山といで湯(クロニクル)  1992.1〜1994.6
平成4年(1992年)
1/3 新春の山のいで湯黄金ルートを行くの巻
 武蔵町の矢野君が日田界隈に出没しているという。こころあたりを探し出し、正月ボケした体に活を入れ、激動の平成4年を乗り切るためにも、年頭にあたりリフレッシュが是非必要である。そこで必然的に山のいで湯へ誘わなければなるまい。 松原ダムの駐車場で待ち合わせて、まずは黒川温泉へ行く。元来、山間のひなびた湯治場だったのだが、ここ2,3年前から旅館組合の肝煎りで各宿とも趣向をこらした露天風呂を造り、これを自由に巡ることができる、肥後杉でしつらえた通行手形を発行したりと、いわゆる温泉ブームにうまく指向を合わせたハード・ソフト両面策が効を奏して客足は伸びているという。今回は昔からの露天風呂の老舗、いこい旅館を訪ねた。もうそう竹からドゥドゥと流れ落ちる打たせと、竹林を隔ててこれを一段低い位置で眺めて浸る岩風呂のレイアウトが気に入ったとは矢野君の弁。 次は南小国は涌蓋山南麓の秘湯・寺尾野温泉へ案内しよう。9年前の秋、6回目のアタックで初めて浸ることができた赤川温泉の帰途、5万分の1の地図で涌蓋山南麓に偶然、温泉マークを見つけ、探し出したところである。万成寺という集落から枝道を涌蓋山へむけて高度を稼ぎ、どんづまりの4,5軒の集落が寺尾野である。9年前の記憶を呼び戻し、田んぼのあぜ道を2〜3分下った杉林と草むらの接点に、見覚えのある昔どおりの湯小屋があった。誰もいない。43度の単純泉がこんこんと涌く。万成寺の酒屋で買っておいた缶ビールを片手に湯舟に浸り、グビグビとやる心地よさよ。途中で婦女子の声が聞こえ、ガラガラと戸の開く音。女湯の方でまさに着衣を脱ぐ衣ずれの音と内部を探索する気配が......しばし沈黙の後、あたふたと出ていってしもうた様子。察するに、ブルーのプラスチックの仕切り壁はあるものの、湯面下の浴槽はつながっており、矢野君の卑猥声を聞いてしまった後の行動と見た。マァそんなことは気にも止めず、たっぷりと時間を稼ぎ、どっぷりと浸った後、出てみるとくだんの婦女子2名(30代半ばとみた)が高原の冷気をものともせず、御苦労にもしっかりと待っていたのだ。『おゆぴにずむ道』の心得が若干なりともあれば、待つ必要なんぞ少しもないのにと思う。つまり、山のいで湯に浸ってしまえば、人間は個としての存在のみで性の境がなくなるのであって、まして30過ぎれば、羞恥心を持ったらいかん!という自説をここで述べるつもりは毛頭ないが、つまりそうなのである。聞けば長崎からだという。こんな最奥の村まで探し当てて、来るのはブームのなせる業かどうかは知らんが、ひっそりと昔のままの湯を守るのは難しくなるなぁとつくづく思い、考えさせられた貴重な一点であった。(KU) 参加者:栗秋、矢野
                           (本文「湯行・山行活動報告」参照)

1/12 恒例となった新春登山は、古処山〜畔倉山〜月出山岳を巡る低山徘徊
 青春時代を筑豊で過ごし、「青春の門・筑豊編」を地でいく高瀬にとって、この周辺の山々には格別の感慨があるのは、無理からぬこと。今回も高瀬の希望で福岡県北部の山となる。大分を早出して、古処キャンプ場より取り付くが、山麓のカシノキ、シイノキ、頂上に向かって拡がるはずのシデ、カエデ、ツゲの植生は、昨年の台風の被害をまともに受けて痛々しい。低山だが、さすが北九州近郊の著名な山だけあって、良く整備されており、一歩一歩小気味よく踏みしめながら味わうように登って行くと、程なく中高年で賑わう古処山頂に達した。燕岳を思い起こさせるような、表面がざらざらした岩稜(花崗岩ではなく、石灰岩だそうだが)からなる頂上は、筑豊平野の眺めが良く、「あれが香春岳、その奥が福智山、すぐ近くに見えるあれが馬見山・・・・・・云々」と、高瀬が得意げに、いつになく饒舌になって説明を加える。

          

 山頂での昼食は、新春第1弾らしく、ごまめ、数の子、くろまめ、ウニかまぼこ、また、御神酒はと言えば、昨年津久見の彦岳登山の折、山頂での痛飲が忘れられない臼杵の銘酒「一の井手」と、いつもながらの高瀬の心配りにただ感謝。ゆっくりと山頂の憩いを楽しみたいのだが、ざっと数えただけで80人は居ようかという中高年の大群から逃れるべく、次なる山、畔倉山を目指す。この山も山麓の台風被害の生々しさに心を痛めながらの登高となる。独立標高点のある山頂からは、逆光に映える筑後川が印象的だ。さて、冬の陽は既に傾きかけたが、「もう一山は稼げそう」と高瀬の貪欲さに促されて足早に下山し、月出山岳へ向かう。散々迷ったあげく、月出山部落から万年山と津江の山々の眺めがことのほか印象的な雲上高原に登ったところで車を捨て、薄暗い中を登っていき、18時過ぎ、ほぼ同じ位の3つのピークのうち、真ん中を山頂と見定める。既に辺りはすっかり夜のとばりに包まれ、ヘッドライトを頼りの下山となる。早朝からあてのない山旅ではあったが、一応満足。締めくくりとしての今年最初の入湯を時間切れで断念したのが、唯一の心残りであった。(コースタイム 古処キャンプ場8:48→古処山頂10:10〜11:00→登山口12:05→畔倉山登山口の記念碑14:15→畔倉山頂14:50→記念碑15:20→雲上高原17:35→月出山岳山頂18:10→大分21:00) (HA) 参加者:挾間、高瀬

2/16門司、風師山へファミリーで登るの巻
 肌寒い一日、じっとしていても仕方ないと門司港の背後に控える風師山(364m)と和布刈公園の一角、関門橋の直下にある和布刈会館の薬草風呂をセットにして家族へ誘う。何故なら、山だけではすんなりとは行きそうにないとの配慮?があったかどうか。この山は過去に4回、登っているがファミリーとしては初めてになる。9合目の展望台まで車が使えるので、歩いて10分余りのアプローチだが、関門海峡の眺めはいつ来てもすばらしい。参加者:栗秋ファミリー

4/26 湧蓋山(穂高ファミリー登山のための準備山行、その1) 参加者:高瀬父娘(可南子)

4/29 鹿嵐山シャクナゲ鑑賞登山会 参加者:加藤、松本

4/29 万年山(穂高ファミリー登山のための準備山行、その2) 参加者:高瀬父娘(麻利子、可南子)

