王子の浮かれ奮闘記1
はもやから出たとたん、目玉がこぼれんばかりに目を見開き、今ならスイカすら一飲みに出来そうなほど口を開け、ベルフェゴールの期待以上に形相が変わるほど驚愕を露にしていた。
「ししし」
そうこなくては面白くない。ベルフェゴールは見慣れたイタリアの街並みを見渡し、満足げに笑う。そして自分の視界が及ぶ範囲に、マフィアなりボンゴレ関係者なりが存在しないのを確認すると、傍目には分からぬ程度に安堵の息を吐いた。
がこちらにくると決定した日から、ベルフェゴールなりに下準備は進めてきた。
決しての中の『ベルくん』及び『ヴァリアー』が、と会い笑い合う目の前の『ベルフェゴール』に繋がらないように、地位も金も使って『の視界に映らないよう』にしたのだ。
命令として下した接近禁止、マーモンに金を払って張り巡らした連絡網、マーモン自身にも身近な幹部にも通達を出した。
『一週間、オレの前に姿見せないでくれる?』
マーモンは盛大なため息を吐いたが、ベルフェゴールの愉快で堪らないといった態度からにじみ出る、承諾せねば戦うこともやぶさかではないといった態度に渋々頷いた。もちろん、その分の料金はベルフェゴールから徴収するのだが、面倒くさいねと呟いていた。
後の幹部の人間は、聞いているのかいないのか。
どちらにせよ、上機嫌のベルフェゴールに絡まれるのもごめんなので、適当に返事をしていた。ザンザスも特にベルフェゴールに用事があるでなし、ということでいつもの「うるせぇ」の一言で終わった。
後は、部屋を適当に片付けて日常品を運び入れてみた。
趣味がまだまだわからないので、足りないものは買い足せばいいと思いつつも、いくつかの洋服や靴なども買ってみた。驚くだろうか、怒るだろうか、喜ぶだろうかと想像するだけでベルフェゴールにとっては楽しい時間だった。
そのは、今まさにベルフェゴールの案内で目玉がこぼれんばかりに驚いている。街並みに空気にベルフェゴールの案内に、瞬きを忘れてしまっていた。実際、としてもまさかそんな都合よく異国の地よこんにちわとなるなんて、思ってもみなかった
……と言うのは言いすぎだが、多少期待なり想像なりをしていたのだが、いかんせん現実に起こると驚くどころの騒ぎではなく、はベルフェゴールを目が零れるほど凝視するしか出来なかった。
自慢げに笑うベルフェゴールに、は目を瞬いて視線を合わせた。動いているが声の出ない口元を見て、ベルフェゴールの笑いも深くなる。
そーとーな衝撃みたい。
満足げにベルフェゴールは頷くと、繋いだ手をぎゅっと握り締めた。浮かれた王子様の気持ちが少しでも伝わりますようにと、柄にでもなく願いを込めて握り締めた。
「あ、ええと。うん」
意味のない言葉がの口からこぼれる。戸惑った表情は、先ほどより幾分か正気を取り戻しているが、いかんせん想像していなかったらしい街並みに驚きが隠せない。
「イタリアだよ。。言葉大丈夫そう?」
あえて軽くなんでもないようにベルフェゴールは問い掛けたが、の顔は強張ってしまう。堅い声が笑う。内心のそんなわけあるか! という叫びは押し殺し、けれど本音があっさり零れ出る。
「あはははははは! ……無理」
「だよなあ」
予想できていた返事に、ベルフェゴールはますます笑みを深める。の手を引いて、こっちと言いながらまた歩き始めた。はベルフェゴールに話し掛けるが、通り過ぎる人間の声が聞こえてくるとすぐに口をつぐんでしまう。
口を閉じなくても、日本語で話していても誰も注目しないと分かっているのだが、は聞き慣れない周りの言葉に萎縮してしまっていた。ベルフェゴールは大人しくなったの顔を横目で見て、その唇が動くのを目で追う。
「イタリア」
「そう、イタリア」
「日本じゃ、ないよね」
「違うね」
口調を真似て返すと、普段は笑って怒った振りをするの反応が返ってこない。ベルフェゴールは、引きつり笑顔で泣きそうな顔のを見て笑いを堪える。あんなにいつも元気なの豹変振りに、の不安を想像した。
大丈夫と一言言えば、安心するかな?
