05:盗賊の独占
の内心としては、なんだか二人とも見たことあるような顔で聞いたことあるような名前だな、知り合いに居たっけとその顔を見つめ返しながら考え、とにもかくにもこんなに良い人たちに助けられた自分は特別な存在なのだろうと、混乱したまま少々愛される飴のCM・ヴェルタースオリジナル的な思考へとたどり着いていた。
そのたどり着いた思考である「自分は特別な存在」なことが、多少でもなく間違っていない事など知らないは、辺りを見回してもハンターハンターのキャラクターの光景が見えないことに歓喜する。どんなときにでも視界の隅に彼らは居て、時には自分に語りかけてきていたのだ。頭がおかしくなったのかと、悩みすぎて気が狂うかと思っていたほどだった。
最終的に殺されかける幻を見てしまったが、試しと話を振ったところ肯定されてしまい、殺されかけたことは現実だったらしい。これだったら命の危険がないハンターハンターの幻の方がなんぼかマシだと思うが、まあ、助けられた現在両方とも幻であって欲しいものだ。
は笑顔を浮かべて出されたコーヒーを飲むが、なんだか目の前の男性二人に引っ掛かりを覚えてならない。一度放棄した議題だが、突き詰めて考えた方が良いだろうかと自分自身に問い掛けてみる。
やめとけ、まだ混乱してると声が聞こえた気がした。もちろん空耳だ。
そしてふぃんくすと名乗った男性が動き出し、も意識を外に向ける。
「で、どうする」
「なにがですか?」
フィンクスの言葉には首をかしげ、そして思い当たったとばかりに笑顔で軽く頭を下げる。
「服のお金は支払わせてもらいますし、後日またお礼に伺わせていただきます。甘いものがだめとか、持って来るなら菓子よりお酒とか、なにかリクエストがありましたら」
「違う違う」
当たり前のように朗らかな笑顔で話し出すを、慌てたシャルナークが遮る。遮られた方のは、きょとんとばかりに目を丸くしてシャルナークを見つめた。
「現金の方がお好みですか?」
「違うっつの」
今度はフィンクスに突っ込まれ、ますます分からないとは首をひねる。
そのの顔を見て、シャルナークとフィンクスは苦笑い。
シャルナークの指が、引きちぎった洋服のタグを引き寄せる。自然との視線もそちらに向き、タグに書かれた文字を読む。
そして、の動きが止まった。
「……」
「……」
シャルナークやフィンクスとしては、「うらおもて」の世界の言語と自分たちの言語が違っていることは分かりきっていたので、の反応も予想の範囲内だった。
けれど当のは言語が違う以前に、見覚えのある記号としてその文字群を捉えていた。
見たことある。
これ、絶対見たことある。
あの人たちが、たまに見せてきた文字だ。
あの人たちの共通言語。
ハンター言語だと分かったは、勢い良く顔を上げてフィンクスとシャルナークの顔を見る。見る。見る。
二人が戸惑い頬を少し色づける程、真剣に少しも見逃さないとばかりに見つめた。
「ふぃんくす、さん?」
「お、おう」
「しゃる、さん?」
「一応、正式にはシャルナークだよ」
戸惑いながらも返事をする二人の言葉を聞き、は頭を掻き毟りたくなった。むしろ自分の毛という毛を引きちぎって毟り取って、精神病院へと直行したくなってきた。
幻が終わったかと思ったら、今度は実体くさい夢ですか!
