違和感と偶然


「えと、だめです」
「だめじゃないの。ほら、こっちも着てみなさい」
「これは大きいです」
「大きいじゃなくて、多い。言ってみて」
「おお」
「多い」
「おおい」
「よく出来ました。さ、着替えるの」
「やー! ぱくのだ、め!」
「暴れるのが、め、よ」
 小さい子供を叱るようにパクノダはの駄々をこねる顔を覗き込み、そして有無を言わせず今度こそ試着室の扉を閉めた。「きちんと着るまで出せないわよ」と言って彼女がドアの前に立つのも、もう数を数えるのが馬鹿らしいくらい回数を重ねていた。店に入ってからもう二時間経っていた。
「ノブナガ」
「おれの責任じゃねぇぞ」
「下見」
「あの店はまだ三時間は閉まらねぇよ」
「試着」
「パクノダの気がすむまでだな」
 シャルナークがぶすくれると、ノブナガは「おれも帰りてぇよ」と弱気な発言をして自分の後頭部をがりがりと掻き毟る。時折の甲高い奇声が上がり、パクノダの穏やかで有無を言わせぬ言葉がその口を閉じさせる。
 シャルナークは眉を寄せた。
「下見する店で、服買えばいいのに」
「パクノダがここだっつったんだ、テコでも動かねぇよ」
 ノブナガが欠伸をしていると、なにやら青い浴衣を着たが試着室から出てくる。桃色の帯に、黄色い巾着。懐かしいなと傍観しているノブナガは、ちょっとばかり事態を把握するのが遅れた。
『ノブナガさん!ノブナガさーん!』
 涙目で駆けて来るが目の前に迫ってきて、ブレーキは自分の手前でかけられているのに思わず衝撃を吸収するかのように抱きしめていた。
「ノブナガ、やっぱり」
「うるせぇ」
 それに冷たいまなざしを向けてくるシャルナークを黙らせると、びっくりして両手を挙げているを見る。
 似合っていたのだ。
『へぇ、似合うじゃねぇか』
 素直な感想に、は嬉しそうに頬を緩める。が、背後に来た存在感に背筋を伸ばす。
「これにきめまた!」
「きめました?」
「きめましちゃ!」
 低く問いかけられ慌てて言い直す、その光景にノブナガは吹き出し、シャルナークはこれで終わると思ったのかほっとしたように顔を上げた。
 けれど、パクノダの目は妥協を許さない目だった。
「まだ」
「もう、おわり!」
「まだよ。色々服はあるんだから」
「のぶなが、いい、いた!」
 の必死な声に、パクノダの視線がノブナガに刺さる。けれどノブナガもだいぶ飽きていたので、もういいだろうとため息混じりに制した。
「ほら、のぶなが、いい、いた!」
 なおも必死にノブナガの言葉尻を取り上げるに、パクノダも渋々ながら了承の意を示す。たまには使うのもいいわとか何とか言いながら現金を取り出すところを見ると、どうやら買い物を本当にするらしいと分かる。
「やらねぇのか」
 率直にノブナガが聞くと、パクノダはノブナガを見てへと視線を向ける。の上げられていた腕はいつの間にかノブナガの首に回っており、しっかりと抱えられていた。身構えているような視線が、パクノダに向いている。
「小さな子供の前で、出来ることではないわ」
 パクノダはそれだけを言うと、の頭をなで、一言一言区切りながらレジを指差した。
「お金、払って、くるわ」
「おかね、はらて、くるわ?」
「そう、会計済ませるわ」
「わかた」
 パクノダの雰囲気に乗せられているのか、は神妙な顔で頷いていた。まるで何か重要な話を聞いたかのような表情に、シャルナークは小さく吹き出してしまった。
 見た目はどこにでも居るような少女と言えるのに、言葉が通じないせいもあってかの仕種は幼児のそれに酷似していた。さっさと用件を済ませたいと思えばノブナガに聞いたほうが早いし、そうした時のの様子はどこにでも居る年相応の少女にも関わらずだ。その様子と現在の荷物を見る限り観光客とは言いがたく、けれどこんな少女一人を放り出していて家族が平気だとは思えない。どう見ても迷子になるために歩いていると言って過言ない少女なのだ。
