02:とある人気漫画の話
それは少年漫画雑誌で連載されている。
それは少年たちに人気なのはもちろんなこと、年齢も性別も問わず人気の作品で、小説化、ドラマCD化、アニメ化、ラジオ化と様々なメディアに飛び出していった。そのうち演劇の方にも着手されるらしいと言う話も流れているし、もちろん海外にだって広く翻訳されて発刊されている。
人気なのは、もちろん主人公の男の子。
けれど主人公だけでなく、その仲間達が人気なのは最もな話で。
そしてその敵役の人間達が人気と言うのも、良くある話だった。
成長し続ける主人公の姿に心を馳せる人も多く、仲間達の将来展望を本気で応援する人も多い。敵役にキャラクターに心酔し、二次元と言うことを忘れてしまう瞬間すらすでに常識な人気漫画だった。
人気過ぎる漫画は、長く長く連載される。
出てくるキャラクターの数も増え、把握できない人も出てくる。
女キャラは少年漫画で主人公成長物語と言うコンセプトから、重要な役目を担っていたり、数あわせだったりしても数が少ない。主軸は、少年達の成長だった。
けれど数少ない女性キャラクターには、その他の男性キャラクターと違い名前がしっかり付けられていて、名前を言えば読者がすぐに顔を思い出せる程度には浸透していた。
その女性キャラクターの一人に、【・】という名前の人間が居る。
その漫画は、とても平和で平凡で血生臭くない一般人の世界から、主人公達が裏側を覗いてしまうところから始まっている。
・はそんな主人公達の年の離れた従姉弟のお姉さんで、時折顔を出しては主人公やその友人達の愚痴を聞く程度の出現率だった。
別に姉御肌でもなく、魅力的な容姿と言う訳でもなく、突飛な発言や天然でもなく。
けれど主人公達の、たった一人の「平和で平凡で安らげる」年上の女性になっていた。
恋愛感情要素は、一切描かれていない。けれど主人公達からの信頼は得ていて、主人公達が学校の場面では見せないような顔も、・の前では見せていた。
それだけのキャラクターだった。主人公達に「平凡な日常がある」と言う実感を生ませるキャラクター。肩肘張らず年上の何も知らない女性に頼る、そんな弱さを見せる少年達のワンシーンを生むためにできたと言うような、そんな女キャラクターだった。
彼女は死なないだろう。多分最終回辺りで、お帰りとか言って普通に宿題の話でもするんだろうと思わせる、そんな平凡で特出したところのないキャラクターだった。
漫画の名前は、「うらおもて」。あっさり単純なタイトルは、内容の人気とは逆にあっさりしすぎていて略しにくく、覚えにくいと少々不人気である。
軽い音を立ててページがめくられる。主人公達がぼろぼろになりながらも勝利し、家路につくシーンになった。家の前には、鞄を小脇に抱えた。主人公達は喜びに目を輝かすが、浮かべたのは力のない笑み一つ。そんな主人公達に気づいたは、目も口も丸くして駆け寄ってくる。
『どこで遊んだらそんなになるの! 早くお風呂に入っておいで!』
自分の家の様に慣れ親しんだ主人公の家を開け、が主人公の母を呼ぶ。事情を全て知っている母親は、事情を知らないに向かって笑って見せ、主人公達を風呂へと招いた。
「フェイタン、そろそろ返して欲しいんだけど」
シャルナークの文句を聞き流し、フェイタンはページをめくる。それに対してシャルナークはもう一度声を掛けてみるが、数十巻は昔の単行本だというのに、フェイタンは絵と活字を追いかけるのに忙しい。無視と言うより、完全に自分の世界に入っていた。
シャルナークはため息をひとつつくと、傍に居るフィンクスへと視線を向け、開きかけた口を閉じた。
フィンクスはフェイタンと少々違い、最新の連載雑誌を無言で読んでいた。シャルナークは大きなため息を吐くと、つまらないと唇を尖らせて酒を煽った。
「シャル、お前うるさいね」
ごくりと酒が嚥下された瞬間の声に、シャルナークもうんざりと顔をゆがめる。何の邪魔もしていないのに、とぐちぐち言いながらシャルは天井を仰ぎ見た。
「今週もコトリ、可愛いなぁ」
