でて来た。(HA) 参加者:加藤、挾間、高瀬

5/28 万年山と万年山温泉・美人の湯
 万年山の山開きに玖珠の両親と栗秋ファミリー総勢6名で初夏のハイキングを楽しむ。山頂での抽選会で特別賞(桐箱入りの陶器セット)が当たったり、我が家の大写しの写真(昼食シーン)が、翌日の西日本新聞・日田玖珠版に掲載されるなど、思いで多き山行であった。下山途中の山のいで湯は、もちろん万年山温泉・美人の湯。ヌメヌメしてやわらかでとらえようのない不思議な湯をたっぷり味わう。(KU) 参加者:栗秋ファミリー、玖珠の両親

6/4 八面山アタック(自転車ヒルクライムレース)出場と耶馬渓の秘湯巡り
 挾間と八面山アタックに出場、帰途耶馬渓の奈女川温泉(民宿・河鹿荘)、折戸温泉(共同湯)、樅木温泉(共同湯)を巡る。 (KU) 参加者:挾間、栗秋
                        (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)

6/11 堀田の梅狩り祭りIN荒金庭園
 恒例の金ちゃん宅の広大な庭園を舞台にした梅狩り及び収穫祭(小宴会)のお話。おもむろにシートを広げ、大つぶの梅をボトボト落とす爽快感。採れた梅の質量を確かめながら、庭園内のBeerバーティ。そしてこの庭園の奥のはなれ湯の五楳乃
湯に浸る幸せ。堀田の梅狩りはすっかり“おゆぴにすと”の初夏の風物詩となってしまったのだ。(KU) 参加者:栗秋、挾間

6/25 荻岳、下荻岳を巡るサイクル・ワンデイ・ハイク
 かねてからの挾間の誘いを受け、豊後・肥後国境の荻岳・下荻岳を自転車で巡ることにする。車で竹田市内のR57沿いにあるサンリブ駐車場まで。そしてさっそうと自転車でR57を西進。竹田ドライブインのある菅生までは上りが延々と続き、トレーニング不足の挾間のピッチが上がらない。県境を越え、小雨と向かい風に悩まされながら、小池野へ。ここから南へ村道を滝水駅へと目指す。快方へ向かう天候に励まされながらピッチも上がる。滝水駅前でカップラーメンとビールを仕入れ、駅待合い室で美味(お腹が減れば何でも)しい昼食をとる。この間列車は一本も通らない、のどかな田舎の停車場。さて少し、酔いに乗じて荻岳へ快調ペダリング。このあたり一帯は高原野菜の産地らしく、一面野菜畑が続く。中江という集落を過ぎて、いよいよ荻岳への登路となる。ヘアピンカーブの連続だが、よく整備された舗装路で気持ちがいい。直下の駐車場に自転車を置き、草原状の山頂(843m)へ、この山はピークが二つあり、ほぼ同じ高さ。まず、南峰に登る(駐車場から徒歩3分)。ここから見る阿蘇・根子岳は例の『のこぎり』を横から見ることになり、独特の尖峰が鮮やかに映える。また目を東へ転ずれば、祖母・傾山塊が何の障害もなく見渡せる。一旦、駐車場へ降り、北峰へ登る。こちらには二等三角点があり、RKK、TKUのTV中継塔がある他は南峰と眺望は変わらず、素晴らしい。

         

 次の下荻岳へは、再び滝水駅まで戻り村道を東へとる。すぐ大分県荻町へ入り、下荻岳とおぼしきふもとの集落に自転車を置き、森を直登する。このルートは途中から踏跡もなくなり、ジメジメして野生(自生)のミョウガの大群落を突っきることになる。頂は荻岳とは対称的にうっそうとした杉林の中、眺望はきかない。三等三角点を確認して下山の途につく。さて次はトレーニングを目的として合ケ瀬大橋経由で九重野へ出て県道、高千穂・竹田線を下ろう。帰途は長湯経由、もちろん長湯の千寿温泉共同湯に入るのが目的なり。(コースタイム 竹田市玉来10:52→滝水駅12:12 12:40→荻岳13:05〜13:40→下荻岳の集落14:00〜14:05→下荻岳14:27〜14:35→集落14:54〜15:02→合ヶ瀬大橋15:40〜15:55→竹田市玉来16:50 自転車走行距離78km) (KU) 参加者:挾間、高瀬

7/8霊山〜青少年の森を巡るBicycleトレーニング
 早朝から、我が家へ押しかけて、どこか連れて行けと宣う挾間と霊山〜青少年の森〜しあわせの丘をぐるっーと一回り35kのBicycleに費やす。(KU) 参加者:挾間、栗秋

7/23 九重連峰渓谷譜
 梅雨明けのすがすがしい朝、TVのNHKスペシャルで印象深かった『飯豊連峰渓谷譜』にあやかって、たまには沢登りをと、手近な九重山小田川遡行を試みる。7:35瀬の本付近の橋のたもとより取り付き遡行開始。梅雨明け後の沢はよく磨かれており運動靴でも滑らない。砂防堤やいくつもの小滝を楽しむうちにほんのりと硫黄のにおいが立ちこめてきた。沓掛山の斜面とおぼしき辺り、少し川幅の広まったところに湯ノ花の堆積物を発見。辺りを注視すると杭を打たれた付近の水がぬるく、確かに温泉が湧き出ている。吉川満氏の「九州の沢と源流」の中にも「川床の石が白くなって鉱泉が湧く場所があった」と記されている。水深がないのでとりあえず手のひらを十分浸してこれも貴重な一点としよう。名付けて『沓掛の湯』。近年、温泉ブームに乗りやたらとボーリングされ、「山のいで湯もどき」が目立ち、またこれらにやたらと誘引される「おゆぴにすともどき」の徘徊が少々目障りになりつつあったが、これこそ山のいで湯の原点。そうめったにはこれないぞ! 加藤、栗秋の地団駄踏んだくやしそうな顔が浮かぶ様だ。
 ここから先、上流では二俣となり、左俣を遡ると水量も少なくなり笹も現れ、西千里ヶ浜手前の縦走路に飛び出した。あとはのんびりと扇ヶ鼻山頂まで登り、沓掛山を経由して牧ノ戸、横断道路を下り今朝がたの取り付き点に戻る。久々の沢登りで、こころときめいたひとときであった。(コースタイム 取り付き点7:35→鉱泉の湧く箇所9:11→縦走路10:16→扇ヶ鼻山頂10:50→沓掛山11:29)(HA) 参加者:挾間、高瀬

