佐田の名所

佐田秀墓


 キーワード: 市指定史跡, 史跡, 幕末
 幕末の勤皇歌人、佐田秀(ひずる)の墓。
 四日市(宇佐市)にさらされていた首級を雪子夫人ら遺族が持ち帰り、ここに埋葬しました。

 勤皇の志士として、秀が率いた「御許山義挙」の詳しくは、こちら(佐田秀)をご覧ください。
 また、歌人としての秀の評価は、こちら(佐田秀歌碑)をご覧ください。

 長州から嫌疑をかけられた秀は、長州との会議の席上でその潔白を説きましたが聞き入れられず、秀の潔白を証明するため平野四郎はその場で切腹。秀は、長州兵によって斬殺されました。
 また、首将であった桑原範蔵は敵弾を受け戦死。長州兵によって捕らえられた柴田直次郎も後に斬られ、「口に正義を唱え盗賊の所業せし者」として、秀・平野・柴田の首が四日市にさらされました。
 現在、秀の墓碑の左隣に並んでいるのが、秀と共に討死したこれら同志、桑原範蔵、平野四郎、柴田直二郎の墓です。


  • [参考文献]大隈米陽/編(1952)『豊前国佐田郷土史 上巻』佐田村:佐田村公民館
  • [参考文献]安心院町身心すこやか事業推進委員会(1988)『ふるさと佐田』
  •  佐田秀の墓