雨傘持って追いかけた


 はその日、サテラに断ってもう一度外に出た。
 今日の半日とも言える時間、楽しく過ごさせてくれた三人が店を後にして、ほんの十数分後に雨が降り出したからだ。
 サテラもも慌てるが、どこにいるのか見当がつかない。けれど常人の足ならば、ここから遠いと本人たちが言った宿まで、雨に濡れないと言う保証はない。どこかで雨宿りでもしてくれればいいがと二人は言い合ったが、はどうにも気になった。
『シャルナークさん、なんかおかしかったし』
 呟いて辺りを見回す。すでに真っ暗になった街並みは、やはりそれ特有の空気を醸し出していた。サテラは随分とを止めたが、今まで外に出なかった反動なのか、それともサテラの言葉にも耳を貸さないほど三人が心配なのか、は一歩も譲らず「三人を探して傘を渡す」ことにこだわった。
 折れたのはサテラのほうで、今現在夜の街をは傘を三本持ってうろついていた。
「のぶながー、ぱくのだー、しゃるなーくー」
 人が少なくなってきたのをいいことに、少々大きめの声で呼んでみるが、返ってくる声など一つもなく、は落胆した。
 ノブナガとパクノダとシャルナークと言う名前、そしてハンター文字が主流の国と言えば、おのずとここがどこだか再認識してしまうと言うもの。富樫某漫画家先生の描いてる世界に酷似していると言うか、もうその世界だと認識したほうが気は楽かもしれないくらいには、目眩がする。たまに漫画に出てくる、名無しの美人女性っぽい人がお店に来るなーとは思ってたんだ。ニュースで幻影旅団って聞くたびに、ドキドキしてたんだ。でもさ、長い長い夢を見ているだけだとか、記憶がないだけで誘拐されてきたんだとか、実はサテラの言うこと全部嘘かもしれないとか、一応一通りは考えたんだ。
 は傘の下から空を見上げ、降り止まない雨を見て一旦閉まった店の軒先に避難する。雨足は強くなると言うのに、いっこうに三人は見つからない。
 そう、見つからないのだ。
 めぼしい場所は見た。一緒に歩いた道も、取りこぼしもあるかもしれないけど、迷いながら歩いてみた。名前を呼んだ。ふざけて『円ー! 円は半径五キロ!』なんてふざけて言って見たりもした。けれど本当に見つからない。だから余計に怖い。
 ここ、本当にハンターハンターの世界なのかな。
 あの三人は、初期から幻影旅団団員の念能力者な三人なのかな。
 クルタ一族を、クラピカ以外皆殺しにしちゃった人達なのかな。
 盗むのが当たり前なのかな。
 ヒソカが仲間にいるのかな。
 旅団の人なら、なんで私と仲良くしてくれたのかな。
 家まで来てくれて、お茶飲んでお話して、退屈だったりしなかったのかな。
 だからシャルナークさん、様子がおかしかったのかな。
 思考がくるくると主題を変えながらも回るのをやめず、どんどん暗い方向へ走っていく。アジトはこの近くかなとか、数人が団体行動をしてるだなんて、仕事が終わった後なのかな、それともこれから? なんて本当に止まらない。
 に優しく接してくれた三人の表情やら言葉やらを思い出して、どうにか精神の均衡を保とうとする。そうだ、もしかしたら私の願望で、ただ本当に同姓同名のそっくりさんなだけかもしれない。ありえないとは言い切れない。
 いつの間にか詰めていた息を吐くと、気分直しに空でも見上げてみる。
 相変わらずの雨の音も、そう言えばここに来て初めて外で聞いたなと思い返す。いつもいつも部屋の中から聞いていて、決して外には出なかった。出られなかったのかもしれないが、言えば店の一歩外にくらい出ても良かったかもしれない。聞かなかったことを少し後悔した。
 そう考えると、雨も新鮮な気持ちで見えてくるような気すらしてくる。
 三人が見つからないのはとても心配だけれど、外が暗くて人が少ないのは怖いけれど、それもまた新鮮じゃないかとは一人頷いて納得する。
『いい機会だし、もうちょっと探そう』
 は三本の傘が濡れないように抱きしめなおすと、今度は足元を気にせずに走り出した。パシャパシャと靴やスカートの裾にかかるが、一度意識を切り替えてみると楽しいかもしれない。これから泊まりに行くでもないし、うん、思いっきり汚しても自分で洗うしね!
 気持ちが真逆に切り替わった頃、目の端に何かが映った。烏かなと建物の上に目をやると、何かが建物の上を飛んでいた。どこかで見たことある影だな、とが目を凝らしていると、その影はすごい速さでの方へと近づいてきている。
『誰だっけ』
 すでに人物と決め付けて脳内検索をしていると、すぐに行き当たる。
 の口が、ぱかっと間抜けにも開いた。
『ウボォーギンさんだー!』
 わ、わ、うそ、うそ!
