11.舞台裏の沈黙

 ゆるりと目が開き、ぼんやりとしたその瞼を白い手が擦る。
 その後、指先が目頭目尻と擦っていき、どこか痒いのか両手が顔全体をなでるように往復した。
 満足した猫のように、くあぁっとばかりに喉の奥まで見える大あくびをかましたは、満足げに笑みを浮かべてため息を吐いた。
「すんごい大あくび」
「みられた」
 佐助が思わずといった体で障子から顔を出すと、子供みたいに無邪気に笑う声が返ってくる。
 はまた何度かあくびを繰り返しながら、佐助の視線を受け止めて首をかしげる。
「なに、さっちゃん」
「……ん。何か不自由ないかと思って」
「お前は私のおかんか」
「それはない」
 即座の言葉の応酬に、佐助の表情はキリリと擬音をつけたくなるほどうそ臭い真面目顔。
 ぼんやりしていたもけらけらと楽しそうに笑い出し、どっこいせと言いながら上半身を起こそうとする。
 すかさず佐助が背中を支えて手伝えば、力の抜けた間抜けな笑顔がありがとうを口にする。
「お安い御用ってね」
「さっすがさっちゃん。さすがの猿飛」
「なにそれ」
 呆れ顔の佐助に、はさっちゃんはスリムだもんねーと意に介さず独り言。
 佐助もいくらの寝言を聞いていたとはいえ、自分の苗字が組み込まれたタイトルのマンガについて知りえるはずもなく、頭の中は疑問符が浮かぶばかり。
 けれど下手を打ってに疑われても面倒なので、はいはいと適当に流すにとどめた。
 そんな佐助をは慣れた様子でながされたーとわざとらしく唇を尖らせるが、どこか億劫そうに小さく息をつくのを佐助は見逃さなかった。
 少々眠りなおしただけではやはり体調は整わないらしく、残念ながら高価な薬もには効きにくいらしい。
 佐助が対外的には心配げに、その実探るようにを見つめていると、それに気づいたが少し疲れた表情を隠さず、どうしたのと佐助に首を傾げて見せる。
「体調、やっぱすぐには治んないね」
 なんでもないように佐助が口を開く。
 その実、隙あらば引き倒してその口を割ってやりたい衝動を押さえ込みつつ。
 けれどはそれに気づいているのかいないのか、ほんの少し空笑いをすると両腕を天井へと伸ばす。ぼきりといい音を鳴らすと、自分で肩をもみながらもう一度ため息。
「いつものことじゃん。あー、なんで私、風邪にはいっつも負けるんだろ。おかげで薬も効きづらくなっちゃうし」
「……そうだっけ」
 佐助は、肯定するかほんの少し迷ってみたが、どこか茶化すように首を傾げて見せた。
 間違えたかと不穏な鼓動を胸の下で鳴らしながら、けれどそんな佐助を見ることなく、はあくびをしつつ首を揉む。
「あー、さっちゃんには言ってなかったっけ? 私、だいぶ薬効き辛くなってきちゃってさ」
「へぇ」
 気のないように返答に注意する佐助は、その所為かと熱の下がらないの横顔を見つめる。
「いっつもまさやこじの風邪とか貰うし、抗体できててもおかしくないんだけどなぁ。なんでか、私ばっかり風邪に負けるんだよね。おかげで毎回薬代が高くついてきついっすわ」
 政宗や弟の小次郎、姉弟そろって病にはそこそこかかりやすいらしい。佐助の知っている伊達政宗をみていると、にわかには信じられない台詞。……今の伊達政宗だけを見ていれば、の話だが。
 佐助は意識して笑顔を浮かべて、口を開いた。
「きついのは親御さんでしょうに。が自分で薬買うわけじゃないでしょ」
「えー、自分で買ってるよー。最近は薬代を別にお金分けてるくらいだし」
 バッグに常備してるし。見てもいいよー。
 佐助の予想を裏切り、は真逆のことを口にする。
 ばっぐ? と佐助が首を傾げて見せれば、辺りを見回したはここにはないなぁと呟いた。
「そういえば、私の荷物とか部屋とか、いまどうなってんの? んで、ここどこ?」
 当たり前の質問すぎて、一瞬佐助の息が止まる。
 ごまかさなければと思う。誤魔化さなければならない。この正体不明の人物に、隙を悟られてはいけない。
 冷静な佐助の思考の一部はそう考えるが、とっさに言葉が出てこない。まだそこまで設定を練り上げていないのだ。寝ている間に何をしていたのだと叱責されようが、上司たちがうんうん唸るばかりで埒が明かないのだから、佐助としては自分は悪くないと思いたい。
「あー……」
 あからさまにどうしようかという言葉を口にしてしまう。
 そんな佐助の変化と動作に、寝起きとはいえ佐助だけを会話の相手として見つめていたので、気づかぬわけもなく首を傾げてしまう。
 佐助の目はを見ているようでさりげなく直視しないように逸れているし、表情は笑っているようだがどこかぎこちないことが雰囲気でかもし出されていた。
 かもすぞー、などと内心で阿呆な独り言を呟いたは、いくつになってもさっちゃんはポーカーフェイスが下手くそだ何だと和む。本人は上手くやっているつもりなのがまた笑えると思いつつも、そこを突付けば怒ることも知っているので、そ知らぬふりで舌を動かした。
「なに、私また軟禁されたわけ?」
「は?」
 軽く、なんでもないようにが呟いた言葉に、佐助は目を丸くしての目を見つめ返す。
 しっかりと合わさった視線には満足しながら、虚を突かれた佐助の表情に吹き出すのをこらえてため息を吐き出した。
「あー……なんだっけ、私、寝込んでたんだっけ?」
「あ、ああ、うん」
「だから、また治らない内に外に出ないようにとか、夜遊び夜更かししないようにだとか。……まぁ、そういう情けない理由で軟禁されてるんじゃないの?」
「……」
「違うん?」
 まともな言葉も出ずに、じっとを見つめる佐助を放って置き、自分の推測をとりあえず口にしてみるの目は諦めとどこか気恥ずかしさがにじんだ伏せ目で、脳裏には軟禁されていなかった場合の自分の醜態が再生されていた。