4/29 足立山森林公園と小文字山に登るの巻
 本日は『みどりの日』。みどりに親しまなくてはならない。しかも絶好の快晴・無風の行楽日和ではないか。近場で気軽にみどりに親しむには、足立山森林公園をおいて他になかろうて。早速、車に弁当と自転車2台(父と息子の)を積み、純の友達の園ちゃんも一緒にピクニックとしゃれこむ。森が少し開けた扇状地の一角にベース(要するにシートを敷く)を確保して、父と寿彦は自転車で公園内の林道、車道、遊歩道を縦横無尽に走りまわり、ウォーミングアップの後、小文字山(366m、毎夏、小文字焼きの送り火でちょっとは知られた山。頂直下の『小』の文字は遠くからでも望まれる。足立山の支稜上のピークにあたる)へ続く林道をつめるが途中、寿彦は力尽き引き返し、おとうさんだけ最後は岩盤の露出した登山道を10分余り担いで、頂上をきわめる。突然、MTBを担いだおっちゃんが砲台状の頂に現れたものだから、周囲の登山客の好奇な視線に耐えなければならない。一方、シート占領組(母、純、園ちゃん)は寝そべったり、食ったりとそれなりに過ごしていた模様。そして昼食後、今度は皆な揃って森の中の登山道をつめ、父にとっては再びの小文字山に立った。 (KU) 参加者:栗秋ファミリーほか1名

5/3 祖母山山開き(穂高ファミリー登山のための準備山行、その3) 参加者:高瀬父娘(麻利子、可南子)

5/10 由布岳山開き、大分の山はやっぱりいいナァの巻
 高瀬父、娘(麻里と可南)と栗秋ファミリーで山開きに合わせて由布岳へ登る。合野越で偶然、加藤、太田夫妻と会い一緒に登る。(KU) 参加者:加藤、太田夫妻、高瀬父娘、栗秋ファミリー
                (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)

6/7 九重山(穂高ファミリー登山のための準備山行の総仕上げ) 参加者:高瀬ファミリー

6/14 大船山ミヤマキリシマ鑑賞登山会
 終日雨の中、吉部〜暮雨の滝経由〜大船山往復 参加者:加藤ほか東京マリン一行

7/19 長門の名湯、俵山温泉に浸るの巻
 下関から往復90kmの自転車トレーニングの折り返し点は、偶然見つけた山峡のひなびた湯治湯、俵山温泉であった。 参加者:栗秋
                    (本文「湯行・山行活動報告」参照)久住山

8/9 久住山
 大分大学山岳部創立40周年記念祝賀会であったが、台風のため急遽8日夜大分市にて懇親会。翌日久住登山。 参加者:加藤、宮崎、田中

8/12〜15 「菜美、麻里、可南・・・・・・これが梓川だよ」 かねてよりの娘達との約束の穂高
 10年前、長女菜美子が5歳の時、「10年後に家族全員で穂高へ」と立てた誓いを、今実現できる喜びと感慨に浸る。 参加者:高瀬ファミリー
                     (本文「心に温めた山・念願の山」参照)久住山

9/12〜13 久住山
 名月観賞登山と銘打って久住山頂で一泊。月夜の中の最高の登山を味わう。(KA) 参加者:加藤,太田、松本

10/10 涌蓋山ワンデイハイク 九重の秋は山といで湯に最高なのだ!の巻
 高瀬、栗秋ファミリー合同で長者原で待ち合わせ、湯坪からの林道をつめ涌蓋山を目指す。 高瀬(菜宮崎除く)、栗秋ファミリー
                    (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)
10/18 傾山
 林道経由〜九折越〜山頂〜三ツ尾〜林道。紅葉の中での登山でした。(KA) 参加者:加藤、松本ほか1名

10/25 小倉北区の最高峰・足立山(598m)に登る
 門司在住、中津タートルクラブの佐脇氏と妙見神社に車を置き、砲台山、足立山、妙見山、小文字山とグルっと一回りして、森林公園を突っ切って妙見神社へ戻る。 参加者:栗秋、佐脇(会友)

10/31 日本山岳会東九州支部大会「英彦山の集い」
 国民宿舎『ひこさん』にて全国懇親会。足利武三氏の「九州の山々」と題する講演あり。懇親会にて美坂哲男氏とお会いできて感激。翌日は雨の中英彦山登山。福岡支部の作成による「九州登山史年表」をもらう。 参加者:加藤ほか

11/3 城ヶ岳陰陽石を訪ねて 
 おもしろい岩でした。(KA) 参加者:加藤、太田

11/3 秘かなる湯の愉しみ 奥江、下河内、ひなびた山里の湯を巡るの巻
 日田をベースに晩秋の山のいで湯を巡る。参加者:栗秋、父・章一郎
         (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)
11/8 由布岳
 東海マリン一行の紅葉鑑賞登山。(KA) 参加者:加藤、太田、松本ほか7名

11/28〜29 究極の地酒とグルメ味わい大会INロッジ滝谷
 『究極づくめのお知らせ』と題した案内が大平から届けられた。ご存じ、日出町の奥別府ニュータウンにある大平の別荘・ロッジ滝谷が会場。「午後4時ぐらいから始めましょうか」という文面だったので、6時半に着いてさぞ宴たけなわではと思いきや、参加者一同“大分時間”をきっちりと遵守のようで、未だオーナーが一人、のんびりと準備に勤しんでいた。ひとまず、50m先の雑木林の中、以前と変わらずひっそりとした奥別府ニュータウン温泉・松の湯に浸る。そして総勢6名の宴は午後8時を回って始まる。まずビールと遠賀川の岩本氏が造った有機栽培のホウレンソウのおひたし、高瀬提供の高価希少の松浦漬け、熊本は友口氏提供の馬刺と牛のレバーで開始。しばらくして酒は新潟・南魚沼郡の幻の銘酒『八海山』に変わり、牛鍋、絹とうふ.....と延々。越後・塩沢の新米『こしひかり』を丑三時に食べた記憶がわずかに残った。
 翌日も9時過ぎからゴソゴソと這いつつ、朝風呂(松の湯)を使い、おもむろに山イモの特性ミックススープなんぞを丹念に作り、再び『八海山』を手にチビリ、チビリと午後2時過ぎまで粘るが、そろそろほろ酔い加減でも遠隔の地の者は帰り支度をと重い腰を上げなければならない。帰途、高瀬と明礬温泉・湯の里露天風呂に浸る。前別府市長の脇屋長由氏経営による新興の露天風呂だが、大人20〜30人が入れる大きな岩風呂は豪快だ。しかし明礬の高台にあるメリットを生かしきれていない。せっかくの別府湾の眺望も湯に浸ったままでは囲いが邪魔して望めないのだ。男湯に囲いなんぞいるものか、と思うのである。反面、背後の山の紅葉は今が盛りで全身に鮮やかな色合いを浴びながらの湯浴みに少しは救われた。(KU) 参加者:大平、荒金、高瀬、栗秋ほか2名