7/30 津江山系に孤高を保つ渡神岳
 早朝5:30に大分市松ヶ丘の挾間宅を出発。椿ヶ鼻から杉林の中の荒れた踏み跡をたどりいくつかの小ピークを越え、途中の水場で持参のソーメンを遅い朝食にして空腹をいやした。頂上直下のシオジの原生林辺りから急登に喘ぎながら、椿ヶ鼻より1時間半の所要で山頂に至る。山頂には三等三角点があり、北方には英彦山、八面山、鹿嵐山、御許山など、南方には八方岳、酒呑童子山などが一望できる。ところが、高瀬に感想はと問えば「可もなし、不可もなし」との意外な答えが返ってきた。これほどの眺望を・・・、贅沢というもの。往路を折り返し、椿ヶ鼻で生ビールと霜降り牛の焼き肉に舌鼓を打つ。どうやら、ここの豊後牛の味が最も印象的であったとは、のちの高瀬の弁。(コースタイム 椿ヶ鼻8:50→シオジ原生林10:00→山頂10:22)(HA) 参加者:挾間、高瀬

        

8/14〜15 念願の富士山登頂
 前夜5合目小屋に泊。早朝小屋を発ち、長男博史の不調から一時はあきらめかけた全員無事登頂を果たし、しかもこの日は同行した利雄義兄の誕生日とあって、九州からはるばる持参したワインで乾杯。火口壁の残雪ではにかむように笑った博史、御殿場までの予期せぬ大下降にべそをかいた壮史、日頃運動しない割には結構体力があると感心させられた妻恵子、この日のためにジョギングを欠かさず終始征服欲旺盛であった小夜子姉、もくもくと歩き終戦記念日のこの日48回目の誕生日を富士山頂で迎え感慨一塩であっただろう利雄義兄・・・・お鉢巡り後、御殿場口までの大下降は雨に打たれ長く辛い下りだったが、かえって富士登頂が印象深いものになった。山にはもともと積極的ではない妻と息子二人、心に何かを刻んでくれたら、と思うことしきり。(HA) 参加者:挾間ファミリー、姉夫婦
                         (本文「名山探訪 第6回」参照)

8/20 しあわせの丘〜青少年の森〜のびゆく丘、再びのBicycleトレーニング
 夏休みも終盤になり、青少年の森では昆虫採集の子供たちで賑わっていた。帰途塚野鉱泉へ誘うも「わしゃ、すぐBeerを飲みたい」と答えるワタルちゃんであった。挾間宅でのBeerパーティが今日のメインイベントになったのだ。(KU) 参加者:挾間、栗秋

9/10 あてのない山旅
 松ケ丘を未明に出発。とりあえずR10を南下する。中判田のコンビニエンスで昨日の残りものの弁当を買う。夜明け前のコンビニでは、めぼしい商品がなく、致し方ないのだ。犬飼手前で目的地がやっと決まる。傾山、しかも宮崎県側から登ろうというもの。杉ケ越経由で宮崎県に入る。候補地の一つとして杉ケ越から夏木山までの縦走プランもあったが、とても二人のオジさんには体力的に無理と判断、今後のために夏木山から派生する日ノ影川の源流を少しさかのぼり偵察(ごっこ)をしたり、また林道にも迷いながら見立の林道終点には9時前の到着となった。昔は原生林の真っ只中であったろうこの地も、あたり一面伐採され、代わってこぶりの杉の植林が目立つ。ここから九十折越までは緩やかな上りをわずか。九十折越小屋で一本立て、傾へと向かう。通い慣れた、懐かしき縦走路は以前のままの森の小道、なぜかホッとするのだ。山頂には我々の他に一グループのみ、いつもながらの静かな頂。雲海を従えて、祖母山がどっしりと横たわっている。さて、下山はどうするか。いずれにしても車を見立に置いているので、高瀬ドライバーに        
は引き返してもらい、挾間、栗秋で東南尾根を杉ケ越まで縦走することに決定。思ったより、急なアップダウンがつづき、手ごわいルート。直線距離で4km足らずのところを2時間半近く要し、フラフラしながらようやく杉ケ越にたどりつく。待ちくたびれた高瀬から開口一番、「その足取りでは夏木までの縦走はおぼつかないネ」としっかりと証明されてしまった。ふもとの木浦鉱山で飲んだカンビールのうまさは、この山旅がはんぱなものではなかったことを物語っていたのだ。下山後、くじゅうへ転進。久住高原の赤川へ、急な夕立のため“くされ湯”探索は出来ず、久住から長湯へ戻り、長湯の少し手前の田園地帯の真ん中にある榎田温泉共同湯に浸る。(コースタイム 大分5:10→見立林道終点8:40〜8:45→九十折越9:10〜9:22→傾山10:27〜11:00→杉ヶ越分11:11→馬の背11:50→大障子岩12:15→杉ヶ越13:25→久住、長湯、野津原経由で大分着19:00)(KU) 参加者:高瀬、栗秋、挾間

         

        
                     榎田温泉

9/15〜16 新百姓山〜夏木山、県南の秘境
 楽しかるべき山は、しかし、いつも順風満帆ばかりとは限らない。思わぬハプニングやルートミスがかえってその山行の印象を深いものにする。初日新百姓山を終え、藤河内の民宿「しずか」で鹿のさしみ、山女のせごし、アマゴの唐揚げなど堪能し、翌日夏木山の頂までは順調だったが、下りで別ルートを取ったところ、予期せぬ三里河原に出てしまった。途中、遭難者を救出したりのおまけまでついて、延岡まわりで藤河内に戻り、午前零時過ぎの帰宅となった。栃原部長、内藤室長、それに小板橋さんの九州農業試験場の皆さん、北内さん、吉松君の大分メンバーには随分不安を抱かせたが、無事下山で事なきを得た。長い登山人生の中の痛恨事になってしまった。それでも同行者と以前にも増して深いつながりが生じたことが、何よりの気休めとなった。(HA) 参加者:挾間ほか

10/21〜22 星降る久住高原から紅葉の扇ケ鼻へ
 久し振りに“おゆぴにすと”創立メンバーで山のいで湯でしっとりと酒を飲もうということになった。この時期は紅葉の九重山群をおいて他にあるまい。星空を眺めながら、よもやま話も悪くないぞと例によって久住高原南登山口へ。車を留めたすぐ横の草地にテントを張り、宴会開始。今宵のメニューは加藤の味付けによる『すきやき』をメインにスーパードライと清酒・西の関の二本立てでまとめてみた。話がはずむうちに、暦も替わり酩酊度を示す西の関の空きビンが大地に捧げられた。ちなみにこの日も快晴だったが、誰も星降る天空を確認した者はいなかった模様。おやすみ、万年青年たちよ!
 さて翌、22日も絶好の登山日和。目的は赤川温泉の源泉となっている“くされ湯”探訪と紅葉狩り。“くされ湯”の源泉その一は赤川温泉から歩いて10分余りのところですぐ分かった。ボコボコという噴出音につられ、石積みの板切れを外すと白濁した石膏硫化水素泉が現れる。38℃くらいか、朝日が谷を埋めつくす中、高瀬、栗秋で入湯を試みる。強烈な硫黄の匂い、お尻が持ち上げられそうな噴出力、地中より涌き出す様はまさに山のいで湯のきわめつけなのです。そして源泉その二は更に上流へ4〜5分のところ、今度は挾間がストリップを決め込み、加藤はカメラマンに徹する。朝日が眩い、至福のひととき。さてこの後は次なる目的の紅葉狩りへ。赤川の源流の一つである扇ケ鼻と肥前ケ城を分ける沢へ入り、F1、F2、F3を攀じる。上流へ登るにつれ紅葉の真っ盛り。沢の両側は岩稜が迫り、さながら紅葉の小世界をつくる。

