王子の楽しい毎日
手を上げる。血飛沫が上がる。笑う。
「どうしたの、今日は上機嫌じゃん」
「しし、秘密」
最初の出会い以来、ベルフェゴールとは毎日と言っていいほど会っている。
初めて会えなくなった日は、ベルフェゴールが任務のときだった。何も考えず任務をこなしていたベルフェゴールは、唐突に時間に気づいた。いつも会っている時間を二時間ほど過ぎた時間。少し考えながら敵の心臓を貫き、けれどこんなに時間が経ったのならも帰っているだろうと気にせず任務を続行した。その時点では一ヶ月ばかり毎日あっていたが、それこそ習慣化しているだけで毎日会うという約束はしていない。
ベルフェゴールは笑って殺戮を楽しんだ。約束はしていない。待っていても、すでに帰宅しているだろうと高を括っていた。
けれど任務終了後、面倒くさい報告を終えて気まぐれに向かったベンチには、いつも会う時間を五時間も過ぎたのに寒そうに体を丸めて眠るが居た。
ベンチの端に置かれているのは、土産だろう小さな包み。持ち上げれば少々の重さがあり、中を見れば以前話に聞いていた本。暇つぶしにから借りる約束をしていた、小さな風景写真の本だった。
『……』
躊躇いながら、けれど起こしてその目を見て声を聞きたいと思ったベルフェゴールは、の眠った肩を揺する。すぐに痙攣する瞼。それがゆっくり開かれてベルフェゴールの姿を映すと、嬉しそうに笑った。ベルフェゴールは、それを呆けたように見つめていた。
『ベルフェゴールくん、お疲れ様』
何も言わなかったと言うのに、は当たり前の様に言葉を口にして、慌ててベンチの隣に空間を作った。疲れたでしょうと笑って座るように言い、そして自分の時計を見て奇声を上げた。
『こんな時間に来させてごめんね! 今度から、来れそうにないときは連絡し合おう!』
本来なら電話をすれば一発だと言うのに、ベルフェゴールが連絡をしなかったことが原因だと言うのに、自分が悪いとばかりに焦りだすを見て、偽善と言う言葉と馬鹿と言う言葉がベルフェゴールの中に浮かんだ。
『うん、それでいーよ』
けれどベルフェゴールは、嬉しくて笑ってしまっていた。その笑顔に、も嬉しそうに笑う。お互い頬をほんのり染めあい、馬鹿みたいに笑った。
『ほんと、お前馬鹿だね』
『五時間後にくるベルフェゴールくんこそ、本当の馬鹿だよ』
『うっわ生意気』
『どっちが』
そしてお互いなんとなく暮らしている場所が、時差と言う壁を越えなくてはならないのを承知していたので、用事が出来たときはベンチにメモを置くようになった。
ピンクのもやは時間など関係なく、ベンチのある場所へと誘う。
誰も通さないその場所は、なんとなく他の空間と区切られたかのような純度の高い空気を満たしていた。二人が居る間は通行人も見えず、居ない間も人が通っている空気を感じない、けれど公園にあるという不思議なベンチ。
人が通っていないはずはない。なぜならそこは、の通勤路。朝と言わず昼と言わず、当たり前に人が通る場所。
けれどピンクのもやを潜り抜けた先のベンチは、絶対といって良いほどとベルフェゴール以外の人間を映し出さない。
変な場所、不思議な場所と二人で言い合いながらも、暗殺業に従事するベルフェゴールには好都合の空間だった。
の居ない間に行ってみても、血がついたまま行っても誰にも見られない。返り血を拭く手間を惜しんで、メモを置くベルフェゴールにはとても都合の良い空間だった。
そこまでしてやり取りをしなくてもよいはずなのに、とその空間に拘っているベルフェゴールが居た。
そして今までベンチに残されたからのメモ用紙は、ベルの部屋に静かに溜め込まれている。愛の証でもなく、恋文のやり取りでも重要機密書類でもない、友人のやり取りでしかないメモ用紙。
そして今日は昨日ベンチに残されたメモによると、がおやつを作ってくる日。
いわゆる休日というやつなので、いつもより早く会える。長く会える。またあの不思議で未来っぽい話をねだって、一人でいろいろ考えて楽しんで、を血まみれにする夢を見て楽しんで悲しんで、ボスが十代目になれない話に呆然として九代目の遠縁の十代目になる男を想像して、が差し出してくれるだろうおやつを頬張って美味しいと誉めてやって嬉しいと微笑まれて多分すごく幸せな一日になる。
ベルフェゴールはまたひとつ首を飛ばす。血飛沫が気持ち良い。でも全身洗って服を着替えなくちゃいけない。血の匂いをさせて会いに行かないため。
「うしし」
