問い掛け


 何度も繰り返し触れられ、痛いところはないかと確認を繰り返される間、は大人しく周りの人間に従っていた。体の動きが鈍いために動けないというのが第一の理由だが、それよりも知り合って間もない人たちに心配される居心地の悪さに、根本的に逆らう気が失せていた。
「本当に大丈夫なの、
「はい、ぱくのだ」
「それは何度も聞いてるって! それよりもお腹は空かない? 喉は渇かないかな?」
「だいじょぶ、しゃるなーく」
「あんまりぎゃあぎゃあ騒ぐなよ、うるせぇな。、辛かったら言えよ。こいつら追い出してやるからな」
『ありがとうございます。ノブナガさん』
 三人はほとんど雪崩と言ってもいいほどの速さでまくし立て、は起きたばかりで聞き取り作業に全神経を集中する。
 そのお陰では大分体力を消耗し、聞き取れなかった単語を解析する間もなく相手の言いたいことは大体これだろうと耳が拾った単語から見当をつけて返答をしていた。
 どれもこれも的外れではなかったらしく、三人ともどことなく安心したように表情を緩めて、各々の体に触れて安堵の表情を浮かべていた。安堵と共には息を吐くが、それと同時に胸の奥が温かくなる。
 嬉しいけど、なんだかくすぐったいな。
 が言葉もなくベッドに横になったままはにかむと、周りの空気もつられたように柔らかくなる。三人には赤ん坊が満腹になって眠り込んでいるような、無防備で柔らかくて本能的に安らいでいるような雰囲気が伝わってきて、視覚的にも穏やかな空気を体感していた。
 それぞれ安心している気配を感じ取って、四人の間に穏やかな空気が満たされる。心地良い春の昼下がりのような空気は、しばしその場に漂っていた。
「ん、あれ。そう言えばフィンクスとヒソカは?」
 当事者じゃん、とシャルナークは呟いて部屋の外まで出て見回すが、その二人の気配はない。絶でもしてるのかなと呟いてパクノダたちと振り返ると、呆れたような視線が二つと、不思議そうにシャルナークを見ている視線が一つ。
「何言ってるの。服を盗ってきなさいって追い出したじゃない」
「いや、ヒソカは逃亡禁止ってことで料理班に回さなかったか?」
 食い違う二つの発言にシャルナークはヒソカの行方を思い出そうと、ほんの少し前まで記憶を巻き戻す。をパクノダの部屋のベッドに寝かせると話している最中、もしくは連れて行くといって廊下が静かになった時点ではヒソカはいなかった。その後の彼の行動をシャルナークは把握しておらず、けれど危害を加えられるかと危惧していたは無事。
 シャルナークの視線に首を傾げたは、ますます不思議そうな顔をする。その表情を見ると、シャルナークは笑ってまぁいいかと肩をすくめた。
 けれどは、半年以上前の世界では聞き馴染んでいた単語に、そっと眉根を寄せる。
「ひそか?」
 現在の周りの人間、およびその名前を当てはめていけば居てもおかしくないその名前に、変態奇術師だか青い果実が実るまで待つ精神的マゾなサドとか色々な見解が湧き出てくるが、そんな人物とは別人かもしれないと自問自答を繰り返す。
 ひそか、ヒソカ、密?
 やはりハンターハンターのヒソカのことだろうか、それとも少女漫画の美形少年密くん?