少しだけ慰めの言葉を考えるが、は何も言わずに繋ぐ手の力を強めてきた。ベルフェゴールの視線に気づき、どこかぎこちなくも笑みを浮かべて前を向く。
不安なのは確かだが、はそれよりベルフェゴールと遊ぶこれからの楽しみを思い出して、不安を胸の奥に引っ込めた。それが分かったベルフェゴールは、上手く言葉に出来なかったことを頭の隅に追いやり、とりあえずの手を引っ張って歩き続けた。
キャリーバッグが石畳を重そうな音を立てて、ベルフェゴールやの足音を追いかける。ベルフェゴールが奪ったままなそのキャリーバッグは、の抗議空しくベルフェゴールが離さない。二人とも手を繋いで荷物を持っているため、両手が塞がったまま道を大人しく歩き続ける。
元々人通りの少なかった歩道から、ますます人通りがなくなる道へと進んでいく。ヴァリアーの建物へと向かうのだから当たり前のことだが、一応予想しつつも何も知らないは軽く怯えの色を露わにしていった。
ベルフェゴールに失礼だと分かっているが、予想通りだとたどり着く先は暗殺部隊の宿舎か何か。もしかしたら幹部専用かも、そしたらあのザンザス様がいらっしゃるかもしれないと、今更ながらに戦々恐々の心境。
けれどベルフェゴールから見れば、見知らぬ異国の地に怯える可愛らしい女性な訳で、リボーンのような読心術をベルフェゴールが習っていたら、なんとなく危ない場面でもあった。
「そう言えばさ」
沈黙に飽きたベルフェゴールは、の怯え顔をもっと違ったものにしようと口を開いた。にんまりと口角を引き上げ、隣を見る。
「の言う『ベルくん』ってさ、どんな家に住んでんの?」
頭の中で偶然ザンザス様とばったり遭遇、侵入者か死ねー! ギャー! という自分の未来予想図に震えていたは、最初ベルフェゴールに何を言われたのか分からずに、怯え顔のままベルフェゴールをまっすぐ見つめた。頭の中でが耳に引っかかった言葉を翻訳している間、ベルフェゴールは今更ながら軽く辺りの案内をして返事を待つ。
「あっちが言ってた森、あっちが通り道。気になるなら連れてってやるよ。で、返事は?」
ようやく脳みそに意味が到達したは、内心冷や汗を滝の様に流しながら言い訳を考える。そう言えば、真面目にその辺妄想もとい想像していなかったなと慌てて頭をフル回転させた。
どうせ夢の話と先手を打っているのだから、ええと、ああとと悩んでいる間もベルフェゴールとの足はベルの住んでいる場所へと向かう。
森や林が増え、段々と豪奢なつくりの石畳へと風景が変わりだす。けれど侵入者の身を隠す場所をなくすためか、森や林は一定距離以上奥へと繋がっていない。広がった風景は、どこそこの王宮の正門広場とかなんとかですかとが言いたくなるようなもの。整えられた植木たちは芸術の域で刈り取られ、お約束の様に噴水が真ん中に鎮座していた。
人間が暮らしているのだろうお屋敷っぽいものは、なんだか目測でも遙か遠い。の意識も少し遠くなった。
「」
焦れたようにベルフェゴールが足を止め、の返事を促す。は少しだけ疲れたような気持ちになりながら、口を開く。
「……行ったことないの」
怯えたような表情は薄く剥がれ落ち、見えたのは不安そうで困惑した表情。の目はベルフェゴールが案内するとおりに動くが、その口の切れは悪かった。
「へぇ、意外。仲良いんじゃなかったんだ?」
内心安堵の息を吐きながら、ベルフェゴールは嗜虐心を隠そうとせずにからかう。がやり返してくるものとベルフェゴールは思っていたが、異国だと勝手が違うのかそれともこの話題が悪かったのか、の声は泣きそうにゆがんでいた。
「夢の話って言ったでしょ? 全部覚えてるわけじゃないよ」
なに、いじめられるために私、ここに遊びに来たわけじゃないから。
奥歯を噛み締めて搾り出すような、泣き声を抑えるような声がの口から漏れて、ベルフェゴールの耳をくすぐる。そこでベルフェゴールは、自分の中にある確信をは持っていなかったことを知った。