きっと剣を振り下ろされたと思ったのも夢で、母親とサーカスデートというのも夢なのだ。でなければ、こんなことはありえない。いや、ありえないことはありえないわけだけど。
心の中で某ホムンクルスのグリードさんの言葉を復唱しつつ、は引きつった笑みを浮かべた。
「具合悪くなっちゃった?」
「おい、大丈夫かよ」
当たり前のように心配してくる初対面だけれど優しい男性二人。
普段だったら自分が誘拐されたんじゃないか、この人たちに連れ込まれたんじゃないか、このままお世話になってしまったら二人の魅力に自分がやばい行動に走ってしまうんじゃないかなど。とりあえず犯罪とか色々考慮に入れつつ、好み顔二つをじっくり眺めるだが、この状況でそれをするほど神経は図太くない。
異世界に行きたいなとか二度と思わないから、平穏な生活返してっていったじゃんよ! と号泣したい。心の中で泣きつつ、はそのまま意識を失った。
「わー! が倒れたー!」
「パク、いやマチか!? むしろ団長医者連れて来いー!」
パニックを起こす紳士の仮面をかなぐり捨てた男二人の声が、遠くなるの耳にかすかに届いたが、現実逃避したの意識には届かなかった。
結局、誰を呼ぶこともなく失神したをフィンクスのベッドに寝かせ、二人は頭をつき合わせてため息を吐いた。
「……マジでだな」
「うん、そのものの反応だった」
実は現在も連載中の「うらおもて」において、ようやくやっと主人公のサトルたちが話の流れ上、やむ終えなく自分たちのもうひとつの姿を話した場面でも、は確かめるように目の前の人間の名前を確認するように呼び、ものの見事にひっくり返った実績を持つ。
が目の前で失神という出来事にパニックになった二人だったが、落ち着いて考えればなんてことない事態。むしろこの時点で鬱陶しがって、普通なら一般人なんて興味を無くし殺しているような場面。
まぁ、せっかく出会えた漫画のキャラクターなので、もったいないと言うかもっと一緒に居て話したいというか、漫画で見たときよりもっと話しやすくて雰囲気が優しいだとか、そんな感想を二人は抱いていた。
「まだ、あいつに出会ってねぇんだよな」
ぽつり、と独り言のようにフィンクスが呟く。
「まだサトル達の正体も知らなくて、本当に一般人なんだよね」
答えるようにシャルナークも、ぽつりと独り言のようにもらす。
失神したは、いつのまにかすやすやと気持ち良さそうに眠りこけている。二人が顔を覗き込んでいることにも気付かず、シャルナークが髪に触れてもフィンクスが頬に触れても、なんだか幸せそうに眠っているだけ。
「生きてるな」
「生きてるよ」
呼吸の音は健やか、布団の上から分かる胸の上下も規則正しく、どこにでもいる一般成人女性。
「荷物、そろえねぇとな」
「服と、下着と、化粧品と、お金と。ああ、の歯ブラシとかコップとかお皿とかも買わなきゃ」
漫画で知りキャラクターとして呼んでいたからか、名前を呼ぶことに躊躇はない。
指折り数えて女物は分からないとシャルナークが考え込むが、フィンクスはパクノダ達に聞けば一発じゃねぇかと簡単に言ってのける。
けれどその言葉を、シャルナークは一蹴する。
「だめ。まだ他の誰にも伝えるつもりはないよ」
「何でだよ。絶対団長も興味持つぜ。なんせ漫画のキャラクターが」
「だからだよ」
フィンクスの言葉を遮り、シャルナークは拗ねたように唇を尖らせた。久々に見る子供っぽい仕草に、フィンクスは気持ち悪ぃと突っ込むより次の行動を待ってしまう。自分の魅力を分かっているシャルナークだが、現在仲間の前で無意味に子供っぽい仕草はしなくなっていた。年若い部類だと認識している分、精神的余裕を持って行動していたシャルナークの変化を、付き合いの短くないフィンクスは敏感に感じ取っていた。
「だからって、なんだよ」
「盗られたくないじゃん、せっかく先に会えたのにさ」
シャルナークは触れていた髪の毛を口元に引き寄せ、うやうやしくキスを落とす。からかう様な面白がるような表情ではなく、どこか神聖なものに触れるような表情だった。
その表情に、フィンクスの手がの頬から離れる。代わりに、の足元のベッド端に腰を下ろした。
「隠しておこうよ。しばらく暇なんだし、世話は交代ですることにしてさ」
「ガキじゃねぇんだから、こいつだって一人で生活できるだろ。……つーか、こいつ飼うつもりかよ」
話しているうちにじわりじわりと実感が伴ってきたのか、フィンクスの顔が歪んでくる。
漫画のキャラクターの戸籍など、もちろんこちらの世界にはない。
それならば流星街の住人にしても良いと思うが、実際問題自身はそんなことなど知るはずもない。戸籍が当たり前の様にあり、当たり前の様に自分の家族が世界にいて、当たり前の様にこのまま家に帰られると思っているのだ。
文字が違うということで失神したと言うことは、別の国に自分が居ると認識でもしたのだろうとフィンクスは予想するが、間違っても「別世界」へと連れてこられたなんて知らないのだ。
滅多にない憐憫の感情すらわいてくる。
