主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・1987.6 〜 1988.5

8.1〜2  県南、蒲江・仙崎山ランニング登山

 大分CTCの夏季合宿で蒲江、高山海岸の旅館「一万」、に泊まりSWIM1.5k(元猿海岸)BIKE55k(高山海岸〜波当津・陣の峰峠{350m}折り返し)、そしてRUN8k(高山海岸・仙崎山々頂{412m})をこなしたお話。トライアスロン疲れより飲み疲れの印象大。大分CTC会報9号に詳しい

 参加者  挾間、栗秋、他16名

9.5〜6  柴田夫妻・大分100山完登記念によせて・宇目の山旅

 大分100山全山完登といえばちょっと大分の山に明るい御仁ならその偉業が察せられよう。くじう、祖母・傾、由布・鶴見といった、いわゆるガイドブックに登場する山々なら「俺も登った」と言える人も多かろうが、100山ともなれば交通不便、登路はなくヤブこぎは当然といつた山も含まれ難行苦行の積み重ねであろう。勿論、まだ達成した人はいないが、この全山完登まであと2峰を残すのみとなつた人がいるという。しかも地元大分ではなく福岡のご婦人というから我が会友、柴田ツネ子さんをおいて他にいる筈がなかろう。昭和25年の由布岳を皮切りに37年間、ようやく100山目を県南宇目町の天神原山で迎える段取りとなり、同じ目的を持つ我が会としては、これに同行して祝福をあげずにいられようか、ということでこの記念山行となった。

 スケジュールは5日夜、宇目町木浦鉱山にある民宿『梅路園』で歓迎&祝賀の宴を行い、翌6日100山目の天神原山(995m)に登るというもの。木浦鉱山は加藤を除いて初めての地。小さな集落かと想像していたが、郵便局やら小中学校もあり、戸数30〜40戸はありそうな大きな集落。祝宴は型どおり加藤の『乾杯』から始まり、『おゆぴにすと』栄誉賞及び記念品の贈呈、記念のチーズケーキにナイフの入刀(なんのこっちゃ?)、プレスによるインタビュー(アドバンス大分&大分合同新聞)、更に宿のおかみからのプレゼントありで大いに盛り上がり、12時の就寝がとても早く感じられた。翌6日、曇り空。宿を8時30分に車で出発。林道を登山口まで高度を稼ぎ(約15分のドライブ)ブナ、ヒメシャラなどの天然林の尾根道を歩き(約45分)9時40分、天神原山到着。頂は雑木におおわれて眺望もきかず狭い。4等三角点があり、これを囲んで今西流のバンザイで100山目の登頂を祝う。下山後は杉ケ越へまわり、新百姓山にも登る。

  参加者 加藤、挾間、高瀬、栗秋、太田、中島、柴田夫妻、三浦&小野(アドバンス大分)

10.10  日田・月出山岳、故里の山

 日田の東方にたたずむ秀麗な山、月出山岳に登る機会がふとしたキッカケで訪れた。西日本新聞に連載の『やまなみ散策・日田の山々』に月出山岳が載り、これを見た栗秋の父上が突然、宣ったのである。「登ろう」と。若い頃から東方にたたずむこの山を見続けてきた父上にはそれなりの意義があろうし、栗秋には100山という思惑があり、まして日田の未踏の山である、話しはすぐにまとまった。      

 日田から玖珠・北山田へ抜ける旧道を高塚で分かれ、急坂を登りつめたところが10数戸の月出山集落。高原状の台地のため日田盆地の遠望が楽しめる。ここで地元の老人に朝見(月出山岳東ろくの集落。登山口)への道を尋ねると、ここから真っすぐ登ったほうが早いという。それならと急坂の林道をつめる。舗装がきれた所で車を降り、歩き始める。20分程で目の前にどっしりとした円錐状の山容が現れるも、この山が月出山岳なのかどうか自信がない。右手に大きなテレビ塔がどっかり座った小さなピークが見え始めたところで、一本立て(実はこの地点から左手のクヌギ林の斜面を登りきったところが山頂だったのだが)、更に林道を東進すると、ゆるやかなスロープの牧場に出る。ちょうど牧草の植え付け作業をしている青年がいたので、尋ねるとやはり先程の円錐状のピークとのこと。完全に西から東へピークを回り込んでしまったようだ。北面からの方が草原状で、登り易しそうなので回り込んで北斜面の草原(ススキとカヤの大群落)をつめる。父上のピッチに合わせながら見る周囲の山々...英彦山、鹿嵐山群、大岩山、万年山、遠くにくじうの峰々が素晴らしい。頂付近は東西にわたり鉄条網が張り巡らされ南側はクヌギ林となっている。どうやら東端の頂稜に出た模様。稜線沿いに100m程、西進すると赤と白の二色旗が4m程のポールにくくり付けられ、朽ちかけた標柱には○等三角点(識別不可)、国土地理院と書かれている。ここが山頂であろう。カヤとクヌギ林で期待していたほどの眺望はなかったが、まずは『日田の秀峰』を踏んで父上共々満悦しごく。帰路は一旦、東の頂稜へ引き返しにクヌギ林をまっすぐ南下。10分程で林道へ出る。そこは心地よい秋風の通り道であった。

