消失の現在


 フィンクスは仮宿にたどり着くと、すぐさま元いた部屋の窓を目指して外壁を駆け上った。飛び込んだ室内にはつい先ほどまで争った気配が充満し、外でのやり取りを感じ取っていたフェイタンとシャルナークが身構えていた。
 フィンクスとその腕の中のを見た瞬間、シャルナークの表情が険しくなる。
「なにがあった」
 シャルナークの硬い声にフィンクスは答えるでもなく、「団長は」と間を置かずに切り返す。それを受けたフェイタンがフィンクスから視線をそらさずに冷静に答えた。
「奥手前右よ。多分いまこちきてる」
「そうか」
 フェイタンの声に答えるのももどかしく、フィンクスはすぐさま言われた方向に駆け出した。フェイタンの声もシャルナークの静止も耳に入れずに、すぐさま向かっていたクロロと対面する。
「フィンクス」
「団長、こいつのオーラがねぇんだ」
「見せてみろ」
 クロロは状況に視線を走らせると、その場にを横たえるよう指示する。フィンクスは即座にその意味を受け取り、クロロが広げたコートの上にの身体を仰向けに横たえた。声を上げることなくはクロロにその顔を見せるが、目はどこを捉えることもなく宙に浮く。しゃがみ込みクロロが触れても反応をよこさず、そこでクロロは初めて顔をしかめた。
「団長」
「ああ、オレにも見えないな」
 見えるはずのオーラが微かにさえ見えず、本体であるはずのも頬を軽く叩かれているのに動きがない。クロロの指が顎へと滑りそのまま顎を持ち上げて呼吸を確かめるが、それは乱れてはいなかった。ただ唇の端についたものを拭うと、それがなんなのか気づいてフィンクスを見る。
「お前たち、なにをしたんだ?」
「なにもしてねぇよ!」
 クロロの言葉にフィンクスは即座に否定するが、静かに見つめてくるクロロの目に冷静さを取り戻す。頭の中でヒソカの笑い顔が蘇り、走るとき踏んだ木の感触が足の裏を刺激した。
 フィンクスは首を一度横に振ると、努めて冷静になろうと口を開いた。
「シャルの奴がフェイタンにつっかかっておれにを預けたのが最初だ。それで外に出て、シャルの気がすむまで待機しようとしたらヒソカの野郎が茶々入れてきて、やり合うよりこいつ抱えて逃げるほうが得策かと思って逃げた」
「それで」
 クロロの言葉にフィンクスは顔をしかめると、の前髪を撫で上げる。空ろな視線はフィンクスを見ることなく、ただ天井へと向けられていた。
「んで、ノブナガたちが戻ってきて割り込んできて、こいつの異常に気づいたんだ。オーラがいつから切れてたとか、いつ意識失ったとかはわかんねぇよ」
 クロロはそんなフィンクスの様子を逐一見つめていたかと思うと、の瞼を閉じさせる。フィンクスはそれにどんな意味があるか分からないが、静かにクロロの動きを見守っていた。は特に抵抗もなく瞼を伏せ、クロロはそのまま頬に触れ唇に触れ喉元に触れ心臓の辺りを探っていった。
 まるで死体を解剖する人間の様に静かで観察深く動くその目に、フィンクスも口出すことなく見守る。シャルナークもフェイタンもその内に集まりだし、ウボォーに荷物を預けていたパクノダも追いついていた。
「外傷はない、見た目だけならただの気絶だ。殺気や体感したことのない加速の所為だと言えるだろう」
 クロロはしゃがみ込んだままフィンクスを見て、そしてその後ろにいるパクノダへと視線を向けた。
「こいつは本当に一般人なんだな?」
「ええ、そうとしか見えなかったわ」
「ならこの状態は気絶だ。泡はショックを受けすぎた所為なだけだから、拭ってやって起きたら水でも飲ませてやれば良い。ただオーラが消えているのは理由が分からない。今までふれて見えていたものが見えないのはおかしいし、絶でもしているかのように気配さえ感じられない。この絶だけ見れば素人とは思えないな」
 クロロの言葉にフェイタンの眉が上がる。シャルナークとパクノダは顔を見合わせて困惑顔だが、やはりクロロの言葉通りにの気配を感じることが出来ていないため、納得するしかない。
「フィンクス、ヒソカが何かやたのか?」
 フェイタンが楽しそうに声を上げるが、当のフィンクスはその言葉を屈辱と受け取って顔をしかめる。自分がを抱き上げていたのを見ていたくせにと、フェイタンを睨みつけた。
