主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・1986.9 〜 1987.6

9.28 阿蘇三岳ランニング登山&裏阿蘇のいで湯は気分爽快の巻

 お出掛け大好き、高瀬ファミリーのホリデープランに栗秋がくっつき、一緒に大阿蘇の自然と恵を興じた大スペクタル活劇のお話。

大分発AM6:20 阿蘇・仙酔峡には8:25着、まだ朝は早い。清冷の山の空気に子供達はおおはしゃぎ。目の前に広がる荒々しい山肌に大いに興味をそそられた様子。だがこの大自然を満喫するのは父親たちと分かったときのKANA嬢の瞳からは輝きは消えていた。「そうなんだ。まだ君達にはこの山は無理だ!」と言い残し8:34仙酔峡を出発。ランニング登山で高岳を目指し、更に中岳経由で草千里まで走りまくり一旦高瀬妻子チームと合流し、再び鳥帽子岳をきわめたあと垂玉温泉の露天めがけてまっしぐらに駆け下るという総延長15K延べ高度差2500Mにおよぶ遠大なる(と2人は信じてうたがわない)計画。

 まずは仙酔尾根の登り、ランニング登山とは名ばかり。ちょっと走っては速足に切り替え、また走ってはの繰り返し。結局50分を要し高岳頂稜へ抜け出る。頂きには9:30到着、東方に見下ろす根子岳の鋭鋒がすばらしい。つかの間の眺望を楽しみサァ,ランニング開始。中岳経由で砂千里まで一気に高度を下げ、山頂駅からは車道を草千里まで観光客の熱い眼差しを浴びて(と高瀬ならそう思う)10:37草千里着、ファミリーとしばしの邂逅。目前の鳥帽子岳へは11:05発、目算では30〜40分はかかるだろうと2人の一致した意見だったが以外にも約20分で到達。高山?では距離が圧縮して見えるのだ。阿蘇五岳の中で唯一残された(未踏)ピークであったので感慨無量。(栗秋) 後は垂玉温泉まで駆け下るのみ、谷を越え草原を駆け杉林を落下し垂玉着は12:28。やっとゆっくり高瀬ファミリーと混浴を楽しむことができるぞ。(確か洋子ママとは別だった!)更に栃木温泉・小山旅館の内風呂で湯っくりくつろぐ。大分着18:30なり。

 参加者  高瀬ファミリー、栗秋

10.19 別府湾・仏の里トライアスロン練習会

 別府の岡氏らが中心となり旗揚げした大分クレージー・トライアスロンクラブの発会記念と銘打った練習会が杵築・住吉浜R.Pを中心に開催され『おゆぴにすと』チームは選手3人、ボランティア2人を送り込み、練習会の盛り上がりに寄与(腐心?)した 前日からのパーティーも含めて遠くは大阪、九州一円から63人のアスリートが集まり波静かな住吉浜R.Pゴールデンビーチを午前10時、SWIM・1.5Kからスタート。水温は19度と主催者からの発表で一同「ウェー!」、3人にとってもこんな水温で1.5Kも泳ぐのは初めての経験....「しかし、我々には”寒の地獄”30分の実績がある!」とは高瀬の弁。この水温にたまりかねたのか、SWIM終了時点ですでに15名がリタイアした模様。次のBIKE・40K(実際には43Kあった)も住吉浜をスタートして、若宮入口からオレンジロードを油留木交差点までを往復する、これ又ハードコース。

 そしてRUN=10Kは海岸線沿いに北上し狩宿折り返し。BIKE&RUNには絶好の日和なれどゴールする瞬間は皆、息絶え絶え。この快感がたまらぬという人も..結果は栗秋、2時間56分13秒(12位)挾間、3時間00分52秒(16位)高瀬、3時間26分27秒(34位)完走者46人。熱烈というか呆れ果てた表情の応援者、加藤と荒金を含めた大運動会でした。杵築温泉(住吉浜R.P・オレンジホール)にもしっかり入湯。

   参加者  加藤、荒金、挾間、高瀬、栗秋

11.23〜24  晩秋のくじゅう散策!

