道化師と短絡者
不意に、周囲の空気濃度が厚く濃くなっていることにフィンクスは気づいた。体勢を低くして辺りを窺うと、しばらく現れないはずだった気配を嗅ぎ取り、フィンクスの表情が一気に歪む。
「ちっ、タイミングが悪ぃぜ」
呟いてを抱えなおすと、さっさと建物の中に引き返そうとする。だが、気配の主はフィンクスの行動を面白がっているようで、ねちっこい気配はすぐ目の前に現れた。
「やぁ、フィンクス。なにを持ってるんだい?」
くすくすと楽しげに笑うヒソカに、フィンクスは渋面のまま無言で睨みつける。
腕の中のは機嫌よく眠っているのか、ヒソカのオーラを急な移動で掴み取れないのか、フィンクスが強く抱きなおすとその手で服を握ってくる。オーラも穏やかな流れで、フィンクスの無理矢理押さえ込まれている警戒心を和らげるような、そんな柔らかい色と感触になっていた。
それを気にしていない振りで渋面のままにするが、ヒソカにはどうやら筒抜けなようで、フィンクスの腕の中で眠るを覗き込もうとしてきた。
とっさに後ろへと飛び回避するが、ヒソカは楽しそうに喉奥で笑って追いかけてくる。
フィンクスはすぐに森の中へと滑り込むが、ヒソカも難なく身を滑り込ませフィンクスの姿を見つけ、毒を流し込むように笑い声を響かせた。フィンクスは草を踏み潰し落ちていた岩を蹴り飛ばし、ヒソカを威嚇しつつ元いた場所から遠ざかる。
けれどヒソカが怯む気配もなく、フィンクスはを連れ出すんじゃなかったと早々に後悔し始める。
の存在は足手まといでしかなく、しかも今回のヒソカの目標となっているのは。がいなければ、フィンクスはヒソカに追いかけられることもなかったのだ。
けれどフィンクス自ら預かったわけではないが、自分なりに考えて外へと避難したのだ。予想される被害を防ぐための処置に、思わぬアクシデントが重なっただけ。元を辿ればを置いて行ったノブナガの所為であり、が泣き寝入るほど脅かしたクロロの所為である。フィンクス自身の所為ではないと、走りながら威嚇しながらフィンクスは自分を納得させようとする。
「ほらほら、早く逃げないと追いつくよ」
くすくすといやらしく尾を引く笑い声が、フィンクスの耳へと流れ込んでくる。それを振り払うように木を殴り飛ばし後方へ放るが、ヒソカはトランプで切り裂いて開いた距離を埋めにかかる。
腕の中ののお陰で、十分な攻撃が出来ないためフィンクスは歯痒くてならない。けれどを放り出したり傷つけたりすれば本末転倒、フィンクスの苦労も水の泡となる。
ジレンマに暴れだしたくなるが、フィンクスはそれを無理矢理押さえ込んで叫んだ。
「てめぇ、しばらく来ないんじゃなかったのかよ!」
振り返りもせずにフィンクスが怒鳴ると、ヒソカは心外だと目を細めて呟いた。お互いに風を切って走る音さえ聞こえる距離で、フィンクスは焦る。速度を上げなければ追いつかれてしまう。次の瞬間に、フィンクスは走る速度を上げた。
「ぼくは暇だったらって言ったんだよ。だから来た。何かおかしいところがあるかい?」
けれど相変わらず近くからヒソカの声は聞こえ、話し終わると同時に何かが投げられる。音も飛び越えたその速さに、フィンクスは飛び上がって辺りの木を足場に、空へと駆け上がった。
いくつか樹木が倒れ、ヒソカが意外そうに足を止めるのを見下ろす。
「おや、本気だね」
倒れた木々に目をやり、ヒソカは辺りを見回しながら舌なめずりをする。
その光景を見ていたフィンクスは、絶をしながらも背筋を震わせた。相変わらずの変態具合に、フィンクスは叫びたいのを堪えるのに必死だった。
「けどまだまだ甘い」
次の瞬間、目の前に飛び上がってきたヒソカに驚く間もなく、その手が眠っているへと伸ばされる。そのとき初めて、フィンクスはの目が開かれていることに気づいた。
