念願のブナ広場キャンプと花の縦走路で祖母傾山系の行末を考える

                                                             栗秋和彦


 「祖母山系ブナ広場にて森の妖精の踊りを観、木霊の声を聴く」と銘打ったちょっと気恥ずかしいタイトルの山行計画が“おゆぴにすと”のホームページ(以下、HP)上で発表された。画策したのはGW後半の予定が埋まっていなかったHP管理人と副編集長の二人。祖母・傾連峰日帰り完全縦走達成者(1)の片割れで、“ブナ広場”の響きには「琴線をいつも激しく揺さぶられるよ」と公言してはばからないガブリエル高瀬も賛同して一気にこの計画は現実味を帯びたのだ。

    

 なぜ祖母・傾連峰日帰り完全縦走を成し遂げた彼等が“ブナ広場”という言葉にするどく反応するのかについては当事者の弁明を待ちたいが、門外漢の筆者がつらつら考えるに、上畑を起終点に水平距離40km、累積標高差約3,500mにも及ぶ長大尾根の縦走路を日帰りで踏破するにあたって、ちょうど中間地点のこの地には枯れることのない水場もあり、大障子〜前障子の眺望にも恵まれたオアシスとも言える。加えて尾平トンネルへのエスケープルートとなる尾平越も近く、疲れた身体にはブナの森に抱かれてゆっくりしたい願望を抑え、エスケープルートへの誘いを断ち切って突き進む、強い精神力が試される場所として捉えているのではないか。高瀬がその手記(2)で述べているように、ここを経て後半戦に入ることはまさに“ルビコン川を渡る”ことに他ならない。そういった意味で当事者たちが、のんびりキャンプをこの地で行うことは、戦い終わった仇敵と再会してお互い?の労苦をいたわり旧交を温める相手としての“ブナ広場”ではないか、と思うのだ。(筆者にとっては) 物見遊山なお気軽キャンプも、両者が加わることでそれなりの重さを帯びた山行と位置付けても不思議ではなかろう。

      
 尾平トンネル南側登山口は開けて明るい    尾平越付近のツクシシャクナゲ         アケボノツツジの彩りにしばし息を飲む

 とまぁ大仰な理屈付けはともかく、歴史の証言者たちとのブナ広場でのキャンプは我がロマン心を大いにくすぐったのは間違いない。ところが出発二日前になって“片割れ”の高瀬から体調不良を理由にキャンセルの報が。片肺飛行的山行を余儀なくされたのだが、健康上の理由とあらば詮無いことである。まっこと残念至極であったが、言いだしっぺの二人のみの山行となってはやや享楽的かつ日和見傾向となるは想像に難くなかった。その意味でたかがブナ広場のキャンプとはいえ、ストイック高瀬の欠場は大きかったね、うんうん。

 前置きはこれくらいにしてすっかり雨も上がり快方へ向かう中、尾平トンネルを宮崎県側へ抜け、本谷山側稜線へ通じる登山口を正午前に出発した。後で分かったが、直接尾平越へ上がるには古祖母山側の別の登山口を詰めることになり、事前学習なしの我々は既に登山口で行き当たりばったりの体だったのだ。しかし一泊食材と生活道具を担ぎ、「重いなぁ」とぼやきつつの二人には、ブナ広場に近い稜線へ突き上げるこっちのコースの方が結果オーライだったとこじつけよう。些事ではあるが、重いザックを背負って稜線上を移動する距離がちょっぴり短くなったのだからね。もちろん“重い”ザックは低木の隙間にデポし、ディパックの軽装で古祖母山へ向け稜線漫歩を開始したのだった。

 さてなぜ古祖母山なのかについて、筆者は単純に障子岳や烏帽子岩まで往復するのは難儀だろう、との思惑であったが、この時期の植生に詳しい挾間は「アケボノツツジが期待できるのは古祖母までだからね。花の山旅も重要なテーマだろう?」と理屈を捏ねて正当化した。もっともである。

