囚われ解除
クロロの丸くなった目が、シャルナークとを交互に見る。その目に浮かぶ感情は嫌悪や憎悪などではなく、純粋な驚きだけだと確認できたシャルナークは、ほっと肩から力を抜いて安堵の笑みを浮かべた。
「分かった? 団長だけは別だと思ってたから、久々に焦っちゃったじゃん。も怖かったよね、大丈夫?」
頑張ったねーなどと笑いながら腕の中のを撫でるシャルナークに、抵抗するでもなく恐る恐る目を開けたは状況を理解して動きを止めた。
変わらずを抱きしめるシャルナークと、なぜかの目の前に居て目を見開いているクロロ。が視線を下げていけば、なぜかの片手はクロロの腕をしっかりと掴んでいた。
そりゃぁ、さっきクロロの傍に行くって言ったけど……!
叫びたい気持ちも急展開についていけない体は声に出せず、は目を白黒させながら自分を見つめているクロロを、もう一度目だけで見上げてみた。
「……」
「……」
不審なの動きに何を言うでもなく、それをじっと見つめているクロロと目が合い、居たたまれないは口の中でもごもごと言葉を転がす。えーっと、ああっと、どうしようなどと日本語でぼやいていると、頭をしつこく撫でていたシャルナークが空気を換えるように呟いた。
「そうそう、団長どうする? あっち」
「あっち?」
シャルナークの軽い声に、クロロは片手で自分の額を押さえたまま、言われた方向へと視線を向けて眉をひそめる。もつられてそちらを見るが、慌ててシャルナークの腕の中へと引きこもった。
相変わらず何の変化も見せず、を睨みつけている団員達が立ちすくんだままの光景は、さすがにクロロが落ち着いたといっても恐怖の対象で、それが分かっているシャルナークは腕の中のを笑いながら抱きしめなおした。
先ほどまでスキンシップが過ぎれば、保護者でもないのにノブナガが邪魔を仕掛けてきていたが今はない。シャルナークは遠慮なくぐりぐりの頭を撫で体を抱き寄せ、乱暴な仕種に見上げてくるへと笑いかけたりなど、好き勝手にこの状況を楽しむことにした。
クロロが正気に返ったのならば、どうにでもなるしどうにでも出来る。
「……どういうことだ?」
そんなシャルナークの、ある意味安堵の感情を感じ取ったクロロは、戸惑うとじゃれつくシャルナーク、そして久々に見る団員達の一斉嫌悪の空気に眉根を寄せたまま尋ねた。
ふいにあげられたの悲鳴とシャルナークが言いかけた言葉、光の爆発に視界が戻ると同時に湧き上がった憎悪。それはふつふつと煮えたぎるように温度を増していき、目の前に居るへと向けられていった。
クロロにとってはひと撫ですれば命を絶てるほど弱い、なんの障害にもならない女への殺意。
今夜の仕事の鍵でもある女を殺すだなんて、つい数秒までまで特に考えることもなかったはずなのに、湧き上がってきたのは明確な憎悪と殺意。そして速やかにそれを実行に移そうとする自分の意思。
そして他の団員達も疑うことなく同じ意思を持っていると知れて、ならば実行は任せようとまで思った。
クロロの意識の流れとして、なんの矛盾もそのときは感じられなかった。
けれど、光の帯はクロロとを繋ぎ続けていて、そのことに憎悪がたぎると同時に感じたのはひどい頭痛。まるでこめかみから長い針を差し込まれたような違和感と、それをぐりぐりと抉るように動かされたような鈍痛。そして神経に触れる電流のような痛み。
へと憎悪を向けると頭痛がひどくなり、シャルナークが触れているのを見れば誘惑したのかと嫌悪が増して頭痛は自身の存在を訴える。
憎悪がまとまらない、嫌悪がばらつく。
まともに自分の思考を整えようとすれば、その度に頭痛がクロロの思考を切断する。邪魔をして邪魔をして、クロロの感情も思考もばらばらの散り散りにしてしまう。
だから団員の行動を許可しなかった、だから団員を止めなかった。
「大丈夫、はなんにも心配しないで良いよ」
けれど聞いたこともないようなシャルナークの穏やかな口調、優しくの背中を撫でて抱きしめて。そしての雰囲気が変わっていく。