12/13 宇曽山〜障子岳
 どんがめ会の忘年山行。下山後都町にて忘年会。 参加者:加藤ほか

12/31〜1/1 年越しは阿蘇鍋の平で
 「年越しを山で」との念願かなって、10年ぶりくらいで天幕の中で紅白歌合戦を聞くことができた。我々のほかは1パーティだけで静かな阿蘇の夜を心ゆくまで楽しみたかったが、いつになく高瀬の方が先にダウン。さもありなん。年末のぎりぎりまで仕事に精を出した彼にとって、企業戦士の束の間の休息なのだ。「この1年間ご苦労さん」 一夜明けて元旦の朝、新年最初の頂は、日ノ尾峠から根子岳西峰に印す。(HA) 参加者:挾間、高瀬

平成5年(1993年)
1/1 鶴見岳 どんがめ会正月初日の出山行 
 絶好の好天での御来光でした。帰路、鎰掛(かいかけ)温泉へ。 参加者:加藤ほか

1/1親子三代で登った新春の渡神岳の巻
 かねてから父、章一郎が登頂を念願していた日田、津江の鋭峰・渡神岳へ快晴の元旦、親子三代で登る。 参加者:栗秋(和彦、寿彦、章一郎)
                (本文「湯行・山行活動報告」参照)
1/17 由布岳
 どんがめ会の新年山行。雪の由布岳へ。帰路、鎰掛(かいかけ)温泉に入る。 参加者:加藤ほか

1/23 天山スキーと北麓の湯・古湯に浸るの巻
 未だ、衰えぬ栗秋と伊藤のスキーへの情熱そしてテクニック。初めての天山スキー場を舞台に自由奔放に滑りまくる?おじさん二人の物語。(KU) 参加者:栗秋、伊藤
                (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)
1/31 祖母山J.A.C東九州支部定例山行
 五ヶ所より祖母山へ、初めてのルート。下山は風穴経由。 参加者:加藤ほか

2/13 18年ぶりの英彦山登山の巻
 早春の英彦山に息子と登る。春のいぶきが感じられる里の田園風景。中腹のセピア色に覆われた冬枯れ模様。そして山頂付近では冠雪の冬山景色を提供してくれた。めくるめく青春の一ページを回想する思い出深い山であるが、山頂付近の変わり果てた様子は予想していたものの、少なからずショックを受けた。 栗秋父息子
               (本文「湯行・山行活動報告」参照)

3/6〜7 湧蓋山〜くじゅうヒュッテ泊〜崩平山
 東京からの田中氏を迎え周藤とその子息との4名で登った。 参加者:加藤ほか3名

3/20 祖母山
 五ヶ所、国見峠より樹氷の特にきれいな時でした。山頂にての焼き肉のうまかったこと。(KA) 加藤、太田ほか9名

3/21 MTBで霊鷲山から火の山への巻
 自宅(門司)から関門海峡をくぐり抜けて、下関は壇の浦の背後にどっしりと連なる火の山(265m)、そしてその奥に控える霊鷲山(289m)へMTBで登ろうと、午後3時を過ぎて急に思い立った。火の山は海峡を挟んで、門司側の和布刈公園一帯と共に瀬戸内海国立公園に指定されている風光明媚な観光地である。そして霊鷲山は名前こそいかめしいが、たおやかな山容をみせる照葉樹林で覆われた静かな山。折りからの陽気に誘われて、関門人道トンネル界隈は観光客でいっぱい、下関・御裳(みもすそ)川出口から壇の浦遊歩道も賑やかであったが、一転して火の山々麓から霊鷲山々頂へ通じるサイクリングロードに入ると、人の気配が途絶え、緩い登り坂に対応する荒げた呼吸だけが、森の中の静寂を破った。霊鷲山頂上台地にある展望台からは主に、関門橋から東方面、周防灘への眺望が良い。「さぁ、今度は火の山だ」 一旦、火の山の南麓まで戻り、火の山々頂へ至る有料道路を上り出すも、料金所のおじさんから「兄ちゃん!、ここは自動車専用だよ」としっかりと阻まれてしまう。無視する訳にもいかず、ルートを変えモチノキ、コブシ等が群生する森の中の一般登山道をMTBを担ぎ、黙々と25分で山上台地へ。帰りは一気にくだんの有料を関門トンネルまでも達する勢いで駆け下る。往復33km+登山1.1km、2時間30分の小旅行に、今月初めての休日を余すところなく使いきった充実感が我が身を包んだ。 参加者:栗秋

3/27 天ケ瀬.顕徳坊と憩いの家の湯
 おそらく、人生半ば、“おゆぴにずむ”に目覚めて10年余の栗秋にとって入湯回数ナンバー1は天ケ瀬温泉ではなかろうか。実家に近く、たまの帰省の折りには必ずと言っていいほど朝な、夕なに通いつめている結果であろう。このいで湯の良さは別の稿に譲るとして、今回はこの山峡の湯の北側、台地状をなす山なみの一角にある顕徳坊という、この地の摩訶不思議な守護神を訪れた。 参加者:栗秋父息子、両親
               (本文「湯行・山行活動報告E」参照)

4/4 鱒淵ダムから福智山への巻
 午前中に福智山に登り、下山後ます淵ダム堰堤下の公園にて花見の宴を催すべく、計画したが、下山途中から降り出した恨み雨で楽しみ半分で帰還したという物語。 参加者:栗秋父息子
               (本文「湯行・山行活動報告」参照)

4/24 海底からのランニング登山・霊鷲山〜火の山の巻
 3月21日にほぼ同じコースをMTBで走破した際、4.3kmにわたる快適なサイクリングロードと霊鷲山々頂からの眺望に魅せられて、いつかはランニング登山でと狙っていたが、意外にも早くその機会が訪れた。 参加者:栗秋
               (本文「山岳走への挑戦」参照)

5/4〜5 祖母山
 尾平もみ志家旅館に一泊。宮原経由山頂往復。祖母山の遭難の捜索のヘリが終日うるさいぐらいに飛んでいて、山のベテランI氏は二日酔いでへばっており、捜索隊の警察より、これ以上登るなと言われた由。なお、遭難の二人は翌日ウルシワ谷で発見され無事でした。 参加者:加藤ほか7名

5/4 山菜の宝庫・玖珠の山々に遊ぶの巻
 ゴールデン・ウィークの真っ只中、趣味と実益を兼ねて玖珠の山々に分け入る。まず青野山=ヤブ漕ぎとワラビ少々、カルト山=採ってくれと言わんばかりのウドに遭遇、大岩扇山=ワラビの大群落、そして陽が傾いた頃、意気揚々と玖珠川温泉・清流荘に浸る。(KU) 参加者:高瀬、栗秋
               (本文「湯行・山行活動報告」参照)

5/8 祖母山へ
 ハヌマン創立5周年記念に三浦ほか3名を祖母山へ案内。例によって五ヶ所よりの楽々コースで新緑とアケボノツツジの出迎えでした。下山後長湯温泉にて焼き肉のうまかったこと。 参加者:加藤ほか

