駒鳥はどの実が好きか


 ルッチがを抱えて、ブルーノの酒場二階に駆け上がってしばらくの間、ブルーノとカクの間には沈黙が横たわっていた。
「……声を、出しておった」
「迂闊だ。時間帯を考えれば分かるだろうに」
 呆然としたカクの言葉に、やはりどこか動揺しているのか、のんびりとした口調を忘れたブルーノが、渋面を作って言葉をこぼす。気さくな酒場のマスターなどそこには居らず、そのまなざしはただただ厳しい。
 この距離ではルッチが隠そうとしなければ、聞くなと言わなければとの会話は駄々漏れだ。カクもブルーノも二人の会話を余すことなく聞き取ってしまっている。その中で、が言外に叫んでいる言葉も聞き取っていた。
 後ろめたいと。
 ごめんなさいと。
 愛してると。
 でも、憎いと。
 でも、そばにいたいと。
 子供のように泣きじゃくりながら縋る様子まで目に浮かぶようで、普段の様子が嘘のように取り乱したは子供を通り越して幼児のようだ。
「……はあんなに子供じゃったか?」
「普通、だったなぁ。今は違うが」
「子供みたいじゃのう。まぁ、あんなことしといて嫌われないと思うほうが傲慢だとは思うんじゃが」
 言葉を切り、カウンターをカクの指先が叩く。
 カクの知っているは、一般的に何の問題もないただの同僚だ。友人ともいえる間柄までなり、アイスバーグの何かを知っていないかと探った相手だ。
 普段は落ち着きあのある人間だが、一度興奮しだすと手がつけられないし、手に負えないと分かっていてもケンカごとに頭を突っ込む無鉄砲馬鹿で、ストレスがたまれば暴飲はしないが給料を暴食へとつぎ込む悪い意味で大人の女。耳年増で下ネタもいけて、カリファと違って上品のかけらもないが、一応礼節はわきまえている女。けれどカクたちと比べれば成長が可哀そうなくらい足りない身長と胸とスタイルと、可哀そうなくらい体重だけは平均な女。身体に関するからかいはありだが、悪口はご法度な女。
 要するに、一山いくらで居そうな女。
 なのにいつの間にか、ルッチに告白されているような女。
 ルッチは後日カリファやカクやブルーノ全員で問い詰めたところ、作戦だ作戦だと口にして、本気なわけないだろうと笑っていたが今やこの通りの有様だ。なにが作戦だ、なにが本気なわけないだろうだ。ぶっちゃけに近づくのはカクの役目だった。というか、カクが友人になったことだしもっと近づく? と、全員で検討中だったはず。
 は甘っちょろい。親しくなれば老若男女かかわらず甘い。でろでろに甘やかす場面は見たことないし、きっちり幼い子供にはしつけの一線を越えないようにはするのだが、やはり甘い。自分の領域に入れた人間に対しては、格段に甘えさせ甘えると分かる人間だった。
 だから上手く誘導すればぺろりとあれこれ喋るだろうと、カクがその口で表情でキャラクターで陥落させようとしたのだが、なにがどうなってそうなったのか、ルッチの暴走。最初は女を利用すると面倒くさいとか言っていたくせに。しかももオッケーしちゃうし意味わかんないと思わず叫びたくなるのは仕方がないだろう。
「むかつく」
「……なにがだい」
「わからん。むかつく」
 友人であるカクにも、はルッチが好きだと言わなかった。取り持てとも、ヒミツだけどと話すこともしなかった。聞けば「世界が違うじゃない」とあっけらかんと言われたが、世界が違うなどと遠慮するようなお前じゃないじゃろと言えば小突かれた。
 実際、政府の役人とばれずとも、ウォーターセブンにて職長をやっているだけでも、との格差はあると言えばある。アイスバーグが拾った人間で、出生不明の力も頭もない女。だからこそ、同僚ながら誰でも出来る仕事しか任されない。長の位につくこともないだろう。けれど、彼女が泣きながら怒られながら仕事を一生懸命しているのも知っている。恩を返すのだ、自分の足で立つのだ、守られてばかりでは死んでしまうとばかりに、足りない頭を回して足りない体力にひーひー情けない声を上げて、がむしゃらに働いていた。
 その姿は、素直に好ましかった。
 だからこそ、友人だ、と他人に言われるほどに親しくなり、己の口からも友達じゃろうと言葉にし、時折仕事中だと忘れるほど楽しい一瞬があったのも嘘ではない。
「なにが作戦じゃ、ぼけ」
「……カク」
 思わずカクが半眼で毒付けば、ブルーノはため息を吐いてたしなめる。
 どれだけカクの周囲にいる人間と比べて色んなものが劣ろうとも、気のいい友人であったに告白した挙句、作戦だとか言いながらも現在二階にておろおろしたり、泣いてるに縋られて硬直しているルッチに、カクは文句が言いたくてたまらない。

 結局ルッチは、から何一つ、本当になにひとつ、必要なものを聞き出していないのだ。ルッチの意思として。

 任務を言い訳にいちゃつくだなんて、不謹慎!