          
                       くされ湯

 阿蘇から祖母へかけての遠景がすばらしい。「まさに桃源郷とはここのこと!」と語気あらげて挾間宣う。時の経つのも忘れ、この小世界に酔う。そして更に上へつめるとシャクナゲの群生地に迷い込み、これらをいとおしみながら稜線に出て、加藤と出会う(くされ湯の上流、沢の分岐まで同行した後、車を牧の戸峠へまわすため別行動をとった。牧の戸からは一般コースをとり、出合いまで来て待っていた)。加藤と挾間は肥前ケ城へ、高瀬&栗秋で扇ケ鼻へと登り秋一色の山頂を楽しむ。下山後、筋湯の八丁原ビューホテルの露天に浸る。九重山群の紅葉の名所は人知れずひっそりとあらねばならぬ。(コースタイム 赤川登山口8:17→くされ湯探訪→沢分かれ(加藤と別れる)9:08→F1 9:20→F2 9:35→F3 9:55→登山道出合(加藤と合流)11:12〜11:36→肥前ヶ城&扇ヶ鼻11:46〜12:15→牧の戸峠12:44) (KU) 参加者:加藤、挾間、高瀬、栗秋

11/26 城下町きつきロードレース大会に出場
 これは市民健康マラソンではない。杵築の市街を駆け巡る(きつきトライアスロンのランコースと同じ、ただしこちらの方は10kmきっちりと公認レースの模様)アップダウンのあるコースに出場者52名。我々(大分CTC)以外はみんな速そぅ。県内一周駅伝メンバー主体のレース(工藤CTC会長がスタート前にそっと教えてくれた)だもの。先頭集団に付けたのは最初のトラック2周だけ。後はズルズルは当然か、栗秋の前にゴールした集団は34分台だったという。誰だ!市民レースだと言って謀ったのは? 結局、栗秋39:57 37位、 永田39:59 38位、挾間44:36 46位 つらく苦しかったけど、杵築の山深い『権兵衛村』の工藤山荘での打ち上げは楽しかった。矢野が持ち込んだ密造ワインの深い味わい、そして意外にも工藤(CTC会長)の料理の手際良さには驚きの表情を隠せきれなかったのだ。(KU) 挾間、栗秋ほか大分CTCメンバー

12/23 国東の山・彷徨シリーズ、文殊山に登る
 挾間の案内で文殊仙寺を訪れ、文殊山にも登るという願ってもないチャンスが訪れた。あらかた国東のめぼしい山には足跡をしるしたが、この文殊は栗秋にとって残された登高意欲をそそるピークのひとつなのだから。そして特筆すべきは今回の同行者。挾間の勤める県農技センターで研修中のブラジル人、オズワルド・セオット氏が加わった。寺から左にとって水のない空谷の左岸を登る。昼なお暗い杉の古木の中をもくもくと登るとやがて雑木林も混在する地勢となる。この付近の倒木にキノコがびっしりと生えているではないか。もちろん発見者は挾間であるが、色艶は地味で食べられるキノコに間違いなかろう。採取は帰途にして、先を急ぐ。少々の薮こぎを強いられ、尾根筋にでると踏跡もしっかりしてくる。頂上は雑木とかやが共生する細長い台地状を成し、東面から北へ開けている。瀬戸内の海や姫島、半島の海岸線が手にとるように望まれ、おだやかな師走の遠景を脳裏に焼き付ける。さて気になるくだんのキノコであるが、ビニール袋2つにいっぱいの収穫。念のため、寺の奥方に見せると「マァ、ひらたけがいっぱい!どこで採ったの? これキノコ汁、だんご汁、なんでも合うのよ」と。思わず、ニンマリと頬が緩むワタルちゃんであった。そして今宵の宿の真玉町有寺の野上別荘で、このひらたけはメインディッシュとして我々の玄人舌?を満足させてくれたのだった。
 翌24日は雨、早々と山行を断念(決して、二日酔いなどではない)。真玉温泉・真玉荘でゆっくりと暖まった。(コースタイム 宇佐・農技センター13:20→(車)→文殊仙寺14:15〜14:20→文殊山15:12〜15:15→文殊仙寺15:40→17:00) (KU) 挾間、栗秋、オズワルド・セオット、野上、矢野 

平成2年(1990年)
1/27 堀田温泉、夢幻の里・野天風呂に遊ぶの巻   
 大寒の日から寒い日が続いて、身体が縮んできつつあり。こんな時は山里のいで湯にどっぷりと浸るのが一番である。早速、挾間、永田を誘い別府は堀田の夢幻の里・野天風呂へ直行。夕刻の堀田から見る鶴見岳の頂は白く輝き、登高意欲をそそるに充分と、繰り返し挾間宣うも他の二人の食指を動かす程の執拗さはなかった模様。「日がな一日、の〜んびりと湯に浸った方がなんぼいいかわからんぞな」との声が山峡に響きわたった。(KU) 参加者:挾間、栗秋、永田(会友)

1/28 ひとりぼっちの鶴見岳北谷
 前日、堀田温泉・夢幻の里でのいいだしっぺが一人で鶴見北谷(地獄谷)を攀じるの巻。参加者:挾間
                      (本文「大分の山を行く」参照)

3/4 鹿嵐山〜御許山
 J.A.C中村先生と。参加者:加藤ほか 

3/25 あの松田千枝女史と春らんまんの国東路をFUN RUNの巻
 松田夫妻(千枝夫人は日本女子マラソンの先駆者で、かつ有名なマラソンランナー、夫君は農水省の役人でかつトライアスロン黎明期に活躍したアスリート。現在オフ・タイムは彼女のコーチ&トレーナーに専念している模様)が国東路へミニ合宿を張りに来た。ボストンマラソンを控えての調整に野の花でいっぱいの国東を選んだという。そして挾間が数年前、つくば学園都市へ長期出張の際、夫君と知り合った縁で、千枝女史と一緒にFUN RUNするはこびとなったのだ。スタートは夫妻の宿泊先である国東町営“いこいの村・国東”。コースはいくつかの山谷を越え国見町の谷奥、文珠仙寺を目指し、これを折り返す。