5/21〜22 大障子の予定が、とんだセピア色の御嶽山頂
 祖母山系大障子岳を目指して、前夜上畑公民館の軒下にテントを設営。夜半から激しい降雨となり大障子は断念し、阿蘇へ転進。久木野温泉の露天ではパリ大学在学中のフランス人学生と会話が(といってもこの学生の方が自称「日本語ペラペラ」)はずむ。その立派なモノに挾間は人種的劣等感にさいなまれつつ久木野をあとにする。帰途、清川村のオラが山・御嶽山に登り大分100山の1点を稼ぐ。信仰厚き山頂にて、岩肌にへばりついたセピア色のエロ雑誌(ただのきわどい水着姿)に、思わず二人とも興奮。久しく覚えなかったこの興奮は、やはり尊き御嶽山の御利益か?「エロチシズムとは、その露出度でおしはかるのではなく、そのシチュエーションとアクシデンタル・オフサイドにあり、その深さは当事者のイマジネーションに比例する」とか何とか、栗秋流に挾間のたまう。ただ単に二人ともかなりご無沙汰だったのよ。(TA) 参加者:高瀬、挾間

5/23 由布岳〜久住山‘連続登攀’
 昨日の登山にモノ足らず、又、あまりにの晴天にやもたてもたまらず由布へ。猪瀬戸側から由布岳東峰から西峰とお鉢を巡り、静寂さと美しさ、新緑の若々しい芽生えを堪能。時間が早かったので九重へ転進。牧ノ戸から久住山を往復。「久住山
は夕方に登るべし。山頂での静寂さは何ものにもかえがたい・・・・」(コースタイム)猪瀬戸10:00→由布岳東峰11:30→由布岳西峰11:43→猪瀬戸12:30、牧ノ戸14:50→久住山16:20→牧ノ戸17:30) 参加者:高瀬

5/23 大障子岳〜前障子岳 参加者:加藤+どんがめ会
               (本文「湯行・山行活動報告」参照)

6/5 平治岳〜大船山
 七里田より林道を経由してガラン台へ。風穴→大戸越→大船山→ガラン台へ。下山後、三船温泉にて入浴。(KA) 参加者:加藤、太田ほか東京マリン一行10名

6/15 求菩提山
 日本山岳会副会長中村先生夫妻を案内して求菩提山へ。終日雨の中の登山。資料館を興味深く見学する。 参加者:加藤ほか

7/21〜24 初夏の飯豊連峰は、残雪と新しい生命の躍動する別天地
 いつか見たTVのNHKスペシャルで強い印象を受け、さらに、この山をこよなく愛する、仕事と山の先輩・新潟県出身の内藤氏により僕の登高意欲は決定的となった。そして、その機会は意外に早く訪れた。「初夏の飯豊を一陣の風のごとく駆け抜けたい」と臨んだ縦走記。 参加者:挾間
               (本文「名山探訪第6回」参照)
8/1 万年山
 雨中を万年山へ。雨の中山頂にて一杯。そして、下山後、美人湯に。(KA) 参加者:加藤、稲葉夫妻、徳田

8/6〜8 日本山岳会東九州支部と韓国山岳会との第2回目の親睦登山会
 大分空港に出迎え九重登山後、福岡空港にて見送る。今年の悪天候を象徴するかのような雨の中、久住山を往復。夜は泉水コミュニティーセンターにて親睦会。一行35名の大部隊でした。 参加者:加藤ほか

8/15 父と二人で尾の岳とくじゅう周辺のいで湯を巡る
 今夏を象徴する、降ったり止んだりの空模様がここ2,3日続く。カッとした暑さに見舞われない日々に、過ごし易さは享受しつつも、やはり夏は暑さとのそれなりの闘いが待ち望まれるのだ。日田に帰省し、心臓に持病を持つ父にも無理せず登れる山としてお盆のさなか、尾の岳へ誘う。峠から歩いて5分の尾の岳山頂は濃いガスで視界はゼロ。おまけに風雨が強く早々と下山する。取って置きの秘湯、寺尾野温泉へ行こう。昨年の正月に矢野君と行って以来、1年8ケ月ぶりだが、環境は申し分ないものの、今回は湯浴み客多し。面構えや、言葉を聞くかぎり地元の人ばかりではなさそう。段々俗化しつつあるのか、一利用客としてとても心配。続いて、瀬の本から牧の戸峠を越して、くじゅうヒュッテへ久々に訪れる。オーナーの伊東安さんは相変わらず元気。お盆でもあり、子供さんやお孫さんたちも帰省中とあってか、頬がゆるみっぱなしのおじいさんの柔和な顔がそこにあった。御好意に甘えて、どっぷりと硫黄泉に浸る。浴室の壁には『へびが入りますので窓は網戸の方をあけて下さい』と貼り紙あり。父はちょっと驚いていたが、蛇もお湯が好きという証明だろう。
 さて次はひぜん湯へ案内する。ここはキャンプ客がチラホラと見受けられたが、あいにくの天気で帰り支度をしている模様。湯小屋の岩風呂は先客があり、代わりに沢べりの露天風呂に入る。狭いながらも、他に湯浴み客はいないので、ことのほか父はくつろいで、しきりに「いい湯だ」と満足げであった。 参加者:栗秋(和彦、父・章一郎)

8/29 一番会ファミリー登山に参加
 かつて栗秋も所属した一番会にてファミリー登山を実施した。長者原〜雨ヶ池〜坊ヶツル〜鉾立峠のコースをとって久住山登頂後、鉾立峠を下山中に、挾間の隣保班の真鍋氏ファミリーが30分間程行方不明となる遭難騒ぎがあった。お世話をしていた関係上、思わず焦ってしまったが、何事もなく、胸を撫で下ろした。峠の周辺は小沢へ迷いやすく要注意だ。帰路に立ち寄った筌ノ口温泉に真鍋氏と野中氏が感激することしきりであった。 参加者:高瀬ファミリーほか総勢15名

9/23 北九州市の名峰・皿倉山に登るの巻
 さわやかな(すこし暑いが、中秋ともなれば敢えてこの表現で痩せ我慢も必要)秋晴れのもと、奥方と二人で皿倉山(622m)へ登った。子供たちは朝この計画を事前にキャッチするや否や、潮が引くようにいずこかへ消えてしまい、結果として二人だけの山行となったのだ。帆柱ケーブル麓駅下の駐車場に車を置き、森の登山道をゆっくりとしたペースで登る。この森は初めて歩くが、実に深く太古の躍動が脈々と感じられ、日本の正しい生態系を忠実に守り抜いているなぁ、と思うのである。あえて都市に隣接する森ゆえに、自然が残されているのかも知れない。そう言えば、関門海峡沿いの山々(火の山、古城山、風師山、戸上山、足立山、小文字山等々)はおしなべて照葉樹林が繁茂する自然のままの状態が良く保たれている。とここまで書いて、ある重要な事に気がついた。つまり皿倉山を含め、これらの山々は昭和20年の終戦まで、関門海峡や小倉、八幡の重要施設を守る軍事上のシークレットエリア(要塞)で、一般市民の立ち入りはもちろん、木々の伐採は戦略上出来なかったことによるものだ。そして砲台跡や弾薬庫らしきざんごうが今でもたくさん残っていて、往時を偲ばせる。さて話を皿倉山へ戻そう。時折、車道を横断しながら、小1時間で皿倉平へ出る。ここは皿倉山頂とすぐ南に位置する権現山(617m)とのコルにあたり、車道の終点で河内ダムへ下る林道の始点でもある。まず、権現山へ登り、山頂のコンクリート造りの展望台を占拠しての昼食としばしの昼寝。そして皿倉山へは再び皿倉平へ下り、更に15分程度の歩程で、食後の腹ごなしにちょうど良い。市街を真下に、見下ろす山頂台地からは目前に展開するパラグライダーのテイク・オフの瞬間が視界いっぱいに広がり、歓声が飛び交う。下りはリフトとケーブルを乗り継ごう。疲労が見え隠れする奥方の表情を読みとったという訳ではないが、北九州の由緒正しい乗り物にも一度は乗らなくてはなるまい。 参加者:栗秋夫妻

