佐田の名所

轟の池


 キーワード: 史跡, 幕末
 幕末の勤皇歌人、佐田秀(ひずる)が隠棲してていた地に残る池。【轟の池にある「看板」】(PDFファイル、1356KB)
 勤皇の志士として、秀が率いた「御許山義挙」の詳しくは、こちら(佐田秀)をご覧ください。
 また、歌人としての秀の評価は、こちら(佐田秀歌碑)をご覧ください。

 日田代官所(現・宇佐市四日市)の襲撃計画が露見した後、秀は、安心院の重松義胤邸に身を隠します。そして歌会と称して志士を集め、勤皇討幕の密計を練っていました。かつて秀が身を隠していた別邸跡には、現在、石碑がひとつ残るのみとなっています。こちら(佐田秀隠棲の地石碑)
 秀は、佐田の自然を詠んだ歌を多数残しています。轟の池を詠んだ歌として、以下などがあります。


 --轟の山荘に引こもりける時

 我宿を 春の山へに たてつれは
     花はとなりの 主とそ思ふ
 櫻花 けささく色に 轟の
     池の水さへ 匂ひける哉


  • [参考文献]大隈米陽/編(1952)『豊前国佐田郷土史 上巻』佐田村:佐田村公民館
  • [参考文献]歌碑建立委員会(2001)『佐田秀歌集抄』
  •  佐田秀隠棲の地を示す碑