 頂きを踏むのではなく、秋冷をくじゅうで探し、物思いに耽る山旅を! 又、娘(JUNも参加)にもこの思い、この風情を理解させたくて(難しいだろうなぁ)大船林道経由で坊ケつるへ。目指すは法華院温泉・馬酔木小屋。雲低く漂い、峰々を残照に浮き上がらせる様は露天風呂に身をまかせてより一層味わい深し。

 翌24日、人恋しくなり早々と小屋を引き上げる。しかしすぐには下山しないのも『おゆぴにすと』の性。くじうヒュッテに立ち寄り、昼食の御馳走にあずかる。山の幸豊富なメニューを誌上で再現しょう。山イモと大根おろしのミックス、ミツバチの幼虫、キノコ漬け、ナバのミソ汁、ワラビのおひたし、それにご飯はドンブリ3杯。もちろんいで湯(牧の戸温泉)にもどっぷり浸る。伊東さん!毎度お騒がせします。

  参加者  加藤、栗秋父&娘

11.30  日出生台にそびえる秀峰、福万山(1236m)登山

 かねてよりの思いがやっと実現。由布院の北西に由布岳と対峙して横たわる福万山、いつも見つづけふもとを通るR210は我が庭とも同じ、いで湯探訪のメインルートなのに今まで登る機会がなかったのだから不思議。派手さはないが、たおやかな峰が何故か胸をときめかす。登路は由布高原ゴルフ場の西端から明瞭な踏み跡あり。約30分で稜線にでる。霧氷きらめくススキ原の散策は冬間近を思い起こさせる。途中の登山路わきには陸軍所轄地と書かれた古ぼけた石柱あり、戦前は立ち入り禁止だったのか?

 そしてほどなく山頂。登山口から約40分の歩程、山容に反して意外に狭い。独立峰でもあり、眺めはすばらしい。欲をいえば、晴れわたっていれば眼前に天を突く由布岳の双峰がすばらしいと思うよ。きっと 下山後は天ケ瀬温泉まで足をのばし、共同湯2ケ所(駅前&天竜荘前)に浸ったことも記しておこう。

参加者  挾間、高瀬、栗秋

’87(S62年)1.25 冬枯れの低山彷徨、国東・西叡山〜華ケ岳縦走

 挾間から国東の山に誘いがかかる。西叡山から華ケ岳へのプランに心踊る。国東の山は案内人なしではとても行動を起こせない栗秋にとってはまさにチャンス。挾間の職場の上司であり、植物あるいは昆虫学に造詣の深い中島氏も同行するという。宇佐・橋津の挾間宅から西叡山・高山寺までのアプローチは、恵子ママに車で送ってもらいかなり得をした。

 標高470m、寒風吹きすさび、人里離れたこの地には我々以外誰もいない。寺の扉も閉ざされたまま、境内すべて冬ごもりにはいっている様。10時2分行動開始。雑木林の中の踏み跡を15分で西叡山々頂(571m)。丁度、2年前暮色のこの頂きから、華ケ岳のシルエットを見て「いつかは縦走を」と胸に刻んだことが思い出される。ヤブ山そして低山ゆえ、巡り来る機会を逃してはならない。10時20分、山頂を後に杉、松、雑木と混然としたゆるやかな尾根を華ケ岳とのコルを目指してゆっくり下る。30分程で森の闇が突然消え小さな溜め池にでる、最低コル(350m)である。中島氏は道中、いろんな虫を追い求め採集しては鋭く観察する。木葉、倒木、樹皮の中等、虫のすみかは多岐にわたる。それぞれを適確に捜し出しては、難解な虫名をのたまい分類する。まさに歩く『昆虫図鑑』、我々2人にとっては畏敬のまなざしで見るより他に手だてはない。