楽しい。
断末魔が上がる。
血飛沫が飛んで笑う。その向こうで今日も笑って出迎えてくれるだろう、が見える。
『ベルフェゴールくん』
こっちこっちと笑って手招きして、隣に座って今日も疲れたと言う自分の頭のひとつでも撫でさせてやって、ベルフェゴールくんの髪って気持ち良いねとでも誉め言葉を引き出してまた楽しい気分になって嬉しがって笑って、きっとつられても笑って一緒に笑っておやつを食べて別の世界みたいにあったかくて笑えて壊したくなる時間を過ごしてまた別れる。
「うしし」
ボスについていくの、やめよっかなー。
やめないけどさ。面白くなくなるし。
の笑顔が見える。血飛沫が上がる。マーモンの冷めた声が聞こえる。
「ベル、終わったよ。かえろ」
「うししし」
楽しくてならない。んじゃ、お先にと手を上げて駆ける。
が待っている。オレを待っている。あのベンチで。誰も邪魔しないベンチの上に腰掛けて、笑ってオレを出迎えるために待っている。
『ベルフェゴールくん』
笑ってオレの名前を大切そうに呼ぶ。
今帰るよと心の中で言ってみたら盛大に笑えた。大笑い。王子でも大笑いするよ。マジで面白い。
「気でも違った?」
マーモンの言葉も聞こえないふり。だってオレ今最高に楽しい。面白い。馬鹿みてぇ。
「内緒」
笑う。楽しくて仕方がない。高々一人、たった一人で楽しい。なんてことだ、王子があんなたった一人の民衆に振り回されている。
『ベルフェゴールくん』
笑う。楽しそうに嬉しそうに笑う。
王妃にしてやるのも悪くないかもしれない。そのためには、王様にならなきゃいけないわけだけど。オレって王子だから造作もない。
笑う笑う笑う笑う。
ベルフェゴールは文字通り、上機嫌だった。
「あ、ベルフェゴールくん」
「昨日ぶり、」
でも会ったら何もいえない。オレってこんなに気持ち悪かったっけ? 弱かったっけ?
ベルフェゴールは首をかしげる。早く早くとが急かして、座っているベンチの隣を優しく叩く。呼び寄せられるように指定席にベルフェゴールが腰掛けると、満面の笑みでは笑った。
「じゃーん、お約束のおやつでーす」
大人が言うせりふじゃないなぁとベルフェゴールは思いながら、付き合いよく両手を叩く。嬉しそうに笑みが輝く。それが眩しくてむかついて可愛くて守りたくて潰したくてぐちゃぐちゃに泣かせてみたくなって、ベルフェゴールは笑った。
「おいしくないと吐き出した上にお仕置きだかんね」
「ないない。これ結構自信作、むしろ自信作以外もってこれないよ」
「んじゃ、ま、味見ー」
「いただきますでしょ」
口に入れる、租借する。くちゃくちゃ行儀悪く音を立てて食べる。口は閉じてねと言われて、わざと行儀悪くしていた自分にベルフェゴールは気付く。そうすればがお行儀良いときより喋ってくれるのを知っているから。
「まったく」
が仕方がないとでも言うように笑う。眉が困っている。おやつの『ダンゴ』はおいしかった。
指を舐めて顔をしかめて見せる。とたんに不安そうに目を揺らす、すごくいじめてやりたい。
「……」
わざと何も言わないでいると、が袖を引っ張ってくる。
ちょっと可愛い。
「まずかった? ね、駄目だったら出していいんだからね? 王子的にまずいんだったら、ええと、ちょっと待ってティッシュだすから」
「ま、なかなか美味かったかな」
慌てだすに、唇を舐めながら笑って答えてやる。目を丸くして、見詰め合って、そして破顔する。頭を撫でてやる。手を伸ばすだけでどきどきした、避けられないかとか考えた。確かに頭に触れた。嫌がらずに笑う。撫でてやった。
「良かった」
その一言がとてもとても自分にとって貴重なのだと、ベルフェゴールは思った。
ほっとした小さな息が、ではなくベルフェゴールの口から漏れる。
「今度はまた、オレがなにか持ってきてやるよ」
「楽しみにしてます」
餌付けして、餌付けされてという関係は友達というのだろうか。なんだろうか。
ベルフェゴールの質問に、以前は友達だと答えた。けれどなんだか、ベルフェゴールが望むものは違う気がする。友達。そんなものいらない。でもは言う、自分たちは友達だと。年齢差なんか気にしないでよと、ちょっと寂しそうに笑った。
「ねぇ、あの話してよ。オレと同じ名前のやつの話」
そういうとは困った顔をする。ベルフェゴールの記憶力は良く、思ったとおりは八の字眉になる。
「いっぱい話して、オレを退屈させないで」
「なら、今日はベルフェゴールくんが話してよ」