         
         ソウルオリンピック女子マラソン有力候補の松田千枝夫妻と文殊仙寺にて

 まずは夫妻と栗秋でゆっくりと走りだし、挾間が車で伴走というスタイルで始まる。途中オレンジロードに入ってから、夫君は挾間のロードレーサーを借り受け伴走(コーチ業に早変わり)することになり、いよいよ女史との一騎打ちと思われたが(誰も思いゃしないよ)、何せ2時間30分台のシリアスランナーと3時間10分台の栗秋とでは実力の差はいかんともしがたく、アップダウンを繰り返すたびに女史の姿が遠くになりにけり。そして折り返し地点(20km先)の文殊仙寺駐車場では、3分の差となっていた。もちろん女史はかなり押さえて走ったことをこの差は物語っていたのだ。さて春らんまんの山里の古さつを詣でて、ボストンマラソンの上位入賞を祈願?したのは夫妻、そして栗秋は復路できるだけプッツンしないように神頼み(ではなくて仏頼み)を。帰りは若干の下り坂。菜の花の咲くのどかな田舎道を、キロ4分のペースでひた走る千枝女史にぴったりとついていく栗秋。しかしこれもオレンジロードへの分岐、大恩寺集落(25km地点)で、仏頼みの効力は潰えて車上の人となる。一方、一人旅となった女史はますます軽快なピッチとなり、華麗なフォームで余裕たっぷりの40km走を“いこいの村・国東”で締めくくった。いわゆる温泉ではないが、宿の広々とした明るい浴槽と瀬戸内の海を眺めながらの湯浴みもまた、格別の趣がありほてった身体を包み込んだ。おばさんでも鍛えられた体は美しく華麗であることを強く印象づけられた一日であった。 (KU) 参加者:挾間、栗秋、特別出演(松田泉・千枝夫妻)

4/8 第3回由布岳早登り大会(通算7回目)と堀田・夢幻の里のごーじゃすな湯
 CTCとの共催となって早3回目を迎えたこの大会のコンセプトは遊び心溢れ、手作りの暖かさと若芽萌ゆる雄大な由布のスロープを参加者全員に親しんでもらうこと。もちろんレースであるからして、順位とタイムにはそれなりにこだわるのもまた楽しみのひとつなり。今回は“おゆぴにすと”とそのファミリーが主に裏方にまわり、CTCのメンバーが選手として登場した。レースの出場者は総勢13名、登りに強い永田が下りでもそのスピードが衰えず、2位矢野に2分近くの差をつけ初Vを飾った(1:09:17)。例によって表彰式並びに閉会式は峠の避難小屋で。完走者全員に加藤会長から完走証、記念品、そして小粒だがずっしりとした入賞メダル(もちろん全員に)も授与され大いにわいた式典となった。二次会は堀田まで下り、荒金邸の庭先を借りて陽が傾くまで続いた。もちろん仕上げの湯は夢幻の里のごーじゃすな野天風呂でござぃ。(KU) 参加者:加藤父子、挾間ファミリープラス義弟・釘宮豊明、栗秋父子、荒金その他大勢

5/26〜27 久住高原祭りと岳麓寺から大船山の巻
 久住高原祭りがあるという。グライダー大会やら村の郷土芸能のお披露目会、特産品の展示即売はいわずもがなであるが、これに加えてMTBの九州選手権が雄大な高原の特設コースであり、これに矢野君等も参加するらしい。ここはひとつ冷やかして、更に山でも登ろうかなと企てた。例によって直入温泉郷(今回は三船温泉・共同湯)で都会の雑菌を洗い落とし、身も心も奇麗になって南登山口にてキャンプ(宴)を張る。心地よい湯上がり、だが待てよ、雑菌を落としたとはいえ、念には念を入れ体内も充分アルコール消毒をせねばとの皆の強い決意は崩れず。翌未明、きっちりと七里田温泉・共同湯に浸り、朝食はビール付き。草原に寝そべり、小原庄助ばりの放蕩をしばし試みた後、遅い出発。まずは高原祭りのメインイベント、MTBレースを観戦するべくコースへ繰り出す。本気で目一杯のレースをやるとうそぶいた矢野君の応援の為だが、カップルの熱いところを見せられては、そぅ長くは居られない。
 「ヤッパリわしらは山に登らんとだちかんねぇ〜」とキッパリと高瀬。岳麓寺経由で大船山八合目の入山候碑を経て鳥井窪まで往復する。この鳥井窪というところは人知れずひっそりとたたずむ大船中腹の小盆地をなす別天地。周りをブナや楓の照葉樹に囲まれ、ポッカリと開けた草原が陽光に輝いて形容しがたい緑々の世界であった。しかしちょっと気になったのは放牧中の豊後牛の群れ。遅い昼食をとっていると、巨大な体をにじり寄せ、弁当をねだるのには閉口したねぇ。はっきり言ってちょっと恐いのだ。帰路は下山途中で知り会った昔妙齢のご婦人(柚須さんと名乗った。ことのほか挾間気にいられる)を車で竹田まで送り朝地経由で帰分。(コースタイム 岳麓寺林道ゲート11:40→入山候碑13:07〜13:15→鳥井窪13:20〜14:07→岳麓寺林道ゲート15:00)(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋

6/2 平治岳
 東京マリンの一行とミヤマキリシマ鑑賞登山会。(KA) 参加者:加藤、太田、松本

8/12 早池峰山を訪ねて
 日本のエーデルワイス(ミヤマウスユクソウ)と早池峰(はやちね)の名の響きに魅せられての山行。参加者:高瀬
                  (本文「宮沢賢治の周辺を探る」参照)

8/14 岩手山
 一昨日登った早池峰山を遠望しながら、独り絶頂に立つと薄曇りながら、岩木山を始めとする東北の名山と、眼下に北上川の緩やかな流れ、盛岡の街、小岩井農場など、宮沢賢治ゆかりの地が俯瞰された。 参加者:高瀬
                  (本文「宮沢賢治の周辺を探る」参照)

9/23〜24 祖母山
 もみ志屋旅館泊。翌日、宮原経由〜山頂〜黒金尾根下山。(KA) 参加者:加藤

9/30〜10/1 くじゅうをグルっとひとまわりツアー
 大雨をもたらした台風20号も去り、台風一過秋晴れを!と願いたかったが、曇り空のすっきりしない天気で週末を迎えた。しかし栗秋にとってここ4ケ月余り、梅雨の豪雨と度重なる台風襲来のダブルパンチ、それにトライアスロンレース参加や裏方役で忙殺され、山といで湯から遠ざかっている我が身をいたわるためにも、くじゅうでも行こうやと挾間、高瀬に声をかける。旅立ちは日曜の午後といささか変則ではあったが、空いた時間を無駄にする訳にはいかない。
 まず、久住高原に今年オープンしたみどり牛乳(株)経営のガンジーハウスへ行こう。乳製品の製造工程をショーアップして見せたり、ファンシーグッズの展示販売、コテージ風のヘルシーレストラン等ウッディハウスをベースに、広大な牧場を周りに擁しアルプ&メルヘンタッチをイメージさせ、アンテナショップ的要素をもつ施設といったところか。全体の雰囲気はアンアン・ノンノ(古いなぁ)調の色彩が濃いいので、中年のおっさん三人にとっては長居は無用と見た。それにしてもガスが時々たちこめる、高原のうつろいやすい天候にもめげず、この一角はたくさんの人出で賑わっていたのには驚いたねぇ。「暇人もけっこうたくさんいるもんだわぃ」と自分のことは棚に上げて高瀬宣う。
 さぁて、この天気では山登りはパスせざるをえない。久し振りに赤川温泉・赤川荘の門をたたこう、と決めウォーミングアップのつもりで途中の久住山南登山口のクロカンコースを3周、8km程連れ立ってジョグを行い、心地よい汗のまま乗り込む。紅葉にはちょっと早いが、飛雄の滝を望む乳白色の露天風呂に浸り、ほくそ笑む(一人400円也)。