 ありえないと思いながら候補を二つに拡大してはみるものの、自身ありえないと笑ってしまう。
 どうせ本人だと見まごう人間ばかりに出会うのならば、ここはヒソカさんもそっくりなほうが面白い。そうに決まっているじゃないかと納得しつつ笑う。けれど強い視線を感じ、意識を外に向ければ三対のしかめられた目がを見つめていた。
「……なに?」
 何かおかしなことを言っただろうかと記憶を洗い出すが、ひそかと三文字呟いただけなはず。
 怪訝そうに三人を見上げてくるに、ノブナガは深いため息をついた。
『その名前は口にするな。寄ってきちまうぞ』
『寄ってくるって……あの、お友達じゃ』
 聞いている限りの会話では、ヒソカなる人物とノブナガたちは知り合いにしか見えない。この場合、幻影旅団のメンバーだと目の前の三人を完全に決め付ければ、仲間と言うことになる。けれど実際、漫画を見てそれらに似ている人物だからといって決め付けるわけにもいかず、は遠慮がちに聞いてみた。
 途端にノブナガの顔が渋くしかめられてしまう。
『……聞かなかったことにするぞ』
『あの、失礼なことを言ってしまいましたか?』
『ああ、いい。お前は知らねぇだけだって分かってる。……だから、もう言ってくれるな』
『ノブナガさん……』
 よほどショックだったのだろう。ノブナガじゃ頭を押さえて顔色すらも青くして、ふらふらとベッドから離れていってしまった。その様子を見て体調を心配しながらはベッドを降りようとするが、それはパクノダに押し留められてしまう。
「だめよ、さっき倒れたばかりなのに」
「ぱくのだ」
 でも、と言葉を続けようとしてその単語を知らないことに気づき、は口をつぐんでしまう。やっぱり細かいところで覚えていない言葉が必要になるし、今後喋る練習をしなければとは改めて決意を固めた。
 一人で何か頷いているを、パクノダは有無を言わせずにベッドに寝かし直した。
 逆らわずにベッドへと上半身を倒すを見ていたシャルナークは、何の気なしに問い掛けた。
「今、ノブナガに何言ったの?」
 は少し首をかしげて静止した後、ノブナガへと遠慮がちな視線を向けつつ、シャルナークを手招きする。
 その動作にシャルナークも首を傾げるが、逆らわずに大人しくへと寄っていった。
 パクノダも不思議そうに見ているが、小さな声で内緒話のようには囁いた。
「ひそか、と、もだ、つ、ともだ、ち、ちがう? きいた」
 即座に硬直したシャルナークとパクノダは、の表情からその意図を読み取ろうとした。けれど、今の発言がノブナガにとって駄目であったことは理解しているらしく、申し訳なさそうに眉毛を垂れてしょげているその態度からは、悪意の欠片すら見当たらなかった。
 パクノダはしょうがないと慰めるようにの頭を撫で、シャルナークは衝撃から立ち直ると満面の笑みを浮かべた。
 そして爽やかな笑み浮かべたまま、ノブナガの背中を叩いて楽しくて仕方がないというように声を弾ませる。
「ノブナガ、いつからヒソカとお友達になったか教えてほしいんだけど、いい?」
「……よくねぇ」
 明らかに面白がっているシャルナークに、ノブナガは青い顔で素早く怒気を飛ばした。それに負けるシャルナークではないが、部屋のドアがノックされた音にノブナガから視線を外す。
「はーい、誰?」
「わざとらしいわよ、シャル」
 どこか明るく可愛らしい声を上げたシャルナークに、パクノダが冷めた目で突っ込みを入れる。けれどシャルナークはそれに答えることをせず、に大丈夫? と心配そうに聞いていた。
「だいじょうぶ、なに?」
 シャルナークの視線の意味が分からずに首を傾げると、パクノダがその頭を撫でながら口を開く。大丈夫よと繰り返しながら、小さな声で囁いた。
「団長が来たの」
「……だんちょ?」
「ああ、は知らねぇんだな」
 の返答にどこか安心したように笑ったノブナガを見て、は首を傾げる。だんちょ、の言葉の意味が分からないは素直に頷いて周りの三人から脱力したような吐息を引き出した。
「ほら、やっぱりは知らなかったじゃねぇか」
「誰よ、知ってるとか言ってたのわ」
「団長だよ。まったく、たまに団長は深読みしすぎるよね」
 三人がそれぞれ嬉しそうに顔をほころばせながら話し出す。には皆がそのだんちょを慕っている雰囲気は伝わってくるが、正確に何の話をしているのかは分からない。首を傾げたまま三人の言葉を聞き取り、意味を解読するので精一杯だった。
「じゃあ開けてあげるよ、団長」
 シャルナークがドア向こうに声をかけると、なんていい草だとクロロが廊下から笑う。
 その声を聞いた途端、の体が反射的に強張った。