シャルナークと話していたらしいの雰囲気が変わるのを目にしたクロロは、頭痛を押しのけて口を開いていた。
光の帯がきらきら光る。太陽の光を浴び、午後の穏やかさを謳う小川のようなそのきらめきに、クロロは誰の声も聞こえなかった。光が目を焼いて、その光の先にいるとシャルナークに苛立ちと頭痛が増していることしか分からなかった。
そして、どこか疲れたような怒りをにじませたシャルナークと言葉を交わす。
訳が分からないことばかりシャルナークは口にする。
原因がなら、を消せば良い。
こんな憎悪も嫌悪も頭痛もなにもかも、消せば終わるだろう。
シャルナークも同じだと思っていたのだが、クロロの目の前でシャルナークは人を馬鹿にするような物言いでを渡さない。苛々する苛々する、頭痛が止まらない。
「くろろ!」
けれどがクロロの名前を呼んだ一瞬、思考がクリアになる。けれどそれもまた嫌悪と憎悪に塗れていく。頭痛がそれを覆い隠そうとする。
「くろろ!」
がクロロを呼ぶ。シャルナークが何か言う。けれどクロロはその言葉が上手く理解できなかった。
ただただ、腹立たしいこの現象の原因だろうを取り除きたい一心で。
けれどに名前を呼ばれれば、光の帯がキラキラ光って頭痛が何かを訴えるように鳴り響いて、思考が一瞬だけクリアになって。
分からない、判らない、解らない、わからない。
シャルナークはどこか必死さを押し隠したような顔で、何かを喋っている。
は必死さを隠そうともせず、名前を呼んで必死で呼んで何かを訴えている。
憎悪が増す、嫌悪が膨れ上がる。それでも名前を呼ばれれば、本当に一瞬だけクリアになる思考が、クロロにを殺すという一瞬で済むはずの行動をさせないでいる。
「それ全部クロロの感情じゃないから、負けないでよね」
呟かれたその言葉に、クロロがようやく疑問の声を上げようとしたときには、全てが行動に移された後だった。
近づいてくるシャルナークの動きは、クロロの眼にはっきりと映っていた。止めようと思えば止められたその行動を、クロロはなぜか見ているだけだった。
シャルナークがの手首を掴み、それをクロロに伸ばしてくるのも見ているだけだった。
の手がクロロの腕に触れる。クロロの腕との指先の間で、光の帯が一瞬だけ激しく雷のように弾けた。
「ッ!?」
息を呑むのも躊躇われる一瞬。
の手はそのまま衝撃など感じなかったように、なんの抵抗も無くクロロの腕を掴む。突然、真正面からから突風に煽られるように色が溢れ、纏わりつき湧き出ていたはずの憎悪も嫌悪も殺意もなにもかも、吹き飛ばされるように立ち消えていく。
光の帯がよりいっそう輝きを増す。
それはクロロの目を焼いて負の感情など相応しくないとばかりに満ちていき、先ほどまで感じていた感情の一切が不自然だったことを露見させた。
触れてきたの手から伝わる感情は、目に見ているオーラの色は恐怖と決意と物憂げなもの。
それはが「クロロがこうなるだろう」と知っていたと知らせるには十分だった。
なぜ、突然に嫌悪を抱いた?
なぜ、を憎悪した?
どうして殺そうと思った?
まだ財宝は手に入れていない。まだまだ利用しなければいけない人材なのに?
開けていく思考という視界に、クロロは呆然とするしかなかった。自分の感情のはずなのに、なんの理由もなく違和感も感じずに抱いた全てが、まさしく不自然だったことに呆然とを見つめた。
「さて、あっという間の感情変化に気づいてた?」
シャルナークのようやく、などと呟きそうなその一言に、クロロは自分の腕を見下ろす。の手が握りこんでいる、けれど憎悪も嫌悪も感じずにそこにある自分の片腕に、クロロは負の感情がひとかけらも残っていないことを実感していた。
「……」
驚くべき劇的な変化だった。
そのまま自然とクロロの視線はへと向かい、まだ瞼を強く閉じているその顔を見つめる。ただクロロの腕を掴んでいるだけの、財宝の鍵となる「友人」と認定されているを見つめた。