10.無表情


 愛しげに微笑むに、誰も彼女が思い違いをしていると告げなかった。
 政宗の返答の後、軽くものを食べさせ薬を飲ませてやれば、すぐには普通の睡眠へと戻っていった。心配するなと、すぐに治るからと重ねて安心させるように言葉をつむぎ、頷く人々に笑みを見せて。
 肉親や、身内、幼馴染や友人に向けるような言葉と態度と眼差しからは、疑念のぎの字も伺えなかった。
 その事実を確認しあい、それぞれ思った以上に嵌っていることを再認識する。
 吐き出されたため息は、珍しく四つそろっていて、二対の主従はそれに驚きもしなかった。
「詐欺でござろう」
「むこうが勝手に勘違いしてきたんでしょうが」
「利用してつけ込んだのはこっちだぜ?」
「不審人物であることは揺らぎませんからな」
 ひとつ言葉を発すれば合いの手、返答、肯定、否定と順繰りに会話はめぐっていくが、肝心の結論が出ぬまま時ばかりが過ぎていき、誰もがをどうしたらいいか分からないままであった。
 本来ならば、自身に身分の証明を求め、それを調査し、結果によっては処分か保護か放逐かなどと簡単に進むはずの事項だったはずなのだが、佐助を最初に見たのが悪かったのか、彼女の呼びかけを否定しなかったのが悪かったのか。
「すっかり家族だと思われてるよねぇ」
 佐助が政宗を見て、疲れたように呟く。
 それについて政宗はそっぽを向き、肯定も否定もしない。
 奥州を預かる人間としては困ったことなのだが、政宗個人としてはああも無防備に愛され慈しまれ保護されるという感覚は、ついぞ知らないものばかり。の背後が分からぬ分、政宗の暗殺を狙っての演技かと疑うのが定石だが、政宗はがひょろひょろで筋肉の少ない身体だという報告を受けている。童子程度だということを知っている。
 それに、政宗には分かる。あれが嘘偽りの無い愛情だということも、が本当に政宗を自分の弟だと思い込んでいるということも。
 伊達に命を狙われてはいないし、一時期母親との仲が危ぶまれた経験も生きている。
 その目が、その指先が、その声が政宗を自分の愛する弟だと呼び、政宗を愛していると告げていた。
 それは男女の愛ではない、友人の愛ではない、主君への愛ではない。
 根本的に育まれ傍にあり、当たり前に注いできたと告げられた姉から弟への愛だった。
 注がれる政宗が、自分は弟ではないと激怒することも出来たというのに、冷たく突き放すことも出来たのに、弟だと肯定してしまったのは、もう本能といって良い。刷り込まれるように寝言で聞き続けその愛情を、政宗がその身で受け止めたいと望んだこと。
『まさ』
 可愛いのだと、愛しいのだとその目が声が手がすべてが物語っていた。
 政宗の存在が、この上もなく大事で愛しい弟なのだと、は全身全霊で伝えてきた。


『……、?』
 政宗とが短いながらも言葉を交わしたしばしのち。
 小十郎が会話をかわしたっきり動きのない政宗と、無理やり佐助たちによって食事と苦くてまずい薬を飲まされたの動きのなさに名前をためらいつつも口にしてみれば、視線の先に居るは、改めて政宗に触れたまますうすうと聞きなれた寝息を立てていた。
 安心していて、完全にこの空間に身をゆだねていた。
 静かにの動きを見守っていた政宗の顔色は変わらず呆然としていたものだったが、何かに気づいたかのようにざっと顔色が勢い良く青白くなる。
『姉上っ!』
 己の膝に触れていたの手を慌てて掴み取り、軽く力を入れて眠りから引きずり戻そうとする。
 けれど力加減をした力など起きるに値しない衝撃で、は眠ったまま。
 傍から見ていて、がまた眠り続けてしまうのではと一瞬で考えに居たり、恐怖にかられているのは明白だった。
『……なに。まさ』
 けれどその心配は無用とばかりに、少しだけ眉根の寄せられたはうっすらと瞼を開き、寝ぼけ眼で覗き込む政宗の眼を捉えていた。
 掴まれていた手を握り返し、近づいていた政宗の頭をよしよしとばかりに躊躇いなく撫でる。
 再び動きの止まった政宗に気づくと、首をかしげて頭を撫でていた手で後頭部を掴み引き寄せ、自分の胸の上へと倒れこませるに、他の三人は呆気にとられたまま身動きが取れなかった。
 そのうち二人は21世紀の日本で育っていたら、胸中口にしていたであろう。
 あ、デジャビュ。とでも。
 実際はまさしく似たようなことを眠っていたがしでかしていたのだが、今度は起きていて意識のあるだ。政宗を起きて、認識している
 自分の胸に倒れこませた政宗の手からも後頭部からも手を離さず、はそのまま政宗のつむじに話しかける。
『なに、もう。ねえちゃんねむいんですけど』
『っ』
『んー、まさがねえちゃんだいすきっこなのは、わかってるから、だいじょぶだから』
 つむじに掛かる息や言葉、体中に降りかかるすべてに身震いをした政宗に、は喉の奥まで見える特大のあくびをひとつすると、政宗のつむじに唇を落とした。
『あ』
『あ』
『っ』
 思わず真田主従の声がそろい、小十郎も息を呑む。
 けれど肝心の政宗は何が起こったか理解できず、はもうひとつあくびを浮かべて特になんの感情も見せない。
 はそのまま政宗の後頭部を撫で、眠気と愛情で蕩けるような眼差しを浮かべた。
『よしよし、風邪治ったら一緒の布団ででも寝てあげるから、今日はうつらないうちに部屋に戻りなー』
 完全なる子ども扱い、且つ、慣れた言葉と笑い声。
 動きのない政宗のつむじに何度か唇を落としたは、呆然と見つめている三対の目に向かって、バチンとばかりにウィンクを向ける。
 そのウィンクが妙に手馴れているところに、政宗と姉弟という片鱗が見えたとのちの三人は語る。
『じゃ、三人ともまさのこと、お願いね』
 ああ、でもこじゅうろーさんはのこってくれると、ありがたいですわー。
 また熱が上がってきたのか、ぐてぐてとした手の振りで要望をつむいだ彼女は、政宗が腕の中からそっと見上げてきたとき、視線が合うと顔中で笑顔を浮かべ、頬と頬を触れ合わせて可愛い可愛いと政宗を絶賛し、戸惑いながらも小十郎が了承すれば、まるで糸が切れたかのようにがくんと睡眠の世界へと飛んでいった。
『姉上ー!』
『うるさい』
 再び政宗が騒いで、即座にが一発殴ったのも、さすが姉弟だとのちの三人は語る。


