王子の知らない十年後


 次の日にが昨日と同じ場所を通りかかると、見覚えのある霧が発生していた。微妙にピンクっぽく見えなくもない。
 ドラえもんにこんなシーンがあったなぁとしみじみ思いながら、は躊躇わずにピンクへと足を踏み入れた。そこを抜けなければ、昨日の場所へいけない。あんまりにもあんまりな妖しい人物との出会いと交流だったが、怖かったのも確かだったが、好奇心は早々消えるものではなくを突き動かした。ベルフェゴールが美形っぽかったのも突き動かした理由の一つだった。
「きたきた」
 どこからか笑い声がした。待ちわびていた、と告げるように嬉しそうな声を出されてしまうと、来たも悪い気はしない。
「ベルフェゴールくん?」
「こっち」
 しししと笑いながら霧の中から手が伸びてくる。掴まれた手首が優しく引っ張られ、すぐ目の前にベルフェゴールの顔があった。
「待っちゃったよ、オレだって忙しいのに」
「お待たせしました。ありがとう」
 ベルフェゴールのわざと拗ねたような口調に、は笑って謝る。拗ねた振りした唇は、すぐにまた笑みを浮かべる。

 名前を呼ばれては、自分の背筋が震えたのを自覚した。
 甘い声。甘い甘い声。子供が口の中で舐め転がす飴のように、ただただ幸福が詰め込まれたような声。その声が口にしたのはの名前。
 昨日が初対面のはずなのに、ベルフェゴールがを呼ぶ。
 ああ、この震えは喜びなのだとが気付いたときには、ベルフェゴールはなんでもないように何かを蹴っていた。
「ベンチにでも座らせてあげるよ。疲れたとか言われたくないし」
 ししし、うししし。
 上機嫌でベルフェゴールは笑う。
 霧はいつのまにか晴れていて、そこはいつもぼんやりが視界に映している公園で、どうみても看板の文字は日本語で。
 イタリアとかそんな洒落た観光地ではありえない。
 けれど目の前に居るベルフェゴールは、当たり前のようにを拘束したままベンチへと並んで腰掛けている。
「何か話してよ。退屈させたらお仕置きだかんな」
 笑う。ベルフェゴールが笑う。も笑う。
 不思議な空間に、の悪戯心が顔を出す。
「じゃあ」
 は笑った。ベルフェゴールも、母親の微笑みでも見て嬉しがる子供の様に笑った。
 が口にしたのは、ただの気まぐれで悪戯心だった。そっくりなベルフェゴールへと贈る、ちょっとした遊びだった。
「ベルフェゴールくんにそっくりな人のお話」
 が口にしたのは、ただの悪戯心の産物。
 は微笑む。

「ベルフェゴールくんに似た、貴方より十歳くらい年上の男の人の話でもしようか」
「とてもとてもそっくりなんだよ」
「名前も、あの人は同じだよ」

 ただの悪戯心で、好奇心で、よくある二次創作での話と、の希望を混ぜたお話。

「十歳上のベルくんはね、ヴァリアーというところでお仕事をしててね」
「いつも疲れた、王子なのにって言っててね」
「マーモンまじうざいとか言いながら、いつも仕事仲間と楽しそうにしてるの」
「マーモンくんはね、すごくしっかりしてるの」
「いつもお金や資金繰りに厳しくて、ある意味生活上で一番しっかりしてる人」
「お金が大好きなマーモンくんと、支払いを良く忘れるベルくんはケンカよくしてて、でも仲良しで」