 さて華ケ岳への登りは、雑木の伐採された尾根をつめるが勿論、踏み跡はなく文字どおりイバラの道となる。ここでも中島氏は自ら携帯してきた『なた』と『鎌』を両手で操り、先陣を切り開いていきこれに助けられながら11時44分、小雪舞う華ケ岳の頂(593m)に到達。鬱蒼とした木立(松と桧)に囲まれ、展望はまったくきかないが、頂きの中央に『明治23年・六社羅』と彫られた小さな石碑があり。先人たちの業が忍ばれる。昼食後12時8分、南面の急斜面を下降路に選びなかば滑りながら下界を目指す。ただひたすら下降を続けて40分、突然林道に出くわす。これで向野集落へ抜けられそうだ。そしてこの林道に降り立った途端、ボタン雪にかわりみる間に積もって一面の銀世界となる。冬の山里の風情はこうでなくっちゃ。更に松尾集落あたりでは日が差しはじめ、溶けた雪に道端のアザミが濡れ身震いをしていた!下山後、挾間宅に戻り新年会&編集会議をやったのは言うまでもなかろう。

   参加者  挾間、中島、栗秋

2.15  大津・白川ラインマラソン30k 粘走!

 『おゆぴにすと』三銃士、マラソン挑戦第4弾は肥後大津を中心に瀬田、津久礼を巡る30kの大津・白川ラインマラソン。勿論3人とも30kは練習、本番を通じて初めての距離である。今回は我々以外にもCTCの仲間を含めて総勢8名の賑やかなレースとなった。が、これもスタートまで。362人の最後部から3人揃ってゆっくりの旅立ちとなったが、栗秋は3K地点で我慢しきれず抜け出て、20Kまではキロ4分20〜30秒のぺースを守り、30Kなんて軽い軽いと思った途端、急に神のお告げか呪縛(体)の身となり、残る10K=∞の思いでゴール。(2時間22分21秒 198位)後で「それがグリコーゲンの枯渇症候さ」と福元氏(CTC仲間)から知らされる。

          
              ガラスの膝がまたまた謀反を起こした挾間(中央)

 一方、高瀬は『1粒で300m』のグリコを友にキロ5分のイーブンペースを守り抜き、トレーニング パー フォーマンス(練習量の割りには力強い走り)の高い走りを披露。(2時間32分43秒 255位は立派)更にトレーニング パー トラブル(練習量の割りには故障が多い)の高い挾間はデータどおり20k過ぎから、膝がおかしくなり25k地点では溝口かあさん(CTC仲間)からも「どないしたん?はよ いこ!」と軽くかわされ3時間5分40秒 336位の結果。パトカーから追い立てられてもこの粘り強い走りを見よ!とはゴール後の弁。帰路は溝口かあさんも含め、阿蘇・垂玉温泉の露天に浸り、しっかりと膝をうたせたが「結果は膝に聞いちょくれ」と半ばヤケ気味の者が約1名いた。   

参加者  挾間、高瀬、栗秋、他5名

3.21〜22 別府・菊地120Kセンチュリー駅伝に又々、三銃士登場!

 22日午前0時丁度、別府観海寺、杉の井ホテル駐車場をスタートし、熊本・菊地市城山公園をゴールとする九州内のトライアスロンクラブ対抗駅伝に挾間、栗秋が大分CTC・Aチーム、高瀬はBチームのそれぞれプレーイングディレクター&マネージャーとして出走。挾間は水分峠〜小田の池間、上りの7K。高瀬は小田の池〜長者原間、アップダウンの最長18.1K。栗秋は立門〜菊地・城山公園ゴールまでの9.5Kでそれぞれ激走を展開した。そして汗を流すいで湯は勿論、菊地温泉・城山荘の露天の岩風呂で。長崎ドラゴンマンチームの仲間も加えて、たちまち空ビン(ビール)がいで湯を占拠したという。詳細は大分CTC会報6号参照。尚今号の特別寄稿に登場して戴いた吉野氏はAチームのエースとして第1区別府〜由布登山口間14Kを区間トップで楽走したことも銘記しょう。

 参加者 挾間、高瀬、栗秋、吉野、他18名

4.17〜21 ああ!宮古島、青春は美しのゴールとはならなかったの巻(全日本トライアスロン宮古島大会出場)

 夢にまで見た宮古島、水泳3K 自転車136K マラソン42.195Kに挑んだ一人の若者の青春グラフティー。山といで湯の誘惑に打ち勝ちトレーニングに励んだ成果は如何に。大分CTC会報7号に詳しい。

