不法占拠
発光を続けるシルクハットを前にして、はノブナガが通訳してくれなければ理解できないクロロの言葉を、一言一句聞き漏らさないように、混乱しながらも言われたとおりに動き出す。この場面で、彼らが誰なのかだとか、自分がどうなるのかなんて考えていられなかった。とにかく、目の前の異常事態を平常時に戻さなければと、それだけで頭がいっぱいになっていた。
「、【彼のご機嫌はいかが?】」
けれど、ノブナガの口から聞かされるクロロの言葉は突飛なものばかりで、は一々クロロを振り返って戸惑いの視線を向けてしまう。クロロの表情にはからかう素振りすらなく、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべていて、よりいっそうの戸惑いを煽った。
『大丈夫だ。帽子のご機嫌を聞いてるだけだ』
『帽子のご機嫌……』
『そんな風に声かけてから、掃除するんだろ』
『そうですけど……ッ!』
シルクハットの光がぶれる。は目をつむり、クロロはもう一度同じ言葉を繰り返す。ノブナガも落ち着いた声音でに繰り返し、は必死で返しの文句を考えた。
【彼のご機嫌はいかが?】
そう言えば、何度かサテラの両親が遊びに来たときに、良く聞かれた言葉だった。
にこにこ楽しそうに幸せそうに微笑むあの夫妻は、がシルクハットを持っていき、約束をしっかりと履行していることを示すと、ますます嬉しそうに笑ってに優しくしてくれる。
その時、最初にあの言葉を掛けられたときに、自分はどう返しただろう。
発光に瞼を下ろしたまま、は耳鳴りがしそうな光の渦の中、繰り返されるクロロとノブナガの言葉を半ば聴いていなかった。
「彼のご機嫌はいかが?」
「……? なに?」
「ああ、さんには言っていませんでしたね。こういうときは、こう答えるんです」
夫人が優しく微笑む。まるで幼いわが子を見るような、慈しむ瞳がに教えてくれる。
「シルクハットを持って……」
いい加減焦れるような返答待ちの時間も、クロロとノブナガ、そして他の団員達は動かなかった。ここでをせっついて失敗してしまっては元も子もなく、それは面白くない。フィンクスやフェイタン辺りが焦れて目線がきつくなっていたが、光のせいかはぴくりとも反応をしなかった。
そのの唇が、クロロの視界の真ん中で戦慄く。
「…………、……」
『なんだ?』
ノブナガの問いかけに、は目をしっかりと開けてシルクハットを見つめる。
小さなその声は、その音量にもかかわらずしっかりとその場の全員の耳に届いた。
「くろろ、【あなたの おかげ で きょう も すばらしいわ】」
光が霧散するように破裂する。風がシルクハットから昇るように駆け上がり、ノブナガは軽く吹き飛ばされて他の団員達と共に、壁付近まで追いやられた。に手を伸ばす間もなく吹き飛ばされたノブナガは、正気づいてすぐさまとクロロの姿を探す。クロロはどうにでもなるが、一般人であるは確実に吹っ飛ばされる暴風だった。
「!」
けれどノブナガが焦りと共に名前を呼ぶと、普通に声が返って来た。それも、先ほどの位置と寸分変わらぬ場所から。
『私は、大丈夫です』
しっかりと大地を踏みしめたような返答に、ノブナガたちは絶句する。霧散した光を見た、駆け上り暴走した風に吹き飛ばされた。それも幻影旅団の団員のほとんどが。なのに、一般人中の一般人だろうが、なんの影響も受けていないような顔で、同じ位置に居た。
「ふむ、なるほど」
そして当然のようにクロロも同じ位置に立っており、そしてそこでようやく団員達は思い出す。
光でシルクハットと繋がれた、とクロロ。霧散したと思ったそれは確実にその色を濃くしたが、しっかりと繋がったままだった。
「管理人に許可をもらったおかげか、それともがオレの名前を呼んだからか……」
興味深いな。
