祝・遭遇
「……私たちの顔に、なにかついてるかしら」
「ついてないと思うけど」
パクノダとシャルナークは二人そろって顔を見合わせる。ノブナガも訝しげにの顔を覗き込み、確認するように目の前で手を振る。
『、起きてるか』
満面の笑みが多少引きつりながらも、はすぐに意識を取り戻した。ノブナガに視線を向け、そして他の二人の顔を見ると見る間に顔色を真っ青に変え、テーブルに頭をぶつけるのではと思わせる勢いで頭を下げてきた。
『すみません、ぼーっとしてました!』
教師の説教中に意識を飛ばしていたかのような謝りっぷりの頭下げに、ノブナガはどうしたもんかと顎をかく。謝られてる当人たちはなにがなにやらで目をぱちくりとさせたままで、やはり打開策は見当たらない。
となれば、ノブナガのとる行動は一つしかない。
『落ち着け、だれもそのくらいで怒りゃしねぇよ』
大人の余裕を見せての肩を優しく叩くと、頭を上げるよう言い聞かせる。そしてが動き出す前に軽く二人に通訳をしてやる。
「ぼっとしててすみませんだとよ、何か言ってやってくれ。典型的な日本人みてぇだ」
「典型的な日本人?」
「あ、ええ」
はノブナガに言われても動かず、パクノダはイスから立ち上がるとの隣に立つ。足音が気になったのか、頭を下げたままこちらを見上げてくる視線とかち合った。すぐに反らされてしまったけれど。
近くで見ればますます薄汚れてしまっているその姿に、パクノダはかわいそうと思えども怒りなどは湧いてこず、そっとの肩に手で触れる。
それは無意識に行ったもので、特に何かを読みとろうだとか調べようなどと思った行動ではなかった。親切心で彼女を安心させようと言う、パクノダの性格ゆえのものだったのだ。誓うものもないが、あえて言えば旅団の自分自身に誓っても良いほど故意ではなかった。
「安心して、私たちは怒ってないわ」
「パクッ」
シャルナークの驚いた声に視線を上げ、その上げる際に目の端に映った顔を恐る恐る上げていくの横顔、ノブナガの訝しげな表情、すべてがパクノダの目の中に飛び込んでそして流れていった。
浮かび上がってくる映像と言語などの境界線のない想い、見たことのない風景に見たことのない物に見たことのない人々に見たことのない書物たち、見たことのない全てのものとそれへの感情が一気に流れ込んでくる。
その中に自分たちが居た。笑い怒り戯れる自分たちが居た。
それに対しての『好きだな』と言う、単純極まりない想いが伝わってきた。
けれどそれゆえに強烈な一言だった。『好き』だとあたたかい感情が伝わってきた。
たとえ自分たちが平面的な存在だと見えて、それに戸惑っても、それ以上に自分たちに向けられた感情に戸惑った。自分たちと出会ってなどいない彼女の、直球の感情にくすぐったいとさえ思った。
「パクノダ?」
ノブナガの呼び声に、目が覚めるように感覚が戻ってきた。触れていた手がいつの間にか彼女の肩から離されていて、彼女はノブナガの腕の中に居た。驚愕に目を見開かれた彼女の表情は、なぜかとても悲しかった。貴方の所為ではないと言い訳をしたかった。
「大丈夫か、お前」
ノブナガの二度目の言葉に、パクノダはゆるく頭を振った。自分が悪いのだ、不用意に言葉が通じないと分かっていながら声をかけて、言葉の意味を理解していないが何を思い浮かべるのかすら予想できないと言うのに。自分が不用意だったのだ。
「ご」
けれど聞こえてきた音に顔を上げる。ノブナガの腕の中で、ノブナガの腕をしっかりと両手で掴んでいるが、泣きそうな顔でパクノダを見ていた。目は潤み、まるで小さな子供のようだわとパクノダは思った。やはり言おうか、貴方の所為ではないのよと言って慰めようかと彼女の母性がうずく。
けれどはたどたどしい発音で言葉を続けた。ノブナガが不思議そうにの顔を覗き込んでいて、シャルナークは怪訝そうだった。
「ごめ、んなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