 無謀なことをした。
 けれどベルフェゴールくんは笑って聞いている。
 は少し、後悔をした。
「それで?」
 がベルフェゴールの顔色を窺うと、楽しそうに先を促す。なんにも知らないみたいに、笑って促す。
「その、オレみたいなベルはなにしたの。どうしたの」
 ベルフェゴールが首を傾げ、は望まれるままに口を動かす。思いついた理想的な想像を、あたかも事実のように口にするのは気が引けたが、段々興が乗ってくる。ベルフェゴールの楽しそうな相槌に、もまた嬉しそうに笑った。
「へぇ、そのザンザスってやつむかつくね」
「ふぅん。オレの方が高貴な血筋だけどね」
「ほら、オレは正真正銘の王子だし」
 くるくる変わるベルフェゴールの表情は、から目が見えなくてもめまぐるしくて可愛らしくて、の中に罪悪感が芽生えてくる。
 は何を話しているのか段々分からなくなっていった。けれどベルフェゴールが先を促す。楽しそうに。ああ、口を閉じたら殺されるかもな、とはぼんやり考えた。霧が二人から数メートル離れた場所でくすぶっていた。ピンク色の霧はゆらゆら揺れて、まるで楽しそうに笑っているようにからは見えた。
「でね、うん。まぁ、全部夢で見た話なんだけどね」
  は我慢が出来ず、そう話を締めくくった。
 今まで話したのは、全部夢でであった人たち。そういうことにした。夢は夢だ。夢小説とか呼ばれる夢、二次創作といわれる夢、布団の中で見る夢。
 けれどの言い訳に、ベルフェゴールは楽しそうに笑う。不思議がいっぱい詰め込まれた宝箱でも見つけたように、はしゃいだ声を上げた。ティアラが音を立てるが、その頭上からは零れ落ちない。
「へぇ、じゃあ出会う運命だったみたいじゃん。オレたち」
 ベルフェゴールの声は、不快感など微塵も感じられない嬉しそうな声だった。ふーん、ふーんとなにやら納得したような声を上げ、目に見えて動揺するを体を揺らしてあちらこちらと観察をする。
「ベルフェゴールくん?」
 戸惑い声を上げたに、ベルフェゴールはにんまりと歯を見せ付けて笑った。自信に満ちた声が、の耳に滑り込む。
「だから、はオレに話し掛けたんだろ? その、ベルに似てるから」
 実際はそんなことないのだが、二度目に会うことを決めたのは似たような理由なので、は頷いて見せた。冷静に冷静にと自分自身には言い聞かせ、どこか悩んだような振りをして背筋を伸ばす。
「きっかけはそうだね」
「うしし、オレにそっくりなんて許せないけど、許してやっても良いかも」
 何を考えているか分からないベルフェゴールの、嬉しそうな声は続く。はその機嫌の良い理由を探ろうとするが、都合よく解釈すれば『ベルフェゴールはと出会えて嬉しいと感じている』だなんて結論が出てしまい、を悩ませる。自分に都合の良い解釈をするのは、一種の願望だと分かっていながら他に答えが見えない。素直に思い込んでおいた方が良いのだろうかと、は迷う。
 けれど、どちらにせよ現在がご機嫌なベルフェゴールに殺されることはないらしい。当のベルフェゴールは未だに笑って、楽しそうにを見ている。
「うん、が話し掛けたきっかけになったんだったら、許す」
「どうして」
 の端的な質問に、ベルフェゴールは気付かないの方がおかしいといわんばかりに首をかしげる。そしてまた笑って唇を動かした。
「あんた、なんか面白いから」
「変な女だけど」
 今は殺さなくてもいいかも。
 最後の殺意をちらつかせる一言は、声に出さずに囁きベルフェゴールの中で処理された。殺すのは後にしても良いと言う感情に、ベルフェゴールの楽しさは増す。
 ヴァリアーのベルフェゴールなんて、自分ひとりしか居ない。マーモンも、スクアーロも、ルッスーリアも、レヴィも、ボスのザンザスも、九代目も、ボンゴレもなにもかもベルフェゴールは知っていた。だからこそ、その十年後らしきものを話すを、殺すのは止めた。
