10.触れたような気がしても
寝て起きて繰り返していると眠りが浅くなるのか、物音にがうっすら瞼を開く。そして誰かの影が見え、体格から思い当たる人物の名を投げかけると、聞こえたのかその人物がすぐに振り返った。
「起こしちゃった? ごめんねー」
「大丈夫。熟睡してたわけじゃなかったし。……さっちゃんは何してんの?」
むくりと布団から体を起こしたは、立ったまま静かに自分を見つめて笑っている佐助を見上げた。先ほどの動きから、佐助が見ていたのは外へと続く障子。何か気になるものでも感じたんだろうかと、感覚の鋭い彼を思う。佐助の表情は動かない。相変わらず、胡散臭い笑顔でずっとの動きを見つめていた。
この場所で目を覚ましてから、佐助は余裕のあるようなときはずっとこの胡散臭い笑顔だった。長く一緒に居たには良く分かる『お前を警戒しています』という、佐助なりの威嚇を隠した仮面だ。『お前を探っています』という顔でもあるのだが、たまに余裕が吹っ飛ぶと戸惑いとか嬉しさとか悔しさとか苛立ちとか、分かりやすい感情を駄々漏れにさせる。
うちの幼馴染は相変わらず可愛いな、などとは思いつつ片手で佐助を手招く。
佐助は刹那、警戒するようにを見るが、そんな素振りがなかったように親しみやすい笑みで近づき、しゃがみこむ。何をそんなに警戒しているか知らんが、なんでやねんと心の中ではツッコミを入れるが、目線を同じ位に揃えてくれたことには嬉しさを隠さず笑う。
「さっちゃん、ひまー」
「今まで寝てたでしょ」
「暇だから寝てたんですー。寂しいー、なんかすごくさみしいー」
今現在の頭には出てこないが黒脛巾の元で過ごしていた日々は、戦が始まる前までは常にの周りには忍が居た。監視という名目だったが、保護という実情もあった。何をするか分からないというのが、警戒の意味から困惑へと変わるのはそう遅くなかった。なので、静かな忍たちの元だというのに、わいわいと比較的楽しい日々をは送っていた。
だから、今現在記憶がないとしても余りにも静かな現状に、寂しさが溢れていた。原因が分からない分もやもやと消化しきれず、自分の記憶では『幼馴染』で現在『病人である自分の監視役』だと思っている黒脛巾と同じ忍である佐助で、その寂しさを埋めようと無意識の打算で甘えていた。
忍のいない寂しさは忍で埋める。
などとが無意識とはいえ思っているとは露知らず、佐助は演技の笑みが固まるのを自覚していた。
いい年した女が何考えてんだよぉー! と、叫ばなかっただけ褒めて欲しいと、ひっそりため息を飲み込む。可愛いと思ってしてんのかといいたいところだが、の態度から、『さすけ』とのやり取りとしてはいつもどおりなのだろう。躊躇いもなく、恥じらいもなく甘えてきている。心をさらけ出してうなっている。
「抱きつかせろー」
「いやいやいや」
てらいなく両腕を広げて佐助を受け止めようとする仕種は、何を躊躇っているのかと佐助をせっつくようだった。だがしかし、佐助が躊躇うのも想定内というように駄々をこねるのにもためらいがない。
ばしばしと畳を片手で叩きながら、何度か腕を広げる仕種を繰り返す。
目は佐助だけをしっかり見つめていた。寂しいと、佐助を抱きしめることで寂しさを消したいと素直にその目に表していた。
断られることを想定していながら、最後は佐助が折れることを望んでいる目。
今、の頭の中には佐助のことでいっぱいだろう。『さすけ』ではなく、今目の前に居る佐助のことで。
ふと、自分の口角が上がっていることに佐助は気づいた。の目に映っている佐助が、少しだけ嬉しそうに笑っていた。
もつられるように笑う。
「さっちゃんが嫌じゃなかったら、ぜひ、ぜひ抱きつかせてくださいー……」
さっちゃんで元気補充するー、寂しいー。へろへろと上半身を畳に突っ伏すに、演技過剰だとつい佐助は小さく噴出す。にやっとの口の端が上がったのを見た。
「はぁー……、うん、仕方ないから大盤振る舞いしてあげよう」
「わーい!」
佐助がわざと仕方なさそうに言葉を落とし両腕を広げると、瞬時に上半身を起こしたが佐助の上半身に飛びつく。が、ゴチンッ! と金属にぶつかった音がしての動きが止まる。
あ、そういえば着物の下は仕事用のままだったと思い出した佐助だったが、ゆらりと幽鬼のように上半身を起こしなおしたはへろへろと再度佐助の胸に抱きついた。
「……わー……い」
「元気なくなったね」
「誰のせいだバカ」
半泣きで額の痛みを誤魔化すためか、ぐりぐりと佐助の胸板に額をこすりつける。けれど、やはりそこは硬い何かで覆われていて痛い。
痛みに小刻みに震えて耐えているのは振動で分かる。佐助はもう一度呆れて天井を見上げるが、の後頭部の髪をやんわり引いて彼女の顔を上に向けさせる。素直に佐助を見上げてくる彼女に、佐助は呆れた顔を隠さずにその額を撫でてやる。
「馬鹿は自分じゃない? お馬鹿さん」
「……そんないい声で言われても、ご褒美だい」
「なにその口調」
「素直な感想」
