04.思うところ


 その日、はいつものように人の少ない屋敷内を散策していた。
 すでに思いつく暇つぶしは尽き果てて、せめてネット環境完備のパソコンがあればとありえない希望しか思い浮かばない。屋敷に滞在し始めて半年近くなる時間の中、はあくびをして屋敷内の小川の傍でしゃがみこんでいた。
「ひま」
「お仕事ほしい」
「ひま」
 小川を見ても穏やかな流れと、小さな生き物達の生活が見えるだけ。その流れに血が混じることも、ぼろぼろの鎧が流れてくることもない。戦の真っ最中だというのに、恐ろしいほど穏やかな時間の流れを感じ、は身震いする。
 暇すぎて死にそうだと、今のところ一度も自分の世界に帰れそうな雰囲気もないは、膝に顔を埋めて座り込む。
 の生活習慣を聞き、朝昼晩と用意してもらえる食事。毎日着替えるようにと山ほどもらった着物のお古。暇がつぶせるようにと、継続するように言われた読み書きの練習。邪魔じゃないと笑ってかまってくれる、武器庫の番をしている人々。武器の補充に帰ってくる人々。が知らないところで働いているんだろう、無数の人々。
 特に同情されたような対応はされたことがない。
 がここに居ることに反対する声も、最初は上がっていたのを知っている。そして受け入れてもらえていない部分も確かにあるのだと、分かっている。
「……っ!」
 なのに、が感じるこの世界は優しい。必ずが自暴自棄にならないように、誰かが優しい声を掛けてくれる。
 ここがどこかなのか、正確なところはまったく教えてもらっていない。山で、忍びが暮らす屋敷。その程度だ。
 でもそれを補って余りあるほど、さりげなく甘やかされている自分をは知っている。けれど、この世界の外で生きていけるとは思えないほどの優しさに、飼い殺されてしまいそうな錯覚を覚えるのも確かだ。
「……なんで」
 何も知らない自分を、心配してくれているのだと分かっている。
 に親切をしても、仕事上利益があるわけでもない。気遣いが細やかなだったり愛想が良いわけでもない、美人や可愛いといわれる顔でもない。どこか有力者の娘でもない。
 本当にただの厄介者だと分かっていて、世話をしてくれているのだということも分かっている。
「……っう、…………っ」
 涙がこぼれる。自分が何をしたいのか、どうしたいのか、どうされたいのかもわからない。
 涙はとめどなく零れ落ちて、まるで小さな子供になったような気分になる。この見知らぬ世界に来て、自分は泣き虫になったらしいとは止められない涙に嗚咽を噛み殺す。
 成人を過ぎた女が、こんなに良くしてもらっておいて、嗚咽を漏らすだなんて恩知らずだ。
 その一念で、は必死で嗚咽を噛み殺す。噛み殺して噛み殺して、意識がぼんやりふんわりしていくのを感じた。ああ、泣き疲れて眠ってしまうと自覚したときには遅く、ゆるゆるぷつりとの意識は途絶えた。
 眠ってしまったの頭上で男がひとつ、小さな笑い声を漏らした。


 なんでだ、と男は声を荒げた。
 なんでもだ、と男も声を荒げた。
 複数の男達が、そうだそうだと追従した。
 しかたねぇな、と一人の男の声がすべるように男達の間へと染み込んでいった。
「そいつを連れて来い。縛り上げてでもだ」
 絶対的な言葉に、その場のすべての人間が頭を垂れた。
 少数の男達は、俯けた顔の下で己の唇をかみ締めていた。