9/25〜26 阿蘇山・高岳
 J.A.Cの九州4支部合同の会議。民宿「阿蘇の四季」泊。翌日高岳へ。合計40数名の大行列となった。高岳山頂より熊本支部馬場氏のパラグライダー飛行を眺める。下山後、帰路筋湯温泉に入湯。 参加者:加藤ほか計45名

10/9 快晴の石鎚山に遊ぶ
 挾間が石鎚山の話を始めると、少年の顔(どんなもんやねぇ、想像がつかぬ)になると言う。青春の多感な時期、松山で過ごした彼の思い入れは途中、紆余曲折しながらも常に石鎚山にたどりつくのだ。そんな彼のこだわりを、この目でしかと見届けるチャンスが齢40数年でやっと訪れた。近くて遠い山・石鎚の秋を語る。 参加者:栗秋父息子
             (本文「湯行・山行活動報告」参照)

10/9〜10 槍・穂高連峰に、かつての大分登高会の青春群像を見た!−常念山脈独り旅−
 中房温泉から燕岳、大天井岳、常念岳と、初冬と晩秋の交錯する冠雪の常念山脈の単独縦走。疲労困憊して思わず横たわった横通岳の中腹から、積雪期の北鎌から滝谷、厳冬の槍ヶ岳と南岳、南野君と古中が散った大キレット、定着合宿で雪中相撲をした涸沢、一杯の熱いスープをどれほどにか望んだ天狗のコル、と次々とかつての日の記憶がよみがえる。「これほどの強烈な印象を与えてくれた穂高よ、ありがとう」との気持ちをこめて叫んだ声が梓川に響きわたった。 参加者:挾間
             (本文「名山探訪第6回」参照)

10/24 祖母山(恒例となった東京マリンの親睦登山)
 東京マリンの初心者を案内して五ヶ所よりのらくらくコースで祖母山へ。下山は尾平から登ったM氏とキーを交換してのクロス縦走の形式を取った。この試みもおもしろい。尚、加藤の長男平治君が山頂でのごちそうのブタ汁をかついで同行し、参加者よりこのブタ汁が大好評であった。三杯汁を注文した人もいた。下山後、長湯露天にて満月の月を眺めて満足の入湯でした。(KA) 参加者:加藤、太田、松本ほか7名

10/29〜30 紅葉を求めて 大崩山に遊ぶの巻
 紅葉の大崩山を舞台に中年登山隊6名のおかしくも真剣な行動記。(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋ほか3名
          (本文「湯行・山行活動報告」参照)

11/19〜21 晩秋の大崩山に再び遊ぶ
 恒例となった九州農業試験場、宮崎総合農業試験場との合同登山会に参加。紅葉は時期はずれの感を否めず、また、あいにくの霧雨であったが、本流ゴルジュ上部のスラブのトラバースでは谷の深さに圧倒され、三里河原の何度かの徒渉では結局ほとんど全員が派手に転倒し、モチダ谷上部の大滝を見上げながらの束の間の休息、大崩山頂での喝采、最後は思いもかけないルートミスで振り出しに戻るおまけまで付いて、ヘッドランプ頼りの暗がりの帰還となったが、大崩山荘での宮崎農試設営による焼き肉、カキ殻焼きパーティの盛り上がりが、すべての苦労を忘れさせてくれた。次回はミヤマキリシマの坊ヶツルを約して散会。それにしても大分農試担当のビール、焼酎を一人で担いでの山荘までの暗がりの道のりの遠かったこと。桟道の恐かったこと。(HA) 参加者:挾間ほか多数

11/20〜21 阿蘇山・仙酔峡にて
 東京より田中を迎えて昔の阿蘇がみたいというので、宮崎と仙酔峡へテントを張るも、夜る中雨風強し。福岡からの尾登もみえず、翌日は地獄温泉へ。東京で毒された田中の嬉々として喜ぶ姿がうらやましい。(KA) 参加者:加藤、宮崎、田中

11/23 晩秋の久住高原と対照的ないで湯二点に浸るの巻
 父とくじゅう方面の山のいで湯を求めて底冷えの日田を立つ。まず黒川温泉へ案内するも、狭く入りくんだ温泉街の道路は湯浴み客の車で溢れ、駐車スペースもままならぬためパス。飛び石連休で福岡ナンバーが目立つ。瀬の本を素通りして久住高原へ入り、南登山口手前で池山水源への標識を認めて脇道へ入る。ひごたい公園なんぞを横目で見遣り、5,6分で池山水源。しかし目当てはこの先の産山村営の『花の温泉館』なり。武蔵の遊び人・矢野君から聞いていたのだが、いわゆる温泉場らしからぬモダンな建物。外壁はコンクリートの荒打ち、中は大きなワンスクェアをレストランやら売店や、お花畑(これにはちょっとびっくり)、浴室、休憩室等に仕切った斬新な造り。湯屋への入口にかかるのれんも一目見て、あかぬけたデザイン。「ははーん、思いあたる節があるぞ」 そぉっと、売店のお姉さんに聞いてみると案の定、建物から中の小物一つに至るまでデザインとコーディネイトは、東京のプロの手(電通や博報堂といったいわゆる広告代理店の仕業か?)によるものだと言う。実は、3週間余り前、大崩山からの帰途南阿蘇の久木野村営のオープンして間もない、ハイカラな温泉『四季の森』を訪ねた時も担当者が口を滑らせたっけ。確かに見栄えはするし、中途半端な都会人やミーハー族に受け入れられるように、計算された演出があると思うのだが、真のおゆぴにすとの目はごまかせないぞ! と大上段に構えるつもりはないが、やっぱり筆者は湯治場の雰囲気が味わえる木造のひなびた湯小屋がいいのだ。湯そのものは絡みつくようなしぶとさを持った単純泉で、少ししつこいかなとも思えたが、肌寒い今日の天気には湯冷めの心配もなくいつまでも、ポカポカであった。さて昼飯は高瀬、推奨の南登山口にある『星降る館』へ。真っ昼間、星降らずして冷たい雨にたたられたが、豊後牛のボリーュムたっぷりの焼肉は評判どおりの美味。さぁ大本命、雨に煙る晩秋の赤川温泉、赤川荘へ行こう。落葉を踏みしめて宿の玄関へ、いにしえの古びた小学校を連想させる薄暗く「ミシミシ」と鳴きつつの廊下を踏みしめて湯殿へ。相変わらずまろやかな、乳白色の湯に身を委ねながら、窓を全開して沢音とすっかりと葉を落とした木々の背後に迫る飛雄の滝を愛でる。しばらくして、登山客が一人湯浴みに加わったが、露天風呂の所在を筆者に尋ねると、好奇心旺盛に雨垂れの戸外へ出て行った。そしてすぐ「ヒェーッ、冷たい」と宣いつつ戻ってくる。もちろん「25℃の源泉そのままだもの、当然だわねぇ」と戻ったところで説明するのを忘れやしない。 一方、森の中の一軒宿でロケーションも『山のひなびた湯』をイメージするに充分と、いっぱしのおゆぴにすと気取りの父はいたってご満悦の様子であった。帰りは筋湯、地蔵原、宝泉寺、玖珠を経由して天ケ瀬温泉、駅前露天にもしっかりと浸り、薄暮の帰還となった。 参加者:栗秋、父・章一郎