 思わず指差してキャラクターに合わない言葉を言いたくなるほど、カクはルッチに文句を言いたかった。実際多少の嫌味は言っているのだが、堪えた様子はない。しかもたまに手製の弁当を食ってたりする。しかもルッチはルッチでに手製の弁当をこしらえたりもする。さらには手製を交換したりする光景も見られたり見られなかったり。
「わしは不満じゃ」
 カクは日常的にも任務成果的にも、大層不満に思っていた。
 設計図は見つからないわ、アイスバーグの守りは堅いわ、カリファですら入り込めない何かがあるわと、任務だけでも根本的な解決を見出していないと言うのに、リーダーがなにやっとんじゃわれ。
 恋人愛しさに滞在伸ばすつもりかと思われたが、それはそれで任務を遂行しようと努力している姿勢は認めるが、さり気なくさり気なく、のめりこんでいくルッチをカクは本当に近くで見ていた。それはルッチと同じ職長だからということもあるし、にとって一番親しい友人となったためでもある。
 時には真横で、ルッチとが睦言とも呼べない言葉を交わしているのを見ていた。
 時には真正面で、二人の会話が終わらないかと聞きながら待っていた。
 時にはぽつりとのこぼす、嬉しいんだか悲しいんだか分からないといった風な言葉も聴いていた。
 いつ、そんな気持ちを募らせ育てていたのだと聞いても、ルッチもも分からないと言う。
 特ににいたっては、「私、元々カクのことが好きだったのに、いつルッチが好きになったんだろうね」と笑って暴露してくる始末。思わず「わはは! お前さんがそんな事! 気色悪いわい、!」などと笑い飛ばしてしまったほどだった。笑い飛ばすしかなかった。カクにとっては。
「……なんで、ルッチなんじゃ」
 カクは、本当に不満だった。
 しかめられた眉間、ゆがめられた両目と唇。ブルーノは黙って飲み物を差し出す。カクはそれを一息で煽るが、グラスを空にしても落ち着かなかった。不満は消えなかった。
 の一番そばにいたのは、カクだったのに。
 カリファがアイスバーグに頼まれて優しくしたが、懐いたは懐いたのだがどこか一線を引いた態度の。アイスバーグには遠慮しつつも全身全霊で信頼と親愛を示すくせに、他の人間には確かに確実な一線を引いていた。
 そこに、カクはそのキャラクターを買われて引き合わされた。わざと親しくなるよう、任務とは別にアイスバーグからも頼まれた。そしては、カクに対して引いていた一線を、いつの間にか消していた。友達だと、親友だと時折口にするほど、カクに許していった
 その後は街で友人も出来たのだが、やはり一番親しい人間はカクと言ってはばからなかった。嫌がるそぶりをしつつも、満更でもないのはカクも自覚していた。
 はアイスバーグを一番愛している。それは恋愛と言うくくりではなく、誰もが認める恩人への愛。その人への愛。けれど、だからといって毎日毎日何かしら話しに行くほど子供でもなく、けれど仕事をしていれば愚痴の一つや二つ出ると言うもので、それらは全てカクが受け止めていた。が愛しているのは誰かと聞かれれば、アイスバーグと答えても、一番親しいのは誰かと聞かれたらカクと答えるのが日常となっていた。アイスバーグもカクも、それを傍で聞いていて悪い気もせず二人で笑っていたものだ。
「なのに今現在、が愛しとるのはルッチとか納得いかん! そこはわしじゃろ!? わしの名前出すところじゃろ!! なんでルッチなんじゃ意味ワカラン!」
「……カク、そろそろ誤魔化せなくなるから任務に行こうか」
「パウリーにやらせとけ! 麦わらは今はどうでもいい!」
「言い切るなよ。仕事しろ」
「嫌じゃー! 二階でいちゃついとる馬鹿がおるのに嫌じゃー!!」
「はぁ。お前は振られたんだよ、カク」
「振られとらん! 告白もまだだったんじゃ!!」
「……今はルッチの恋人だろう」
「奪う!」
「奪うのか……」
「プルトンの設計図奪っても奪う!!」
「……カク」
「フランキーも殴るしアイスバーグも殴る! パウリーも結局わしへの借金清算できとらんから殴る!!」
「八つ当たりの上、パウリーのはこっちの都合だろうが。パウリーに昨日までじゃなく、一ヵ月後を期限にしてたお前が悪いんだろう」
「わし悪くない! の男の趣味が悪いのが悪い! わしのことが好きだったくせに、告白もせず諦めたが悪い!!」
「……思われてると気づかない、お前の甲斐性がないだけだろう」
「……」
「カク?」
 散々わめいて子供のようなことを言っていたカクの口がぴたりと止まる。