  参加者  栗秋&栗秋章一郎(会友)

10.17〜18 九重・紅葉の山旅

 17日未明まで台風19号の影響で大荒れの天気。ところか台風一過とはよく言ったもので、朝からはぬけんばかりの快晴に恵まれ、紅葉観賞にはもってこいの日和となった。大分から同行するは昨冬、伽藍岳〜雛戸山行軍(おゆぴにすと第4号クロニクル参照)で奮闘した伊東氏。福岡からの9人を加えて、夜の大宴会は必至か? コースは長者原から硫黄山、もちろん硫黄の湯にはどっぷりつかり、スガモリ越へ。ここから三俣山には往復し、お鉢(旧火口)の鮮やかな紅葉をしっかり覚え込み坊ケツルへ。法華院温泉・あせび小屋が今宵のねぐらなり。星を仰ぎながらの露天は最高。

 翌18日、雲ひとつ無く又々快晴。大船山登山が今日のメイン。紅葉前線は1600〜1700mライン以上、段原付近から急にまわりが色鮮やかに。山頂直下、御池畔の紅葉は登ってきた者しかわからない、そして問われれば筆舌つくしがたし。華麗でかつ、静かな山の味わいを満喫する。下山は雨ケ池経由で長者原へ、ヘルスセンターのいで湯に浸って雑踏を体で感じた。

  参加者  栗秋、伊東(会友)、他9名

10.24〜25  九重・親と子の紅葉観賞登山

 九重少年自然の家主催の『親と子シリーズ』第2弾は久住山紅葉観賞登山。秋雨がやっとあがりかけた16時、自然の家着。春と同様、夕刻のプラネタリウムに始まり(秋から冬にかけての星座のお話が中心)、焼板工作はポストカード入れを一家族共同で作製、例の”泉水温泉”でしっかり暖まり、22時きっかりには就寝?(決してアーリー・タイムズやらオールドなんかは知らない!)

 25日高曇り、風はなくまずまずの登山日和。車で牧ノ戸峠まで行き、9時行動開始。今回は春の教訓を得て、息子の『反乱』に備えようと、栗秋家はベビーキャリアを持参してきた(この作戦はズバリ的中)。牧ノ戸峠から沓掛山に至る北斜面の紅葉が見ごろだが、曇り空をバックにしてか鮮やかさはない。おだてたり、なだめすかし、はたまたベビーキャリアを友として11時20分久住山到着。足元に広がる雲海の向こうに阿蘇〜祖母・傾の山並みがクッキリと浮かびなかなかのもの。晴れた日ばかりが登山日和ではないわいと、あらためて思い知らされた山旅であった。そして自然の家帰着後は敷地内の一角に記念の植樹(主催者側の企画で)を行い解散。例により帰路は当然、うけの口温泉の共同湯に身を委ねる。

 参加者 加藤父&娘、太田、栗秋ファミリー&瀬口(母上の父)

11.15 第5回臼杵石仏マラソン出場&鎮南山登山

 2年ぶりの臼杵石仏マラソン(10k)に向けて、秘そかなる思惑がそれぞれの胸にあった。伊藤は一昨年、30才台最下位(52分15秒)の屈辱を笑みに隠してゴールしたが、今年はちょっと違うぞ。どうも早朝、上野・墓地公園の周回ジョギングを連日?敢行し瞳に自信をのぞかせてきた。