「おれが抱えてたんだ、あいつに何かする隙なんてやってねぇよ」
「でも現には絶になてるよ。お前がしてないなら、ヒソカか本人の仕業しかないね。でもは素人、ヒソカだと思うの自然よ」
 フェイタンの言葉に矛盾はなかった。けれどそれもすぐに打ち消される。パクノダの背後で笑い声が響いた。
「なにもやってないよ、フィンクスが抱えたままだったから」
 誰もが振り向いた視線の先、ヒソカが荷物を抱えながら立っていた。その後ろに立つウボォーとノブナガの荷物の残量を見て、パクノダは自分の持っていたはずの荷物だとヒソカの荷物の理由に気づいた。最初に彼を見つけたとき、彼は手ぶらでフィンクスを追いかけていたはずだ。
 パクノダの荷物には、に似合うと思って盗ってきたベッドカバーがいくつもあった。どれが良いのか分からなかったので、全部盗んできたのだ。きっと目を輝かせて喜んで、お礼を言って、そして二人で笑いながら選ぶのだと想像しながら盗ってきた物なのだ。
 ヒソカがそれを抱えていることに、パクノダは違和感を覚えた。とても合わない組み合わせだ。女性用のベッドカバーとヒソカだなんて。
「ヒソカ、それは本当か」
「うん、嘘じゃない。やってたら、もっと楽しそうな顔してると思わないかい?」
 そこで皆の視線がヒソカの顔に向く。愉快そうで何を考えているか分からない表情なのはいつも事だが、そこからは自分が仕掛けた悪戯の成功を喜ぶ残虐な子供は見つからなかった。疑い深くヒソカを見つめるフェイタン以外、すぐにヒソカから視線を外した。
「なら、なんで」
 シャルナークが言いながら身を乗り出し、へと触れてくる。多少冷えているの手からは、今まで見えていた色も雰囲気も何も伝わっては来なかった。
 自分が原因不明の苛立ちを覚えていたときでさえ、触れればそこにあったのオーラの消失。絶としか思えない気配のなさに、シャルナークは訳が分からないながらも失望を覚えた。
、死んだのか?」
 ウボォーの一言に、ノブナガは容赦なく肘鉄を腹部に喰らわした。一瞬ウボォーは顔をしかめたが、ノブナガの殺意の滲んだ視線に一言謝って口を噤む。
 そんなやり取りにクロロは口元をほころばすと、その可能性を否定した。
「オーラ以外を見れば、ただの気絶だ。数分か数時間で目を覚ますだろう」
「ならなんでだ、なんでのオーラが消える」
「分からない。それはおれにも原因がつかめない。情報が足りない」
 ノブナガとクロロのやり取りで、やはり最終的にその場の視線がフィンクスに集まっていく。
 フィンクスはその視線を手で払って顔をしかめるが、誰も視線をそらさなかった。
「わかんねぇっつってんだろうがよ! おれはただ! こいつを運んで逃げただけだ!」
「良い逃げっぷりだったよねぇ、あとちょっとだったのに」
「そうだよ、もとをただせばヒソカが茶々入れてきたのが悪ぃんだろうが!」
「やだな、ボクの所為にするのかい? 逃げなければ良かった話じゃないか」
「てめぇが茶々入れなかったら、逃げる必要もなかったんだよ!」
「それは言いがかりだよ、いやだなぁ」
「てめぇっ!」
 ヒートアップしていくフィンクスの精神状態と、それを面白がってからかっていくヒソカのやりとりに、周りの人間は一斉にため息を吐き出す。未だに意識が戻らず静かに横たわっているがいるというのに、なにをやってるんだといくつかの視線が呆れ、いくつかの視線が険を含んだものになる。
 クロロは静かに自分のコートごとを抱き上げると、近づいてきたシャルナークと共にその瞼の伏せられた顔を覗き込む。ノブナガはウボォーとヒソカから奪った荷物と一緒に一旦その場から姿を消し、パクノダに耳打ちされたフェイタンは鬱陶しそうにフィンクスとヒソカのやり取りを見ると、パクノダと共に呼気を整えだした。
「ならフィンクスがその子のを預からなきゃ良かったんじゃないかい? ボクは悪くないよ」
「うるせぇ! お前がちょっかい出さなきゃ、おれが預かってても支障はなかったんだよ!」
「へぇ、フィンクスはその子を預かりたかったってことかい? シャルナークとフェイタンにお礼を言わなくちゃ」