よしよしと、小さな子供にするように撫でながら佐助は言葉をこぼす。は素直に目を閉じて佐助の手を堪能した。豆がたくさんあって硬くてぼこぼこしてて、決して柔らかくて気持ちのいい手とは言えない。けれど、佐助が何かを頑張った証なのだろうと素直に思えた。幼馴染であっても知らないことは多いし、けれど手がこんなになるまで頑張っていたなら、一言教えて欲しかったとも思う。頑張っている一面を隠すのは、佐助らしいといえば佐助らしいのだけどとも、小さく笑う。
「なーに笑ってんの」
「ないしょー」
間延びした声で答えながら、は顔を上げた分離れた隙間を埋めるべく、佐助に抱きつきなおす。額を撫でていた佐助は、そのまま後頭部を撫でてやる。痛みでうっすら目尻に涙をためていたがにこにこと楽しそうに笑っていることに、佐助はなぜがほっとかすかな安堵の息を吐く。
けれどこのままでは自分の着物にの涙が付いてしまうかもしれないと、は抱きつかせたまま、その目尻に佐助は自分の指を滑らす。涙をぬぐってどこぞへ飛ばすと、が不思議そうに佐助を見上げていた。
少し口をあけた、間抜けな顔に佐助も同じような顔になったあと、思わず噴出す。がそんな顔をしたのも面白かったが、自分が釣られてでも同じような顔をした事が意外で、間抜けな自分がおかしかった。自嘲や嘲笑ではなく、普通に笑っていた。はそんな佐助をしばし見つめていたが、今度はが佐助に釣られたように屈託なく笑う。二人でくすくす抱き合ったまま笑いあうが、ふとはつぶやく。
「さっちゃん、なに体に巻いてるの? 痛かったし冷たい」
人肌が感じられんとか、けしからん。
その言葉を皮切りに、ぶつぶつは佐助の着込んだ防具に対して文句を言う。佐助はただの反応の可愛らしさに笑う。
は佐助を無防備にさせて攻撃したいわけではなく、佐助の体温を感じられないのが不満らしい。子供っぽくて鬱陶しいはずの反応なのに、なぜだか可愛いと思えてしまう。佐助だけくすくす笑い続けてると、は佐助を見上げて口を尖らす。
「何でこんなの着込んでんの」
「今のには言えないなぁ」
「必要なものなの?」
「今は必要かなぁ?」
「佐助はこれ、嫌じゃないの?」
「慣れたし、必要だからねぇ」
「……なら、しょうがないか。でも明日は脱がす」
「きゃー、のすけべー」
「甲高い声出さない!」
お互いに再び笑顔で掛け合いながら畳に座り込む。硬いとが言えば、男が硬いのはいいことじゃないと佐助が茶化し、数秒考えたがどこか遠い目をする。あ、嫌な予感がすると佐助が心の中で思ったと同時にが口を開く。
「とある人妻によると、硬さより大きさより、技術と思いやりが大事だそうよ」
「何の話!?」
「え、男性の下半身と閨での話?」
「肉体! 肉体の話! 筋肉!」
「なんだー」
「すっごい良い笑顔で首傾げられても、悪意しか見えないからね!? いつからそんな下世話する子になっちゃったの!?」
「弟たちの影響かしら? 負けず嫌いっていやーねー」
「なにを張り合っちゃったの!?」
「だって秀吉さんとねねさんの猥談を弟経由で聞かされて、それならこっちも! と、帰蝶々ちゃんや信長さんの」
「聞きたくなかった! 聞きたくなかった!」
別の世界とはいえ、伊達政宗が姉と猥談。しかも対象は『ひでよし』『ねね』の名前から、豊臣軍のあれ。さらには『きちょう』『のぶなが』で織田軍夫婦まで加わって、しかもの様子だと二組の夫婦は楽しく伊達姉弟と、閨での秘め事を話したらしい。が楽しく佐助に報告してくれる内容によると、想像したくもないがどちらの夫婦が寄り情熱的に互いを愛し慈しみ、下品にならない程度に赤裸々に暴露できるかという程度まで、白熱した暴露になったらしい。それを煽ったのは、もちろん伊達姉弟なのだが、は自覚がないようだ。伊達政宗の嬉々とした表情は思い浮かべられるが、対象が豊臣だというのは理解したくない。
別世界の平和な世の話なのだからと思い込もうとしても無理だ。気持ち悪い。というか、先ほどから佐助はうまく表情が作れない。それを目の前でにこにこ話しているは気づいている。気づいていて、佐助が困っているのを楽しんでいる。じゃれあうように。抱きしめあっている体勢は変わらぬまま、その近すぎる距離に羞恥や躊躇いなども見せず、時折佐助の耳に触れたり、顔を寄せて二人きりだというのに内緒話を楽しむ。
それを悪くないと思っている佐助がいる。
が親しさを向けるのは『さすけ』だ。なのに、楽しい。
の気持ちが佐助に対して開かれているのが分かる。今までの成果での心情が幾ばくか読めるというわけではなく、慣れているからこそ彼女の気持ちが推測できているという感覚に襲われる。
違うのは分かっている。は佐助にとって、幼馴染と呼べる存在ではない。
慣れたといっても、寝ているときのだ。
彼女は目を開けて笑って会話をしているが、いまだ夢の世界を漂っているに過ぎない。目の前の佐助を、認識しているとは言いがたい。
愚かしくて。彼女の心に触れているはずなのに、全くの幻だと思い知らされる。
「さっちゃん」
「はいはい」
笑顔で佐助の手を取り、頬ずりをする彼女を目を細めて受け入れる振りをする。
それが本当に『振り』に出来ているかは、の笑顔で失敗していることは分かりきっているのに。本当に受け入れた今のひと時を見ない振りして、佐助はを抱きしめる。
このまま目覚めないまま居てくれたら、彼女は佐助を見るだろうか。
「さっちゃん、なんか言った?」
「言ってないよ」