 ああ、熱があって気分盛り上がりすぎて、木登りして池に落ちて爆笑したことあるなー。あの時は慶次くん巻き込んだっけか?
 治ったとか言いつつこっそり買い物に出かけて、図書館でダウンしちゃったこともあるなー。
 よそ様に風邪菌撒き散らすな馬鹿娘って、あの時は両親にステレオで怒られたなぁ。拳骨食らって目がちかちかしたの、体験するとは思わなかったよなぁ。

 どこか哀愁の漂う微笑を浮かべだすに呆然としたまま、佐助はとりあえず頷いてみた。
「あ、いや、皆心配してるから、だし」
「それは分かってるよ。私がじっとしてない所為で長引くんだし」
 つっかえる佐助を気にしないまま普通に返してくるは、佐助を改めて見つめると困ったように笑う。
「今度は脱走防止にさっちゃんまで借り出したんでしょ? ほんとごめんね」
「……いや、それも別に」
「でも、ここがどこかは教えられない?」
 呆然としたまま肯定しようとしていた佐助は、そこで楽しそうに含み笑いをするを見た。
 布団を膝の上に載せたまま、まだ熱の所為で火照っている顔を折りたたんだ膝の上に乗せたは、布団に頬擦りしながら笑う。
「これも逃亡防止?」
「……」
「それとも……」
 佐助が言葉もなく見つめていると、意味深には語尾を濁した。
 一旦目を閉じて布団に顔を擦りつけたは、小さく息を吐いて目だけで佐助を見る。
 佐助の目が、無機質に観察をする者の目へと変わる。
「私を、尋問するため?」
 瞬時に音のなくなる室内。
 視線が絡み合ったまま、身動きをしない両者。
 聞こえるのは、熱にのために呼気の荒いの吐息。
 時折吹く風の音に、ふっとの呼吸が乱れ、咳が出る。
「っ、っふ、あははははっ!」
 激しく咳き込みながらも爆笑するに、警戒心を強める佐助だったが、ふとそのの目に気づく。