「誰もそんなこと言ってねぇだろうがよぉ!」
 ヒソカがフィンクスの言葉尻を捕まえあげつらうと、フィンクスはそれまでとは違った意味で顔色を変えて語気を強める。ほとんど絶叫とも言って良い口調に、フェイタンが足払いを掛けた。
 驚いて飛び上がったフィンクスの側頭部にパクノダの拳が見舞われかけるが、それは上体を反らすことで避け、クロロの上を飛び越えて距離を作る。フェイタンがフィンクスに仕掛けた瞬間、パクノダがヒソカの首を狙い、フィンクスに避けられたフェイタンがパクノダに続いてヒソカの足を狙ってきた。けれどヒソカもフィンクスと同じく、けれど位置としてはフィンクスの真逆へと避け距離をとっていた。
「あんだよっ! 危ねぇじゃねぇか!」
「本当だよ、不意打ちなんて卑怯だよ」
 激昂するフィンクスと対照的に面白がるヒソカ。お互いの言葉に顔を見合わせ、フィンクスはやはりもう一度ヒソカを締め上げてやろうかと足を踏み出すが、間にいるクロロとシャルナークの視線がそれを制した。
「……なんだよ」
「フィンクス、が気絶してるからって大声出しすぎだよ。意識が戻ってもまた気絶するよ」
 シャルナークにたしなめられ、フィンクスもすまなそうな顔になるがすぐにシャルナークの態度に気づく。元はと言えばシャルナークが身勝手な嫉妬をしてフェイタンに喧嘩を売ったのが始まりな訳であって、それさえなければこのような事態にはならなかったのではないかと思い当たったのだ。
「てめぇこそ、いきなりフェイと喧嘩をおっぱじめたんだろうが! お前に偉そうなこと言われたくねぇよ!」
「ま、正論だね」
「納得するとこじゃねぇだろが!」
「フィンクス、そろそろ落ち着け」
「団長もかよ!」
 あーもー! と頭を掻き毟って苛立つフィンクスに、荷物を置いて戻ってきたノブナガが顔を出す。ヒソカの振り向いてきた顔に少し首を傾げるが、その面白そうにつりあがった口元を見て嫌な予感を覚えた。
「お前、今楽しんでるだろう」
「分かっちゃったかな。フィンクスはやっぱり面白いよね、あの子に手を出したらもっと面白そうだ」
 ヒソカは小さく囁くと、ノブナガの視線に気づいてその笑みを深める。どこか確信を持って笑い声を上げた。
「その時はノブナガも相手をしてくれるんだろう?」
 熱もなくただ冷たく細められたノブナガの目に、ヒソカは満足げに喉奥で笑う。ノブナガの言葉での返事などいらないとばかりに、愉悦を含んで笑った。
 ノブナガはそんなヒソカから視線を外すと、クロロに向かって声を飛ばす。向けられた視線にベッドの準備が出来たと伝えると、パクノダが慌ててベッドカバーをつけてくると先に駆け出して行った。のベッドを置く部屋はパクノダの部屋がそれなりに広く小綺麗なので、そこにしようと予め先に決めていたのだが、知らなかったメンバーはどの部屋だと首を傾げる。
「ああ、パクの部屋だ。……おれが連れて行く」
 近づき腕を差し出してくるノブナガに、クロロはほんの少しだけ動きを止める。先に部屋へと歩き出したシャルナークはそのことに足を止めて振り返るが、シャルナークが振り返ったときにはクロロはノブナガにを渡していた。
「ああ、お前の娘だったな」
「違うっつってんだろうがよ」
 それは言うなとため息を吐くノブナガに、クロロはすがすがしいほど笑っていた。
 シャルナークはそれを見てから、つまらないと自室へと戻ったフェイタンの後姿を見送り、いつの間にか姿を消していたヒソカの姿を探した。見つからないと言うことは自室へ行ったか、それともパクノダの部屋に向かってしまったのか。絶をしているのだろう気配を感じないヒソカに、シャルナークは先に向かったパクノダへを怒らせないと良いと思いながら、自分もパクノダの部屋へと向かった。
「……手、離さなきゃ良かったな……」
 ほんの少しの間だけ抱きしめていたの寝顔、そして穏やかなオーラを思い、シャルナークは小さく呟くと崩れかけた壁を蹴って舌打ちをした。
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