本来なら手にすることの出来ない体温、手にすることの出来ない自分に向けられる笑顔、手にすることの出来ないはずだった「名前を呼ばれる」と言う行為、手にすることの出来ないはずだった「個人的な」交流。
家族の話を振れば、きっと「うらおもて」の主人公サトルたちの話が出るだろう。原作のデータブックにも載っていないことが分かるかもしれないし、意外な秘密が暴露されるかもしれない。
のスリーサイズも時期によるがデータブックに載っているので、シャルナークが服を盗ってくるにも困らなかったくらいだが、データブックは一から百まで何もかものデータを載せているわけではない。
読者としての好奇心、一人の人間として一人の女に対する好奇心。
「……分かるけどよ」
フィンクスが呟くと、シャルナークはそれを待っていたかのように笑みを浮かべての髪を離す。
「飼う、ってわけじゃないけど。やっぱり手元に居て欲しいし、第一発見者なわけだし」
「むしろオレらが引きずり込んだんだろうが。すぐに向こうに返しゃ、問題なかっただろ」
言いながらフィンクスもシャルナークも、そんな選択肢が端からなかったことに気づく。
自分達は自分達の世界に居て、これからもずっとこの世界で生きていく。対して、は否応がなしに引きずり込まれてしまい、生活が一変する。それこそ、表にも裏にも知らない人間が居ない盗賊犯罪集団の「幻影旅団」の人間と、一緒に生活していく羽目になる。一般の生活には戻れない、愛する家族とも引き離される。気まぐれに二人のうちどちらかが、鏡の存在や使い方を教えなければ、絶対的に故郷へと帰られないかわいそうな籠の鳥。
なのに、助けたし助かったからはいバイバイと言う選択肢は、二人の間にはなかった。
欲しいものは奪うのが盗賊。
欲しいとも思っていなかったし、今でも鏡の言う「望みのもの」が「」だとは思ってもいないが、一度手にしたを返す選択肢はなかった。
あまりにもありふれた一般人である、内面を漫画やその他の媒介で知りすぎているせいもあるだろう。
どれだけ悩み苦労し打開していこうとしていたか、読者である二人は痛いほど知っていた。主人公達や敵たちのように数多く描写されていたわけではないが、知っているものは知っていた。
だからこそ、漫画のキャラクターたちではない自分達が、の傍に居られるこのありえない出来事の価値を理解していた。
同じ世界に生きていたなら、絶対に知りようのないの内面。だからこそ惹かれた面もあった。だからこそ二次元媒体でキャラクター達に好意を抱けるのだろうと、二人は思った。
「返さねぇけどな」
「当たり前」
機嫌よく人の悪い笑みを浮かべる二人は、の機嫌を損ねないようにあれやこれやを準備を始めた。
「んで、どれから盗ってくる?」
「むしろ部屋移動する? どっかでもっと広い部屋借りてさ、三人で住めそうな奴」
「んじゃここは倉庫代わりにするか。鏡も見られたら面倒くせぇしな」
当たり前の様に二人はあれやこれやと仕事をリストアップし、手際よく役割分担を済ませていく。
「で、あとでなんで知ってるのとか言われたら面倒だから」
シャルナークは極々自然に粘着液塗れののバッグを手に取り、液体を拭っていく。綺麗になったところで、部屋の床に中身をひっくり返した。
「お、携帯」
フィンクスも極々自然な手つきでの携帯電話を手に取り、慣れた仕種でメールや着信発信履歴を漁っていく。
「なんか面白いのあった?」
「まず読めねぇよ」
けれどフィンクスがシャルナークに手渡すと、シャルナークが笑顔でフィンクスにとある着信履歴を示してくる。
「これ、サトルだよ。で、こっちがケイコでこっちが」
「なるほど、見覚えのある文字だと思ったんだよな」
「負け惜しみ?」
「うっせ」
なんの罪悪感もなく着信発信履歴の名前を読み、メールの内容も漁っていく。シャルナークがいくつか読み上げ、他愛のない晩御飯メニューのやりとりやら仕事の愚痴に、二人とも笑って携帯電話を閉じた。
の携帯電話はテーブルの上に置かれた。
化粧ポーチ、手帳、財布、レシートの束、いくつかの名刺、割引券。
特に何の変哲もないバッグの中身を、シャルナークとフィンクスは丁寧にテーブルへと並べた。
「では、『バッグの中身が濡れていないかチェックした』と言うことで」
「異議なし」
これで二人がイオリの名前や、他の人間の名前を口走っても言い訳できる。もっと言えば、が寝言で言っていたことにしてごり押ししても良いのだが、極力友好的に行きたい二人はまどろっこしい工作をした。
「んじゃ、一時間後な」
「鍵かけとく?」
「ああ、お前持っとけ」
家の鍵は常時適当なところに放り出されている。フィンクスにとって鍵をかけるかけないは些細なことなのだが、鍵を見つけたが外出しても面倒だ。
「結界はれるやつが傍に居れば、まだ楽なんだがな」
「今は切実に同意」
漫画を読む限り、よっぽど親しい人間の家でもない限りは家主が居ない家を出たりしない。鍵が置いてあっても、勝手に使ったりしない。分かってはいるが、それで侵入者がこない事とはイコールにならない。
が逃げないように、が運悪く侵入者などというものに会わないように。
土台すぐには無理な話なので、二人はさっさと部屋から姿を消した。