      
  烏帽子や天狗の稜線をバックに映える     古祖母山の頂からたおやかな宮崎県側を見る      昔はなかったアルミの梯子があった

で稜線一帯の植生は若葉が芽吹き始めたブナ、ミズナラ、ツガの大木、古木に加え、肌をあらわにした少数派のヒメシャラや名も無き灌木類 (筆者が知らないだけ)が明るい尾根の主役たちで、気持ちのいい縦走路がつづく。が、この山系では織り込み済みの光景であろう。そしてこの時期のご褒美はところどころに咲く白い花のムシカリ、妖艶なピンクに染まったツクシシャクナゲ、凛として潔いミツバツツジの彩などを観賞できること。なかなか麗しの花群たちだが、尾平越付近では本命のアケボノツツジは大量に落下した花びらを認めるばかりで、お預けのままである。早く出逢いたい一心で1400m付近まで登ると、突然目の前の一角に“ぼんぼり”然とした本命が現れて、ひととき息を飲んだ。よく周りを見渡すと頭上にも北側斜面下にも、南側にもポッ、ポッと樹間が艶やかである。ちょっとした群落だったが、アケボノツツジの不思議さは、小枝に葉を持たず直接花びらのみがぶら下がる、そのエキセントリックさにある。しかし色合いはまこと日本的で文字通り曙色のシックな艶やかさで、我が身を惑わすのだ。

そんなこんなで以降も何回かアケボノツツジの群落に遭遇しては感嘆しつつ、41年ぶりに(3)縦走路の感触を味わったが、山頂直下のアップダウンには殆ど空身の体でも、息づかいは荒くけっこう手強かった。その意味でたかだか1時間半にも満たない、だらだら登りに音を上げそうになった体たらくに対して、数年前の二人の足跡(1)はまさに偉業だったんだなぁ、と改めて思い出(いず)った次第。二人ともちょっと前までは“現役”だったのだ、ホントに!

      
                      尾平越〜ブナの広場へ至る稜線三態

してようやく辿り着いた古祖母山(南峰)からの宮崎県側のたおやかな眺めも、北峰露岩からの祖母山〜障子岳の男性的風貌と奥岳渓谷の深く切れ込んだ急峻な様も新鮮な景観として捉えたのだった。つまり41年前の記憶を蘇えらせようとすること自体無理な注文であって、「忘却こそ人の営みの証なのさ」と開き直るしかあるまい、アハハ・・・。

さて復路はほぼ1時間で尾平越へ戻り、更に東進して荷を拾い、ブナ広場には陽もまだ高い午後3時半に到着。大本命、ブナ広場キャンプが始まったが、一帯のシチュエーションは筆者の物見遊山的表現より、かって“ルビコン川を渡った”感慨を秘めて綴った挟間の以下の文章に委ねたい。

   DSC_1503 説明: http://www.oct-net.ne.jp/~w-hasama/DSC_15051.jpg
写真説明()祖母傾山系ブナ広場にて巨木を見上げる… 祖母傾山系日帰り完全縦走(2006年)以来、この縦走路中唯一のオアシスと言ってもよいブナ広場で、幕営し木霊に接するのが心温めていた計画であった。6年前この広場には撮影位置の後方に、広場の盟主とも言える老木が威厳を保って鎮座していたが、その後の風雪等により見るも無残な姿に変わり果て、盟主の座を写真正面の壮木に譲っていた。写真ではテントを強調したあまり、平凡な樹にしか見えないが、幹径1.5メートルほどの大木で、傍らで見上げると、大木の持つエネルギーというか、一種“気”のようなものが伝わってくる。今宵はこの大木の下、木の精との語らいができるような境地になりたいものだ。()祖母傾山系ブナ広場の盟主…新旧交代の図。「写真中央よりやや左は、主幹なかほどから折れ、誇り高く四肢を広げていた千手観音のような容姿も今はその面影なく、周辺に無残に折れた手を風雪にさらした、この広場のかつての盟主。右の壮樹に盟主の座を譲ったかのよう。」(2012.5.3

 なるほどこの場に居合わすと、冒頭の「祖母山系ブナ広場にて森の妖精の踊りを観、木霊の声を聴く」のタイトルから気恥ずかしさは消え、夜のとばりが下りるとともに木霊たちとのコミュニケーションが図られそうな気がするから不思議だ。その意味でこの地でのキャンプは、森としみじみと語らい、“おゆぴにすと”としての来し方を反芻し、行末に思いを託す場にすべきではないか、などと殊勝な気持ちに捉われたことを記しておきたい。それゆえ鍋料理に舌鼓を打ちつつも宴会モードにはほど遠く、そんじゃそこらの享楽キャンプとは趣を大きく異にした一夜だったのだ。 

 もっとも夜半からは強風荒れ狂い テントはせわしげにバタバタとはためくし、稜線を吹きすさぶ風の唸りと木々のざわめきも加わって、森の妖精もさんざめく木霊たちも、古木や枝葉を支えるのに精一杯で、とてもテントに近づき語りかけるような余裕はなかったに違いない、やれやれである。

