王子の拉致計画。もとい十年後への布石。
でも、つれて帰るって言ったってどうしよう。とりあえず馴れさせるためにしばらくこっち泊めて、んで、楽しいしベルフェゴールくんの傍で暮らすのって幸せだわーとか思わせて、いったん家に返して、寂しくてベルフェゴールくんの傍で朝から夜まで居た日々が忘れられないの! とか思うまでちょっと放っておいて、んで最終的に移住。あ、これって結構良くない?
いい案思いついちった。ベルフェゴールが上機嫌でヴァリアーの敷地内を見回していると、笑い声。ふと見るとっぽい人影、そんな馬鹿なと思って思わず駆け寄って手を伸ばしたら霧散した。なんだ幻覚と幻聴か、王子ちょっとお疲れ気味とベルフェゴールは笑う。
「気でも違った?」
そしてまた聞いたことのある台詞が聞こえてくる。今度は幻聴じゃないことがはっきりしてるので、ベルフェゴールは笑った。
「マーモン、お前マジうざい」
「女に夢中になってるの? しかも綺麗でもない年増」
「お前よりは健全じゃね? オレってそういうお年頃だし。つか年増はまだ早いっつの」
「でも大分年上」
「オレと五年も離れてないじゃん」
「へぇ、そうなんだ」
なに普通に反論して反応してんのオレ。
でもマーモンの態度にやっぱりベルフェゴールは笑う。マーモンのやつも十年後には、にめろめろのふにゃふにゃでママンとか呼んじゃうんだけど、でも今から動き出した王子には敵わないから指くわえてみてるといいね! とか爽やかに思いながらベルフェゴールは笑う。
めろめろのふにゃふにゃのママンとか言いながらに抱きつくマーモン。ちょー笑える。でもその頃にははオレのもの。すげぇ最高。
マーモンはベルフェゴールのご機嫌さにちょっと気分が悪い。でも名前を呼んでも反応しないので、足を踏んでみようとする。避けられた。
「起きてるなら返事くらいしなよ」
「やだよ、めんどい」
、王子の心盗むとかマジ大罪。
笑うベルフェゴールにマーモンは肩をすくめる。
「どうでもいいけど、足元すくわれないようにね」
「誰に言ってんの、お前」
「ベル」
「ちょー生意気」
それでもベルフェゴールはご機嫌。鼻歌でも歌いだしそうなくらいの上機嫌。
マーモンが離れようとすると、視線も向けずにベルフェゴールから声が掛かる。笑い出しそうなくらい上機嫌な声が、マーモンの足を止めた。
「女一人不自由させないで屋敷に住まわせるのって、なにすればいいっけ」
思わずマーモンも絶句する。本気かと聞きかけて、ベルフェゴールの雰囲気を読んで愚問だと口を閉じた。マーモンはしばし逡巡すると、別の言葉を口にした。特に何の感情もうかがわせない声で。
「情報料」
「後払いだっつの」
「いつもの金額振り込んどいてよ」
いつものやり取りをして、マーモンは簡単に簡潔に述べる。ベルフェゴールはふんふん言いながら頷き、「ちょー簡単じゃん」と嬉しそうに歯を見せて笑う。
「ま、今言ったのは一般的な話だから、後は個人の趣味だったり必要なものは増減すると思うよ」
「んー」
ベルフェゴールは意識をどこかに飛ばしているのか、にたにたと楽しそうに笑う。
「すぐに飽きちゃうんじゃない」
マーモンがいつものように言葉を投げると、以前はすぐに聞こえてきた言葉が聞こえない。にたにた笑うベルフェゴールは聞こえているはずなのに、にんまり笑ってマーモンに返事をしない。
『飽きたら殺せばいいじゃん』
そんな返事が来るはずだったのに、マーモンは意外な反応に目を見開く。ベルフェゴールからそれは見られないが、マーモンが驚いているのは空気で伝わった。
ベルフェゴールの笑みが深くなる。
「マーモン」
「なにさ」
「お前、絶対後悔するね。王子が断言しちゃう」
うしししと楽しそうに笑ったベルフェゴールは、手の一振りもせずにマーモンに背中を向ける。頭の中は自分の計画の薔薇色さに酔いしれて、そしてその実行を確かなものにしていた。
「……気持ち悪っ」
マーモンはなんとなく取り残された格好で、小さく呟いた。