ベルフェゴールの足が止まると、自然との足も止まる。目元を拭っていたの顔が、軽い振動でベルフェゴールの体にぶつかった。
「……ベルフェゴールくん?」
名前を呼ばれても、すぐに返事は出来なかった。
ベルフェゴールにとっての話は未来の話。が夢という媒体を使って見ている、未来の話に他ならない。けれどにとっては本当にただの夢の話で、目の前に居るベルフェゴールの未来だとは露ほども思っていない。
ベルフェゴールは簡単に考えをまとめると、の戸惑いを想像してみた。
ちょっとした悪戯を長く引っ張られ度々尋ねられ、事あるごとに掘り返される。
……気分が良くないのは確かだと、ベルフェゴールは黙った。
「……ごめんなさい」
そして目の前で痛みを堪えるように、泣きそうな顔では謝る。ベルフェゴールはいらいらしてむしゃくしゃして、けれどを壊したくなくてでも壊したくて堪らなくなって、大きなため息をひとつ吐き出した。
の目が肩が存在が、震えるように揺れた。
「が謝ること、なんもないじゃん」
「でも、ベルフェゴールくんに泣き言いった。ベルフェゴールくんは話題を出してくれたのに、ごめんね」
「馬鹿女」
思わずの額めがけ、ベルフェゴールは自分の額を打ち付けた。息を呑む空気と、痛みを堪えるような震えがから生じる。今度は痛みのための涙なのか、なんの躊躇もなくは涙をこぼしていた。
ベルフェゴールも、少しばかり痛かった。思わず自分の額に触れると、痛みのためか熱が走っていた。これはベルフェゴールも想定外だった。
「、石頭?」
「どっちが! というか、いきなり何すんの! くあああ痛い! これは痛い!」
片手はベルフェゴールもも繋いだままで、痛みに悶絶する。特には、異性の前でする悶え方じゃないだろうとベルフェゴールが突っ込む気力も無くすほど、男らしく低い唸り声で額を押さえていた。
「最悪! いじめられた上に頭突きって、そんなありですか?」
「まぁ、オレ王子だもん」
「それ関係ないよね!」
痛い痛いと唸るに、ベルフェゴールは場の空気が変わったことを確信した。安堵の息を漏らし、の額を押さえる手の上から自分の片手を重ねてみた。の目が、ベルフェゴールを見る。ぞくぞくと快感がベルフェゴールの背筋を駆け抜け、思わずその瞼に唇を寄せ掛ける。近づいてきたベルフェゴールの顔に、の唇が動く。それだけでも、今のベルフェゴールにとっては気持ちよかった。
「ベルフェゴールくん?」
けれどベルフェゴールとしてはおしいことに、名前を呼ばれた途端に快感が霧散してしまう。今度は喜びの感情が湧きあがってくるが、性的なものは一切感じなくなっていた。
「ちぇっ」
「……なにかよからぬことでも、企んでた?」
なんとなく察したのか、それとも当てずっぽうなのか、が怪訝そうな声を上げる。ベルフェゴールは、一度唇を尖らした後でにんまりと白い歯を見せつけるように笑った。
「いこ。荷物置かないと遊びにもいけないし」
「あ、うん」
未だお互いひりひりする額を持て余しながら、ヴァリアーへの道を歩き出す。
本日はベルフェゴールも足音を立てて歩く。
はベルフェゴールにとって相変わらずな、少し野暮ったい下手くそな足音を立てて歩く。歩き方自体下手くそで、ベルフェゴールにとってはある意味笑える足音。
いくつか角を曲がり、人通りがまったくなく整備された歩道を歩く。道路は広く、けれど車の一台も通らない。
「……」
は不安を堪えながら、痛む額を思う。そしてベルフェゴールの手を強く握り、ベルフェゴールの機嫌を上昇させた。
見えてくる正門に、またもやの口があんぐりと開かれる。拳が入りそうなどと思いながら、ベルフェゴールは当たり前の顔をして門に声をかけた。
「オレ、ベルフェゴール。迎えよこして」
機械的な音が響き、声に呼応したように門が開いていく。そして一台の車がすべるように目の前に現れ、は呼吸することも忘れて見入った。横で笑うベルフェゴールは、手の握り方を変えた。