 パクノダは試着させて似合うと判断したものと、自身が気に入った諸々の服などを店員に言って会計しているが、やはりその量が気になったのかもノブナガから離れてそちらに行ってしまった。
 パクノダの傍に行く前に、は自分が抱きついているのが誰か分かったとたん、顔色を真っ赤や真っ青とくるくる変えながら、ノブナガになにやら言い訳だろう言葉を言っていて、ノブナガはニヤニヤと厭らしい表情で言葉を交わしていた。シャルナークから見れば、やはり民族限定ロリコンだったかという認識を確定させる光景だった。
 そして迷子札の存在を思い出す。ノブナガがに興味を持ち、自分たちも興味を持った発端たる迷子札。
 パクノダとなにやら言い合いながら会計をしているへと視線を向けているノブナガに、シャルナークは時計を見てから聞いてみた。
「ねぇ、ノブナガはあの迷子札見たんだよね」
「ん? ああ、見たぜ。それがなんだよ」
「迷子札になんて書いてあった? 足元に来たときに見ればよかったんだけど、そこまで観察してなくてさ」
 シャルナークの言葉に、ノブナガは不思議そうに眉を寄せる。
「なんで観察する必要があったんだ? あいつは別に迷子じゃねぇだろ」
 ノブナガのその台詞に、シャルナークは苦笑を浮かべる。先ほどの自分もそうだったが、ノブナガもきっとパクノダも忘れているのだ。
 シャルナークは思い出させるように言ってやる。ノブナガの視線はシャルナークへと向けられていて、シャルナークも話しやすい。
「おれたち結構な距離を追いかけっこしながら来ただろ? ノブナガの話じゃ、彼女が外に出たのは二ヶ月ぶりってことだし、しかもそれ以前から外に出たのは長くて10分やそこらだって聞けば、おれたちが家まで送るかどうかしないと、確実に迷子になると思うよ。だからこそ、迷子札に住所でも書いてあると思うから、それを見て送ったほうがいいと思うんだよね」
「ああ、そうか。すっかり忘れてたわ」
「うん。おれもさっきまで忘れてたよ」
 二人で顔を見合わせると、こっそりと苦笑しあう。
 パクノダたちはまだ会計が終わらない。移動時間を抜かしても一時間以上もの間試着を繰り返していた結果だが、男性二人はなぜそこまでほしいと思う服が出来るかがわからない。
「パクノダも忘れてんだろうな」
 ノブナガの一言に、シャルナークは頷いて肯定の意を示す。先ほどから言い合う内容は、が服を店に出し直そうとしたりパクノダがごと抱きしめて止めているのを見る限り、自ずと出てくると言うものだが、二人の仲のよさは二時間前には想像すらしていなかったほど、親密なものになっていた。
 パクノダの表情は、明るいを通り越して陽気だ。の表情も、泣きそうになりながら地面を這いつくばっていたことなど連想できないくらい、明るいものになっている。

 ノブナガが彼女の名前を呼ぶ。彼女の視線が、パクノダに抱きしめられたままこちらを向いた。その隙に、パクノダは服をひったくってレジに突き出す。の顔がショックで漫画みたいに口も目も大きく開かれる。
 ノブナガが笑いながら続けた。
『おれたちもう飽きてきてっから、四の五の言わず会計されとけ』
 シャルナークにはノブナガがなんと言ってるか分からなかったが、がなにやら顔をしかめてパクノダに囁いたのを見て、きっと諌められたのだろうと推測する。パクノダは嬉しそうな顔での頭を撫でると、こちらへと彼女の背を押していた。浴衣姿のが、音も軽やかに近づいてくる。
「おかえり」
 シャルナークの口からは、自然とその言葉がこぼれていた。の丸くなった目を見て、シャルナークは自分の言った言葉を自覚して、やっとその言葉に驚く。けれどシャルナークの隣に居る、同じ立場であるはずのノブナガはの丸くなった目がおかしいと笑っているだけで、言葉の違和感には特に追求は無かった。