『うそ』
 聞き覚えがあるというより、そのインパクトから忘れられない声音を耳にしたは、一気に顔を青くする。それに気づいたノブナガがドアを押さえるより早くクロロは入室し、室内の雰囲気は二分された。
 いつものように受け入れているシャルナークとパクノダ、けれど反対にひしひしと嫌がる雰囲気を発しているノブナガとに、部屋に一歩足を踏み入れたクロロの表情が不思議がる。
「どうかしたのか」
「え? ……あ、あぁ」
 言われたシャルナークはノブナガとの表情を見て、そしてクロロの顔を見てようやく思い至ったのか深く頷く。とりあえずノブナガをの傍に追いやり、クロロは部屋の中へと招いた。
 逆らわずに入室するクロロに、同じく気づいたパクノダがより一層の傍に寄り添う。
「今思い出したのよ、団長。貴方がに迫ったこと」
 こともなげに言うパクノダに、反応したのは男性三人。ノブナガは複雑そうに顔をしかめ、シャルナークは思い出したように笑い出す。クロロは冷静に迫っていないと真顔で吐き、未だに固まっているを見た。
「……オレは銅像を連れてきた覚えはないんだが」
「拉致したんだもんね」
「シャル」
 笑いながら茶々を入れてくるシャルナークに、クロロがほんの少し苦笑を浮かべる。そして未だに固まっているに近づくと、警戒をしているノブナガに大丈夫だと笑いかけた。
、と言ったか」
 向けられた声と視線に、の背筋が伸びより一層体が硬直する。
 けれどクロロはそんな反応をものともせずにの引きつった顔を眺め、その目をゆるりと動かして観察を始めていた。冷たくはないが温かくもない視線に、呼吸をするのもはばかられる圧迫感が襲ってくる。小さく上下した自分の喉の音に、自身悲鳴を上げそうになった。
「ふむ」
「団長、マチの言葉忘れんなよな」
 ノブナガの釘を刺すような一言が耳に入るが、はクロロの視線に耐えることで精一杯で意味を解読する暇もない。言われた方のクロロと言えば、マチの言葉をいくつか反芻しては見るものの、やはり自分と二人きりでいたときやノブナガの腕の中で眠りこけているとき、そして先ほどまで伝わってきたの穏やかな雰囲気の方ばかりを思い出してしまっていた。
 全速力ではなかったとは言え、ウボォーがビル上空を走る速度に追いすがる勢いだったの走り。そしてクロロが後をつけていることにも気づき、どういう意図があったかは知らないが無駄な抵抗をしない冷静さを持っていた。
 クロロとしてはの行動を簡単にだがそう捉えていたのだが、けれどノブナガたちと顔をあわせてみれば、どこの子供だという無防備っぷりを晒してくれた。これでは考えを改めないわけにもいかず、けれどクロロとしてはどこか油断してはならない相手の様に思える。
「気分はどうだ」
 一言問いかけてみるがすぐに返答は貰えず、パクノダがの肩を揺することでようやく頭を縦に振るという反応が返ってきた。それは問いかけに対して妥当な返答ではないが、動揺していることは周囲に十分伝わってくる。
「なに緊張してんだよ、平気だっつの」
「しょうがないわよ。団長の初対面での印象、最悪っぽいじゃない?」
「拉致の上に無理矢理迫ってたしね。珍しくスマートじゃないもんね」
 三人がそれぞれ愉快そうに会話をするが、クロロとの視線は外れない。小刻みに揺れるを見ながら、クロロはノブナガへと視線を向けた。
「もうまともに話せる状態なのか?」
「ああ、さっきまで普通だった。……団長、よっぽど最悪な印象なんだな」
「うっわ、直球」
 シャルナークが隠そうともせずに吹き出すのをパクノダがたしなめるが、クロロは気にせずを見つめなおす。
「返事は出来るか」
「……………………………………はい」
 嫌に間が空いての返答だったが、その瞳孔すら見開かれている目を見ればの緊張の度合いがクロロにも痛いほど伝わってくる。パクノダが先ほどから手を握ってを落ち着かせようとするが、それは一向に効果を発揮しないらしい。小さな子供の様に手を握り返してはいるようだが、冷静にはなれないようだ。
 本当に一般人なのか、それとも違うのか。
 クロロはフィンクスの腕の中で気絶していると、今回のお宝のある家に居候しているという事実を反芻する。
、答えろ」
 クロロの低い声に部屋の温度体感が一気に下降し、笑っていたシャルナークも口をつぐみ、ノブナガは表情を引き締め、パクノダは背筋を正した。
 のまつげは揺れて困惑を示すが、クロロは構わずに告げる。
「お前は敵か?」
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