「政宗様、病人の傍で騒ぐことなど言語道断。落ち着きというものを身に着けていただきたい」
「うるせぇ」
 回想をした小十郎がうっかり説教しちゃうのも、ご愛嬌。
 政宗はふてくされて小十郎からもそっぽを向くが、その顔は笑っていた。
「姉上が目ぇ覚めた直後にあんな寝方しやがんのが悪ぃ」
 どこか胸を張って言い訳をする政宗に、さすがの幸村も少しだけ眉根を寄せる。
殿は、政宗殿の姉君ではござらん」
「お前にゃ関係ねぇだろうが」
 即座に噛み付いた政宗に、一瞬だけ、幸村は目を見開く。
 けれど次には眉根を寄せた表情に戻り、不快そうに政宗を注視する。
「関係などないと、今更申されるか。本当に真実、殿の弟君が自分だと申されるのか」
「黙れ」
「旦那」
 真剣な幸村の言葉に、政宗は先ほどよりも剣呑に眼を光らせて一刀両断し、さすがに佐助も黙っていられず幸村の制止に掛かる。
 けれど幸村の視線は変わらず、ほとんど政宗とにらみ合いに近い状態になる。
「あのように無防備にこちらを見ている殿に、傍に居た政宗殿が情を移されるのも某は理解しているつもりだ。けれど、立場を誤解されたままというのは納得がいかん。保護したと事実を話し、部下についての感謝を述べるだけにとどめるべきではないか?」
 なぁ、佐助。
 言葉は佐助に向けているようで、けれど幸村の視線は政宗から離れない。
 正論を吐く幸村に瞠目しながらも、政宗は正論だからこそか睨む力を強めた。
 そんな主二人を静かに見ていた小十郎は、小さく思案するような声を上げると、幸村を見て口を開いた。
「正論だな。だが、てめぇはあいつの誤解を解けるのか?」
「それが道理でござろう?」
 なんでもないように小十郎に返答する幸村の視線は、やはり固定されたまま。
 政宗も負けん気の強さゆえか、幸村から視線を外さない。
 小十郎は動かぬ二人にため息をつきつつ、言葉を続けた。
「ならお前は言えんのか。あんなに平和な世界らしき場所にいた女に、ここは生き死に紙一重で暗殺も戦も日常茶飯事、お前が弟だと思っている男は城主でお前をくびり殺そうとしたことがある。お前が守役だと思っている男はお前に刃を向けたことがある。お前が幼馴染だと思っている男はお前を下卑た言葉で罵倒し、気でそぎ殺そうとしたことがあると」
「……」
 淡々と事実を言葉にする小十郎に、返答しようとしていた幸村の唇がしばし動き、しっかと噛み締められる。
 政宗の眉は一瞬痛みをこらえるようにしかめられ、次の瞬間小十郎を睨んでいた。
「いや、俺様べつに削ぎ殺すまで考えてなかったから。ちょーっと怪しいなーって気ぃ飛ばしただけだから」
 その中で一人、お気楽口調で訂正する忍びが一人居たが、幸村を淡々とした目で見つめる小十郎も、言葉をつむぐことが出来なくなった幸村も、小十郎を悲しそうに見つめるに至った政宗も、誰も言葉を返さなかった。
「あー……」
 さすがにちょっと空気を変えるには無理があったかと、佐助は己の後頭部を掻く。
「ま、今は無理に話をしなくてもいいと思うよ、旦那。まずは体調整えないと、話を聞いてまた倒れたらどーすんの」
 どこか困ったように肩をすくめながら、佐助が穏やかな声でなだめの言葉を口にする。
 その言葉に三人がいっせいに佐助へと視線を向けたが、普段から飄々としている忍びは少しも動揺せず、落ち着かない三人へと笑いかける。
「やぁーっと目が覚めたってのに、警戒させてどうすんの。もうちょっとこの機に乗じて、情報収集って体で話し合わせといてもいいと思うけどー?」
 ゆるーく笑う己の忍びに、幸村は徐々に肩の力を抜いていき、ぽつりと同意の声を上げた。
「そこのお二人さんも、別に現状維持に問題はないでしょ?」
「……ああ」
「まぁな」
 どこか歯切れ悪く口にする小十郎と、笑って口の端をあげる政宗の対照的な反応に、苦笑しながらも佐助は「はい、話はまとまった」と一応の話の終結にため息を吐く。
 もう一度目線を合わせ、無表情になりそっぽを向いた政宗と幸村の態度に、佐助はがっくりと肩を落としつつも、天井を振り仰いで今後の身の振り方を模索しだす。
「さぁーて、どうすっかね」
 脳裏には、なんでもないように笑うの姿が、浮かんでは消えていた。
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