王子の浮かれ奮闘記2


、荷物こっちな。シャワーとトイレはあっち、ベッドはそっち。冷蔵庫はちっさいのがここにあるし、んーまぁあとこっちは土産? いや、プレゼント? 王子からの贈り物はありがたく受け取るように」
 ベルフェゴールには慣れた道のりだが、にとっては歩き疲れるほど歩いた廊下、その先にあるひとつの扉。ベルフェゴールが扉を開いたと同時には室内に引きずり込まれ、嬉しそうに手早くまれに見る早口でベルフェゴールが部屋のあちこちを説明しだす。
 はとりあえず自分から離れていったベルフェゴールを見て、開いた片方でこめかみを揉んでみた。
「聞いてんのかよ、
 けれどアンティーク然とした目の前に広がる椅子、チェスト、ソファー、壁紙、戸棚、絨毯、窓枠、クッション、花瓶、ティーセットらしきものたち、その真ん中で少し苛立たしげに立ち尽くすベルフェゴールは実在していて、はいっそのことドッキリだったと言って欲しかった。今まで見て回った屋敷の装飾と比べると、ベルフェゴールにはこのくらいの重々しさ、一目で一般人に手出しの出来ないだろう値段を想像させる内装の方が、似合うことは似合うという認識はある。けれどは、取り落とした自分の平常心を探す旅に出そうなほど動揺していた。
 立ち尽くして渋面を作り、自分のこめかみを丁寧に揉み解しだしたを見て、ベルフェゴールは足音を消して目の前まで近づいていく。
 は気付かない。
 絨毯というか、このふかふかな肌触りで足音を立てるほうが難しいものなのだが、ベルフェゴールは丁寧にとの距離を詰めていった。
 三メートル、二メートル、一メートル。
 近づいても一向に気付かないに痺れを切らしたベルフェゴールは、一気に距離を限りなく消してしまう。鼻と鼻がぶつかるほどの至近距離。
、あんまり王子ほったらかしにすると、何が起こっても知らないよ?」
 しししとベルフェゴール独特の笑い声を上げると、ようや瞼をく閉じていたがベルフェゴールを見る。最初は至近距離過ぎて上手く見えなかったのか、けれどしかめられた眉間の皺はあっという間に消えうせた。
 息も掛かり唇さえも触れることが容易な距離に、の頬は瞬時に燃える。
「……ベルフェゴールくん、ハウス」
「だからここが俺のハウスだって」
 それもそうかとは納得して見せるが、静かに一歩後ろに下がった。その動きに、ベルフェゴールは笑う。
「なに?」
「なんでもない」
「ふうぅーん」
 いやらしく言葉を伸ばしたベルフェゴールは、軽い動作でに背中を向けソファーへと腰を下ろす。豪快に座ったベルフェゴールは、様子を伺っていたを手招きする。
 笑顔で、まるで犬猫でも呼び寄せるようなやさしい招き手。
「こっち。も座れよ。今日からここで泊まるんだからな」
 しばしためらう様に赤い顔のまま、空々しく視線をそらして居たもベルフェゴールと視線を合わせる。優しい声に、頬が緩む。
 ベルフェゴールもそんな笑顔を目にして、内心小さく安堵の息を吐いた。
 けれど油断せずに、ベルフェゴールは同じ語調で優しく呼び寄せる。
、隣」
「ありがとう、ベルフェゴールくん」


 隣同士という慣れた至近距離に落ち着くと、他愛のない話がお互いの口からこぼれて時間はあっという間に進んでいく。代わり映えのない日常的な話題しか出てこないというのに、二人の話題は尽きない。
 それが当たり前すぎて、二人とも観光のことなどすっかり頭から抜けきっていた。
「で、結局その人はその猫と一緒に暮らしてるんだって」
「見知らぬ猫にいきなり頭叩かれるって、どんだけアプローチ強烈なんだよ」
「猫も必死だったんじゃない? と、……あれ?」
 ふっと笑顔のまま窓へと目を向けたの表情が止まる。ベルフェゴールもつられたように窓を見上げ、けれどなぜが止まったか分からずに再びへと向き直る。
?」
「いま、人が飛んできた」
「はぁ?」
 ベルフェゴールはもう一度窓を見て、けれど何も発見できなかったことでへ文句を言おうとして、その動きを止めた。なにかが勢い良く建物にぶつかる音、瓦礫の音、独特のうなり声とそれを一蹴する短い罵倒の言葉。それらすべてがベルフェゴールの耳に入り、文句の言葉はあっさり消えてなくなってしまう。代わりに、先ほどから不思議がって耳を済ませて「おかしいなぁ」とつぶやいているをどう誤魔化せば良いのかと、ベルフェゴールの脳内はフル稼働だ。
 だから、金まで払って追い出したってのに!
 ボスには効果なしだという、ある意味分かりきっていたが切実にやばい状況になってしまった事実が、ベルフェゴールにのしかかってくる。