いつものようにベンチでの待ち合わせ。うきうきとした雰囲気ではベルフェゴールの登場を待ち、ベルフェゴールの姿をいまや遅しと待ち構えていた。
「」
「ベルフェゴールくん遅いっ!」
弾んだ笑顔で声でベンチから飛び上がると、は主人を見つけた犬のように駆け寄っていく。
その類を見ない勢いに、相変わらず良く分からない文字看板に視線を向け、にたにたと笑っていたはずのベルフェゴールも少したじろぐ。なにかオレがしたっけかと歓迎振りに首をかしげると、待ちに待っていたとばかりにが目の前で立ち止まり、喜色満面の笑顔でベルフェゴールへと口を開いた。
「もう一週間後なの!」
「なにが?」
「連休! あー、待ち遠しい! やっと連休取れたのざまーみろ!」
空を向いてガッツポーズを決めるに、ベルフェゴールは可愛らしく反対側に首をかしげる。それを見たは、興奮の冷めぬ顔で可愛いねとベルフェゴールに笑いかけた。
先ほどまで上機嫌だったベルフェゴールのテンションに、負けず劣らずの。ベルフェゴールは、を見ながらもう一度問い掛けた。
「なに?」
その小さな子供のような声に、はうふふふふふふと何か深読みしたくなるような低く嬉しそうな笑い声を出す。ベルフェゴールはちょっと面白くなりながら、大人しく次の言葉を待った。
こんな上機嫌なは初めて見た。おんもしれー。
は握り締めた拳を解いて、手帳のカレンダーを開いてみせる。見て見てと言われて素直に覗き込んだベルフェゴールの目に、一週間ほど赤いペンで横線が引かれていた。
「連休。一週間のお休みもぎ取ってきた。久々の世間と一緒の連休!」
「へぇ」
ちょー好都合。
ベルフェゴールの心の声に気付かないは、ベルフェゴールに抱きつきそうなほど嬉しそうに喋る。頬はほんのり色づき、興奮の度合いを示していた。
「今まで本当に必要なとき以外もらえなかったから、今回こそくださいって言ってみたの。私としても用事なかったから、別にいいかなって思ってたんだけど」
うふふふふとまた低く嬉しそうな笑い声。
「不気味」
「うるさいです」
ベルフェゴールが笑うと、もいつもみたいに笑う。けれど喜びが抑えきれないのか、今にも踊りだしそうなほど体を動かす。身振り手振りが大きく、これが本当に年上かというほどのはしゃぎっぷりだった。
それも可愛いんだけどね。
ベルフェゴールはなんだかつられて嬉しくなりながら、うんうんと話しに相槌を打つ。ますます嬉しそうに頬を染めるが、本当にいよいよ可愛くみえてくるのはベルフェゴールにとっても不思議だった。
「それで、その連休なにすんの」
なにげなくベルフェゴールが先を促すと、の動きが止まる。不思議そうに丸くなった目が、ベルフェゴールを見る。どうして? とその目が純粋に疑問符を浮かべていた。
「なに?」
少し居心地悪くベルフェゴールが聞き返すと、が笑う。
「ベルフェゴールくんの予定と合えば、遊んで欲しいなって思ってるよ。どうかな?」
はにかみ笑いが炸裂する。ベルフェゴールはサングラスをかけなかったことを後悔した。それぐらい眩しく感じた。もうだめ、それ反則ノックアウト。
ベルフェゴールが眩暈すら感じているというのに、はにこにことベルフェゴールの返事を待っていた。駄目だったらいいよ、今でも毎日は会えてるわけじゃないし、私が少しでも長く遊べたらなって思ってただけだし。
新しく出来た友達に心弾んでいるだけ、と取るにはベルフェゴールは少々修行不足だった。脈有りじゃね? と思わず心の中で自問自答してしまう。
「あー」
「うんうん」
は嬉しそうに先を促す。これは、用事があっても断れる雰囲気ではない。ベルフェゴールとしてはどうでもいい人間には、こんなことをされる前に殺すので初体験といっても良かった。
好都合すぎて気味悪ぃ。
思っても口には出さず、頷く。の笑顔がまた輝く。
「べっつにいいよ。なんなら部屋に泊まる? その一週間」
「いいの!?」
ちっとは警戒しろよ、馬鹿女。
一欠けらも意識されていないらしく、即座に嬉しそうな声が提案を受諾する。
もうほんと、オレちょっと泣いちゃうよ? 王子だって泣くときあるよ?