 自分のボスであるザンザスは、十代目になれない。
 それはとてもとてもショックな話で、ボスが日本の年下の人間に負けるなんてベルフェゴールには想像もつかないが、が何を意図してそんな話をしているかさっぱり想像も出来ないししない。本当に十年後の話か? とベルフェゴールが自問自答してみても、やはり答えが出るような話ではない。けれど興味を強く引く話題なのは確かで、ベルフェゴールの心に引っかかった。
「ベルフェゴールくん? ごめん、夢の話でも気分悪くなった?」
 は神妙な顔つきでベルフェゴールを覗き込む。
 の話した楽しい友達の話。それはベルフェゴールと同じ名前の、『ベル』の話。『ベル』は『ヴァリアー』で、『ヴァリアー』は『暗殺』するお仕事をもっていて、『ボンゴレファミリー』の『機関』で『十代目』の部下。『十代目』は『日本人』で『十年程前』に『ザンザス』たちに『勝利』して『十代目』になった。
 突拍子もない話だった。だって、暗殺しっぱなしのベルフェゴール達が負けるはずない。たかだが、日本の学生に。
 それも十年後にはすでにそれに馴染んでる、だなんて。は夢の話だといったが、十年先は分からない。それに『ベル』たちが負けたのは、『十歳ほど年上のベル』の『十年程前』だと言っていた。
「大丈夫。オレは平気」
 ベルフェゴールは頭の悪い人間ではない。
 それは本人であるベルフェゴールも自覚していることで、ベルフェゴールの傍に居る人間もわかっていることだった。
 出会ったばかりのは知らなくても当然なので、ベルフェゴールは笑う。大丈夫、オレ王子だから頭ちょー良いの。
「いきなりこんな話しちゃってごめんね。話を変えよう」
 ベルフェゴールから見て、気の毒なほど恐縮し話題を変えようとするは滑稽だった。そんなことをしなくてもベルフェゴールの気分は悪くないし、もし悪くなっていたら喋る間もなくナイフで切り裂かれているのに、それを知らないだろうは必死で次の話題を探している。
 ベルフェゴールの興味を強く引く、女。
「いいよ。それより、そのベルたちをがどう思ってるか聞きたいな」
 ベルフェゴールから次の話題を切り出すと、は戸惑うような声を上げた。ベルフェゴールはその困惑した目の色が面白くて、なんだかからかいたくなってきた。の背後後方に見える霧を見ながら、先を促す。
「好きとか嫌いとかあんじゃん」
 は少し躊躇う素振りを見せた。言って良いものか悩む素振りをしたので、ベルフェゴールは早くとせがんだ。仕方なさそうに眉を寄せたは、ぽつりぽつりと口を開く。
「殺しとか、本当はして欲しくないんだけど」
 その時のが見せた表情は、ベルフェゴールの目を奪った。話に出ている『ベル』が羨ましく感じるほど、信頼の上に成り立つ『心配』を具現化した悔しそうにしかめられた顔だった。
 ベルフェゴールは、自分がヴァリアーで暗殺を生業としていることを、口にしないことに決めた。
 どこからどう見ても、は自分の手を他人の命で染めたことがない。楽しく殺しが出来る人間には見えない。むしろ返り討ち。王子だったら滅多刺ししてる。実は今も笑いながらナイフ刺したらどんな感じかなーっと、好奇心はあふれている。けれどやらない。だって王子だから。
 ベルフェゴールの内心も知らず、は気を取り直したように明るい笑みを浮かべた。
「でも、ベルくんたちのことは好きだよ。ちょっと意地悪だけど、ツナくんたちとまだケンカするときあるけど」
 ベルフェゴールは愛想よく相槌を打つ。
 は殺さなくても、その『ベルくんたち』は殺さなくても、『ツナくんたち』は殺そう。
 面白い、不思議な、未来でも見ているかのような内容を話す
 ベルフェゴールは静かに胸の中、言葉を繰り返す。