12/12 久住山〜中岳〜天狗ヶ城
 雪の久住へ牧ノ戸よりのノーマルコース。御池より中岳、天狗と廻って下山。筋湯温泉・八丁原ヴューホテルの露天へ。冷え切った体を温める。(KA) 参加者:加藤、太田、東京マリン一行4名

平成6年(1994年)
1/1〜2 新春の九重山スノークロスカントリー
 筌ノ口温泉から雪の大船山を駆ける新春山岳走。山がハードであればあるほど、いで湯の有難味も、酒の有難味も格別なり。全行程38.6km、所要時間5時間20分、北アルプス山岳走の目的達成には道なお険し。(HA) 参加者:挾間、矢野
               (本文「山岳走への挑戦」参照)

1/23 城ヶ岳(陰陽石)
 九重へ登ろうと出かけるも雪のため急遽変更し城ヶ岳へ。下山後由布院温泉・亀の井別荘下ん湯にて雪景色を堪能する。(KA) 参加者:加藤、太田、ほか東京マリン一行

1/29〜30 クロカンと朽木の湯
 寒波来襲のなか、滋賀県と福井県の県境の村・朽木村を舞台としたクロスカントリー。 参加者:松田
               (本文「湯行・山行活動報告」参照)

1/30 冠雪の皿倉山を縦断! by MTBの巻
 寒波が癒えぬ1月最後の日曜日、会社の同僚、K氏と八幡の南に聳える皿倉山622mへMTBで登った。山頂付近ではスキーや子供連れのソリ遊びの人々、それに物見遊山のカップル等で盛況。我々もスリップしながらも何とか車道を登り終えホッと一息。下りは河内ダムへ降りる林道へ取り、雪道&ぬかるみのダートをかっ飛び、身体の前後全てに泥を被り、手と足は寒さでかじかみながらも、久し振りに楽しいツアーとなった。家から往復40km、標高差600mの手応えはなかなかのものなのだ。帰りは薄暮の中、近道を小倉の駅前経由としたところ、人々でごったがえす『そごうデパート』前のアーバンストリートをギャラリーから物珍しげにジロジロ見られながらの(泥レーサーのいで立ちを)帰還でした。 参加者:栗秋、ほか1名
               (本文「山岳走への挑戦」参照)

2/10〜12 石鎚山さらに遠く(厳冬期石鎚山再び敗退の記)
 一昨年の冬に続き面河からの再びの積雪期石鎚行であったが、豪雪の前になすすべもなく退散を余儀なくされた。「冬の石鎚に登らねばならぬ。厳冬期の天狗岳の絶頂に立たねばならぬ」・・・。これはもう、払拭しようもない、信念といおうか、内なる叫びといおうか、新たな強い衝動となって自分を駆り立てる。(HA) 参加者:挾間、矢野
                (本文「心に温めた山・念願の山」参照)

2/26 門司、矢筈山へランニング登山の巻
 門司は小森江の街外れに矢筈の恰好をしたなだらかな丘を望むことができる。いわゆる門司アルプスの起点、風師山から眼下に見下ろせるこの山は主稜から外れた小ピークゆえに未踏を許していた。 参加者:栗秋
               (本文「山岳走への挑戦」参照)
3/6 四辻峠〜雨乞岳〜烏帽子岳〜鎧ヶ岳〜日平山〜秀峰往復
 林道の工事がかなり進んでいてハイキングコースも何ヶ所か自動車道に寸断されていた。この山群のよさがなくなっていた。 参加者:加藤、ほか3名

3/13  久住山
 久住山には初めて登るという前嶋氏を案内して、終始天候はガスの中、山頂にて一瞬の視界がはれ、久住高原を垣間みた。帰路は筋湯温泉へ。 参加者:加藤、ほか2名

4/9 念願の山、宝満〜三郡を縦走の巻
 福岡の山々を巡るについて、貴重なパートナーとなった息子の寿彦と念願の宝満山から三郡山への山行が実現した。 参加者:栗秋父息子
                     (本文「心に温めた山・念願の山」参照)

4/10 鶴見岳一気登山・「いだ天コース」にチャレンジ
 海抜ゼロmから鶴見岳山頂(1374.5m)の12kmを、時につんのめり、時に這いつくばりながら駆け登る登山競争。所要タイム1時間41分。北アルプスの全山山岳走のためにはあと数カ月間、質の高いトレーニングが求められようと、決意を新たにしただけでも、出場の甲斐はあったというもの。 参加者:挾間
                     (本文「山岳走への挑戦」参照)

4/16 門司・風師山とレトロの街並
 山のいで湯愛好会の本部から北九州支部の活動状況並びに支部管轄の山といで湯視察に来るという。夕刻の到着では登れる山も限定されるので、9合目まで車で上れる門司アルプスの起点、風師山へ案内する。18時を過ぎて高曇りの天候なれば、遠くの山々までは望見できずとも、きっちりと門司アルプスの主稜をなす戸上山や足立山、それに筑豊山塊の北嶺、皿倉山までは確認ができた模様。下山後は門司港レトロ気分を味わうべく、門司港駅界隈を案内。明治から大正年間の建築物に視察団長の高瀬もうなづくことしきり。更にもう一つの観光スポット、瀬戸内海国立公園の西端にあたる和布刈(めかり)公園・古城山一帯と関門橋も案内せねば片手落ちというものだろう。仕上げは関門橋直下にある和布刈会館の薬草風呂を訪ねたが、視察班2名は「空きっ腹に長湯は禁物」と肝心の薬草風呂(蒸し風呂)にも入らず、沸かし湯だけで早々と切り上げる始末。どうもヤクザ屋さん(トレードマークの入墨がゲイジュツだった)2名を薬草風呂の入口で認めてから、急に宣ったところを見ると原因が分かったぞ。しかし入墨の本場、北九州の銭湯でこれが恐くてはどこも入れませんぞ、なのだ。(KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋

4/17 尺岳〜福智山早駆け登山の試み
 北九州視察2日目は快晴、初夏のようなさわやかな天候に恵まれ尺岳〜福智山を縦走することとした。来るべく課題である福智山から皿倉山へのランニング登山の可能性を探る意味でもこの山行は重要だ。まず、鱒淵ダム堰堤にMTBを1台置き、菅生の滝手前1kmの駐車場まで車で乗りつける。落差30m、苔むした岩壁、りっぱな滝壷、これらを囲む老木の樹林と北九州一の名瀑という。しかし大分の巨瀑(震動の滝、西椎屋の滝等)を見慣れている者にとっては、御利益は薄いと言えよう。この滝から1時間弱で稜線に上がるとすぐ尺岳平に出る。ここから尺岳へはものの3分とかからない。頂からは金剛山を挟んで八幡西区、中間市、遠賀川下流域等の西方の眺望がすばらしい。ここから福智山々頂直下のからす落としまでは、比較的平坦で立派な縦走路が続き、誰とはなくランニングになってしまう。たくさんのハイカーと出会い、また追い越して悦に入る中年登山隊を傍から見たらコッケイであろうねぇ。そして、からす落としまでの5.2kmを45分でカバーする。さすがに福智山直下の胸突き八丁の急坂は牛歩のごとく、尺岳〜福智5.8kmは1時間4分もかかってしまったが、山頂からの眺めは素晴らしい。筑豊の盟主にふさわしい山容、眺望、そして登山客の多さに酔う。下山は直接、新緑の山菜狩りで賑わう鱒淵ダムへ取り約17km、4時間半にわたる山行を終えた。おっと栗秋は鱒淵ダム堰堤に留めていたMTBを駆り、菅生の滝の駐車場まで車を取りに行くという6kmのアルバイトが意外にきつかったなぁ。(コースタイム 菅生の滝駐車場9:24→菅生の滝9:35〜43→尺岳10:45〜11:00→からす落とし11:43〜47→9合目山小屋11:52〜57→福智山12:04〜47→鱒淵ダム堰堤13:55) (KU) 参加者:挾間、高瀬、栗秋

4/28 鶴見岳
 5月22日に予定している『なかよし登山会』の下見のための縦走。(KA) 参加者:加藤、松本

5/1 シャクナゲの黒岳へ
 加藤の所属する東京海上代理店会のメンバーにも、加藤の好指導のもと、山への愛着と好奇心を持って山へ向かうメンバーが増えた。その中で、支店長の前嶋氏も空いている日を山へ向けてきた。今回は黒岳へとの希望でメンバーを募ったところ初心者の2名を含めて8名での縦走となった。 男池より風穴までは皆元気での登山であった。風穴にて穴の中の氷をかき出してビニールに入れ、持参したビールを冷やした。おかげで山頂にて冷たいビールが一行の喉をうるおした。天狗より高塚を経て、白水への下山ルートでさすがにへばった。初心者マークのK氏(通称ぼやきのK氏と言われる)は、きついアップダウンの下りについに音をあげ、一行より遅れだし、「二度とこんなきつい山登りには来ない」とぼやき始めた。そして、美しく咲いたシャクナゲにも目をみとれることなく日暮れの白水白泉荘へどうにかたどりついた。K氏曰く「山男はみんな冷たいやつじゃ」と・・・。しかしそのK氏が、次の平治岳登山にも参加したのだからわからんもんだ。帰路は湯の平温泉にて仕上げた。(KA)  参加者:加藤、太田、松本              

5/3〜4 “おゆぴにすと”6号グラビア撮影行の巻
 永い眠りから醒め、漸くおゆぴにすと6号完成に向けて本気になった挾間編集長と栗秋の先走る2名が、のんびり加藤、高瀬の両名に意識付けを迫るというのが本音のグラビア撮影行。万年山山頂付近の山小屋(標高1,030m)を占拠して夜は編集会議と称する宴会。翌未明、万年山山頂を散策し日田山岳会の元会長・故矢野真氏のレリーフに合掌。G.Wの雑踏と喧噪を離れた静かな山歩きを楽しんだのち、舞台を岳の湯に移し、6号グラビア用の写真撮影。さらに、加藤の案内で日平山(969m)の頂を踏む。静かな知られざる山の趣だが、ここには、知る人ぞ知る大分市の登山家で標柱制作を通して、ふるさとの山をいとおしみ愛で続けている安武氏による丹精込めた標柱がひっそりとあるのが印象的であった。締めくくりは新装なった筌ノ口温泉にちょっぴり戸惑いながらも、相変わらずの重炭酸土類泉の豊かな湯量にどっぷりと浸った。(KU) 参加者:加藤、挾間、高瀬、栗秋父息子
                     (本文「クリさんの山のいで湯行脚E」参照)

5/21 由布・鶴見連山・山岳走
 早朝の由布院駅をスタートし、由布岳〜猪瀬戸〜船底新道〜内山〜塚原越し〜内山渓谷〜からすの湯〜明礬温泉を経由して坊主地獄までの早駆け。90%の厳しさに、残り10%は妥協を受け入れつつ、ハードばかりでなく、静かにも潤いのある孤独な初の本格的山岳走。累積標高差1,600m、換算水平距離約31km、所要時間6時間20分、人間鍛えれば強くなれるものだ。 参加者:挾間
                     (本文「山岳走への挑戦」参照)

5/22 大分県代理店協会大分支部主催の『なかよし登山』
 鶴見岳ロープウエイを利用して山頂より鞍ヶ戸〜船底経由ロープウエイ駅に戻るという一行35名の大部隊でした。(KA) 加藤、松本ほか

5/28〜29 九重ミヤマキリシマ鑑賞登山(坊ヶツル〜平治岳〜大船山)
 恒例化してきた農水省九州農業試験場、宮崎県総合農業試験場、大分県農業技術センター合同の登山会。大分がお世話とあって夜のパーティは少しこだわってみた。すなわち、豊後牛の炭火焼き、ニラ、キャベツなど県産野菜の鉄板焼をはじめとする各種趣向に、鉄板焼セット1基、バーベキューグリル2基、肉と野菜類15kg以上、木炭10kg、氷5kg、ビール20リットル、ワイン2本等々を荷上げした。もちろん、この企画の実現には、日頃山などまったく興味を示さない若手職員を「お家の大事」とのA部長命令?により強制的に荷上げ要員に仕立て上げての参加があってのこと。貴重な週末を、しぶしぶ参加のS君とO君であったが、感性豊かな若者だけに、平治岳〜大船山の派手なミヤマキリシマと、その陰でひっそりと春を謳歌するイワカガミの群落、それに山頂の大パノラマにはきっと何かをつかみ取ってくれたに違いない。「広大な自然の美を味わうためには、先ず鍛錬による逞しい身体、次に豊かな感性、そして、ここでも科学的な見方、考え方は不可欠なんだよ、S君、O君! どうだ、これで病みつきになりそうだろう? 次はどこの山にしょうか?」との、のちの問いかけに沈黙の両君であった。 参加者:挾間ほか