 さっきおれが言ったばかりなのにと、どうにもとの親密さに違和感を覚え切れていないノブナガに、シャルナークは苦笑する。
 けれどノブナガの態度が良かったのか、も笑っていた。ノブナガに文句の一つでも言いたかっただろう悲しげな顔が、どうにも年相応の少女の笑みで満たされている。
 シャルナークを置いて、二人の会話は続けられた。けれど途中でそれもたどたどしいものに変わる。がシャルナークの存在を気にかけていると証拠と言うか、言語が彼女の苦手とするものに変わっていたのだ。シャルナークにはどうにもくすぐったいものだった。
 そんなシャルナークの変化に気づいたノブナガが、こそこそとに教えてやる。楽しそうな笑みで、もつられて同じ表情になっていく。
、こいつ照れてやがるぜ」
「てれてやがーぜ」
「照れてやがるぜ」
「てりゃてがるぜ」
 ノブナガは、まともに言えてないくせに人の悪そうな笑みを浮かべるで吹き出し、はシャルナークの間抜けな表情で笑いを増大させていると勘違いして、人の悪い笑顔を深めていく。ノブナガの笑いはすぐ止んだが、を見る目が笑い出しそうなままだ。
 シャルナークはそんな二人を見て吹き出し、ノブナガもつられてまた吹き出した。
「あはははっ、なんのコントだよ」
「こんちょだよ」
「いや、もう復唱するのやめて!」
「そうだ、もうやめろ!」
「もうやめりょ!」
 二人が喜んでいると思ったのか、は人の悪そうな笑顔のままで、二人の言葉尻を捕まえる。箸が転がっても笑い出す年頃でもないのに、シャルナークもノブナガも笑いが止まらなかった。変なツボに決まってしまったらしい。
 終いにはがシャルナークやノブナガの身振り手振りまで真似て、復唱をし始めるものだから、表情と言い方の酷似に笑いの発作はますます止まらない。
「……貴方たち、なにしてるの」
「なにしてるの」
 背後に山ほどの洋服や小物を従えた、会計を終わらせたパクノダが三人の傍に行くと開口一番に呟いた。そしてそれを、気取った仕種でパクノダの立ち姿を真似たが、似たような呆れ顔で復唱する。
 床に突っ伏して声も出せずに悶えている男性二人に、パクノダは先ほどから聞こえていた笑い声で状況を理解し、ため息を吐いた。
「ほら、笑ってないで荷物持ちなさいよ。下見に行くんでしょ」
 荷物の山を持っていた店員に、パクノダはノブナガたちが持つからと言って山を床に下ろさせる。そしてふらふらと笑い声を抑えている二人に、さっさと持てと冷たい視線を投げかけた。
 男性陣はたまに堪えきれず吹き出すが、パクノダは容赦せずにの手を引いて外へと歩き出した。
「ぱくのだ? でる?」
「そ、会計が終わったから。次、行きましょ」
「うん」
 素直に手を握り返してきたに、パクノダはやっと笑顔を浮かべる。も笑顔を浮かべて、ありがとうと改めて浴衣の礼を告げた。パクノダは気にしなくていいわ、似合ってるといって、二人ともなんとなく照れくさくなって笑みを深めた。
「って、下見?」
 シャルナークの声にパクノダが足を止めて振り向くと、服の山をものともせずに軽々と持ち上げたシャルナークが、素っ頓狂な声を上げていた。ノブナガも袋の山を持ち上げながら、どことなく嫌そうな表情だった。
「お待ちかねの下見よ」
 パクノダが当たり前じゃないと返すと、シャルナークとノブナガは顔を見合わせ、服の山を見てパクノダを怪訝そうに見つめなおした。
「お前、下見って服屋だぞ? こんな山持っていけるかよ」
「そうだよ。一旦この荷物どっかに預けなきゃ」
 二人の言うことは常識的にもっともだったが、パクノダは鼻で笑って歩を進めだした。は言葉の意味がつかず、ただ音の羅列にしか聞こえないため、とりあえず三人の言っている言葉を覚えようとぶつぶつと三人の言葉を復唱する。パクノダはそれを耳に留めて、少し笑みを浮かべる。
