06.役にも立たない役回り


 と佐助が「尋問」という単語を挟んだ会話をして次の日。
 穏やかなる時間というより、小十郎や佐助たちにとっては一瞬一瞬が針で障子の隅をなぞるような、緊迫した時間が再び訪れた。
 政宗の命により、の起床時間は体調を慮り自由とし、目が覚めたと分かればすぐさま水と薬と食事が運ばれた。
 天井裏につけられた忍びは伊達の者。
 そのままその者が世話をすれば済む話だが、政宗は一瞬顔をしかめた後に、苦々しいという顔を隠さずに同盟国の忍びである佐助へと世話を振った。
 なぜと、聞き返すほど佐助も愚かではないが、己の主の視線も痛い。
 けれど最終的には、幸村からも直々に命を受けての任務となった。
「現状維持でありましたな」
「急いては事を仕損じるってね」
 硬い幸村の声に、おどけた佐助の声が肯定を示す。
 政宗は鼻で笑い、小十郎は心労の見える深いため息でその場は手打ちとなった。

 連絡が届き、佐助が部屋に行ったときに食事を食べる食べないでひと悶着あったが、罪悪感から佐助の手をこれ以上煩わせてはいけないと判断したが折れたことにより、つつがなく苦い薬おも彼女の胃袋へと納まった。
「私のバッグに常備薬あるってば! あれのほうが苦くないのに」
「いいから飲んで寝る! はいはいはいっ! 横になって!!」
 佐助は呆れ顔でその「薬」がどれのことか判らないなど、微塵も感じさせない呆れ顔にてを横たえると、さっさと己の本来の仕事へと戻っていく。
 黒脛巾の誰かが常に天井裏にいるのだからといった処置だが、政宗は彼らをの前に出したくない。その為なら、そばに近づけたくないはずの佐助をあてがう事すらいとわない。
 彼女の記憶が刺激されて、どう転ぶかすでに恐ろしいと考えている政宗がそこにいた。