5/29 八面山ダブルアタックの巻
 中津T.C(タートル・クラブ)が主催する恒例のヒルクライムレース、八面山アタックがやってきた。早いもので門司へ転勤して今年で4回目のエントリーとなる。つまり毎年申し込んでいる訳だが、その内2回は急な仕事に阻まれ(悲しきは宮仕えの身なり)、実際に出場出来たのは今年で2回目。確率5割の分だけ大分の仲間から遠ざかりつつあると思っていたが、実は年々規模が拡大し、まして結果として隔年アタッカーの身の上としては大勢の人達に、単に人見知りしていたことに因るのだと分かってきた。今年で8回を数えるこの大会も豊田氏をはじめ、中津のメンバーの献身的なサポートがあって成り立っているのだし、この面々と会い、安堵感を持つのも確かで毎年この大会を楽しみにしている。 
 しかしタフなこのコースのみを論ずれば、殆どBIKEトレーニングなしではごまかしもきかず、それなりにつらいものがあるのだ。そして年々億劫さが増してきているのも事実だが、終わった後の表彰式や小宴会の魅力は断ちがたく、息子と一緒に出ることもささやかな楽しみとして、毎年エントリーを果たしてきた。そして今年はもう一つ付加価値をつけることにして、勝手に『八面山ダブルアタック』と銘打ちこの大会にのぞんだのだ。つまりは八面山の北のピーク、箭山(ややま、550m)のゴールを果たした後、今度は登山でこの山の最高点である、『しょうけの鼻(659m)』を踏もうというもの(そぅたいしたことではないのだが)。これで名実共に、八面山の頂を踏んだことになり、心残りであった大分100山の一つを初めて稼いだことになるのだ。そして当日、レースの方は8.7kmを39分22秒も要し、ほうほうの体で辿りついた。結果は109人中76位、かろうじてレディースのトップには勝ったもののしんどかったぞ、ヤレヤレである。
 さぁ、急きょ孫の応援に駆けつけた父・章一郎とランニングの部で駆け上がって来た永田をゴール地点で待ち、三人(息子の寿彦は同じコースに出場した同世代の永田の長男・周君たちと下界に潜伏し怪しげな遊びに熱中していた模様)で、メーサの南東端・しょうけの鼻を目指す。途中の無線塔までは立派な舗装道を父の車で稼ぎ、東西に延びる南壁沿いのアップダウンを繰り返す頂稜を東へ進む。立派な登山道の傍らには、今が旬の木イチゴの群落が我々を出迎えてくれる。口に含むと甘酸っぱい香りが広がり、何とも言えない芳醇な初夏の味覚を楽しむこととなるが、圧倒的物量を誇る大群落に身を投じるととても山頂はおぼつかないと、貪る永田をせきたてて進むと、ものの7〜8分で山頂の『しょうけの鼻』に着く。思ったよりあっけないアプローチではあったが、まずは初めての頂だもの、しっかりと周りの景色を記憶に留どめておこう。東方に開けた眺望の目玉は、くっきりと意外にも大きくどっしりとたたずむ由布・鶴見連山だろう。そしてぐっと手前に鹿嵐(かならせ)山の特徴ある円錐峰が見てとれる。更に安心院・院内の名も知らぬ山々もそれなりに鈍頂を突き上げて、しっかりと見てくれと言わんばかり。レースゴールの箭山から見る見慣れた中津平野の眺めとは大きく異なり、頂に来た実感をかみしめつつ、頂稜を引き返す。途中、南壁に突き出た露岩(第二観望)からの眺めは、真っさかさまに切れ込んだ深淵の谷底に目を奪われ、典型的中年日本人として安定性を誇る重心を持ち、かつ何事にも好奇心旺盛な永田をして、「近寄り難い天狗の聖域」と言わしめる、ぞくぞくするような眺めであった。知る人ぞ知る150〜200mにおよぶ垂直の八面山南壁の威容を裏付けるに充分な発言であったが、人はこれを単純に『高所恐怖症』だと片付けるやもしれぬが......。
 ともあれ下山後の楽しみである、表彰式に名を借りた小宴会にも間に合うようにと先を急ぐ。どうも、レース結果だけは思惑通りにはいかないものの、欲張った計画はほぼ計算通りに推移し、満ち足りた気持で下山の途についた。 参加者:栗秋、父・章一郎、永田(会友)

6/3 再びの九重ミヤマキリシマ鑑賞登山
 先週の咲き具合から考えてミヤマキリシマの見頃はこの週末辺り。このところ、パートの仕事等でストレスも溜まり気味の妻に、ミヤマキリシマの大群落とイワカガミを見せたくて、久しく山に連れていってない愛犬ペロを伴っての山行。週末の予想される喧噪を避けるべく、わざわざ平日を選んだ。大船林道から坊ヶツルまで小鳥のさえずりを聞きながらのんびり散策し、大戸越えには午後1時前に到着。天気も上々で平治岳山頂付近は予想通りピンクのジュウタンに覆われ、今が最高潮といったおもむき。平日とはいえ中高年を中心とした登山者で賑わう大戸越えで、日除けのため低潅木の下に場所を確保し、持参のビールで乾杯。愛犬ペロには好物のチーズと氷でしっかり冷やした牛乳、それに登山者からの焼き肉のおまけまでついて大喜び。時間切れで山頂は踏めなかったが、暮雨の滝経由でゆっくり下山。 参加者:挾間夫妻、娘・ペロ

6/8 坊ヶツル往復
 加藤Familyの『いとこ寄り』が毎年1回行われているが、今年はミヤマキリシマの九重へとの希望で思いたった坊ヶツルの散策である。あいにくの小雨で法華院も満員ということで『あせび小屋』にて昼食とあいなった。小屋にはしんつくしの寺岡会長が滞在中であいさつ。平成3年の19号台風のとき小屋の屋根が飛んで屋根裏に張り付けてあったという一枚の板がかざってあった(写真参照)。記念の貴重なる書き残された板となった。なお、手に持っているのは加藤の母美紀子さん(83歳)である。大船林道より歩いて元気の良いところを親族一同に披露したこととなった。一行の中には7歳の時、53年前に加藤のおじさんに連れられてこのあせび小屋に来たという懐かしい記憶をたどる忠さんもいた。帰路、地蔵原ペンションにて入浴、そして夕食と、楽しい一日となった。(KA) 参加者:加藤ファミリー

6/12 三俣山一周
 ミヤマキリシマを求めての平治岳も雨。取りあえず長者原に着いてみるがかなりの連中が雨ごしらえで出発している。ここで引き返す手はないと、雨ヶ池コースで出発。下りてくる連中ときたらみな泥んこの足である。案の定小雨は止まず雨ヶ池を過ぎる頃より、道はまったくの田植えの様子を呈してきた。平治岳はあきらめて法華院にて昼食の後、すがもり小屋経由〜長者原と、三俣山を一周して筌ノ口温泉で汚れた足をきれいにして帰路についた。(KA) 参加者:加藤、太田、塩月、ほか5名

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