パクノダは彼女がかわいそうになってしまった。今度こそ本当に心底かわいそうだと思ってしまった。彼女は知っているのだ、かわいそうなことに。そしてそれを自分が知ったのだとわかって、そして悲しんでくれているのだ。なんてかわいそうな子供。自分が一番かわいそうな存在だと嘆いていても良いものなのに。
パクノダはそっとの頭を撫でた。その涙で濡れ、鼻水をすすっている顔を覗き込んだ。
「あなたの、所為ではないわ」
「ごめんなさい」
「良い子」
そうだ、言葉が分からなかったのだとパクノダは思い返す。なので端的な言葉を使った。見事の顔が不思議そうなものになる。パクノダは小さな子供をなだめるような気持ちでいた。
「良い子、悪くないわ」
すん、とが鼻をすすってパクノダを見つめた。パクノダはそれににっこり微笑み返すと、体を起こしてノブナガを見た。
「貴方が悪いわけじゃないわ、ごめんなさいって伝えてくれる?」
「お、おう」
ノブナガは瞬きした後、すぐにへとその言葉を伝える。伝えられたはノブナガを見ながらきょとんと言う言葉がぴったりな虚を突かれた表情をして、小首をかしげ、そしてまたパクノダを見た。
「なぜ?」
本当に小さな子供のようだとパクノダは思った。そしてこの子はどうだろうと思った。なにがどうなのか、パクノダ自身も分からなかったが、「この子はどうだろう」とパクノダはそのとき思った。ノブナガの腕の中で不思議そうにこちらを見つめてくるこの子は、どうなのだろうか。何がどうなのかすら分からないが。
「ごめんなさいね」
けれどパクノダはの質問に答えないまま謝り、シャルナークへと視線を向ける。
「シャル」
声をかけると、スクリーンに映った役者に声を掛けられた傍観者のようにシャルナークの体が跳ねる。パクノダは笑って「なにびっくりしてるのよ」と言った。
「服、買いに行きましょう」
「なんでさ」
「彼女は汚れちゃったのよ。替えがいるわ」
当たり前のように言うと、シャルナークもノブナガも驚いた。パクノダはその反応をそ知らぬ振りして流し、いまだにノブナガの腕の中に居るへと声をかける。
「あなたの、お名前は?」
先ほど読み取った記憶の中で知ったことながら、やはり聞いておく。は慌てた顔でノブナガの腕を掴んだまま頭を下げた。
「わたしのなまえは、 です」
「私の名前はパクノダです。よろしくね」
も自分の名前を知っていると分かっていながら、やはり名乗る。の表情が飴玉を与えられた小さな子供のように緩む。その表情は見ていて楽しくも嬉しい表情だった。
一連の流れをほぼ呆然と流されていたノブナガに、パクノダはきつめの視線を送る。言葉も思っていたよりきつくなっていたかしらとパクノダは思った。
「いつまで抱きしめてるのよ、買い物にいけないわ」
ノブナガも先ほどののように虚を突かれた顔をして、そしてすぐに沸騰したように声を荒げた。
「うるせぇな、お前がいきなり使ったりするからだろうが!」
けれど自分の行動がどう見えているのか分かったのか、すぐにを腕の中から開放する。
『悪かったな、いきなり抱きしめちまってよ』
『……いいえ、こちらこそ腕を掴んでしまってすみませんでした』
はまるで夢を見ているかのような、夢の中で目が覚めたような表情になっていた。何がそうさせたのか、パクノダには分からなかったが、は嬉しそうに恥ずかしそうにノブナガから手を離していた。
ノブナガはの台詞に、らしくないことをしていたと恥ずかしくなった。腕に抱き込むだなんて、こんな年の離れた子供に何をしてやがんだ。おれはロリコンじゃねぇっつの。
けれどは嬉しそうで恥ずかしそうで申し訳なさそうで夢心地のようで、ノブナガをまぶしそうに見つめていた。そして頭を軽く下げてきた。
『ありがとうございます』
そしてパクノダの方を向き、シャルナークの方を向き、丁寧に頭を下げた。けれどすぐにそれを上げた。
多分自分と同じことを言いたいんだなと思って、ノブナガはの言葉を二人に告げた。パクノダは「気にしないで」と言って、シャルナークは「言われる理由がないよ」と不思議そうにを見ていた。
それを伝えたら、は笑った。
