2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生。
東日本大震災の被害情報は、海の無い山の奥、大分県宇佐市安心院町深見地区にも届きます。途方もない被害状況が次々知らされました。義援金、支援物資。まだ足りない。被災地から1500km離れた、600余世帯の深見地区で、被害を受けた人に寄り添うことはできないだろうか。悩む深見の人へ、大分大学山浦ゼミ安心院班の学生さんから、「安心院の心を被災地に届けよう、被災地の願いを安心院のぶどうに込めて、育った美味しいぶどうを食べてもらおう!」と提案がありました。
安心院は、おいしいぶどうがたくさん育つ場所です。
ぶどうのことなら任せろ!と、さっそく準備がはじまりました。
宇佐市が職員を災害派遣していた、宮城県多賀城市に連絡をとりました。
安心院の小学校や深見の保育園で、子どもたちのメッセージが、ぶどう袋に書かれました。
袋に書かれた安心院のこどもたちからのメッセージを読みながら、残る片面に、宮城県多賀城市八幡小学校、八幡保育園のみんながメッセージを書いてくれました。
多賀城はこんな所だよ、と現地入りした山浦ゼミの学生さんから安心院の子どもたちへ説明もありました。
深見の人や山浦先生の運転で大切に運ばれた袋は、2011年7月7日、安心院の小学校や保育園、大分大学、深見の人たちの手によって、ぶどうに掛けられました。
それから2か月。
たくさんの人の手で大切に守り育てられたぶどうは、収穫され、学校ごとクラスごとに分けられ、車に積まれました。
これも一緒に持ってって!と手紙や寄せ書き、ビデオレター、てづくりのおもちゃ、たくさんのものをこどもたちから預かりました。「うちで咲いてるきれいなひまわり、多賀城へ持って行って!」と筌の口地区の人たちからはひまわりの種も預かりました。「ブドウもいいけど、ワインも飲みたいなぁ」と袋に書いてくれた先生のため、安心院でつくったワインも積み込みました。
2011年9月5日、みんなの願いを込めた「七夕ぶどう」や手紙が多賀城の八幡小学校、八幡保育園に届きました。
その後も、保育園や小学校でのメッセージのやりとり、深見地区イベントで多賀城特産品が活用されるなど、交流は続いています。
ぶどうの花言葉は、「信頼」「忘却」「思いやり」。
これから長い時間をかけて、深見地区まちづくり協議会では、東北の友人たちと共に「まちづくり」を進めてゆきます。