鮫と交流
笑いきったとスクアーロは、しばしその場でぜーはーと荒い呼吸を落ち着けていたが、ふっと音のない間が訪れる。不自然でない静寂に、それぞれ姿勢を正して座りなおし、笑いすぎて乾いた口内を潤すために各々水を嚥下する。
「なんなんでしょうね」
素直にの口から笑みと言葉がこぼれ、スクアーロも肩をすくめて笑顔のまま小さな息を吐き出した。
「さぁな。まぁ、悪かねぇぞ」
「ですね」
顔を見合わせてそれぞれ座りなおし、さてどうしようかといった空気が二人の間を流れるが、言葉もない空間なのに苦痛などはなく、は話題提供のために軽く両手を打った。
スクアーロがその音に視線を向けると、はそうそうと軽く口火を切って笑顔を向けた。
「スクアーロさんも日本語、流暢ですよね。びっくりしました」
漫画の紙面上ならいざ知らず、いざ実際目の前で生きている他国人の口から発音すら完璧な日本語が聞こえてくると、違和感以前に驚いてしまう。ボンゴレでの第二言語は英語ではなく日本語なのだろうかとすら思うほど、流暢過ぎて逆にイタリア語を話されたほうが違和感を感じるだろう。
思い込みとかイメージの力ってすごいなぁと、漫画に似た人物だといまだ思い込もうとするでも、そこは素直に感心した。
けれどスクアーロは目を丸くした後、ああ、と小さくなぜか納得の声を上げて、姿勢を正す。
良い男は何しても良い男だなぁとそれを見ていたは、次にスクアーロが浮かべた親しみのこもった笑みに目を奪われてしまった。
「スペルビ・スクアーロ」
そして歌うようにいわれた言葉に、一瞬何を言われたか理解するのが遅れたは、瞬きをして数秒後、ようやくその意味を理解した。
「あ、え?」
けれどなぜフルネームを言われたのかが分からず、困惑のまなざしでスクアーロを見つめていると、表情を変えぬままスクアーロは唇を動かした。
「いまさらだが、自己紹介ってやつだぁ。お前は名乗ってたからなぁ」
あ、本当に常識人だ。
出会いこそぶっ飛んでいたが、やりとりはの想定する日常的なものばかりで、ある種の感動すら覚えてしまう。
その感動を隠さずに、目をキラキラと喜びに輝かせるだったが、それを真っ向から受けてしまったスクアーロは戸惑うしかなかった。
だがしかし、嬉しそうにありがとうございますと頭を下げるを見て、すぐに視線の理由にスクアーロも気づき、思わず笑みを浮かべていた。
なんて単純な女なんだと、口にせずとも思うのは仕方がない。
これが本当にベルフェゴールの自称友人、スクアーロの見解から言って友人以上なのかと疑わしいものだが、己の目で見た以上信じるしかないようだった。
存在自体害がない上に、別段スクアーロにとって邪魔にもならないひとりの人間に、好意的に振舞われて気分が悪いはずもない。
「変な女だなぁ」
そういいながら、そんなの存在を受け入れたと言うかのように笑うスクアーロ。
どこかはにかんだ照れくさそうな笑顔に、つられても照れくさくなって微笑んでしまう。
言葉は褒めていないが、その口調がどうしても気恥ずかしさを生み出してくる。
それと、を微笑ます理由がもう一つあった。
「……それ、さっきも言ってましたよ」
どれだけ変な女なんですか、私。
少しだけからかう様に笑い声を漏らせば、スクアーロはそうだったかぁ? とからかいを受け入れる体勢で笑い飛ばす。
気安い空気は確かに流れていて、なんとなく感じていたもの以上にとスクアーロの気持ちを親密にさせていた。
初対面だというのに本当に不思議なものだと、二人ともしっかりと確信を持って己の気持ちを受け入れた。
「とりあえず、一日もてばいいかなぁと思ってたくらいなので」
「まぁ、これ位の量だったらもたねぇなぁ」
「ですよねぇ」
その後、持参の菓子などをつまみつつ、普段のベルフェゴールの話だとか、とベルフェゴールの出会い話だとかで話に花は咲き続け、時折沈黙が流れるも何の違和感もなく話は再開されていた。
スクアーロのグラスが空になれば、話しながらが水を注ぎ、が菓子を取り損ねればスクアーロがキャッチして渡し、そう言えばとスクアーロが立ち上がったかと思えばは空いた菓子袋を纏め、がゴミ箱を探そうと見回せばスクアーロがどこからか袋を手渡してくる。
「スクアーロさん、先読みすごいですよね」
「おまえこそなぁ」
一つ一つの動作にお互い他意はなく、なんとなくそう動いた方が良い気がしただけだったのだが、ここまで合致すると怖い以上に面白い。
からすれば、さすがヴァリアークオリティー(仮)とすんなり納得できるのだが、スクアーロにしてみれば不信感以上に面白さで受け入れてしまいそうになっていた。
だからベルフェゴールがなついてんのか、などと言う納得の仕方もある為、スクアーロの視点から見るのイメージはとことん面白いものを見る目になっていた。
自分にとって軽く不穏な視線を感知し、はスクアーロへと視線を向ける。
すでに袋をに手渡したスクアーロは、また同じ位置に座りなおして菓子を口に放り込んでいたが、の視線に顔を上げてなんだと無言で発言を促してくる。
その間、揺れる銀髪が白髪に見えないのは軽く色が入っているからなのかだとか、ちっくしょう美形は何をしても麗しいな世界の宝じゃないかむしろ美(しい)景(色)じゃないか。などと意味不明な嫉妬をたぎらせただったが、表面上は何事もなく笑顔で口を開いていた。
「ここまで意思疎通が容易だと、熟年夫婦みたいですよね」