小さな声だが、フィンクスの声はしっかりと室内の人間達の耳に届いた。「コトリ」とは「うらおもて」のヒロインの一人、主人公「サトル」の幼馴染だ。幼く愛らしい容姿を持ちながら、「サトル」の戦いでの援護をしている。今週号では出会って生まれて18年が経ち、いつも傍に居るお互いの関係を再確認しているシーンがある。コトリは頬を染めて恋心をほのめかし、サトルはそれに対してなんとなく顔を赤くしていた。
フィンクスの言葉を、シャルナークは鼻で笑って流した。空になった酒瓶を放り出し、単行本を手にとってめくる。
「フィンクスは分かってないね。ミキが一番だよ」
ミキは同じく「うらおもて」のヒロインの一人で、サトルの一つ上の敵の娘だった少女。19歳の誕生日を先々週号で迎えたミキは、その大胆さからサトルにキスをねだっていた。父を母を仲間を故郷を裏切り、それでも貴方が大事なのだとサトルに迫り、サトルの目を白黒させていた。
そのシャルナークの言葉に、今度は眠っていたはずのシズクが首を傾げる。
「えー、ケイコママが一番いい女だよ。間違いないって」
サトルの母親、ケイコはサトルが「裏」を見てしまうことを知ってショックを受けていたが、徐々に納得しサトルや仲間たちの支援を行っていた。現役を退いてなお、ケイコは戦いの場においてはその名を知らぬものなど居ない猛者だった。自分の父も母も守り、愛する夫を守り息子まで生んだケイコは、「表」においても愛される女性だ。
シズクの言葉に、「うらおもて」の小説を読んでいたパクノダとマチが顔を上げる。
戦う女キャラクターの名前がいくつかあがり、敵側のキャラクターの名前があがり、去年死亡したと思っていたがぼろぼろの姿で復活してきた男キャラクターの勇姿を語り合い、その場は一気に盛り上がった。
学校生活に場面を映せば、みんなみんな普通に平凡なキャラクターへと変わると言うのに、なんて強いんだろう。
「なぁ、サトルと一度戦ってみてぇと思わねぇか?」
「お、いいなそれ」
「一度手合わせ、してみたいね」
「拷問にも中々耐えるよ、そいつら。それも含めて、とても楽しみね」
フェイタンだけが少々別ベクトルへと方向性が違っていたが、おおむねその場に居る幻影旅団の見解は、サトルたちと戦ってみたいと言う、極々平凡な願いだった。おふざけだと言うのが前提の言葉だった。
「あ、でもやっぱりコトリとは手合わせより、な?」
「最低。女はおもちゃじゃないんだよ」
フィンクスのにやけた表情に、女性陣の顔が一斉に不快だとしかめられる。けれど他の男達は、ミキ、ケイコ、と次々意中の女性キャラクターの名前をあげていき、盛り上がっていく。
「あ、そう言えばは? 好みじゃないの?」
極々自然にシズクが声を上げれば、男達の声がふつりと途切れる。
「ん? やりたいとか言わないんだ。このオタクども」
「誰がオタクだ、オタク」
「あたしを巻き込むんじゃないよ」
マチが乗ってきたフィンクスをあしらうと、シズクがもう一度訊ねる。確か、も人気はそこそこあったはずだ。集計結果のコメントには、男性陣の投票が多かったとも書かれていたはず。
顔を見合わせる男たちの中で、シャルが小首をかしげて口を開く。
「だって、サトルたちより年上じゃん。それに、そういうのの範疇外だし」
その言葉に一斉に頷く男たち。
「それに出産済みの家庭持ちになっちまったしな」
「連載当初ならいざしらず、割って入れねぇ? みたいな」
「すでには主婦よ。攻略対象違うね」
さりげなくフランクリンが言葉を挟み、フィンクスが言ったまではほのぼのとした空気だった。
けれどフェイタンの言葉に、その場の空気が止まる。
「……」
「……なんね」
その空気に気付いたフェイタンが顔をしかめると、まぁ、そうなんだけどさとシャルナークがフォローする。フェイタンに似合わない言葉は聞かなかったことにした。
連載開始からすでに15年以上経過した現在、脇役の一人である【・】は、高校・短大と卒業していき、愛する夫を見つけて幸せいっぱいの主婦になっていた。