「、レディーファーストどうぞ」
「あ、りが、と」
呆然としたままは言われるがまま車に乗り込み、その座り心地の良い座席に目を輝かす。生地に触れ中身を指で押し、ベルフェゴールに小さな声で材質を聞いたりした。ベルフェゴールは遠慮なく笑い、王子だから知らないと肩を震わせて答えたりした。
ベルフェゴールが手を回したとおり、本日目の前に現れるのは執事やら使用人やらだけで、ヴァリアーのメンバーはエントランスに一人もいなかった。は口を開けたままあちこちへ視線を飛ばし、あれはなんだこれはなんだなにがどうなんだとベルフェゴールを質問攻めにする。まるで子供みたいだと思いながら、ベルフェゴールは上機嫌に答えていた。
「ベルフェゴールくん、あれあれ! あれシャンデリア?」
「それ以外に見えんなら、眼科だね。で、あれはこうやるとこっちに降りてくんの」
きらきらと好奇心に輝くの目に笑い、ベルフェゴールは壁際のボタンを軽く押す。の見ていたシャンデリアが音も立てずに降りてきて、手に触れられるほど近くまできた。目の輝きが増す。
「これはすごい! 電球の付け替えしやすそうな仕掛けだね!」
「所帯染みた発言」
「でもすごい!」
ベルフェゴールが思わず呟いた言葉にも、は大発明でも見たかのような喜びいっぱいの返事をする。それが面白くて、ベルフェゴールは次々と屋敷のからくりを披露していった。伊達に日頃からマーモンと追いかけっこをしていない。
「これはこうやると」
ベルフェゴールが壁のある箇所に強めに手を押し当てると、かすかな振動音とともに階段が出現する。ぐるりと壁が反転し、見えてきた階段には子供のように軽いジャンプをその場で繰り返した。
「すごいすごいすごい! ね、ここってからくり屋敷なの?」
「まぁね。オレが作ったんじゃねーけど、いざというときのためだったり色々遊べる」
「おおー、いざというとき!」
ヴァリアーなので、ボンゴレファミリーなのでいざというときの隠れ家も完備している。などとは口が裂けてもいえないが、言ったらきっと目を輝かすんだろうなぁと、ベルフェゴールは仕掛けを披露しながらの幼い反応に笑みを浮かべる。
はあちこち触ってみては、何かを発見するたびにベルフェゴールのもとへともどってくる。そして許可をもらえれば、嬉々としてその仕掛けを作動させて見せた。
「ぎゃー! ベルフェゴールくん、床が床がー!」
「それ、落とし穴だから気をつけろよー」
「言うの遅いー!」
見事に落ちたを、笑いながらベルフェゴールは片手で捕まえ引き上げる。襟首を持ったまま顔を見合わせ、弱いなぁとしみじみ思いながらも好奇心の萎えないの笑顔に苦笑した。
「ほら、オレの部屋行くんだろ。歩けなくなったりした?」
そうっと足を痛めないように驚かせないように、ベルフェゴールはを安全な床に下ろす。へらっと力なく情けない笑顔を浮かべたは、眉のあたりを指で掻くと気を取り直すように綺麗に背筋を伸ばして立ち上がった。
「ん、大丈夫」
足の調子を二、三度確かめるたは、嬉々として明るい笑顔をベルフェゴールに向けた。ベルフェゴールも笑い返し、さて行こうと手を繋ぎなおしたところで急にが堅い声を上げる。
「なに」
「荷物、車に忘れてきちゃったみたい」
血の気が引いた顔色で、ぼそりぼそりと呟くは軽くベルフェゴールの笑いを誘って、思わず吹き出してしまう。はそれを気にも止めずにどうしようどうしようと呟くが、ベルフェゴールはそれを無視してを引っ張り歩き出した。
慌てては待ったをかけるが、ベルフェゴールは聞かずに鼻歌まで歌いだす始末。
「大丈夫大丈夫、先に持って行かせただけだから」
「は?」
「だから、荷物先に持って行かせたの。大丈夫、王子のオレがヘマするわけないだろ」
自信満々に言い切る姿には困ったように眉を寄せるが、すぐにその自信に感化されたように笑った。そうだねと頷いて、手を握り返した。