はっきり言えば、も狙って言った言葉だった。
これまでの流れから、基本的に常識人で真面目なスクアーロなら笑うか動作を止めるか、それとも吹き出すかとその反応を見るためのもの。けれどまったく冗談だけの言葉でもなく、もそのような感覚を覚えたために出た発言だったため、怒られてもそう思ったのだから仕方がないと言い訳できる範疇でもあった。
「……」
かくして、スクアーロはの予想範疇内の反応と同じく、動きを止め無言になった。
その口に含まれたのは先ほどまで食べていた菓子。
笑うか怒るか鼻で笑うか吹き出すか。
それはもう内心わくわくどきどき、表面では満面の笑顔でそれほど以心伝心出来て嬉しい! と、それはそれで本心を全面に出してはスクアーロの反応を待った。
「……」
「……」
「……」
「……?」
けれどスクアーロはぽかーんとばかりに目を見開き、軽く唇を開いてを見つめたまま動かない。反応がない。むしろの言葉が脳みそに届いていないのか? とばかりに呼吸の音さえ定かではない。
「……スクアーロさん……?」
さすがに心配になり声をかけるが、スクアーロは動かない。軽く目の前で手を振っても反応がなく、軽く肩をゆすっても眼球運動すら起こらない。
「……」
ここまでの反応はさすがに予想外で、は目に見えて笑みを引きつらせた。不用意な言葉がスクアーロの何かを刺激し、このような事態にさせてしまったのだと己の軽口を恨んだ。いやだって、さっきまで軽口叩いても大丈夫な雰囲気だったし! などと言い訳を胸中で叫びつつ、頑張ってスクアーロの肩をゆすった。
「スペルビ・スクアーロさん! しっかりしてください! さっきの言葉は撤回しますから! スクアーロさぁーん!!」
さすがに強固な肉体を持つヴァリアー(仮)だというの認識どおり、スクアーロは揺さ振られているにもかかわらず、ほとんど肩が震える程度にしか動かず、が声を張り上げてもなかなかスクアーロは正気づかなかった。
「……なにやってんだぁぁ゛?」
「あんたが意識飛ばしてたんでしょーがー!!」
スクアーロが瞼を開閉させ、呆けたような声を出したときには安堵となにがしかの疲労で、はもう暴言と涙を抑え切れなかった。
それほど長い間スクアーロは正気を失っていたのかと本人も驚いたが、は実質五分だったと涙を拭きながら非礼を詫びた。さすがに取り乱しすぎたとは言うが、初対面の人間が五分も目を開けたまま呼吸も浅ければ、動揺するのは一般的におかしくない。
スクアーロは座りなおすに軽く謝罪をして、お詫びにとばかりにどこからか取り出したタオルをぬらしてもってきた。化粧をしているとが言う間もなく、顔に押し付けられたタオルは色を変え、けれど見えていないスクアーロはしっかり冷やせよと手を離さない。
「……ありがとうございます」
いくら気が合うからとはいえ、初対面の人間を前にして化粧が崩れた姿を見せたくはないものだが、もう自棄だとばかりにも自分でタオルを顔に押し付けた。それを見たスクアーロは、自分の手をそっと外す。
「……」
黙って腰掛けなおしたスクアーロだったが、実は言われた単語の意味が分からず脳内で検索していたこと、意味がわかって笑い飛ばそうとしたが嬉しそうなにつられて笑いそうになったこと、自分たちの行動を振り返れば確かにそうとれなくもないほど違和感のないやり取りだったこと、まだ何も知らない初対面どおりのはずなのに妙に慣れた空気をお互い出していたこと、実際夫婦となっても似たような空気で過ごすんだろうとまで考えていたことなどを一気に思い出し、せめて熱くなった顔の色が変わらないようにと神経を集中させていた。
初対面の女、しかも本心なのは間違いがないだろうが、からかう意図もふんだんに盛り込まれた台詞に、なにを動揺しているんだと自分を叱咤するスクアーロだったが、動揺してしまったものは仕方がない。あとの祭りだと分かってはいても自分が不甲斐ない。
意趣返しをしたつもりはなかったが、スクアーロの反応は予想外だったのだろうは動揺のあまり化粧が崩れているのも気づかぬほど、ぐずぐず涙をこぼしているのでこれ以上の仕返しはやりすぎだと判断する程度には、スクアーロを冷静にさせていた。
「……」
ぐしぐしと鼻をすすりながら、けれど目元を冷やしているのか手を動かさないを見つめ、スクアーロはポツリとつぶやく。
「化粧なら、さっきからくずれてたぞぉ?」
「早く言ってくださいよ、ばかぁ!」
言った次の瞬間には立ち上がったがベルフェゴールの別の部屋に駆け込んでいき、勢いよくバスルームへと消えていった。常人の目には映らないだろうが、スクアーロの目はしっかりをが引っ掴んでいった物を捕らえていた。
間違いなく、化粧ポーチだろう小振りだがパンパンに詰まったポーチ。
数日宿泊するといっていたのだから、それなりに容量をつめてきたのだろう。ガチャガチャと、中身の瓶だろうモノが擦れる音も聞こえていた。
スクアーロは遠慮なく大笑いし、バスルームからは「笑うな!」という恥ずかしいのだろう憤慨したような叫びが響いてきたが、スクアーロの笑いを止めるどころか、より一層煽る結果となっていた。
「……」
「どうしたの?」
「なんか、ものすげぇ鮫切り刻みたくなってきた」
同時刻どこかの建物の間、マーモンの問いかけに常にない真面目な口調で怒気を滾らすベルフェゴールが目撃されていたが、触らぬ神にたたり無しとばかりに、誰もその発言に突っ込みは入れなかった。