「パクノダ、ちょっと聞いてる?」
 シャルナークが声をかけると同時に、眼前に何かが投げつけられた。それを軽い音と共に片手で受け取る。シャルナークの顔には当たらなかったが、少々機嫌は悪くなる。
 パクノダはしかめられたその顔に、なんの含みもなく視線をそらす。の手を引き、また歩を進めだした。
「おい」
 ノブナガの声にも振り返らずに、パクノダはいまだに言葉を復唱するを止めながら呟いた。
「それを見れば分かるわ」
 それ、と言われてシャルナークとノブナガが、投げつけられたものに視線を向ける。どこか細かい傷の走ったそれは、が持っていた迷子札。そしてそこに書かれていた文章と住所を見て、二人は同時に目を剥いた。
「あはははは、もしかしてこれ、罠かな」
「都合が良すぎだろ。……やっぱ、罠か?」
 二人は目の前を歩くを見つめる。パクノダと喋っていたは、視線に気づいたのか足の止まっている二人を振り向いて、同じように足を止めた。
「のぶなが、しゃるなーく、あるく、しない?」
 手を繋いでいるパクノダも自然と足が止まり、急かすでもなく見つめてきた。
「いや、今行くよ」
 シャルナークが答えて歩き出すと、は頷いてまたパクノダと歩き出す。ノブナガもシャルナークと同じく歩き出すが、都合の良すぎる事態に表情は明るくなかった。
「どう思う」
 周りを歩く人々が、男性二人の持っている荷物の量に目を剥いていることなど、気にもせずに足を進め、器用に人と物を避けながら歩く。本当は車でも回したいのだが、目的の店はそう遠くない。シズクもつれてくればよかったと、シャルナークはふと思う。
「おれたちに都合が良すぎるよね」
「ああ、しかも……あいつは一緒に暮らしてんだろ?」

 今回の旅団の目的は、大昔の貴族が何百年と受け継いだ金銀財宝その他資産。
 膨大な量でありながらも貴族の最後の末裔死後も見つからず、世間では忘れ去られている夢物語のひとつとされ、風化しかけている伝説。
 調べでそれは実際に存在し、貴族は念を使えていた一族であり、膨大な財宝資産たちは見た目自体なんの変哲もない、ごくありふれた物に隠されているということが分かった。
 けれど半年前からぷつりとそれの足跡は消え、掴めたのはつい先日。
 そこそこの資産を持ったそこそこの知名度を持つ、そこそこ規模のある会社の社長にそれは譲られ、そして即座にその娘の元へと運ばれていた。若者を中心に人気だというデザイナーがオーナーの、どこにでもある洋服屋の女店長の元に。
が一緒に暮らしてるなんて、おれでも調べ切れなかった」
「いいじゃねぇか、思ったよりスムーズにことが運ぶかも知れねぇだろ」
「そうだけど」
 シャルナークは自分の情報収集力が、たかだか素人の隠していた人間一人突き止められなかったことに、気分を害していた。けれど気分を晴らす方法は知っていたし、これから気分が高揚していくことも分かっていたので、あえて気分の悪さを表に出すことはしなかった。
「ふたり、だいじょぶー?」
 荷物の量と、遅く着いてくる二人が気になっていたのか、前方からが大声でこちらに声をかけてくる。
「大丈夫だっつの」
 ノブナガが笑って呟き、大声で応じる。シャルナークはそれを見てやはり笑い、歩く速度を速めた。に聞かれたくないと思っていたら、自然と足が遅くなっていたようだ。
「今行くよ!」
 シャルナークも声を上げて応え、足を止めて待っている女性たちの元へと急いだ。
 荷物は二人の頭上で落ちることなく鎮座していて、やはり人目を引いていた。
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