 ブルーノの声掛けにも反応を返さず、ほんの少しの間を置いて鼻をすするカク。
「ルッチのやつ、わざとにちゅーしおった。ぶっころす」
「……」
 確かにそのような音も気配もしたがと、ブルーノはあきれ返って半眼でカクを見る。目も赤く鼻も赤いので、カクが本気で泣いているのは分かってはいるが、一応五年間と命をかけた任務中、しかもチェックメイト寸前だと言うのが分かっているのかと言う、呆れがやはり勝ってしまう。
 カクはもう一度鼻をすすって、けれど次には豪快に鼻をかむと立ち上がって歩き出す。
「どこへ」
「任務。付き合ってられん、わしは先に行くからぶっ飛ばしていいじゃろそうじゃろわしがぶっ飛ばすまっすぐ行ってぶっ飛ばす右ストレートでぶっ飛ばす」
「……から聞いた漫画の話。そんなに気に入ってたのか」
「富樫働け」
「お前が働け」
「ルッチも働け」
「……言って来よう」
「ふん!」
 勝ったとばかりに胸を張るカクはカウンターに座りなおし、肩を落としたブルーノは二階へとあがっていく。
 本当はとっくにあれこれやっている時間で、でもが発狂ともいえる大立ち回りをしたおかげで、逆にルッチたちが姿を見せずとも良い状況になっている。彼らの姿が見えずとも、「ああ、をなだめてんだな」というような。
 なので、まぁもうちっと位はルッチに猶予は与えられるのだが、ブルーノの言うとおり任務の最中。しかも大詰めも大詰め、仕上げる直前と来れば何事も手早く済ませたいものだろう。
「それに、この任務が終わっても、は傍におるんじゃ。任務に集中して、さっさと帰ってからいちゃつけばいいじゃろうに」
 に言葉を尽くして説明するのが嫌なら、さっさと何もかも終わらすしかない。
 が泣いて怒ってアイスバーグを庇いに走る前に、事を終わらせてしまえば良い。一緒の列車に乗るニコ・ロビンものことは通達し、手を出すなといっている。仲間の命が掛かっているので下手なことはしないだろう。海兵たちには通達していないが、ルッチやカクが傍にいれば、の身分の保証足りえる。
 ルッチがどうに説明するかによるが、カクにとってはに愛想をつかされれば良いと思っている。本当に、奪いたいとも思っている。
 今更この感情の名前を知らないだなんて言わないし、カクは自覚をしている。だからこそ、ルッチに怒られてもに触れるし、抱きしめるし、その名前を囁いて愛しいと思うのを止められない。今日なんぞ、アイスバーグを心配しているからと分かってはいるが、カクの名前だけを呼ぶわ泣くわ抱きしめ返すからだが震えてるわで、この可愛い女どうしてやろうかと思ったのだ。ルルも居たたまれないようで姿を消したので、カクはうっかりちゅーしてやろうかと思っていたのだが、さすがにルッチに止められた。威嚇すんな馬鹿。
 八つ当たりしてやろうと思えば格好の話題。
(わはははは! あのルッチが右往左往動揺の上、顔が一瞬青白くなりおったわい!)
 会話の最中に吹き出さなかったのが奇跡とも思えるほど、カクは愉快だった。状況を忘れたわけではないが、恋敵に一矢報いた気分だった。いや、むしろカクの本音としては、略奪されたような気分でもあった。が、本当はカクのことが好きだったと言ったあのときから、ただの一過性の好きではなく、カクにとっては「奪われてしまった愛する人」に変わっていた。
 それがどれだけ自分勝手で捻じ曲がった認識であっても、から告白されたら気持ち悪いと自分で言っていたがゆえの、自業自得が多分に含まれた上での結果だと理解していても、認識は自分自身ゆえだとして、自業自得も親友の軽口だったからと言い訳して。
 それでも、もし、万が一、億が一。
 が、カクに告白してくれていたら。
 カクは目を見開いて、軽口を叩いて。けれど、彼女が本気だと分かれば、戸惑って、言葉で確認して、戸惑って。……けれど、本気なのだと分かれば。ほんの少し頬を染めて、目を細めて、笑っただろう。
「うれしいと、……わしもじゃと、言ったのに」
 抱きしめて、頬擦りして、きっと恥ずかしがって真っ赤になって悪態をつくだろうに、大好きだと伝えただろう。
 きっとそのときは、任務のことも立場のことも頭になくて、嬉しくて嬉しくて、カクにとって最良の日となっただろうに。
「……ちくしょう」
 頭上の階で平然とを抱きしめているルッチが、憎らしくてたまらなかった。
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