静から動−エベレストまでの道(4)
                     大平 展義

        
                  エベレスト・ローツェフェース登攀

 サウスコル、死の臭いがする。生と死の境界線だ。気温は−60℃にもなろう。雪の中に埋葬され収容されないままの遺体が幾つもあると聞く。到着後数時間の睡眠。21:00 アタック出発である。食事の餅は綺麗に平らげた。食欲
はすこぶる快調である。だがヒマラヤ遠征では老齢の輩、2 ヶ月半の登山生活では、エネルギーは使い果たし酷寒の中では思うように体が動かない。力も入らない。手伝ってもらい遅れながらも出発した。風は珍しく微風、歩き始めた体には寒さも感じない。ラテルネの灯りとフィックスロープを頼りに登る。この頃より同伴シェルパ、ラハール・タマンが咳き込む。バルコニー8500 mに到達して、今傾いているのは沈みゆく満月なのか、登る太陽なのか、方向感覚を失った様な錯覚に陥る。強度のゴーグルでは明るさが著しく遮られる。1本目のボンベの残量は有ったのだが早めに2 本目と交換し、テルモスのお湯を飲む。その時ラハールが手を出し自分にも飲ませろと言ってきた。こいつお湯持ってないのか!?…バルコニーを過ぎしばらく進んだ所で三浦隊に追いつく。その時私の高度計は8600 を表していた。カシオの腕時計、プロトレック− 2000 の各種機能は全て的確に作動していた。しばらく歩きすぐ止まる。もうそんなに時間も残ってない、ここらが俺の限界か、振り向けばローツエは既に眼下にあった。今K2 もカンチェンジュンガも、そしてマカルーも俺より下にある。「ここでいい。これでいい。57 歳出来過ぎだ」頂は見えないが本峰を見て私は心の中で言った。

 「エベレストおまえがいたからここまで来れた、どんなに厳しいトレーニングも課しやった、どんな辛い仕事にも耐えた、ありがとうエベレスト」目頭が熱くなり、その時こうも叫んだ。

 「ok RAHAR come back our home」下山を開始する。さあ早く帰幕して農大ティを作ろう。C4 に戻った私は、アイゼンを解くのももどかしく、登山靴もやっと脱ぎシュラフにもぐり込む。C3、C4 の睡眠不足が襲いかかり、テント出入り口の吹き流しがバタバタと風ではためいているのに閉める気力もわかず、そのまま寝入ってしまった。どれほど寝ただろう。人の気配で目が覚めたが、お茶を出すどころではない。誰かわからぬまま、登頂おめでとうと手を差し伸べ握手する。後でわかるがそれが谷川隊長であった。以後次々アタック隊員が帰ってきた。谷川、長久保、廣瀬、吉田、山村の5君が登頂に成功した。その夜のテントは華やいだ。早朝一気にC2 まで下る撤収が始まる。記念撮影の傍らふと思う。名所景勝地いつかは再訪する。しかしこの地だけは二度と来ることはないだろう。涙が出始めた。もう一度「サガルマタありがとう」そう言って一足先にローツェフェースに下り始めた。

 5 月24 日 各キャンプを撤収して全員がBC に集結した。その夜の農大村は登頂成功で盛り上がった。翌早朝よりBC 撤収が始まり、帰りのキャラバンは余分に数日かかるが、我々が登ったサガルマタを離れたところから眺望しようと、5000 mのチョ・ラ峠をショートカットしてゴーキョピークに上った。

 帰りのキャラバンは遠征のプレッシャーから解放されたのだろうか全員が明るく軽やかに見える。下りるにつれ少しずつ人間臭さが増すなかで6 月3 日 カトマンズに到着して全ての登山活動が終わった。翌、ホテルヒマラヤで大使、大使館職員、ネパ−ル駐在員、農大関係者、ネパ−ル人スタッフ、シェルパ、キッチンの妻子まで入れ、登頂祝賀パーティーを賑やかに行った。その後自由行動となり各自思い思いの時間を過ごし、6 月8 日8 時間遅れのフライトで、思い出残るネパ−ルを後にした。

 そして最後にこうつなごう。ローツェへ5 名、エベレストに5 名の登頂を果たし、上々の成果を成し遂げ登山は終わった。日本人最年少登頂記録を作った山村君は学長表彰を受け、日本の放送界を代表する局へと進み、幾名かは結婚して遠征隊と同じく素晴らしいBC を作った。他のメンバーもまた元の世界に戻って行った。

 私はあのサウスコルを去る感傷的な気持ちとは裏腹にテントの側に比較的形の整った赤ん坊の頭程の石に目を付け、酸素ボンベを入れても20sにも満たないアタックザックにそっと忍ばせBC まで担ぎ下ろしこっそり日本に持ち帰った。

 そしてその石は夫婦喧嘩の巻き添えで見るも無惨な姿に所在を失った高級食器の代替に漬け物石と変貌して我が家の食堂に鎮座している。

 エベレスト8000 mの重い、重い、宝の石で押し付けられた漬け物、世界に類のない美味絶品である。食堂の床は一時壮烈な修羅場と化した戦禍の名残、深い傷は残るが、家庭も食卓も会社も安泰である。(おわり)


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