 一方、栗秋はジョガーからランナーになる証をこの大会で出すこと(10k40分の壁を破ること!)、この一点にこだわりこのレースに臨んできたのだ。そして今回は不気味な力を秘めた中年アスリートの岡&永田(CTC仲間)も同行する。コンパクトなピッチ走法の岡と、ドタバタ走の永田、共にしつこい走りには定評があり彼らの存在は侮れない。予測では岡、永田、栗秋の三つ巴の混戦から誰が抜け出すか、ドングリレベル?の戦いになりそうである。祇園洲のなかよし子供公園がスタート&ゴール地点。八坂神社に近いせいもあり、七・五・三の親子連れに見守られながら午前11時、上浦小学校前折り返しの10kに177人の出走でスタート。栗秋の作戦はズバリ、先行逃げ切り。(というよりも序盤先行、後半未知と言った方が正しい)商店街を抜けるあたりまでは20〜30番手につき2kはちょうど7分で通過。あとはズルズル、5kの折り返しは18分24秒。折り返してすぐ永田に(以外に差がない!)1分程で岡とすれちがう。そして伊藤君?分からずじまい。復路は長い、確実に抜かれてやっとの思いでゴールは38分06秒。すぐ後に迫っていた永田、38分16秒(フーフー危なかった!)そして岡、余裕をもって42分54秒。しばらく談笑するうちに伊藤も帰ってきた。47分10秒!すごいぞ、前回を5分以上縮めてのゴール。「練習の成果は必ず表れるのだ。伊藤君」...が又も30才台最下位とは!「もっと遅い人も来てよ」とは伊藤の本音。昼食は例によって臼杵城址公園で。缶ビールでおなかを満たし、次なる目的、臼杵の盟主・鎮南山(536m)はホットなロードレースとは対照的、晩秋の静かな山歩き。山頂から見た津久見の町並みと石灰岩の取り合わせ、山腹の古寺の鐘の音....心地よい疲労が今日のすべてだ。  参加者 伊藤ファミリー、栗秋、岡&永田(会友)

’88(S63年) 1.22〜26 伯耆大山スキー合宿の巻

 大分県でアルペンスキーの実力、1.2を争う?伊藤、栗秋が参加した大山スキー合宿のお話。会社内のクラブ(互助会)が主催するツアーに飛び付いてのスキー行となった。ということはかなりの資金援助は明らか。車中2泊、宿2泊、往復の旅費、宿泊費と食事込みで個人負担が3000円也に伊藤はつられた模様だが、他の参加者も動機に変わりはなかろう。23,24日の2日間は2人揃って、国際スキー場のリーゼント、チャンピオン、パラダイスの各コースを中心に滑りまくり25日のクラブ主催の大回転競技に臨む。

 今年の大山は暖冬の影響か、この時期にしては珍しく20〜30aの積雪しかなく狭い滑走エリアにひしめく様。大回転とは名ばかりで上の原スキー場の下部、緩斜面の200m程が会場となった。2人共、Bクラス(SAJ2級程度)にエントリーし秘そかに優勝を狙ったが、ワックス処理を誤って?栗秋が5位、気分が先行した伊藤は途中のミスが尾をひき8位に終わった(19人出場)。しかしそこは『おゆぴにすと』、アフタースキーでは本領発揮し、他の追随を許さなかったのだ。 

参加者 栗秋、伊藤、他

2.13〜14 好感度100% 国東の山といで湯合宿の巻

 3年前、赤根の湯から残照に映える千灯岳(606m)を仰ぎ見て以来、尖塔をイメージさせる山容にすっかり魅せられ、登高意欲はますますつのるばかりである。背後にたたずむ最高峰、両子山の鈍頂と対象的だからこそ鋭鋒の価値は高まる。挾間の言によれば他の国東の山々と同じく登路は自由、つまりルートはなくヤブこぎを意味する。冬枯れのこの時期がまさに登山シーズンなのである。宇佐は風土記の丘にてクロスカントリーエクササイズをこなし、いざ国東へ。千灯岳、不動山、赤根の湯を巡るタイトでアグレッシブな山湯行。本文参照。

 参加者 挾間、栗秋

3.6 奥別府クロスカントリー&カラスの湯

 観海寺を起点に乙原の滝〜志高湖〜神楽女湖〜小鹿山々頂〜志高湖〜鳥居〜観海寺と20kのクロスカントリーランを楽しむ。帰途、『おゆぴにすと』誌のグラビアを飾るいで湯撮影会を明ばんの西、鍋山の奥深いカラスの湯で行う。詳細は大分CTC会報14号参照。

 参加者 挾間、栗秋、岡(会友)他2名

3.19〜20 第2回別府〜菊地120K駅伝

 大分CTC会報14号参照。

 参加者 挾間、栗秋、岡&永田(会友)他大勢

4.10  第5回由布岳早登り大会

 由布岳早登り大会が何と13年ぶりに復活した。過去、チャレンジ精神を沸かせ(まだクロスカントリーという言葉すらなかった時代)アルピニストを目指し、高揚した気持ちをぶっつける対象の一つが由布岳早登り大会であったのだが今回、山のいで湯愛好会と大分CTCの共催により、山登りの楽しさと心肺機能のレベルアップをもくろんでトライアスリートの企画、参加する大会となったのだからこれも時代の流れと言わざるをえないのでしょう。

          