         
               赤川温泉・赤川荘にて

 次なるはグルっと回りこんで、筋湯へ。日曜の夕暮れ、湯治場はもの憂いで、何かしら人恋しい寂が漂う。うたせ湯に身をまかせ、煩悩を取り払いつつ瞑想に耽る。「せっかくの日曜日、久し振りのくじゅうへ来て、このまま真っすぐ帰るのも、もったいないネと」高瀬が宣うと、挾間も口裏を合わせたように朴訥な口調で「明日10月1日月曜日は俺の誕生日、今宵前夜祭をこの地で行おうではないか」と刹那的に宣ったのだ。ふいをつかれたのは栗秋、しばし返答に窮していると、高瀬の「朝5時に出れば仕事には充分間に合う」とのとどめで宴を張ることとなった。もちろん宿は“うたせ湯”の真ん前にある自炊旅館の『きらく荘』一泊2,645円。勝手知ったる定宿の強みで手際良く宴席を作りあげ、プレ・バースディ・セレモニーは厳粛なうちに執り行われたのだ、初めのうちはネ。豪華料理(鯖の缶詰、ピーナッツ、アサリ缶詰、棒ソーセージ、カップラーメンetc)に舌づつみを打ちつつ、祝杯を重ねる。そして夜中に『丸尾の露天』に忍び込み、浸ったのを記憶しているのは栗秋だけという状況から察して、他の二人の酩酊ぶりは想像に難くない。(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋

10/13〜14 山のいで湯とくじゅうの秋を楽しむ
 今年は雨が多い。10月になっても台風の豪雨やすっきりしない天気が続き、鮮やか紅葉は望めないだろうと高瀬の弁。それではくじゅうへそれを確かめようと栗秋宣い、山行成立。例によって直入町の三船温泉・共同湯で洗礼を受け、久住山南登山口キャンプを張り、もちろん放歌喧噪にわたった。翌日、七里田経由で大船山を目指も林道の入口が分からず、赤川へ転進し、久住山を登る。山頂はたくさんの登山客賑わっていた。帰路は瀬の本から長者原経由で筌ノ口温泉に立ち寄り、豊富な湯量どっぷりと浸った。えーっと、紅葉はやっぱり望めなかった(時期が早かったのではと、今となって思うのだが)。(KU) 参加者:高瀬、栗秋ほか2名

10/27 吉部から暮雨の滝経由で、秋の坊ヶツルを訪ねて
 買ったばかりのゴローのゴア内装の軽登山靴の履き慣らしと、来るべく屋久島行のトレーニングをかねての山行。九重山はいろんなルートから幾度となく登ったにもかかわらず、吉部ルートに足を踏み入れていないことは、自称ベテラン山ヤとし
ては、あまり大きな顔もできまい。登る程にだんだんと沢の瀬音が近づき、滝の標示のあるところから5分程下ると、滝つぼの両側をすっかり紅葉に彩られた暮雨の滝が現れた。大きな滝の音ではあるが、かえって静寂さをそそられる感がある。しばし憩いの一時を過ごしたのち、再び原生林の小径を登っていくと、途中、仰ぎ見る平治岳の斜面の見事な紅葉、思わず日記にSplended!と記してしまった。山はもうすっかり秋。街と山の季節の移り変わりの速度の差を強く感じさせられた。(コースタイム 吉部10:42→暮雨の滝11:20→法華院12:25→吉部13:48) 参加者:挾間

11/8〜12 屋久島縦断
 洋上アルプス屋久島を南北に縦断。白谷雲水峡では雨のお出迎え、大株歩道では霧の中から忽然と縄文杉が、そして頂上では霧が霧氷となり、快晴の宮之浦岳絶頂に立つ幸運に恵まれた。参加者:挾間
                        (本文「名山探訪 第6回」参照)

11/18 花牟礼山(フキクサ山)へ 参加者:加藤、太田

12/24 別府・からすの湯から挾間町・鎰掛温泉、ひなびた山のいで湯巡り
 加藤から「どっか山のいで湯に行こう」と誘いがかかる。半日、年賀状書きで家にこもっていたところであり、二つ返事で返す。息子の寿彦と加藤の同業者、松本氏も同行する。まずは別府・明礬温泉の奥、鍋割山の中腹の『からすの湯』へ直行。 冬枯れの草原をつめて、歩程10分で人知れず、きっちりと流れ出る高温の湯にたどりつく。枯れススキの果てに高崎山を臨みながら湯浴み、最高の贅を享受しつつ、次なる湯を模索。松本氏の提案で挾間町の新興の湯、鎰掛温泉へ行こう。志高湖からニットウゴルフ場横を下り、挾間町へ入りすぐ山里の集落、内成がこの湯のありか。ここは自転車の練習コースによく通ったところだが、今まで気がつかなかった。それもそのはず、今年の8月のオープンだそうな。湯銭は随意。『平野芳薫』施主と記してあり、単純泉をポンプアップ。湯量は豊富である。浴室はシンプルな岩風呂にしつらえて、また築後間もないこともあって小綺麗なり。山里のいで湯をたっぷりと堪能する。(KU)  参加者:加藤、栗秋父子ほか1名

平成3年(1991年)
1/1 新春第1弾、快晴の祖母山に遊ぶ
 山で年越しをしたい気持ちは強いが、一家の主としては大晦日の夜と元旦の朝は家長訓辞というセレモニーをやらないと、一年の締めくくりも新年のスタートもままならぬのが、挾間家の伝統である。そこで、かたちばかりの大晦日のセレモニーを済ませ、年頭訓辞は山から帰ってからでもと、元旦の早朝5時過ぎに高瀬と二人松ヶ丘を発つ。天気は上々。目的の山は祖母山。尾平から黒金山尾根に取り付くが、期待した雪はまったくなく、わずかに稜線に霧氷が見られるのみ。かわりに360度の大パノラマを満喫。天狗の頭では、正月らしく、高瀬の用意した御神酒とお節料理で乾杯。昨年の1年を振り返って「早池峰から下りて花巻の旅館で作ってもらったおにぎりの味が忘れられない。」と、このところ、賢治の研究成果の発表に熱心な高瀬の講義を聴きながら障子岳、古祖母山を経て尾平越え経由で、昨秋の屋久島行以来の長丁場を終えた。(コースタイム 尾平7:26→天狗の岩屋9:50→天狗の頭10:17〜50→障子岳11:23→古祖母山12:24→尾平越13:42)(HA) 参加者:挾間、高瀬