「やだね」
がまた困ったように笑う。
でもだって、言えるはずがない。困ったような顔をしながらも、話しているときは結局楽しそうな。十年後のオレのことを楽しそうに話す。このまま一緒に居れば十年後、もっともっと距離が縮まる未来を提示してくれる。夢の話だよと念押しするのが、またなんか王子の前に並べられた運命の材料みたいで面白い。オレはやっぱりその材料を蹴倒して好きなものだけにするんだけど。が傍に居てなんかそんなに幸せそうに笑うオレが居る十年後、なんか楽しみ。
「ねぇ」
は困ったように視線をそらす。
まぁ、だってでもオレから話なんてあんま出来る筈ないじゃん。それも分からないなんて、ほんとって馬鹿だなぁ。王子なオレと雲泥の差、少しは察することを覚えようよ。つーか、ここまで同じ人間が目の前に居るんだから、夢の中の人間と同一人物って事くらい気付こうよ。
なんでこんな馬鹿女にほれてるんだろうなぁと思いながら、困っているの横顔を見つめる。
オレがヴァリアーで暗殺者でボスの部下でマーモン達は確かに存在していて、十年後にはボスが十代目になっていないとか他の奴がボンゴレの十代目になってるとかは理解しがたいけど分かったし、なんかどこからどう見ても普通の女のがそんなこと知ってたらたぶんボンゴレ今頃崩壊してる。
なのに十年後の話とかしちゃう。なんかもう馬鹿の塊。同じ名前の王子って居るわけないじゃん、絶対オレなのになんで気付かないのこの女馬鹿じゃんやっぱり殺そうかなでも十年後楽しそう十年後のオレに嫉妬してる?
「ベルフェゴールくん、あれだ、うん、お団子食べよう」
「もう全部食べちゃったよん」
ようやくこっちに向き直ったの目が丸くなる。そしてオレの顔を見て、笑う。
「タレついてる」
笑いながらティッシュ出して口元拭いてくれる。オレそこまで子供じゃないんだけど殺すよとかも言えずに、ただ大人しくありがとって言って拭かれるオレ優しい。ちょう民衆にフレンドリーでも他の民衆は全員跪いてオレに殺されて死ね。
「十年後の君かもしれないよ?」
「だからだよ」
絶対十年後のオレの話だから今聞いておかないでいつ聞くの。
冗談で言ったらしいがまた目を丸くする。いや、冗談だよと慌てて弁解しだすけど笑って流してやる。
ほら、オレのほうが頭がいいからしょうがないじゃん。
「冗談。本気にしたの、頭悪いなぁ」
「……冗談、そう、そうだよね」
安心したようにが息を吐く。それをみて自分の言葉がに影響したのがわかって、笑う。ベルフェゴールは嬉しくて笑う。
「十年後、オレはに膝枕してもらうんじゃなくて腕枕してると思うし。うししし」
「してません! このませガキ!」
「しししし」
照れたとき、の語調は強くなる。良くある癖。強くならないときもあるけど、すごく分かりやすく目が泳ぐから読みやすい。
可愛い。
「王妃にしてやっても良いよ」
囁く。は少し動きを止めてオレを見て、そしてまたませガキっ! って叫んでオレを殴る。グーで。王子の類まれなる美しい頭部をグーで。もう信じらんないんだけど優しくなんかすぐに空気に溶ける程度の傷みだったから許してやった。グーでオレもの頭を殴って、いや撫でて後頭部に手を回して顔を近づけて鼻が触れ合いそうなほどの近さになってもう唇合わせていいんじゃないかなと思ったけど。
「ベルフェゴールくん」
顔近い、そう一言いってはするりとオレの腕の中から逃げてしまう。待てよ、待ってよ。行かないでともう一度捕まえようとしたら、の手が伸びてなんか抱きしめられた。小さいけど確かにある胸が頬に当たる。
「また明日ね」
笑っては笑ってそう言って、オレを腕から解放する。いつもオレの姿が見えなくなるまでベンチに座っているはずのが、オレを置いて『ダンゴ』が入ってた荷物持ってオレに背中を向ける。
「、なに置いていこうとしてんの」
「また明日ね、ベルフェゴールくん」
少しだけ振り返った耳が赤くなってて、頬もほんのり色づいていた。ベルフェゴールの頬もつられたように染まる。
「照れてる? オレより子供みたい」
笑うと、はなんだか悔しそうに笑い出しそうに振り向いて、手を振って走っていった。
「ばか」
小さな聞こえないように言ったのだろう小さすぎる声は、ベルフェゴールの耳に届いて流れていかなくて、しばらくベルフェゴールの腰をベンチに縫い付けた。
「……も、絶対つれてかえろ」
ベルフェゴールは熱くなった頬を確認するまでもなく、小さく笑った。