 参加者  栗秋

5.5 第1回仏の里・国東半島バイアスロン大会

 BIKEは国東半島一周センチュリーラン160Kと合わせて、ゴール後RUNは住吉浜R.P園内一周4.1kを5周(20.5k)するコースで、まずはBIKE。広島及び九州一円から314人(バイアスロン参加者39人を含めて)が集まり、午前9時スタート。コース概要は住吉浜R.Pを起点にオレンジロードを武蔵まで、一旦海岸線に出て南下。再び安岐から県道を太田村〜豊後高田へ抜け天念寺〜真玉から海岸線をグルっと1周するもの。仏の里をのんびりとポタリングと思うも、いざ出走すれば気分はレースにのめり込む(H&K)。更にRUNは、園内で遊ぶ観光客の奇異の視線をくぐり抜けながらもくもくと走る。そして夕刻、なんと栗秋は総合2位でゴール(7時間23分12秒)。30才台優勝のおまけ付き。一方、挾間は8時間01分26秒、総合11位。そして高瀬は徹底的にポタリングを楽しみ、BIKEを7時間20分58秒で終了するも、RUN1周目でタイムオーバー。潔く、レースを棄権し応援の子供達と遊びに徹した模様。完走者35名。勿論、杵築温泉(住吉浜R.P・オレンジホール)には当然入湯。尚、このレースの堅苦しい総括論については大分CTC会報7号(挾間記)に詳しい。 参加者  挾間、高瀬、栗秋、&応援は高瀬、栗秋ファミリー

5.30〜31 九重、親と子のミヤマキリシマ観賞登山 

 「エッ、1泊3食お土産付きで1700円!」 「そぅ、1家族1部屋、リゾートホテルの感覚なのよ」 「それじゃ、家で過ごすよりリッチで安上がりだ!」....なんか、もうかったような不思議な気分....とは『おゆぴにすと』某家の夫婦の会話である。そしてこの会話が他に伝播し、『九重少年自然の家』主催の『自然に親しむ親と子のつどい』に参加する要因となったのだ。

 「お父さんこの頃少しも山に登らんなぁ」※おゆぴにすと第4号編集後記参照...の言葉を思い出した父上たちは絶好のチャンス到来とばかり、かなり意気込んで飯田高原、田野にある『九重少年自然の家』に30日夕刻到着。泉水山の山すそ、高原の一角に宿泊棟、研修棟が広がり野外にはフィールドアスレチックや遊歩道が整備されているが、何といってもここの目玉は西日本一の規模を誇るプラネタリウム。子供たちにとっては建物自体が運動場であり、走り回って体力増進。お父さんたちは規則正しい時間割で健康増進(食事、入浴、就寝時間等が決まっており、勿論酒類はご法度)。....どこの部屋だ、生ビールの空樽とオールドの空ビンが散らかっていたのは!.....それはさておき夜のスケジュール2例を紹介。1つは前述のプラネタリウム、初夏の星座から始まり、個々の星座にまつわる物語もふんだんに。終了後、外にでて本物の夜空を見上げると、さっきと同じ星が天空に輝いている。「あれ獅子座だね」とは我が子の弁、これまさに体験学習なり。2つめは焼板工作の時間。あらかじめウサギやフクロウの形をした杉板を受け取り、炎にあて焦げ目をつくり、ロウでツヤを出し、目玉とカギを設け簡単な壁掛けを作ろうというもの。炎に焦がしツヤを出す作業は子供の歓声に迎えられ興々としているが、よ・く見るとわき目もふらず一番熱心にいそしんでいるのは『オトーさん達』である!そして一日の疲れはいで湯でサッパリと。一度に50人が入れる大浴場は湯坪からの高温の蒸気を引っ張り、地下水を沸かすもの。これは温泉法でいう立派な温泉であり、『泉水温泉』とでも命名するのが妥当と考えるが、公にはまだ名はない。識者の考えは如何だろうか?......