 完全に、本気での、大爆笑だった。

 隠そうとしないだらしなくにやにやと緩められた目元と口元。
 笑いすぎで潤んでキラキラと輝く悪戯坊主丸出しの好奇心。
 どこかで見たことのある、子供のような純粋な笑顔。
「……」
 力の抜けた佐助は、大きくため息をついて一度床に片手を着いてうなだれるが、布団の上に身を乗り出して身をよじりながら咳き込みながらも大爆笑なは、そんな佐助の姿にますます笑いを募らせる。
「ったく、冗談じゃないっての」
「ばーっかで! 引っかかってやんの! さっちゃんばーっか!!」
 ひーひー言いながら体の痛みと風邪と戦うは、顔を真っ赤にして大喜び。
 佐助は子供より性質が悪いとぼやきながらも、はいはい軽く流して布団へとをきちんと押し込めなおす。
 その際に、一度両腕で抱き上げたのだが、数ヶ月食事をしなかったためか、恐ろしいほど想像より軽い体にうっかりを空中に放り投げた。
「っ!」
「っぃ!」
 佐助も己の失態に驚いていたが、さすがに空中浮遊をさせられると思っていなかったも一瞬息を呑んだ。
 思わぬ効果で静かになっただったが、佐助もさすがにおそるおそるを腕の中に抱きなおしてその顔を覗き込む。
「……」
「……」
 黙って腕の中のを覗き込む佐助と、両手で己の胸を押さえて驚愕に歯を食いしばり引きつった顔という、女を捨てた顔のまま固まる
「……いや、ほんとごめん」
「……こっちこそ、調子こいて、ごめん」
 静かな沈黙の後、お互いの視線をごくごく至近距離で絡ませた後、ごちりと額をぶつけ合って二人は謝りあった。


「んで、さっきの尋問ってなに」
 きちんと布団にを寝かせた後、布団の横に座り佐助が胡坐を組んだ自分の足を掴んで揺れつつ、何の気なしにを装って首をかしげる。
 はまた思い出したのか一度大きく吹き出すが、佐助の白い目に気づくと咳払いをして軽く口を開いた。
「あー? 遠縁のじじ様ばば様連中が、なんか言い出してるらしいよ?」
「なんて?」
 呆れ顔のに良い話では無さそうだと見当をつけた佐助だったが、次の言葉に動きが止まった。
「一応養子に誰かくれとか今更言い出すというか、不服ならしかたねぇから渋々だけど妾にならしてやるからお前来いとか」
「へーぇー?」
「妾とか、今更時代錯誤も良い話だよね。そんな甲斐性も地位ない上に、うちらとそんな縁もないくせにさ。妾にしたいなんていえない歳と顔と財産なしなくせに」
「そんなに甲斐性なしな遠縁なんだ?」
 の剣幕に、そりゃ武家じゃなくなっても守役のつく家系だったら、ただの遠縁が妾だなんだとかは無礼討ちもんだよなぁ。などと戦国ならではな思考回路で頷く佐助だったが、は一度悪態をつけば、どこかすっきりした顔で笑った。
「だから尋問というか、正確に言うなら洗脳して養子だか妾だかにされる、とらわれの私! を、演出してみようかと思ったけど部屋が部屋で、なんか尋問の方が雰囲気出るかと思った」
「へーぇー?」
「すげぇ良い笑顔で怒るの止めてくださいごめんなさいもうしません許してくださいごめんなさい」
「ふぅ……。これだからこの姉弟は」
 戦国でも別の世でも、悪戯というか相手を引っ掛けるというか、ある意味猪突猛進好きというか。
 呆れる佐助に、けれどは良い笑顔で手を上げた。
「小次郎は良い子だから!」
「馬鹿」
「あいてっ」
 綺麗な軌跡を描いた拳骨がひとつ、の脳天を直撃した。
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