「うお゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛い!」

 スクアーロなんて死ねばいい!
 ベルフェゴールは叫びたい気持ちを押さえ込んで、不思議がっていたはずのの目が輝く瞬間を目撃してしまっていた。「あ、空耳じゃなかった」とか嬉しそうにつぶやく声に、ベルフェゴールはどうしたものかと頭を抱えてしゃがみこもう……として、即座に自分のコートでを覆うと簀巻きにするように巻きつけ、そのまま抱き上げてシャワー室に放り込んだ。
 が抵抗する間もなく行われた一連の行動の後、ベルフェゴールは思いっきりナイフを外の叫び声の主に向かって叩き投げた。なんかもう、切り刻むとかじゃなくて死んで良いよ! とばかりに力いっぱい手持ち分を全部使った。
 ザンザスからいくらか攻撃を食らったらしい土や砂や木々にまみれていたスクアーロは、全てを食らうような醜態は見せなかったが、いくつか掠りベルフェゴールに睨みを利かせてくる。おまけにいつものような大声での叫び声に、ベルフェゴールの苛つきも煽られた。
「うお゛お゛お゛お゛い!」
「うるせぇよ! 今日からしばらく顔見せんなっつたろーが! このカス!」
「お前に言われたくはねぇそ゛ぉ゛!」
「客来てんの! 静かにしろよ、この馬鹿! なんの為に金払ったと思ってんだよ!」
「知るかぁ゛あ゛!」
「知っとけよ、この馬鹿!」
 マジ切り刻む。
 ベルフェゴールがいつものようにナイフを投げつけようとしたとき、背後で音が響いた。「あいたた」と小さな声で多少くぐもっているが、確実にがシャワー室で正気付いた声だった。
「あれ、なんでこんなんなってんの?」
 ベルフェゴールの耳に、少しばかり不思議そうな声が聞こえる。はいまだシャワー室。慌てることはないと、ベルフェゴールは取りあえず階下でこちらを睨みあげている、スクアーロへとナイフを投げた。
「あぶねぇだろうがぁあ゛あ゛!!」
「お、ま、え、が! うるさいんだよ! あーもー!」
 すでに苛々が頂点に達しそうになっているベルフェゴールとは違い、スクアーロはなに苛ついてんだとばかりに次々と攻撃を避けていく。そのうち歩み寄ってまで来て、ベルフェゴールはさらに苛つく。
「なんで今日はこっちくんだよ! さっさとあっちいけ!」
「あ゛ぁ゛?」
 本当に今日金出してまで頼んだこと忘れてんのかよ! さいっあく!
「ベルフェゴールくん? ちょっと、なに、大丈夫?」
 シャワー室から大声を聞いたのだろうが、心配したように慌てたように衣擦れの音をさせる。放り込んだのだから床に転がっているわけで、ベルフェゴールのコートを剥がしに掛かっているのだろうことが分かり、ベルフェゴールの苛々と焦りは頂点に達した。
 視界から一時的に、スクアーロの姿が消える。
「……なに苛ついてやがんだぁ?」
 軽い身のこなしでベルフェゴールの自室ベランダに着地したスクアーロの目が、ベルフェゴールを捉え、扉の開閉音でベルフェゴールを越して室内へと向けられる。
 怪訝そうにゆがめられたスクアーロの表情を見て、ベルフェゴールは金より抹殺するほうが早かったと、自分の失敗を悟った。
「……あの、ベルフェゴール、くん……?」
 不安そうで怪訝そうに押さえ込まれたの声と、控えめな足音にベルフェゴールはめまいを覚えた。
「スクアーロ、マジ殺す」
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