           

 翌31日は五月晴れの絶好の登山日和。自然の家をベースに泉水山〜上泉水山〜黒岩山〜牧ノ戸峠と歩き、くじう自然歩道を長者原へ出て、再び自然の家へ帰る一周16kの健脚コースと、車で牧ノ戸峠まで行きここを起点に黒岩山〜上泉水山往復のファミリーコースと、家族の力量に応じて2つに分けたが、いずれも上泉水山から黒岩山へつづく1500mの稜線はいまがミヤマキリシマの見ごろ。7割方は健脚コースを選び(加藤、挾間Family&菜美子、純子、他約60人)、3才児をかかえる栗秋夫妻その他約20人がファミリーコースをとる。子供達にとってはまさに遠足気分のハシャギで、森を抜け草原を駆け、標高差600mを稼ぎ泉水山(1296m)を経て上泉水山頂(1460m)へ2時間余りのアルバイトで11時20分到着。ここでファミリーコース組と合流し、昼食という段取りである。一方、ファミリーコースの『乳幼児なだめ、すかし&背負い組』は・・・・実際、殆どこの手のファミリー・・・・遅々としながらも、ミヤマキリシマの群落に励まされながら、健脚組とほぼ同時刻に上泉水山頂着。なだらかな頂一帯はまたたく間に弁当の輪が広がり、喧噪が周りを支配した。帰路は牧ノ戸峠まで合同で稜線漫歩を楽しみ、(父親の背中で午睡を楽しんでいた幼児もいたが)峠からファミリーコース組は八丁原地熱発電所見学、健脚組は黙々と長者原を目指して歩き通し、午後4時頃には全員自然の家へ到着。初夏、花の山旅は天気にも恵まれ参加者の感想として殆どは『満足』、一部の子供達は『フィールドアスレチックをやりたい』、それに約2名は『アイスクリーム・』という声もあったが概ね好評であった。これには企画、立案から引率までお世話頂いた自然の家職員の多大なる労苦があつたことを忘れてはなるまい。そして九重の帰途は、決まって筌の口温泉の共同湯。なかなかリッチで、こころ豊かにしてくれた山行を振り返り一人ほくそ笑む。体にしみこむいで湯の心地よさよ。

  参加者 加藤、挾間、栗秋各ファミリー、高瀬菜美子

6.14  堀田の森の梅狩り祭

 恒例の別府、堀田・荒金宅の梅狩り祭。今年は朝からの雨でカッパを着込んで大粒の梅と戯れる。例年は収穫を眺めながらガーデンパーティとなるのだが、この雨ではいかんともしがたく場所を都町にかえて翌日わたりまで続いたという。堀田の森の秘湯・堀田温泉.五楳の湯が濡れた体に暖かく包みこむ。この湯なしでは梅狩り祭は語れない。

  参加者 大平、有川、荒金、栗秋

6.28  崩平山、そして鹿伏中腹彷徨記

 高瀬の貴重な休日を利用して課題として残っていた九重・崩平山(1288m)をやる。車を朝日台レストハウスに置き11時35分出発。林道を早足、20分程で登山口(黄色の『水源かん養林』の看板が目印)。ここからはかん木の中の急坂を登りつめ、草原状の台地にでるとほどなく山頂である。12時19分、朝日台から約45分の道のり。山頂には5〜6人のオジ・オバグループが賑やかに昼食をとっていた。くじうの名峰群からはなれて、静かなこの頂に先客があろうとはちょつと以外。下山はランニングで25分かかり朝日台へ。途中の道端に木イチゴの大群落があり、時期的に遅いのか熟れすぎてはいるものの、甘酸っぱい香りがいっぱい。来年は少し早めに...イチゴ酒がたっぷり飲めるぞと秘そかに思う...「さてまだ早いのでもう一つ山を」と高瀬。それでは、「やまなみハイウェーをはさんで崩平と対峙する鹿伏岳がいいのでは」と。勿論2人とも未踏なので食指はそそり、大石原の草原を突っ切り南面のなだらかな尾根を目指すが、ヤブこぎにうんざりして、あっさり諦める。1024m、飯田高原の標高からすれば僅かな突起だが登山道はなく、なかなか手強いのだ。すっきりしないが次回の宿題として残そう。帰りは久し振りに小田の池北端の奥江温泉に寄り、山里のひなびた共同湯にどっぷりとつかつた。

 参加者  高瀬、栗秋

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