1/19〜20 『大分百山』出版記念祝賀会
 筋湯・八丁原ヴューホテルに宿泊後、翌日雪の花牟礼山(ながみぞ)へ。参加者:加藤ほか

1/27 由布岳へ
 万年山・日田の矢野先生のレリーフへの追悼登山会 雪の中をレリーフの前にて合掌。(KA) 参加者:加藤

2/3 彦岳、鎮南山、新春第2弾は県南の山
 かつて、高校野球の名門津久見高校の全盛時代に、甲子園で何度も聞いた同校の校歌で有名となった彦岳と、大分登高会臼杵支部からよく聞かされた鎮南山を目指して早朝大分を発つ。彦岳へは狩生から取り付き2等三角点の山頂まで1時間余り。山頂のお社には津久見高校山岳部を始め沢山の奉酒があり、その中から、挾間は目ざとく「一乃井手」を発見。この銘柄は、臼杵を中心とした北海部郡市で親しまれている端麗辛口で、挾間の亡き父君愛飲の酒である。早春の光のどけき豊予海峡を眼下に望みながら、父と酒についての談義にしばし花を咲かせたのち、往路を引き返し、次なる山へ。鎮南山へは塔尾山頂を経て正午前に本峰山頂(536.4m)。山頂は、臼杵市民に親しまれている山だけに、老若男女でことのほかの賑わいをみせていた。ここから臨済宗妙心寺派とされる山庵寺まで散策して下山。(コースタイム 狩生7:15→彦岳山頂8:25→登山口9:36→鎮南山登山口10:52→塔尾山頂11:42→本峰11:57→山庵寺12:27) (TA) 参加者:高瀬、挾間

2/16〜17 おゆぴにすと 白銀のくじゅうへ送別湯行の巻
 北九州への転勤が避けられない情勢となり、長年住みなれた大分や通いなれた豊後の山といで湯が距離以上に遠くなることは想像に難くない。あぁ〜ぁと一人落ち込む栗秋。せめてそれではくじゅうへ、送別山行を!と挾間と高瀬。おりしも、冠雪の報が舞い込んだばかりで、シチュエーションは申し分ない。夕刻、大分を立ち中村から入る。九酔渓付近からまわりは真っ白。飯田高原局からチェーンを付け、筋湯は自炊の定宿・きらく荘へ。まずは定番どおりうたせ湯で身を清め、挾間が集めた全国の秘造酒やまぼろしの銘酒等8種類をうやうやしく飾り立て、『地酒味わい大会』と銘打った宴の幕はきっておとされた。酒肴は高瀬の手になる明野風淡麗すきやき。窓辺から雪明かりの中、湯煙にけむる湯治場界隈を眺めながら、盃はすすむ。時間よ止まれ!なのだ。
 翌朝、のんびりと湯治場の風情を楽しみながら薬師湯に浸り、身支度を整える。空は晴れわたり、まわりの峰々は白銀の衣をまとい我々を招く。まずは一目山を目指す。峠からは15分程度の歩程だが、草付きの斜面に冠雪とあって滑りやすく、風も強く寒気は一級品。山頂ではテントを張り、中で沸かしたコーヒーの味は格別であった。さて、まだ時間もたっぷりとあるので次は牧の戸峠へ行こう。こちらはかなりの車と登山客のざわめきがあり、活況を呈していた。特に、登頂すべき目標のない山旅なので、のんびりと沓掛山の展望台を一応の目的地として散策を楽しむ。霧氷と雪景色の稜線から久住山や涌蓋山、万年山、阿蘇の山々と白銀の世界を欲しいままにする。帰途、九酔渓の桂茶屋で小宴会を張り、野矢温泉を仕上げの湯とした。次回、栗秋にとって雪のくじゅうはいつになることやら。(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋

3/3 倉喜山〜城ヶ岳〜雨乞岳 参加者:加藤ほか

3/17 三俣山 参加者:加藤ほか
 JACの中村先生と法華院にて合流。雪の三俣山へ坊ヶツルよりの直登ルートをとる。山は一面の雪でした。 参加者:加藤ほか

4/13〜14 御嶽山と祖母山
 仕事仲間で、屋久島行を共にした加藤君との山行。前日、大分100山の一つ清川村の御嶽山を稼いだのち、尾平の駐車場に買ったばかりのEurekaのテントを張り、加藤君オリジナルメニューのキムチ鍋を肴に西ノ関1本、ビール2リットルを空にする。これでこの山行の主目的は終えたようなものだが、それでは山やの名がすたるというもの。翌14日、日和りたい気持ちを抑えて、二日酔いの重い足取りながら黒金山尾根〜山頂〜宮原〜尾平と一応の格好をつけた。(コースタイム 14日 尾平8:15→稜線11:25→祖母山頂13:00→宮原14:30→尾平16:28) 参加者:挾間、加藤(会友)

4/29 鹿嵐山
 シャクナゲがきれいでした。下山後、五重塔温泉入湯。 参加者:加藤

5/3 J.A.Cの中村先生一行と夏木山へ
 アケボノツツジが満開でした。下山後は藤河内温泉入湯。(KA) 参加者:加藤、太田ほか

5/4〜6 石鎚山と四国八十八ヶ所、同行六人
 日本七霊山の一つ、石鎚山詣では義父のかねてよりの念願。5月4日、四国上陸後先ずは八十八ヶ所第51番札所石手寺を訪ね、松山城から市内を一望し、市内に宿を取る。翌5日はスカイラインから土小屋に至り登山開始。天気は上々。さすが西日本の最高峰、とにかく人が多い。数日前降ったという雪を傍らに久しぶりの古巣石鎚山を噛みしめるように進む。12時過ぎ、二の鎖元小屋で、成就社からの表参道と合流。いよいよ、鎖場の登りとなる。見上げると首筋が痛くなるほどの高度感のある岩壁に、内心不安を覚えるが、「獅子が自分の子を崖から突き落とすのにも似た気持ち」で、息子二人を先にやる。義父も鎖に挑戦したいようであったが、義母に制されてしぶしぶ断念。僕はと言えば、6人分のラーメンを作るための水、コンロ等に加え、弁当、ジュース、それに4人分のビール等荷物運搬人兼カメラマンで、裏方も楽ではない。実は、鎖場で一番びびったのは僕かもしれないのだ。とにもかくにも難関の鎖場を無事突破し、弥山の頂に先着し心配そうに待つ妻と義父母と合流し、皆で登頂を祝っての記念撮影と乾杯。5月の快晴の山とはいえ、2000m近い山のことゆえ風は冷たく、山頂で食べるラーメンの味は格別であったことだろうと勝手に満足。この日は面河渓谷の国民宿舎に泊まり、四国八十八ヶ所をさらに2ヶ所参って無事帰分。義父母の念願をかなえ、「将を射んとせば馬を射よ」と、たとえ動機が不純であろうが親孝行には変わりなし。これで、少しは撒き餌になったかな?と、内心ほくそ笑んだ。(HA) 参加者:挾間ファミリー、義父母