 なぁ、実はその『ベルくん』とオレが年齢とか以外ほとんど同じって言ったら、逃げる?
 それとも『ベルくんたち』に言うみたいに、好きになってくれる?

 花を愛でる気持ちだった。
 所有物や気に入りの使用人へ向けるような気持ちではなく、誰にでも美しい姿を見せる花へと向ける独占欲のようなものだと思った。もしくは、話に聞く母親へと向ける思慕のような。ベルフェゴールには覚えのない感情なので、全く持って判断がつかなかったが。
「もう二十歳も過ぎたのに、甘えてくれるのはそれはそれで嬉しいし」
 もう少し仲良くなったら、話に出てくる『ベルくん』みたいに膝枕でもねだろう。
「ふうん。じゃあ、起きてるときはオレと遊ぶ?」
「ベルフェゴールくん?」
「遊ぼうね」
 笑う。ベルフェゴールもも笑う。
「いいよ。危ないこと以外なら」
 癖になっているような口調で、『ベルくんたち』にいつも言っているように、は釘をさす。ベルフェゴールはちりちりする胸元を自分の拳で殴る。驚いて目を丸くするを見て、笑った。
「実在の人物じゃないの?」
「頭の悪いことに、彼らは夢の中の人物なんです。ごめんね、驚かしたかったんだけどここまで乗ってくれるとは思わなかった」
 ベルフェゴールの突然の行動に目を白黒させ、ベルフェゴールの胸を打った拳を見ながら、けれどは断言する。ごめんなさいと謝りそうに垂れてしまった眉が、ベルフェゴールの笑いを誘った。
「オレ王子だから優しいの。でも絶対そいつら、実在の人物だよね」
「夢だってば。あんまり恥ずかしいこと、言わせないで」
 は頬を染めてそっぽを向く。
「痛いこと言ってたって、自分でも自覚してる。ごめんなさい」
 確かに、普段なら馬鹿にしきって殺してたかもしれない。話を聞き終わるより早く、その体を血まみれのぐちゃぐちゃの内臓ひっくり返っててかてか光るほどのお仕置きをしたかもしれない。でもしない。
 きっとそれ、オレの十年後だよ。
 突拍子もない話に、ベルフェゴールは素直に納得していた。変えるつもり満々の未来だが。
「痛くないってば。オレが言うの信用しないの? お仕置きするよ?」
「そ、……それは痛そうですねぇ」
「だろ?」
 が振り向いて笑う。
 気持ちを切り替えたのか、ふふ、と楽しそうにベルフェゴールと顔を見合わせて笑う。
「ベルフェゴールくん、ありがとう」
「どういたしまして」
 は笑った顔の方が可愛い。
 内心で断言しながら、ベルフェゴールなんとなく自分の内心の断言に納得した。なんだかがきらきら輝いて見える気がした。
「十年後にはオレの子供産んでね」
「突拍子もないぞ、ベルフェゴールくん」
 だって約束は破るためにあって、未来はオレが好き勝手するためにあるから。
 ベルフェゴールは笑った。
 が不思議そうに首をかしげた。
 そして何かに気付いたように、の伸ばされた手がティアラを器用にさけ、ベルフェゴールの頭を撫でた。人体の急所のひとつに、暗殺者の頭に難なく手を乗っけて頭を撫でた。
 ベルフェゴールは驚いたなんてものじゃなかった。今ベルフェゴールはなにも考えていなかったが、特に油断していたつもりもなかった。
 そんなベルフェゴールに対し、は心配そうに顔を覗き込んできた。
 ベルフェゴールは見せない目を丸くして、至近距離のの顔を見た。ああ、なんでこんなに近いんだと意味もなく焦りが生まれる。
「それまで仲良く出来たら嬉しいけどね」
 それでも子供は約束できないよ。
 生真面目な声が、ベルフェゴールの耳に染み込んだ。
 全部全部冗談のようで、その実本音が大分混じった発言ばかりしていたことに、ベルフェゴールは気付いた。
 と居ると気付くことが多い、とベルフェゴールは呆然とした。
「うん」
 何も知らない子供のように頷いていた。
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