本当になんの影響も受けていないようなクロロは、が変わらない表情の下で短い呼吸を繰り返している事に気づく。負荷が掛かっているのか、それともただ緊張しているだけなのか。
どちらにせよ、このまま続行するのは変わらない。負荷が掛かっていようが、当初の目的を達するのが先だと素早く結論付けたクロロは、さっさと次の言葉を口にする。
の視線が、クロロのそれと絡む。
「【それは良かった。では、今日はお話できるかい?】」
「また、またく、ま、つ、た、く。 【ま、つ、たく、もんだい ありま、せん】」
発音し辛いのか、は何度か言い直して言葉を言い切る。クロロを見て、続きがあるのだと眼で促してくる。
クロロはもちろん逆らわずに、笑いながら言葉を重ねる。
「【では、案内を頼めますか?】」
「【はい。あなた の まま に】」
一旦言葉を切ったは、誰の目にも耳にも明らかなほどの大きな息を吐き、そしてシルクハットを持ち直すと、真正面からクロロに向き直った。
迷うような素振りを見せながらも、視線はクロロから離れない。何度か自分の唇をなめたの口が開く。
「【けれど その まえに】」
「【あなたに ひとつ の しつもん を】」
クロロとシャルナークの眉間に皺が寄る。調べたとき、この場面で出る言葉は【ひとつの質問】ではなく【ひとつの闘い】だった。シルクハットから出てくる番人との戦いであり、それに勝利することでまた次へと進めるという、まるでゲームのような。
けれどは静かに思い出そうとしているのか、淡々と言葉を続ける。
はクロロをまっすぐ見つめているはずなのに、見つめられているクロロが、とまともに目を合わせていられないざわつく感触を背中に覚えた。
の目がクロロを見つめ、そしてその目に強い意志を宿していた。
唇が動く。
「【しんじつを はなす かくご は あります か】」
まるで、解除の手順に見せかけたなぞなぞ。
何のことかとクロロが眉をしかめるが、はこの質問の意味を知っている。
そしてこれが、ただの言葉遊びでないことも、不思議に思い受け入れながらも分かっていた。子供ではないのだ。習慣などが違っているとしても、ただの言葉遊びとしても不思議すぎるこれらのやりとりが、なぜ今の今まで思い出せなかったのかが本当に不思議だった。
まるで記憶の奥に滑り込ませたように、まったく何の違和感もなく、けれど思い返すこともなく記憶の奥にあったこれらのやりとりの記憶は、今は震えるような恐怖と共に目の前にあった。
けれど、このやりとりをから中断することは出来ない。
でも、このやりとりが上手く進んでしまったら、サテラの傍に居られなくなる。
『……ッ』
サテラは何も知らない。もつい今の今まで思い出すことのなかった、知らないと思わされていた真実。本当はとても危険で、素人のが関わるはずではないような財宝の守り方。
そうだ、目の前の人たちが幻影旅団であってもなくても、盗賊ならば狙うのも頷けるほど莫大な財宝なのだ。素人でなければ、実力があるものなら見ようと挑戦してもおかしくない。
すでに自分が何を考えていれば良いのか、もうそれすら分からなくなってきたは、言葉を返してこないクロロへと意識を戻す。彼は何を考え込んでいるのか、から視線を外して目線を下げていた。
「……?」
このやりとりには、特に時間制限などは設けられていない。だから何時間何日何ヶ月悩んでも良いのだが、目の前の男性ならすでに全てのやりとりを調べ上げてそうだと思っていたは、その本当に悩んでいるような沈黙に首をかしげた。
次の手順に行く前に、体力を回復させるつもりなのかとも思ってみたが、そういう素振りにも見えなかった。
素人のが見破られるような行動をしないとは分かっていたが、はいつの間にか遠くへといってしまったノブナガへと視線を向けた。
『……』
ノブナガと目が合う。そしてクロロの状態について問おうとしていたの口は開くが、何を言えばよいのか迷って結局何も発さずに閉じられた。