      
   まだ陽も高いキャンプサイトでまどろむ            木霊の声を聞くようなシチュエーションではなく、鍋をつつくの図

さて二日目は縦走路を東へ取り、本谷山まで足を延ばした。なぜ本谷山かは古祖母山と同様に、笠松山はちょっと遠いし、九折越まではとてもとてもと言った単純理由である。一方、挾間もこの山に対しては強いこだわりはなく、「登り詰めた最初のピークで折り返そうぞ、時間的にも合うしな」とえらく淡泊なのだ。うんうん、分かるよ。祖母・傾連峰にあって名前も山容も地味一徹な山だとは認めよう。しかし標高1643mはこれ以東において優るものなし。長大な尾根を従えた重厚な山容は誠実さが滲み出ているぜ、と秀でた点をあげつらっても、やはり筋金入りの地味さ・寡黙さを補うものではないのだ。ゆえに東隣の笠松山とともに祖母・傾連峰の縦走路上もっともマイナーな山域である。おまけに1400mを越えたあたりから上部は霧に覆われ、ただでさえ眺望がきかぬ上に、湿っぽさも加わっての登路がつづいた。それでも途中2.3ヶ所、アケボノツツジ群と出逢い、心和むシーンや千手観音と見まごうブナの老木に魅せられたりと、それなりの見所は用意してくれたものと思っている。 

しかしこの縦走路一帯を概観するに圧倒的なインパクトで我々に迫ったのは、いたるところで哀れな姿をさらけ出していた木々の立ち枯れ風景である。鹿の食害によるのは言わずもがなだが、これほど広範囲に無残な原野を晒していたとは驚きを通り越して言葉を失い、そしてだんだんと憂いが募ってきたのだ。

 そこで短絡的に何ができるかを思い浮かべてみたが、一個人としては殆ど何も出来ないことに容易く気付く。せめて現状を広く知ってもらい、地域はもとより国レベルでの何らかの行動、対策が施されて然るべきかもしれぬが、個人的には抜本的対策などイメージすることすら出来ないのだ。山村域の人口減少と高齢化により駆除する側のマンパワー低下は著しいし、国、地方とも予算は限られていよう。荒唐無稽的には異国からオオカミを移送させたり、本州からツキノワグマの強制移住も有りだな、などと絵空事しか浮かばず、並行して植生保全や森の復活策も同じ理由で壁に当たるのは自明だ。

      
 千手観音と言うよりタランチュラもどきのブナ        本谷山の山頂にて              鹿の食害で立ち枯れが目立つ

とまれ41年ぶりに縦走路の一部を歩いてみて、(昔の記憶は薄れているにも拘らず)その変容ぶりに心が傷んだことは、単なるノスタルジアに因るものではなく、祖母・傾山系に対する思い入れの再認識と、環境悪化に対する無力感に苛むといった複雑な心境を併せ持ってのことである。それでもはっきり言えることは九州屈指のこの自然豊かな長大尾根を、後世にきっちりと残す責務が我々にあるということ。その意味で傍観者に陥ることなく、常に関心を持ってこれからの推移を見守っていくことが肝要であって、物見遊山なブナ広場キャンプの筈が、けっこう重たくなったことに苦笑しながらお開きとしたい。う〜ん、こんな筈じゃなかったのに。


(1) “おゆぴにすと”HP、「大分の山」欄の「チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走その1〜その7」参照

(2) 同上、「チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走その5大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!」参照

(3) 1971年霜月に神原〜祖母〜傾〜大白谷を縦走して以来、古祖母山〜本谷山間に限っては41年振りに足を踏み入れた。

(参加者) 挟間、栗秋

(コースタイム) 

5/3  大分駅840⇒(車・途中買出し)⇒尾平トンネル南側(登山口)1106 31→本谷山側稜線1200 10→尾平越1226 28(途中昼食等)→古祖母山13:45  14:06→尾平越1507→本谷山側稜線15:22 28→ブナの広場15:35  キャンプ

5/4 ブナの広場807→三国岩9:22 23→本谷山933 44→ブナの広場1033 11:07→本谷山側稜線11:16 17→尾平トンネル南側11:33  45⇒(車)⇒竹田市総合運動公園1300(昼食)14:00⇒(車)⇒七里田温泉14:40(七里田温泉館入湯) 15:28⇒(車)⇒大分駅1632

(平成24534)

                           トップページへ