5/11〜12 九重山へ
 日本山岳会会員であり、自然エネルギーの大家鳥居先生と大分県の自家発電の実態を見学するのを案内(メーカーの林エンジニアリング社長と)。宿泊した法華院温泉の自家発電は可能であると力説していた。(KA) 参加者:加藤、太田ほか

5/25〜26 久々に“おゆぴにすと”県境・犬ケ岳に集う
 『おゆぴにすと第6号第1回編集委員会兼山のいで湯愛好会門司支部活動報告会兼定例山湯行の開催について』なる役所的事務連絡が挾間の手により発せられた。3月、門司に転勤した栗秋のことをおもんばかって県北の舞台を選んでくれた編集長に感謝しなければなるまい。
 25日、『大分時間』の加藤と高瀬のコンビをまっても埓があかないと考えた挾間は午後の貴重な時間を有効に使おうと、宇佐駅で栗秋を迎え猪群山(国東・真玉町)早駆け登山へ誘った。時折、小雨のバラつく天候なれど雲は高く心配はなさそうである。ランニングとはいかなくともハイピッチの歩きで一気に稜線へ抜け、約30分で二等三角点のある頂に達する。楽しみにしていた眺望は西方へ開けるのみでいま一つといったところ。さて折り返し3分でストーンサークルのある東峰へも足を伸ばし、環状列石のミステリーに挑む(実際に挑んだのは中心にある高さ4mあまりの神体石の登攀であったが....)。主峰とは対照的に、ここからの国東の山々の眺めはすばらしく、既にピークを稼いできた懐かしい山容を認めながらしばし時間を忘れる。帰途は中腹にある飯牟礼神社の上宮に立ち寄りコケむした社の霊気で身を清める。 次に舞台は一足飛びで犬ケ岳へ。意外にも『大分時間』の高瀬にしては早い行動で求菩提キャンプ場へは薄明かりが残るころの到着となった。谷をはさんで真正面に怪峰、求菩提山の黒いシルエットを望み、真上には下弦の月を仰ぎながら、よく整備された炊事小屋を貸し切ってささやかな小宴会。明日の山行を考えてか、はたまた寄る年波には勝てずか、早々とシュラフにもぐりこむ。
 翌朝、晴れまではならずも、まずまずの天気。例の『役所的事務連絡』によると本日の行動計画は犬ケ岳恐淵谷遡行となっているが、挾間や加藤の言動を注意深く推察するとどうも“アゴ”だけらしい。経読岳から犬ケ岳の縦走を提案すると、こちらの方にすぐ話がまとまる。ウグイス谷を登り、小1時間で経読林道へ出る。更にこの林道を東へ伝い、途中から稜線へ抜ける林道(支線)を経てブナやミズナラの稜線を東進すると、2次林の小ピークに出る。『経読岳山頂』の標識と中央に安置された『お地蔵様』がなければ、ここが頂とはわからないほどの林の中の鈍頂である。眺望のきかない山頂では、お腹を満たす以外にやることはないとばかりザツクの荷を軽くすることに努めた後、林道の支線出合いまで引き返し、犬ケ岳への縦走路へ分け入る。木々の間から左手に小屋ケ岳の円錐頂を望見し、ほどなく971mピーク。このあたりからポツポツとシャクナゲの単木が現れ、笈吊峠を過ぎると群落にかわる。実は、あの艶やかな花びらを観賞するにはこの時期は少し遅いかと諦めていた。しかし、1,000mを越える犬ケ岳の群落はまだしっかりと花をつけて我々を出迎えてくれたのだ。久方ぶりの感動が胸をよぎる。三の岳を過ぎると小ピーク2つで犬ケ岳の山頂へ。“重鎮”の加藤はことのほかこの頂に執着を持ちつづけた様子で、“重厚”な笑みがこぼれた(何と大分100山の1つ、県北の横綱格であるこの山を踏むのは初めてだという。驚き!
 下りにかかると、気持は下山後の小宴会に完全に移ってしまった。カラッポのザックとカラッポのお腹をかかえて、大竿峠経由、恐淵谷ルートを一気に下る。久し振りの6時間余りに及ぶ山行は心ならずも“アゴ”が先行する中年?おゆぴにすとには少々こたえた模様。それでも麓のヤマメ料理の庵に入り、ヤマメの塩焼き、山ふぐの刺身、山菜そばを目の前にしてビールのほろ酔いに助けられると各々『おゆぴにすと』誌の主人公よろしく、『昔とったきねづか』の論調に戻っていた。(コースタイム 5月25日 真玉町横山15:35→猪群山頂16:02→環状列石16:14、5月26日 登山口7:15→経読林道8:00→経読岳9:16→三の岳11:15→犬ヶ岳山頂11:36→大竿峠12:01→駐車場13:20) (KU) 参加者:加藤、挾間、高瀬、栗秋

6/1 久住山赤川ルート
 東京マリンの一行と。下山は牧ノ戸へ。 参加者:加藤ほか

6/8〜9 北アルプスにて遭難した分大南野君の追悼会(17回忌)
 由布院温泉にて御両親を招いて分大OB会10数名との追悼会。翌日湧蓋山登山。(KA) 参加者:加藤、宮崎ほか

6/23 黒岳へ

 夏山トレーニング、その1。白水鉱泉〜前岳〜高塚〜風穴〜男池。(KA) 参加者:加藤、太田、松本

7/13〜14 祖母山へ
 夏山トレーニング、その2。神原経由祖母山頂小屋泊〜めんのつら下山。(KA) 参加者:加藤、太田、松本

7/13〜14 祖母山川上本谷遡行、「大分登高会の三羽がらす」今だ健在なり
 前夜の雨も上がり絶好の沢登り日和となった。遅発ちのためウルシワ谷出合に立ったのは正午前。久しぶりの本格的沢登りを前に、胸が高鳴る。内田、佐藤とて同じ気持ちだろう。上空の雲の動きが活発なため、沢は暗→明→暗と目まぐるしく変化する。ビニール製のワラジは滑り易く、足元の不安は隠せない。ために、滝はなるべく高捲きしながら、慎重に高度を稼いでいき、黒金山沢出合までに約1時間の所要。エボシ谷との分かれの手前の2段の滝で、難なく抜けた内田、佐藤にザイルを垂らすよう要求。格好ばかりは言ってはおれない。やがて沢は大きく左右に分かれ、左はスリウス谷、右は本流だが伏流となってどっちが本流だか迷うところ。高度計は1015mを示し、まだまだ先は長い。しばらくガレを行くと、前半最大の難所14mの大滝が突然眼の前をふさぐ。直登を試みるもやや不安を覚え高捲きとする。これとても、3級の岩登りを強いられ「ここにきたら昔のプライドはかなぐり捨てよう」と、しんがりに徹すことにする。なんとか大滝を捲いたのち、1300m地点で畳1枚程の岩棚を整地して今夜の野営地とする。内田食当の焼く牛タンをほおばりながらの小宴会はブトの大群に襲われながらも、もちろん話題は「あの日、あの時」。