パクノダはの服を買うのだといって聞かず、ノブナガは特に反対する理由もなかったので反論せず、むしろ暇な時間が効率的に潰せていいじゃねぇかと賛成した。けれどシャルナークは「下見に来たのに」と言って聞かず、ノブナガからの通訳を聞いて遠慮しだすを気遣って「の服を買うのが嫌なわけじゃないよ」と矛盾したことを言い、堂々巡りになって結局は折れていた。
「さて、行きましょうか」
パクノダが言うと、はノブナガを見上げて小さな声で聞いた。内緒話をするように、服の袖を引っ張って耳を近づけてもらう。ノブナガは抵抗なく耳を唇に寄せた。
『私、お金そんなに持ってないんです。お店も知らないんです』
ノブナガはそんなことを言うの顔を見た。
『でも服、そんなんじゃ家にも帰られねぇだろ』
言うと、気まずそうにの視線がそれる。まるで隠していた壊してしまったおもちゃが、とうとう大人に見つかってしまったようなそんな表情。
『でも』
『金はこっちが出すさ。あいつが言い出したことだしな』
あいつ、と言いながらノブナガはパクノダを顎で示した。その視線に気づいたパクノダが「なに?」と振り返る。は首を横に振った。
『でも、初対面の人にそんな』
は緊張した面持ちで遠慮がちに言った。だからノブナガは笑った。
「遠慮すんなよ」
伝わるだろうかと考えもせずに言った。不思議そうな顔ではノブナガを見て、その唇を動かした。
「えりょ、すんな?」
「えんりょすんな、だよ」
シャルナークがようやく自分にもわかる会話言語になったと見て、さっさと割り込んでくる。そして吹き出すのを堪えるように目も口も弓形にする。
「それじゃあ「エロすんな」になっちゃうよ」
言外に「ロリコン」と言いたげなその様子に、ノブナガは食って掛かって逃げ出すシャルナークを追いかけだした。先導していたパクノダは後ろの騒ぎに振り向こうとするが、走り出した二人はパクノダを追い越して勝手に先へと走って行ってしまう。
パクノダが振り向いたときに後ろに居たのは、呆然と走っていく背中を見ているだけだった。それをみて、パクノダは吹き出した。
「間抜けな顔になってるわよ」
「まにゅけ」
意味が分かるのか分かっていないのか、は呆然としたまま聞こえてきた言葉を復唱した。いやに幼い発音だったが、呆然としたままだったのでパクノダは今度は普通に笑い出した。
もなんだかおかしい気分になってきて、遠くへと走っていった二人が戻ってきて自分たちの周りを走り回って、そしてまた遠くへ行くのを見ながら笑った。
「追いかけましょう」
パクノダが悪戯を思いついたようにの手を引き、遠くなる二人を指差して足を速めだすと、なんとなく意味を理解しても足を速めた。
人ごみの多い街の中を、いつの間にかパクノダもも駆け出していて、街路樹をはさんで睨みあっている二人を追い越していった。
「置いていくわよ!」
「わよ!」
通りすがりに言い捨てていくと、女性陣二人の後姿を確認した男性陣二人が慌てて追いかけてくる。
「ロリコンと一緒においていかないでよ!」
「てめっ、いい加減撤回しやがれ!」
には分からない言葉でなにやら言い合っていて、パクノダには通じているのか楽しそうな笑い声がの隣から漏れてくる。
「ぱくのだ、たのしい?」
はぁはぁ言いながら、走りながらは笑って問いかけた。目を見開いたパクノダが印象的だと思った。
「ええ、もいるしね」
パクノダが笑ってそういうのを、意味を理解して真っ赤になってうつむいたは、走ることに集中した。「あっち」と次の角を右に曲がるのだと言う指示に従って二人で走りながら曲がる。二ヶ月も引きこもっていた筋肉が悲鳴を上げていたが、は大きな声を上げて笑った。パクノダも笑った。街の中だというのに笑って、後ろの二人に角を曲がったのだとばれてしまった。
「ちょっと、待ってよ!」
『! お前、置いてくなっつの!』
おなかが痛くなるくらい笑って、目的地に着いたときはだけ一人で立ち上がれないくらいに体中の筋肉が悲鳴を上げていた。けれどみんなみんな笑顔で笑ってて、もまた笑った。