09.かき消された独り言

 がトイレだなんだと大騒ぎして、小十郎に連れて行かれてしばらく。
 政宗は自らの姉と称する人間の、あまりにもあっけらかんとした恥じらいのない言動に呆然としたまま、ぼんやりと動きを止めていた。
 頭の中ではあれこれ考え、寝相と寝言があんな感じで、起きてからおしとやかと言うのはありえねぇから、まぁいいかとどうにかこうにか整合性を保とうとし、それなりに落ち着きを取り戻しつつはあったが。
 ようやく一人、肩の力を抜いて座りなおした政宗の背後に、音もなく黒脛巾が降りてくる。
 の飼い主を自称する笑みの絶えない男であり、上司を上司と思わないそぶりをする鳴神と呼ばれる忍。
 政宗はいつも通りその存在を気にしないが、鳴神は笑って口を開いた。
「政宗様、あいつは異人だ。のめりこみすぎては駄目ですよ」
「……うるせぇ」
 主を主と思っていないような口調で、政宗の背後に居ながらも相も変わらず笑みを浮かべて肩をすくめる己の忍に、政宗も視線一つ向けずに唸る。
 いじん、偉人? いや、異人、か?
 放たれた言葉の字面を想像し、意味を解すればさらに眉間に皺がよる。
 そんな主の顔が見えていないはずなのに、鳴神は政宗の反応に苦く笑う。言わねば解りませんか、などと前置きをしながらもその笑顔は冷たい。
「あいつは政宗様の姉ではない。血縁者ではない。我らが仕える人間ではない」
「うるせぇ、口出しすんじゃねぇ」
「いいえ、させていただきますよ。あいつはいつか居なくなりますのでね」
「……どういうことだ」
 ぽんぽんと、跳ねるように言葉のやり取りが繰り返されるが、鳴神の口調からは温度が消えても笑い声という雰囲気は消えず、政宗の口調には険と怒りがあからさまに混じりだし、渋面を作っていた。
 そこでようやく振り返った政宗に、鳴神は再度肩をすくめて笑う。
「あいつは本人の弁によれば、この世より四百年以上も後の世で生まれた人間だというのは、ご報告申し上げた通りでございます」
「続けろ」
「御意。こちらの世に来た経緯は望んでではなく、突発的偶発的と言えるもの。これもご報告申し上げた通りでございますれば、帰還のときも同じく突発的偶発的ではないのかと予測されましょう」
「……」
「あいつが今、毛の先から足の先まで恐れ多くも我らが主君の姉君と、自身を思い込んでいることは予想外でございますが、それでもあいつのその身、その心、その魂はこの世のものではございません」
「……」
 つらつらと、ともすれば楽しそうに語りだす鳴神に、政宗の動きは止まり、言葉は止む。けれど渋面はこれ以上ないほど険しくなり、己の忍への怒りを隠そうともしない。
 けれど己の忍である鳴神は、そんな政宗に常の笑みを崩さぬまま、語り続けた。
「さて、我らが主、奥州の竜、伊達政宗様」
「……」
「我ら忍一同、差し出がましい口を利くなどという程度ではなく、忍などという下賎な身が、貴方様にこのようなことを申し上げますのは、大変恐縮でございますが。……我ら一同、あいつが居なくなった後の、貴方様のお心を憂慮しております」
「……なに?」
「あいつはこの世の生まれではなく、このままここにいるかもしれない、けれど前触れもなく神隠しのように消えるかもしれない。それに…………」
「おい」
「ゆめゆめお忘れくださいますな。御前、失礼いたします」
「おい!」
 政宗が立ち上がり、声を荒げても鳴神は音もなく姿を消した後。
 わざとらしくなんやかんやと言の葉を並べても、あいつの顔は笑っていても、その目が芯から冷えていたのを、真正面から見た政宗は理解していた。
「ッチ!」
 それに…………。


『それに、もし本当にあいつが異世界で政宗様の姉ならば。必ず取り返しにきますよ、別世界の政宗様が。あのように寝言でもわかるほど、仲睦まじい姉弟関係ならば、別世界とはいえ、政宗様でございます。必ず、あいつを取り戻すでしょう。そうではありませんか? そうなれば、元々あいつと血縁でもない我らが竜の元には残らない。必ず消える。姉弟として散々過ごした後だったら、御心はどうなりましょう?』