「」
「ほら、捕まえた」
フィンクスの目を見開いた台詞と、ヒソカの嬉しそうに揺れる声が重なる。ヒソカの指先が、の肩へと触れたと認識した途端、飛んでくる熱源に気づいた男二人は同時に後方へと飛び去った。
飄々と笑みを貼り付けた表情のまま、ヒソカは平然と湿った地面へと降り立ち、熱源は派手なガラス音を立てて樹の幹へとぶつかり弾けて砕けた。フィンクスは平静さを取り戻し、危なげなく地面へとをしっかりと抱きしめて着地する。降って来るガラス片が掛からぬよう、十分離れた位置での着地だったが、物を投げてきた方向へと視線を向けた。
「お前ら、なにやってんだ」
低い唸り声と錯覚するような声に、フィンクスは一気に地面へと座り込む。声を皮切りに次々と姿を見せてくる見慣れた顔を、疲弊しきった表情で出迎えた。
「お前ら、もうちょっと早く戻って来いよ」
「知るか! なんでこんなことになってるか、説明してもらおうじゃねぇか」
フィンクスに噛み付かんばかりの勢いでノブナガは吼え、ヒソカへ胡散臭げな視線で警戒も露に顔をしかめる。パクノダはベッドや布団類を抱えたウボォーに、自分の荷物を預けた上で、フィンクスとに近づいてくる。
「やだな、ボクはまだ何もしてないよ」
「しようとしてたんだろうが!」
ノブナガは紙袋を山と片方の肩に担いだまま、ヒソカへと近づいてどこかの父親の様に肩を怒らせ叱り始めるが、ヒソカはどこ吹く風で楽しそうにその話を聞いていた。ウボォーは、ありゃぁ効いてねぇなと呆れるが、ノブナガは気づいていないようで耳が痛いほど怒鳴り上げている。
パクノダはそんなノブナガを気にする素振りもなく、へたり込んだフィンクスへと足を向け目の前に立つと、小さな子供にするように腰を落とした。
「ほんと、なにやってるのよ」
「うるせぇな。文句ならシャルとフェイに言え」
「だから、なんであんたがを抱えてるわけ? ああもう、ごめんなさい。怖い思いをさせたわね」
パクノダの情けなく下がった眉と申し訳なさの詰め込まれた口調に、フィンクスはようやく意識の真ん中にの存在を浮上させた。腕の中を見ると、震えもせず目を開いたまま呆然と固まっているが、パクノダをただじっと見ていた。焦点は合っているがどこか意識は飛んでいる表情に、フィンクスは目の前で手を振って見せる。
「おら、起きろ」
二度三度と手を振ると、ゆるゆると目に光が戻ってきたようで、瞬きが数度繰り返される。か細い声でパクノダの名前を呼び、フィンクスの名前を呼び顔を交互に見ると、また数度瞬きを繰り返して固まった。
さすがにおかしな様子だと気づき、パクノダがその肩に触れる。が、パクノダは顔色を変えての両肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「、? ちょっと、!」
「お前、ちょっ、なにしてんだよ」
首がもげるのではないかと思うほど、パクノダはを揺さぶり始めだし、フィンクスの体に直接振動が伝わってくる。の腰を抱え動きを止めようとするが、パクノダのひと睨みにフィンクスの表情が歪む。気分を害したと言う前に、パクノダが吐き捨てるように叫んだ。
「あんた、なんで気づかないの! この子のオーラが消えてるのよ!」
言われてようやくの違和感に気づいたフィンクスは、の唇の端がうっすら白くなっていることに気づいた。指先で触れると、どこか泡のようなものだと分かり血の気が引く。
「何があった!」
飛んできたノブナガにパクノダが状況を説明するより早く、フィンクスはを抱えてクロロのいる建物へと引き返す。
「くそっ! なんでこんな弱ぇんだよ!」
の身体能力が自分達の比ではなく弱いことを、フィンクスはようやく思い出した。