『……』
ノブナガが心配そうに、けれど訝しげにを見つめ始めたのは分かったが、は何も言えずに視線をクロロに戻した。
今やにも見えるようになった光の流れは、しっかりととクロロを繋いでいた。拘束力を感じないそれは、まるで光の粒の集合体。
霧のような感触が伝わってくるが、両手がシルクハットでふさがっているは、その手でしっかりと感触を確かめることが出来ない。熱くも冷たくもないのだが、本当に光なのかも怪しいほどとクロロをしっかりと、本当にしっかりと結び付けているように太い流れだった。
「くろろ」
の常になく落ち着いた声が、室内に響く。クロロの顔がゆっくりと上げられ、その感情の浮かんでいない目線がを捉えた。
その視線は、を意思のある人間として見ていなかった。
まるで何の変哲もない壁でも見つめるような、感情のない目。
『……っ』
それに恐怖を覚えない人間など居るのかと、はシルクハットを持つ手を震わせた。そして、シルクハットが震える音を聞いた。
『だめ!』
とっさには叫び声をあげるが間に合わない。
クロロもノブナガも、他の団員達もがなぜ叫んだか分からず、ただ静かにシルクハットが震えるのを見て防御の体勢をとった。また先ほどのような暴風が発生するのかと身構えたが、次の瞬間理解したのはシャルナークだけだった。
『だめだめだめやめて……ッ!』
見えない何かが津波のように襲ってくる。それがもたらすものをシャルナークは知っていた。
そして、痛いくらい体感していた。
「にげ」
けれどそのシャルナークが全員に警告しきる前に、その津波はクロロを筆頭に全員に襲い掛かってきた。本当に津波のように大雑把に、全てを流しつくすように大胆に覆いかぶさってきたそれに、シャルナークは舌打ちする。
「お前の仕業かよッ!」
全員が不覚にも瞼を閉じざるを得ない状況になる。全身の皮膚が粟立つ。クロロとを繋ぐ光も波打つ。
「……あ? なんともねーぞ」
けれど衝撃が収まって体の確認をしても、怪我のひとつもなく変化も見当たらない。
フィンクスの間抜けな声に、シャルナークは覚えのある感情を押さえ込みながら歯を噛み締める。そして素早くの前に移動すると、足音に気づいたと目が合った。
『……あ、あ』
団員達と同じように瞼を閉じていたは、一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐに怯えの色をあらわにする。
先ほどの見えない津波の意味を正確に知っているのだと、シャルナークは苛々とした内心を押さえ込みながら、怒りを煽られていることを自覚していた。
怯えないで欲しい。怖がらないで欲しい。
でも、それでも煽られる苛立ちと怒りに思い出す数時間前。
「その、シルクハットの挑発だったんだ」
ああ、腹立たしい。
ノブナガと、パクノダと、といた部屋の中。
殺しても良いのだと二人に囁いた自分。
たしなめられて苛立って、不快感をあらわにしての行動を媚びているのだと吐き気を感じていた。
別の場所から感情を押し付けられていたような、あの違和感。
シャルナークはシルクハットを睨みつけた。ぞろりと、背後から殺気が迸ってくるのを感じて、目の前のの歯が恐怖にかカチカチと鳴り出すのを、苛立ちと慰めて保護したい衝動の間で聞いていた。
数時間前のシャルナークと同じように、周りの人間はへの負の感情でもって行動を始めようとしている。その違和感に今すぐには気づけない。
「」
大仰に震えるその両肩。シャルナークは苛立つ感情が殺気立つのを感じたが、すぐに理性で押し込める。これは自分の感情ではない。押し付けられたものだから、自分の精神を心を犯すだなんて許せないと、別の意味で怒りを増長させながら押さえ込む。
「……ッ、……」
極力優しい声を出して、瞳に怒りよりも心配を乗せるよう理性を総動員して、シャルナークは震えるの両肩に触れた。