「……」
 ぼんやりとは天井を見上げていた。
 食事も少量だが済んだし、薬も飲んだ。あとは治るまで寝ていろと言われたものの、おはようと挨拶してからまだ体感で一時間も経っていないにとって、すでに二度寝出来ないほど目はパッチリさえていた。
「……眠れないんだが、どうすべ」
 呟いてみるが、特に解決策など思いつかない。本当に回復に集中させるためなのか何なのか、の視界に入る室内には娯楽のひとつも見当たらないため、暇を潰すことも難しい。
「本のひとつ、ゲームのひとつでも置いていってくれりゃあ、嬉しかったんですけどねぇ」
 それはそれで、目を使うなと説教されそうだと口中もごもご言いながら、はあくびをひとつ盛大に漏らした。
 暇すぎてあくびは出るが、やはり睡魔は来ない。きっと自室で茶でもしばいてるなと、勝手に睡魔を擬人化したは、さてどうするかと布団の上で立てた肘枕に頭を乗せる。
 うーんうーんと、なにか暇を潰せる遊びを唸りながら考えていると、どこか浮き足立った足音が聞こえてくる。
 足音で人を判断できるほど鋭いわけではないが、なんとなーく、本当になんとなくは政宗ではないかとあたりをつける。
 そういえば、昨日あんなに心配している風だったのに、甘やかしてやれなかったなぁとしみじみ思い返し、体勢を変えないまま障子へと視線を向けた。
 足音は実体を伴って障子の前で止まり、立ったまま…………動かなくなった。
「……」
「……」
 おい、なんか言えやとは内心呟くが、動かず喋らず微動だにしない政宗(仮)。
「…………」
「…………」
 多分これは、政宗(仮)もこっちが起きてることに気づいてるな? などとは察知し、姿勢を変えずに盛大にため息を吐き出した。
「っ!」
 とたんにびくついた障子の向こうの人物に、は引っかかったと小さく笑い声をこぼした。
「……政宗、そこに居るんでしょ?」
 おずおずと姿を見せた政宗は、と視線が合わないようにそっぽを向いている。
 それに苦笑しながら、はおいでおいでと優しく楚々と手招きをした。といっても、現在の姿勢は布団の上に寝転んだまま立てた肘枕で胸元ちょっとはだけ中という、清楚の欠片もない身内にしか見せない怠惰な状態なのだが。
 の動かす手が視界の端に入ったのか、政宗は少しばかり視線を向けてくる。が、一瞬にして左目を丸くした。
 はその怯えたような警戒していたような素振りから、即座に驚いた表情へと代わった一連の動きに、吹き出しそうなのを頑張ってこらえた。
 寝乱れたの格好は、「自分はいくら乱した格好してもいいが、俺の身内は、特に女血縁者はしゃきっとしろ」と言う政宗のよく分からない考えに反しているのだろうと、は昔、親族以外の気の置けない友人の前での格好を政宗に説教されたことを思い出した。女同士のパジャマパーティーが、新品下着披露会になってもいいじゃないか。真っ赤な顔で照れながら怒るなよ、青少年。
 しばし過去へと記憶を飛ばしていただったが、改めて政宗へと視線を向け、口の端を上げて愛しさを隠そうともせずに笑った。
「おいで。昨日おしゃべりできなかった分、ちょっと構え」
 政宗は瞬きをした後、ひとつ自分の頭を乱暴に掻いたかと思えば、小さな声で呟いた。
「……っわかりましたから、そのっ、……」
 なに照れてんだ、この子。
 久しく見ていなかった政宗の本気で照れている真っ赤な顔を見てしまい、は身体を走る痛みもいとわず思わず床の上へと転がった。
「っ!? あ、姉上っ!!」
「政宗可愛いっ! マジ可愛いっ! 私の弟かーわいいっ!!」
 頭の悪い言い回しになっているのは分かっているが、はきゅんきゅんと高鳴る鼓動をとめられなかった。己の弟に萌えるとか、それどこのブラコン!! と内心叫びながらも、格好良い顔をしているくせに、視界の端でおろおろと目を泳がせて、の身体を止めたほうがいいのか、部屋に入っていいのかいまだに迷っているそぶりにも胸をときめかせた。
 さすがわが弟、女タラシなくせに母性本能まで上手くくすぐるそのテクニック、見習いたいぞっ!!
 などと阿呆なことを考えていただが、さすがに困りきった弟を放置するほど馬鹿ではなく、体中痛みに悲鳴を上げながらも、顔を真っ赤にしながら仰向けになって悶え転がるのを止めた。
「あねうえ……」
 安堵に胸をなでおろした政宗に、もう一度、キュンッ! と胸の鼓動が高鳴るが、どうにかこうにか根性で噛み殺す。今ならパンツ一丁で氷の上のブレイクダンス出来ちゃうレベルで、色々の体温は急上昇だった。
 は一応胸元や転げまわった所為で肌蹴た裾を直そうと、まずは政宗を入室させてから力なく立ち上がった。
「あぶなっ」
「……くなったら、受け止めてくれると、お姉ちゃんは嬉しい」
「はいっ!」
「……」
 元々風邪の所為で失われた体力が、自業自得によりさらに減ったは、おぼつかない動きで政宗に背中を向けた。
「何を」
「いや、今政宗に注意されたし、ちょっと直す」
「っ、はい」
 今日は嫌に素直だな、この子。
 即座に後ろへと身体ごと視線を逸らして、着替えシーンを見ないよう配慮する政宗は良い子だ。だが、少し前まで「見せられる体に育ってんのかよ」と、むしろ覗き込んでくるくらいデリカシーのない男に成長していたはず。
 記憶の中の政宗とは違ったというか、むしろもう一人の弟、小次郎のような素直っぷりに、はなんだろうと首をかしげる。
 それほど、自分は体調を崩して心配をかけていたのだろうか。確かに、この部屋に来るまでの記憶など皆無だし、何がどうなってこうなったか、さっぱり思い出せないが。
 はて、不思議なことも起こるもんじゃ。などと首を傾げるが、その手は慣れたそぶりで寝間着を着付けなおす。