ベルフェゴールは都合が良すぎてとんとん拍子に行き過ぎて、怖いくらい嬉しくて背筋を震わせた。ぞくぞくとした快感にも似たものが駆け上がってくる。
「お泊り? 場所どこ?」
「オレの部屋。仕事の寮みたいなもんだけど、そこら辺ゆるいところだから、遠慮しなくていいよ」
「うわ嬉しい! え、観光地? 何もっていこう!」
はしゃぐがあたりを忙しなく見回す。ベンチより少し離れたこの場所は、ベルフェゴールが来た方向へほんの数歩進めばイタリアになる。どうせなら、少し引っ張っていってみようかと思うが、ベルフェゴールはそれをしなかった。
「うしし、パスポート忘れんなよ」
「は?」
「だってオレんち、イタリアだし。万が一があんじゃん」
だってと会うあのベンチまでの道のりで、今までイタリア語を見たことがない。が住んでいるところは日本だというし、現在の場所も近所の公園だという。現在はベルフェゴールもも、なんか変なもやを越えなきゃたどり着けなくなってる場所。最初の迷子が嘘のように、自然と進む道先はピンクのもやが繋ぐ場所。
はしばし呆然とした後、何かに気付いたように納得して見せた。頷く顔が、どこか神妙でベルフェゴールの笑いを誘う。
「大丈夫だって。万が一のときは永住しても良いし」
「仕事があるって」
素早い突っ込みに、ベルフェゴールが笑うと顔を見合わせて二人揃って笑いだす。
「楽しみだねぇ。パスポートも忘れずに持っていくよ、不思議はいくつあっても良いし」
でも税関通らずに行ってもいいのかな。
いいよ、オレだって税関通ってないし。
浮かれるにベルフェゴールはなんでもないように返す。丸くなった目がベルフェゴールを見て、そしてまた楽しそうに顔をくしゃりと笑顔に変えた。
「不法入国だね」
「オレ王子だもん、関係ないね」
笑う、笑うベルフェゴール。楽しそうに伸びる笑い声は、しばし続いた。
「で、荷物それだけ?」
「んー、ノートパソコン持っていこうと思ったんだけど、荷物になるかなと思って。持っていっても良かった?」
女性の一週間分の荷物としては、ベルフェゴールの予想よりもコンパクトにまとまったの荷物たち。旅行用のキャリーバッグはが引っ張るには少し大きく見えるがたった一つ、手荷物もコンパクトな一つのショルダーバッグに詰めて、は考え込むように首をかしげていた。ベルフェゴールは荷物をしばし見つめ、なんでもないように奪い取る。あ、と口をあけて取り返そうとするに顎をしゃくって、ベルフェゴールは楽しい気持ちを隠さずに笑う。
「とってこいよ。待っててやるからさ」
「んー……、じゃあお願い」
背中を向けて駆け出すに、ベルフェゴールはひらひらと優雅に手を振って見送る。一週間の宿泊といっても、の荷物はそう重くない。必要最低限の荷物なのだろうとベルフェゴールは推測し、躊躇いなくバッグを開けてみた。洋服、スカートとズボンが一本ずつ、化粧品類は少し臭くて顔をしかめたが、下着類は小袋を開けた時点で慌ててバッグに突っ込みなおした。
あとは日頃使うようなものばかり、こっちで用意するって言ったのにとベルフェゴールが顔をしかめるほど当たり前のものもあったが、とりあえず荷物を適当に詰めなおしてしまう。
ショルダーバッグも奪ったので、簡単に中を見る。カメラ、とフィルムが何本か。アナログ嗜好? と思いつつ携帯電話やメモ帳、ペンが数本、そして手鏡やなにやらを見ていく。以前見せてもらったことのあるお守りも発見した。
「ふーん?」
特に興味を引くものもなく、ベルフェゴールはとりあえず携帯電話を開いてみた。どこかで撮ったのだろう桜の咲く風景写真、素人臭いアングルではあったが、なかなか綺麗な写真だった。
「ちぇっ」
けれどベルフェゴールが待ち受けに期待したのは、以前自分ととで撮った写真で、さすがにそこまで友人相手にしないかと気を取り直す。
「まだ時間はあるしね」
ふんふん鼻歌を歌いながら携帯電話を弄るが、残念なことに日本語ばかり。人名もろくに読めず、ベルフェゴールは日本語を勉強して驚かそうと考えた。メールの内容もアドレス帳も読めやしない。それではつまらない。
足音が聞こえてくると、ベルフェゴールは自然な手つきで携帯電話をバッグに入れた。は笑顔で小脇にバッグを抱え、駆け寄ってくる。
「お待たせしました。ね、ベルフェゴールくんの部屋って電源の規格一緒かな?」
「しらねぇー。けど、家に着いたら調べてやるよ」
「ありがとう」
嬉しそうにはにかむに、ベルフェゴールは期待を膨らませた。大丈夫、落ち着け、まだだめだ。
「では、お手をどうぞー」
手を伸ばす。恭しく頭を下げ、片手を誘うように差し出した。の笑い声と、優雅ねと微笑む言葉。
乗せられた手を、ベルフェゴールはしっかりと握り締めた。
「案内してやるよ、」
が今まで通ったことのない、ベルフェゴールの通りなれたもうひとつのピンクのもや。それを抜ければ、すぐにが行ったことのない場所に出る。
驚く顔が楽しみだと、ベルフェゴールはにんまり笑う。