 口を開けたまま思わず影に近づくように走り出すが、影のほうが早く建物の上を駆けていく。両手は自分の傘と、渡すほうの傘で埋まっていて振ることも出来ない。けれどテレビのヒーローを生で見たかのような興奮が湧き上がってきて、は声を張り上げた。
『ウボォーさぁーん! ウボォーギンさぁ――ん!』
 走りながらと雨の所為で、声が届くかどうかはの頭にはなかったが、駆け抜けていく影が見えなくなるまでの数瞬間だけ声を張り上げた。はぁはぁと興奮と走ったために息が荒くなったが、それすらも興奮剤となって気持ちを盛り上げていった。
『あれ、絶対ウボォーさんだよ。すごい、ウボォーさんまでいた!』
 他人の空似ってすごい! やっぱり皆集まるんだ!
 興奮冷めやらぬ様子で声を張り上げると、ウボォーが見えなくなった方向へと足を進めていく。気分はすでにスターを追いかけるファン状態で、頭の中は実際どれくらい体格がいいんだろうとか会ったら最初になんて言おうか、サイン貰っちゃおうかと確実に浮かれていた。
 歩いていく先はどんどん暗くなる。街灯が途切れだし、人の姿はすっかりなりを潜めた路地をしばらく歩いていて、ようやくは辺りを見回した。
『多分……こっちだと、思うんだけど』
 雨は降り続け人通りはなく、雨の降る量と速度に霧が立ってくる始末で、近づかないと人が歩いていても気づかないだろう路地。そして夜特有の暗さ。
 小さくの体は震えたが、すぐに気持ちを奮い起こした。
『もしかしたら、ノブナガさんたちもいるかもしれないしね!』
 自分の使命を思い出し、は張り切って道を歩き出す。段々と道ともいえぬ通りになっていくが、そこら辺には視線をやらずに早足で駆けていく。どんどんと恐怖心からか足取りが速くなり、最終的に全力疾走をするようにまでなってしまう。雨が跳ね泥がつき、けれど三本の傘は命綱のように抱きしめて駆けていく。
 誰もいないはずなのに、誰もいないはずだからか恐怖心は際限なく膨らんでいく。
 久々の外出ではしゃぎすぎたかと後悔してきたときになると、怖いと思いながらも辺りを見回してしまう。自分の心臓の音が耳元で太鼓の鼓動のように鳴り響き、息もいつの間にかまた荒くなっている。
 足を止めて、気合を入れようと傘ごとは自分の胸を押さえた。雨は容赦なく降り続き、一寸先ももはや見えない。
「だ、だれ、そこ、いる、ですか」
 いない。そう分かっていて声を出した。これで反応が返ってきたほうが怖いが、一度口に出して振り返って、ほら誰もいないと自分を安堵させたい。は耳や顔の比較的熱くなりやすい部分が、高熱でも出だしたかのように紅潮してくるのが分かった。傍目から見れば間抜けな確認作業としか思えない。けれど怖いのだ。何もないと確信したい。
 なにか、音がした気もして怖いのだ。
 は、二度深呼吸をしてもう一度声を張り上げた。
「わたし、はいご、ひとり、だれ、います、か」
 いない。大丈夫だ、絶対いない。
 空気が重くなっている気がする。ああ、なんて自分は恥ずかしいことしてるんだ。誰もいない路地を見るほうが怖いに決まっているのに! もし誰かいて、うっかり目が合っても恥ずかしいのに!
 けれどは傘を抱きしめなおし、ゆっくりと後ろを振り返る。
 視線は傘を抱きしめた状態のまま地面を見つめ、完全に体全体が振り返るとそっとそっと視線を上げていった。傘も前屈みになっていたのか、雨粒が当たる。
 顔を上げきって誰もいないのを確認したら、大声で笑おう。某めいとさつきのアニメだって、怖いと思ったら笑って気持ちを明るくしてた。トトロだって出てきてくれるかもしれない。そうだ、雨傘ならここにある。こんなに人のいない道だから、もしかしたら子トトロとかまっくろくろすけとか、いるかもしれない。
 心臓を不安に高鳴らせながら、明るい方向に思考を向けようとは意識して努めた。傘を少し傾けて、前を向く。
 と、黒い靴が視界に入った。
「驚いたな、気づいていたのか」
 の動きが止まる。誰かが何か言った。それは分かる。けれど、誰がいる?
 突然の事態にの動きが完全に止まる。声の主は、笑う。
「走り出したから気づかれてるかなとは思ったけど、場所まで特定されてたとは。驚いたよ、君は念能力者かい? 絶が上手いんだね」
 はまともにハンターのアニメは見ていない。最初のほうはまだ見たが、旅団編などは一話たりとも見たことがない。だから、この声の主がキャラクターの誰かだとしても、分からない。
 けれど、は嫌な予感がした。
 ゆっくりと、凪の時間に雲が動くよりもゆっくりと、傘と視線を上げていく。
 黒い靴、黒い服、黒いスーツ、黒い……。
 そこでは泣きそうになる。なぜ思い浮かばなかったんだろうと気が遠くなる。
 目の前の男性は、にこやかに好青年らしく笑った。
「君、名前を教えてくれるかい」
 特徴的な耳飾と、額の包帯。そして下ろされた前髪に、は泣きそうになりながら笑うしかなかった。サイン貰っちゃおうかなと意識が現実逃避を始める。世界が違えば、口から魂もハローと飛び出したかもしれない。
 クロロ・ルシルフル。幻影旅団団長が、傘もささずに立っていた。
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