 それは伊達として生きた成果か、それともが黒脛巾の元で練習した成果なのか。

 誰も疑問に思うことなく、衣擦れの音だけがしばし部屋の中に響いていた。
「ん、もういいよ」
「……横になってください」
 安堵のため息を吐いたに、政宗はすばやく振り向くとどこか震える声音で呟きながら、の背後に立った。
 で後ろ襟がきちんと抜けているか、己の片手を回して確認していて政宗に頓着していない。
「綺麗に出来てる?」
「……すぐ横になります」
 頭だけ動かして背後の政宗を見るが、政宗はの台詞にどこかぎこちなく応えたかと思うと、後ろから両肩を優しく支えてる気遣いを見せる。
 なんだ、本当に今日は大人しいな。
 内心、政宗の素直さと優しさに戸惑いっ放しのであったが、降り注ぐ視線が困惑と期待と何かの懇願に見えて、なんぞ知らないところで政宗にとって何かあったのだと言う事は察せられた。
 なかなか凶悪方面のイケ面な政宗だが、の弟であるこの男は繊細すぎて面倒くさい面も併せ持っている。
 おかげ様で母親と姉であるは、将来そんな政宗に妻が出来たときにからかうネタとして大事に大事に口をつぐんでいるのだが、下手をすると好きな女性にそんな面を見せられずに結婚も出来ないかもしれないと、弟の将来を憂いていたりもする。
 とりあえず、将来よりは目の前の政宗だと気持ちを切り替えると、はとっとと自分の肩に置かれた政宗の手に片手を置いた。きゅっと、政宗の手を握ってやる。
 一瞬、反射的にだろう逃げる気配があったが、そこで逃がすほど甘くはない。特に、こんなに弱っている政宗は人目がないところでは甘えたがる傾向にあり、に分があった。
 思わず、目を見つめながら口元に笑みが浮かんでしまう。
「かーわいいの」
「っ!」
 またもや目を見開き、顔を徐々に赤く染めていく政宗だったが、今度はが至近距離で見つめているせいか、視線を逸らしたりはしなかった。
 ただ、どこか嬉しそうに口元を緩めている姿に、は笑みを深める。
「とりあえず、座ろ。布団の上でいいよね?」
「姉上は横になってください」
「寝あきたの。ほら、可愛い弟を畳の上に座らせたくない姉心だから」
 腑に落ちないという顔の政宗に、はわざと政宗の手を握ったまま布団の上に座り込む。
 に手を握られていた政宗も、そのまますとんと素直に布団に座り込む。
「……」
「……」
 本当の本当に素直だなと、どこか呆れ気味にが政宗を見る視線に気持ちを乗せれば、政宗の視線からは、つられたちくしょうと素直な感情が伝わってくる。
「ね、今日は本当に素直だね。心配かけて、ごめんね」
 一旦手を離して向かい合わせに座りなおしたは、中途半端にめくれあがった掛け布団を敷布団の上から追い出そうとするが、中々古風な綿布団は重く、政宗に話しかけながらサッと作業を終わらす予定だったの身体を躓かせる。
「……姉上ですから、当たり前です」
「おお、サンキュ」
 前のめりに掛け布団へとダイブしかけたその身体を、政宗は片腕で抱きとめて座り直させる。
「どうしたかったんですか」
「掛け布団退けて、ゆったり座りたかったんです」
 ため息と共に問いかけられ、素直に返せば丁寧に二つ折りされたそれは政宗の手によって部屋の端へと寄せられる。ありがとうと、戻ってきた政宗の頭を良い子良い子と満面の笑みでが撫でれば、照れくさそうにそっぽを向かれた。
 は本当の本当に本当なと三回思うぐらい素直な政宗に、辛抱たまらなくなって両腕を広げた。
「今日の政宗、本当に可愛い! 抱きしめさせろ!」
「……突飛ですね」
「突飛でもなんでもいい! つーか、その口調もういいよ! 普段の口の悪い政宗が良いよ! お姉ちゃん風邪中だけど、心は昨日と今日の政宗のおかげで元気いっぱいになったから!! カモン!」
 瞬きをして不思議そうに首をかしげる政宗に、さぁさぁ抱きしめさせろ撫でさせろと、がやる気満々に腕を広げてにじり寄る。
 同じ敷布団に座っているのだからほんの一寸や二寸の距離で、それはもうあっという間に膝小僧が触れ合った。
「風邪移っても知らないけどね!」
 胸を張っての満面の笑みに、ようやく政宗の表情が緩んで笑う。細められた目に、も笑う。
「今更だな」
「今更だけど、私はあんたを抱きしめたい。カモン! マイリトルブラザー!」
「OK,あー……」
「隙あり!」
 何かを笑顔のまま言いよどんだ政宗だったが、はそんな姿も可愛いとばかりに勢いよく政宗の頭に飛びついた。
 頭を抱きしめてその後頭部に頬を摺り寄せて、もう思う存分スキンシップをはかりに掛かる。
「……甘えたな姉上だな」
 そんなに動きを止めていた政宗も、呆れた風を装って笑い声をこぼすと、落ち着けと囁きながらの背を抱きしめる。優しくぽんぽんと触れてくるその両手に、も嬉しさを隠さずに笑い声をもらす。
 姉弟そろってくすくすと楽しそうに抱きしめあって笑いあい、そのうち政宗が恐る恐るといったぎこちない動きでを自分の膝の上に座らせた。
「うむ、良い働きぞ」
「お褒めの言葉、恐悦至極にございます」
 大げさな仕種で政宗の頭を撫でると、かしこまって頭を下げる政宗。
 体調の優れないを思っての行動と分かっているので、多少お尻が痛いがは特に何を言うつもりも毛頭なかったが、さすがに姉弟のスキンシップとしてはやりすぎだというのはぼんやり頭の隅にあった。そして鍛えた男の太腿はやっぱりちょっと硬くて痛い。
「まぁ、二人きりだし、いっか」
「なんのことだ?」
「いや、政宗優しいなー良い弟だなーって思って」
 きょとんと見つめてくる政宗に、も特に深く考えずに笑ってその眼帯の上に口付けた。
「っ」
 息を呑んだ政宗に、今更なんだろうと思っただったが、ここまで甘えておいて右目にキスされないとでも思ったのだろうかと、政宗の反応に首をかしげた。
「眼帯、刀の鍔だとやっぱり美味しくないね」
「……そこで味なのかよ」
 自分の唇を舐めて苦く顔をしかめるに、突っ込みを入れながらもどこか縋るように見つめてくる政宗。は煮え切らない政宗の態度に再度首をかしげながら、けれども姉の余裕でそっと微笑んだ。片手は眼帯を撫でながら。
「この眼帯も、政宗に似合うね。格好良い」
「…………Thanks」
 ぎこちないままの政宗に、は眼帯の周りの皮膚、そしてもう一度眼帯の上から口付けた。
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