 ひと段落着いた戦のあと、そう言えばと声を上げた内容はいささか聞き逃せない内容だった、と政宗はため息を吐く。傍に居る小十郎に視線を向けると、政宗の前で頭を垂れている三人の忍び男を睨みつけている。
「それで、なんだ」
 政宗のそれよりも恐ろしく低い声が、男達へ言い訳をしてみろと迫る。
 自軍の忍びとはいえ、今回の所業は確かにいささか不適当。主の判断を仰がねばならなかった事態とも言える。政宗は小十郎の対応をとがめもせずに、頭を垂れる忍びの長を見た。
「害のない小娘の検分は、私め自らが行いました。政宗様に害なすものではありません」
「なら今すぐつれて来い」
 先ほどまで重鎮なども集めて話し合いをしていたが、この戦前後に現れた不審な女を一目も見ず、害なしと処置を口にするほど馬鹿ではない。政宗は鼻で笑い、長の頭を見る。
 先ほどまで激高と言っていいほど声を荒げていた、長以外の若い忍び二人はすでに口を利く素振りもない。だが、自分の忍びを助けた女に礼を言わないほど薄情な主ではないと、政宗はもう一度違った意味を持って笑う。
「誰も取って食うとはいってねぇ。検分含め、礼が言いてぇだけだ」
「……政宗さま?」
 小十郎の怪訝そうな声に、政宗は笑う。
「つべこべ言わずにつれて来い。you see?」
 ご機嫌で笑う政宗に、是と長達は口にして姿を消した。
 他のやつらを黙らすためにとはいえ、埒の明かない討論に苛立って縛り上げてでもといったが、さてはてどんな女が目の前に連れてこられるやら。
 政宗はあくびひとつ大口でもらすと、小十郎に茶を持ってこいと催促をする。
「で、いるんだろう? 武田の猿よ」
「いるに決まってんでしょ。教えたの俺様よ?」
 あの子、結構大切にされてたしさぁ。
 なんでもないように天井から姿を現した佐助は、小十郎の鋭い視線も何のその、笑顔で政宗の前に腰を下ろして茶の注文をする。文句を言おうとした小十郎だが、政宗が機嫌よく受けてしまって渋々佐助の分の茶も用意を始めた。そんな小十郎に笑いながら、政宗はひたりと佐助を見据えた。
「で?」
「ああ、女?」
 政宗の視線にどうという揺らぎも見せず、佐助は差し出された茶をすする。特に何の緊張も見せず、自分からそらされない政宗の視線も意に介することなく、天井を見上げながら言葉をつむぐ。
「特に怪しい素振りないけど、自分のところくらいきちんと見てたほうが良いと思うよ。ただの気まぐれで教えただけだし。大将や真田の旦那に何かあったら、竜の旦那が知らなかったって言っても、責任とってもらうし」
 のんびりと天気の話でもするような口調に、政宗は吹き出し小十郎は眉間の皺を深くする。それすらも気にした素振りもなく、佐助はああ、そうそうと言葉を続けた。
 先ほどの喧騒がうそだったかのように、その場には静寂が横たわっていた。
「あれ、なんか知ってるよ」
 政宗の笑いがやみ、小十郎から表情が消える。
 佐助はずずっと茶を飲みあげると、ごっそさんと一言つぶやいて姿を消した。
 小十郎の視線が、ゆっくりと政宗に定められる。政宗は自分の膝に肘をつき、静かに息を吐き出した。
「……まぁ、検分は済んだってんだ。見てからだなぁ」
「御意」
 己の忍びを信頼しすぎるのもいけない。けれど。
 手近にあった煙管を手繰り寄せると、政宗はゆっくりとそれに火を加えた。


「なぁ、竜の旦那のとこだろ」
 移動中の佐助の視界の端、見覚えのある装束の忍びたちが通り過ぎる。佐助は軽くなんでもないように声をかけるが、男達の移動は止まらない。中には先ほど政宗たちの前で頭を垂れていた忍びも見えたが、佐助にとってはそんなことはどうでも良いことだった。
 見覚えのない人影が、忍びの腕に抱かれている。
 ああ、隠すように匿われていた女かと見当をつけた佐助は、すぐさまその女の顔が見えるよう正面へと飛び込んだ。抱えていた忍びの足が止まり、周りにいたほかの忍びの視線が佐助に突き刺さる。役目を邪魔するなという以上の、剣呑な目の光。
「なになに、この子があんた達の匿ってたお姫様な訳?」
「貴様には関係なきこと」
 切って捨てるような代表者の言葉に、佐助は口の端だけで笑う。
 関係あるよと囁くと、忍びの男達が殺意を隠そうともせずに威嚇してくる。なんて笑える茶番だろうと思いながらも、佐助は手を伸ばせば触れられる女へと指を向ける。
「だって、俺様が竜の旦那に教えてやったんだから。この子のこと」
 途端に向けられる明確な意思は、殺意どころではない。佐助の肌も粟立ち大笑いをしてしまいそうなほどの、完全なる狂気。
 さりとて佐助にとって危機になるほどのものではなく、現在は主同士同盟を組んでいる間柄上、お互いむやみに殺し合いが出来るわけがない。分かっていて挑発した佐助は、こらえきれずに吹き出した。そして、涙の跡が残るその女の顔を見て侮蔑の笑みを向ける。
「うわー、不細工」
 この上もなく愉しいと、隠す素振りもなく嘲って見せる。
 そして幾人かの激昂した忍びと刃を合わせ、取りあえず死なない程度に昏倒させて、女を運んでいく少数の背中を見送った。今は別にそんなに大事にしなくても、殺しゃしないのに。などと喉奥で笑いながら見送った。
 なぜあんな平民を匿っていたのかは気になるが、少しの暇つぶしが出来た佐助はあくびを噛み殺しながら帰路へと付いた。
「あー、笑えた」
 佐助の主が、もうじき団子が食いたいと騒ぐ時間になっていた。
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