 大会の構成はレースディレクターの挾間が企画、立案、運営と一手に引き受け、自ら山頂でのチェックマンも兼ねた。また加藤は式典及び審判長を、荒金は合野越での誘導、チェックの任にあたり挾間・高瀬・野上ファミリーが全体を補佐するという役回り。一方、選手として高瀬、栗秋は他の9名と共に(総勢11名、ちょっと淋しいナァ)小春日和のなか午前10時30分、東登山口をスタート。森林帯の入口では集団が完全にバラけ、栗秋はオジさんグループ(工藤、岡、野上)を引っ張ってのんびりムードのレース。最後尾をゆっくりスタートした高瀬も久し振りの山登りが早登りとあって表情はきつそうだが、昔とったキネヅカ(今でも現役?)で序々に順位を上げ、2日まえの寒波で残雪を踏みしめながら55分で山頂をクリヤー。下りはゴール直前まで2人揃って駆け抜け、栗秋は1時間21分02秒 5位、高瀬1時間21分19秒 6位で東登山口にたどり着く。

          

 第4回大会(s50年)に出したあの往年の記録はどこにいったのだ!(高瀬2位 1時間06分15秒、栗秋3位 1時間06分32秒)と山頂からチェックマンの役目を終え下山してきた挾間ディレクターがつぶやくのを予想していた高瀬は返答を既に用意していた。「1位の広瀬が1時間10分やし全体のレベルにあわせたからね。力は50%温存よ!」過去の栄光に浸るにはまだ若すぎるのです。....ともかく全員無事完走を果たしそれぞれの表情には満足感&安堵感、そして一部には懲り懲り感が溢れていた模様。帰途はCTC仲間も含めて別府・堀田温泉(東温泉共同湯)で汗を流し、広大な荒金宅の庭園にて円陣の宴を催した。

 尚、加藤、栗秋等は堀田温泉のみではもの足りず、岡に連れられホテル白菊(別府温泉)の露天にも侵入。ちょっぴりリッチな仕上げとなった。

 参加者 加藤、挾間・高瀬ファミリー、栗秋父・息子、荒金、他十数名

5.5  第2回仏の里バイアスロンIN国東

     ──若葉光る国東路180.5K青春ドラマ── 

 「レースでもなければとても自転車160k、RUN20.5kなんて走るのはシンドイなぁ」とトレーニング不足を理由に消極的参加論の高瀬。「俺がいなけりゃ運営面で支障をきたすのでは」とボランティアをかってでた献身的かつレース逃避的性格が強くなった挾間、そしてお祭り的運動会大好き人間栗秋の登場。つまり出場2名、ボランティア1名のおゆぴにすとチーム青春ドラマである。

 3.4日の大雨もすっかり上がり快晴の五月晴れ。BIKE(センチュリーラン)160Kの参加者は約380名と過去最高の出場者数となったが、バイアスロン参加者はこの中の約40名、つまり1割しかセンチュリーランゴール後RUNを楽しむ?者がいない!まだまだマイナーかつ好き者は少ないのです。8時36分、まずBIKE160Kの仏の里周遊コースへとスタート。大会のキャッチフレーズである『遅いあなたが主役です』とは反して、レース的色彩を強めていくのが若干気掛かりとトップ集団にピッタリつけて(あまりペースをあげないでくれ!)思うのだが、これもつかの間。オレンジロード(上り坂)に入るとすぐ実力の差が出てきて、あとはズルズル....いつものパターンとなりマイペースに切り替える。それでも豊後高田付近(75K)まではかなり上位とほくそ笑む。が以降はエネルギー切れがアリアリ、エンエンと、かつスッテンコロリン(黒津崎付近で併走していた広瀬と一緒に転倒、イタタ..)とゴールまで続き、5時間22分18秒 バイアスロンの部9位で自転車を降りる。更に住吉浜R.P内を周回するRUNでは4人を抜き(2人に抜かれ)総合7位、7時間13分47秒で栗秋フィニッシュ。昨年の自己記録を約10分、大会記録を約6分縮めてのゴールだからヨシとしよう。一方、高瀬は秘そかに社長同士の勝負にこだわった。(社長は激務ゆえ精神的トレーニングの成果にこだわる気持ちはわかるが....。)もちろん相手は工藤弘太郎・住吉浜R.Pの社長である。

 老体にムチ打ってBIKEでは6時間33分10秒、32位と工藤を約2分おさえてRUNにのぞむも、地の利と強制的応援を課せられた社員の声援をうけた工藤は高瀬の敵ではなかった。(ローレベルの葛藤もあったのだ) 結局、高瀬は後塵を浴びて9時間13分49秒、総合35位で幕。「株式会社の社長は暇(トレーニング)がとれるのだよ。高瀬君!」と挾間の弁。その挾間もボランティアをかってでたものの、未だ血は騒ぐとみえゼッケンなしでコース途中の安岐分岐まで40K程度、高瀬らとレースを楽しんだ後、厳正、公平かつマルサ風?のボランティアに戻った。杵築温泉(住吉浜R.Pオレンジホール)入湯。

 参加者 挾間、高瀬、栗秋、その他大勢

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