        

 7月14日、5時起床。簡単な朝食を済ませ、早めに撤収する。陽が上がるにつれて、再びブトの大群が容赦なく露出した皮膚めがけて襲ってくる。すぐにガリーに入り大きなチョックストーンにぶつかるが、ここは内田が残置ハーケン2本を頼りに果敢に乗っ越してくれたおかげで何とか突破したものの、再び大きなチョックストーンを、ここはザイルを持った佐藤がさっさと登ってしまい、独り残された小生必死の思いで突破。あとは草付きの薮漕ぎで障子岳付近の縦走路に出た。障子岳山頂で本谷遡行を祝って固い握手。登高会時代以来、16年ぶりのザイルパートナー復活である。すっかり中年の体型となった内田、佐藤であったが、岩に対しては果敢であった。互いの顔は、ブトの大群により、また、それを振り払う余裕すら無いほどの岩との悪戦苦闘のため、腫れ上がっており、「佐藤君、こんな顔で仕事出られるの?」「それはあんたも同じやろ」と互いに吹き出す始末。大分を発つ前、別パーティで神原より祖母山を目指した加藤と山頂で合流を、との約束も、疲れた足どりでは反古にせざるをえず、黒金山尾根を下る。(コースタイム 7月13日 ウルシワ谷出合11:58→黒金山沢出合13:00→1300m地点幕営地17:00、7月14日 幕営地6:40→縦走路8:55→障子岳8:58)(HA) 参加者:挾間、内田、佐藤(会友)

7/28 阿蘇山へ
 夏山トレーニング、その3。幕営〜日ノ尾峠。(KA) 参加者:加藤、太田、松本

8/8 北アルプス表銀座コース 参加者:加藤、太田、松本ほか1名
               (本文「心に温めた山・念願の山」参照)

8/10 南アルプスへ向けてのトレーニングは、新しいパートナー・愛犬「ペロ」と
 「勤続20年記念事業」と銘打った南アルプス北部大縦走を2週間後にひかえ、足慣らしのための九重行。我が家の玄関前の貴重な黒石20kgをザックに詰めてのボッカ。黒石を選んだのは、途中で捨ててしまおうという気を起こさないための苦肉の策。パートナーはこのところ山をすっかり気に入ってきた愛犬「ペロ」。ご主人様が玄関を出る時の服装と雰囲気でどこに行こうとしているかを敏感に察し、特に山装備の時は、ひときわ声高に吠えるかわいいヤツ。もちろん、大好物のチーズをザックにしのばせてのこと。吉部→坊ヶツル→(三俣山直登ルート)→三俣山頂→久住分かれ→星生山頂→天狗城山頂→中岳山頂→稲星山頂→久住山頂と、妥協を許さないハードな歩行に不平一つこぼさずついて来てくれた。朝8時から夕方吉部着の6時まで、ほぼ10時間のアルバイトのごほうびは、ソフトクリーム。(コースタイム 吉部8:10→三俣山10:38→星生山12:18→天狗城13:46→中岳14:00→稲星14:20→久住山?→法華院16:35→吉部18:00) (HA) 参加者:挾間、ペロ(会友)

8/16 八幡平
 八幡平の素晴らしさを語るには、アスピーデラインからいかに離れ、その深さを味わうことができるかにある。そのためにもいつの日か、裏岩手縦走を『おゆぴにすと』諸兄と共に堪能してみたいとの思いを新たにする事になった山行であった。(TA) 参加者:高瀬
                    (本文「宮沢賢治の周辺を探る」参照)
8/17〜18 坊ヶツル家族キャンプ
 いよいよ翌週に迫った南ア縦走を家族に気持ちよく見送ってもらおうとの魂胆みえみえではあるが、今夏唯一の家族サービスを坊ヶツルでと、食糧装備はいっさいがっさいおとうさんの手で準備して、吉部より坊ヶツルに入る。夕方はあいにくの霧雨となったが、それでも、炭火をおこしどっさり用意したカルビーとジュースをいつになく愛想良く子供達に振る舞い、家族サービスに徹した。そして、夜はお楽しみのトランプゲーム。「さあ、始めよう」とカードを配ったところまでは覚えているのだが・・・。気がつけば深夜。愛犬「ペロ」になめられて目が覚めたらしい。「しまった! ビールだけで抑えておけばよいものを、ワインを一人で空にしてしまったのがいけなかった」 また子供達のひんしゅくを買ってしまった。(HA) 参加者:挾間ファミリー

8/25〜31 独りぼっちの南アルプス(勤続20年記念事業)
 夜叉神峠に始まり、鳳凰三山→早川尾根→アサヨ峯→仙水峠→甲斐駒→北沢峠→仙丈岳→仙塩尾根→両俣小屋→白根三山→大門沢大下降→奈良田温泉と、南ア北部の名山を訪ねての、天幕による孤独な大縦走。 参加者:挾間
                     (本文「名山探訪 第6回」参照)

9/22 九重中岳へ
 南登山口〜中岳〜白口岳〜展望台〜沢水下山。(KA) 参加者:加藤、太田

10/20 門司アルプスの盟主・戸上山
 我が社宅の背後に控える戸上山(518m)へ。13年前、JNR・九州鉄道学園の講師時代に課外授業と称しては、生徒(とはいっても、年上のおっさんもかなりいたが)をひき連れて、まさに裏山にあたるこの山にはちょくちょく登ったものだ。そしてそれ以来久し振りだが、家族にもこの地で当分住むからには、あいさつをしておかねばとの思いでファミリーで登った。山頂は関門海峡側にわずかに開けるだけであまり眺望は望めないが、登山口から沢沿いにつめ稜線に出た『大台ケ原』からの眺めは360度の大パノラマ。日頃、山はきついから行かん、とうそぶく娘も海峡から小倉、戸畑(若戸大橋もしっかりと見えた)から若松に至る海岸線と皿倉山から福智山へ延びる山稜の連なりに興味は尽きない様子であった。 (コースタイム 桃山登山口11:13→戸上山々頂12:13〜13:13→登山口14:00) (KU) 参加者:栗秋 

10/27 知る人ぞ知る“門司アルプス”ランニング登山の巻 参加者:栗秋
                     (本文「山岳走への挑戦」参照)

12/27〜30 厳冬期石鎚山初挑戦、敗退の記
 「冬の石鎚を征服せずして穂高を語る無かれ」との果敢な挑戦の顛末記    参加者:挾間
                      (本文「心に温めた山・念願の山」参照)

次へ
back