 確実に温度のない言葉だった。けれど、言葉の通り政宗に対しての憂慮は本物だった。本来であれば、あのような口を利いただけでその命、挿げ替えられてもおかしくはないのだから。
 その命を目の前に差し出しながらも言うべきことだと、に本来一番関わっているはず人物としての忠告でもあるのだろう。
「……ッ」
 すでに部下からの進言ではなく、の保護者からの忠告だと受け取ってしまっている時点で、己の思考は確実に毒されているのだと政宗は頭を抱えた。
 小十郎の前でもそのように振舞っていたというのに、改めてするりと浮かんできた言葉に打ちのめされる。
「取り戻す、か」
 真面目に部下からの報告を受けたはいいが、が言ったと言う言葉をまるっと信じたりなんだりは、ここしばらく頭になかった。それよりも目の前のが気になっていた。ついには目が覚めて、ますます頭の隅にその事柄は追いやられていった。
 けれど、言われてみれば当たり前なことばかりだ。
 己であれば、例えどこにいようともあのように愛し愛される肉親を、諦めることはないだろう。
 時折辛辣な言葉を吐き合っていたようだが、それは姉弟として当たり前であったようであるし、なにより憎しみあっていない二人が和解するのは早い。愛情を忘れることなど、無いようだった。
 恋仲を作ることすら、弟である『まさむね』は嫌がっているそぶりが見えた。あからさまに妨害したこともあったようだ。
 異性と特別な関係になることを拒絶するその弟が、別世界でその姉を独占する政宗をそのままにするだろうか。
 答えは『否』しかない。
 例え自分と同じ人間であろうとも、自分の目的までの道程を邪魔するようであれば、それは排除すべきものだ。
 政宗と違って『まさむね』はが居る分、時期当主や城主、国主といった責を負っていない。
 その身軽さで何をするか解らない面もある。政宗としても、肉親を取り戻すために侵してはならない一線がある。肉親を死なせても保たなければいけないものがある。なのに、『まさむね』にはそれがない。その分ためらいも無く、政宗からを取り戻すだろう。
「……胸糞悪ぃ」
 生まれたときからに甘やかされ、両親から甘やかされ、弟や親類縁者とも比較的仲が良く、将来を決められているわけでも命を狙われているわけでもない。それなのに、きっと『まさむね』が何一つ手放すつもりも無いのだと、政宗は確信している。
 別世界の甘やかされた己と言うのを想像するのは難しいが、どれだけ甘ちゃんでも『だてまさむね』であれば、という人間を手放す道理が無い。あの甘さに一度でも浸かったのなら、離れることは毛の先ほども考えられない。さらに言えば、離れたくないと『まさむね』が言えば、あの甘いという人間が、『まさむね』の傍を離れるはずが無いとも思っている。
「ああ、くそっ」
 力なく罵倒が口からこぼれる。
 ぐるぐるとどうすればのまま、政宗の傍に居てくれるのか考えてしまう。今はそんなことより、目の前のことを考えた方が建設的ではないかとようやく冷静な部分が喋りだすが、逆上せたように考えが同じところを巡っていく。
 そんな政宗をよそに、スパァーンッ! と、障子が開かれた。
「!?」
「政宗様、まだそんな状態でございますか。とっとと執務にお戻りください」
 政宗は首根っこを掴まれたと思った瞬間、部屋から放り出されていた。
 部下がそれをがっちり受け止め、そのまま政宗が何を言う間もなく、とっとと自室へと連行される。
 目を丸くして、自分を放り投げた人物を見つめながら連れて行かれた政宗を見送り、入室した人物は大きな大きな、その地位の女性としては下品なほど大きなため息を吐き出した。

 遠くからかすかに武田の、真田幸村の鍛錬の声。そしてその部下である猿飛佐助の応える……ある意味悲鳴も聞こえる。
 敵国であったはずなのに、他国の名のある武将たちの声が日常とばかりに響き渡る様子に、今度は小さくため息を吐き出した。

「喜多様」
「政宗様は正気を取り戻されたか」
「御意」
「情けない。……見張りは頼みましたよ」
「はっ」
 外へ視線を向けたまま、室内から掛かる声に喜多も政宗のように視線を向けず応える。
 背後の声の主はすぐに消えたが、別の人物がまだ室内に身を潜めているのだろうことは、喜多にはたやすくわかった。
「鳴神。己の主になんと言う口を利くのです。弁えなさい」
「はっ」
「白々しい即答ですこと」
 すぐさま返ってくる良い子の返事に、喜多も思わず鼻で笑った。
 もちろん、鳴神もその面は笑みを浮かべている。
「今は政宗様のご希望通りに動いても、まぁ問題ないでしょう。あの小娘ごとき、どうとでもなりますからね」
「喜多様、あれは俺が世話をしている飼い犬のようなもの。処分するのであれば、お返しいただきたい」
「……ほう?」
 ひとつ動きを止めた喜多が、その言動を追及しようとしたときには、廊下から聞こえる一人分の足音。
 それは慣れ親しんだ小十郎のものではあるが、なにやら抱えているようで、喜多は三度目のため息を吐き出した。
 吐き出した息で全てを出し切ったかのように、その背はするすると何事も無かったかのようにピンと張り詰める。
 ひそりと、また別の忍から告げられたのは厠に行っていたということの経緯。
 頭を一度軽く押さえた喜多は、小さく呟くと微笑んだ。
「私は甘くありませんよ」
 その後姿を見つめていた忍の目には喜多のその伸びた背筋が、威嚇の鎌首を上げたように見えていた。

 結構すぐ後に喜多の態度が軟化した為、その忍の肩透かしっぷりも半端なかったのは余談である。



 執務に戻ったはずの政宗が不意にぼんやりと視線を泳がせていたことは、政宗の警護に当たっている忍しか知らない事柄。喜多にも報告しなかった、幼い仕種。
 何かを呟いて、正気に返ったように手元の紙を読み進めていたかと思うと、筆を動かす。
 けれどまたぼんやりと動きを止めたかと思うと、ゆるく首を振ってため息を吐き出す。
「……
 噛み締めるように、その名前を口にしていた。
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