栗さんの山のいで湯行脚 −その1−  栗秋和彦

PART3

混浴の深耶馬・早梅温泉             
 『山のいで湯愛好会』の看板を掲げている我々には、県北、特に耶馬・安心院地方は疎遠になりがちであるが、実際には鹿嵐(かならし)山と西谷温泉、英彦山と守実温泉、また九州自然歩道が整備された深耶馬の山々とふもとの深耶馬・鴫良、伊福温泉等素朴な山のいで湯が点在し、派手さはないが行楽向きのいい湯が多い。概してぬるめの単純泉で、きれいな湯にどっぷり、ながなが浸るのに最適ないで湯群である。

 で今回は加藤と二人で玖珠から国道387号線を辿り、途中から深耶馬への県道に入るコースで迫ってみた。深耶馬渓は新緑や紅葉であまりにも有名だが、今日のような冬枯れも落ち着いたたたずまいを見せてなかなか捨て難い。谷底を道は延びて、まわりはややくすんだ緑と岩峰が重なるのみ。圧巻は紅葉谷付近か。谷が少し広くなり集落を過ぎた地点に、山国川を挟んで町営耶馬渓温泉センターがある。

 トンガリ屋根の母屋の端に湯小屋があり、浴槽は長方形。一寸ぬるぬるした適温のアルカリ性単純泉が壁ぎわの注ぎ口から惜しみなく流れ出ている。この日は近在の子供連れが多く、浴場は歓声でいっぱい。村の社交場といった感じで、こういう施設は大歓迎である。例え多くの湯量を誇り、デラックスな宿泊設備を有するいで湯があっても、このような大衆的な共同湯がない温泉地はいっぺんに興味がなくなってしまう。温泉の原点は庶民の共同湯なのだから。

            
               深耶馬温泉・町営温泉センターをバックに

 そしてこの効果はすぐ表れたのだ。居合わせた村の人から近くに二か所温泉があることを聞く。早速訪ねてみよう。一つはここから400mほど鴫良方面へ下ったところ。道路脇に今にも倒れそうな粗末な湯小屋が「ポツン」と建っており、消えかかっている看板には『かやのき温泉』と記されている。所有者の詮索はせず早速入る。四畳半ほどの湯小屋の壁から鉄パイプが突き出ており、湯は1mぐらいの高さから杉材の浴槽に「ドゥドゥ」と落ちるしくみ。ぬるめだが湯量も多く快適な湯。しばらくして行楽客が4〜5人ひやかしにやって来た。彼らの目にはこういう湯小屋は快適に映らないらしく、覗き込んだだけですぐに退散してしまった。湯はきれいだが、建て付けが危なっかしいので手を加えなければ、いつまでもつかはなはだ疑問である。この意味でも貴重な一点であった。

            
                   深耶馬のかやのき温泉にて

 さて次なる湯はここから少し下ったところにあると聞いて、車上から探すが分からないまま、鴫良の集落に着く。ここには鴫良温泉があるが、残念ながら共同湯はない。旅館、民宿数件の温泉地で昨年来た時は、その一つ、一番目立つ耶馬渓観光ホテル(と言っても木造二階建の旅籠である)は浴場の改築工事をやっており、今回はその出来栄え視察を兼ねて入浴の許しを得る。広い浴場は部分的に岩風呂になっており、アルカリ性単純泉がポンプアップにより大量にあふれ出てもったいないことしきり。窓をすべて開け、深耶馬の山々を眺めながらの入浴に不平不満などあろう筈はない。

 しかしどうも先程の見過ごした温泉が気になって仕方がないのだ。聞けば加藤も同意見である。後になって悔いを残さないためにも、是が非でも探さなければなるまい。使命感にも似た心境とはこのことであろうか。再び県道を引き返し、湯小屋らしきものを慎重に探すと、「あった、あった」。橋のたもとの道路から少し奥まったところ、これも粗末な湯小屋で、よく見ると入口に『早梅温泉』と記された看板あり。周囲は鬱蒼とした杉林で夜は一寸怖いようなところである。案の定、よく見ると別の立て札に「夜間は防犯上入浴を禁止する」と注意書きあり。『かやのき温泉』と同様、所有者は感知せず喜び勇んで湯小屋に入る。

            
                    深耶馬、早梅温泉にて

 こちらの方は割合しっかりとした造りで、『かやのき』と比べれば数倍の大きさである。で、中年のおじさんが一人で入っている。服を脱ぎながら「入っていいですか」と儀礼的に声をかけると、予想に反して小さな声で「どうぞ」と、いかにも入って欲しくないような口調の「どうぞ」なのである。不審に思って薄暗い浴槽をよ〜く見ると、奥にご婦人がこちらを背にして静かに入っているではないか。ナルホドネ、と加藤と顔を見合わせる。ここは共同湯で、しかも別浴にはなっていないから、ご婦人と二人だけでいで湯を楽しんでいても、入湯者が現れれば断る訳にはいかない。それが小さな声の「どうぞ」になったのであろう。その辺を察して、はやる加藤をおさえながら入湯を断念する。湯上がりを待ってもいいのだが、何となく出鼻をくじかれたようで、また場所も分かったし、これからもこの地を訪れる機会は何回もあるだろう。何といってもこの湯小屋は頑丈そうで、湯が枯渇する以外には将来にわたって機会があろうと踏んで、次回にまわすことにしたのだ。

 さてこの湯の温泉地としての分類は『かやのき』と同様、深耶馬温泉に含むのが妥当であろう。この付近は大別すれば、深耶馬温泉と鴫良温泉の二箇所なのだから。いずれも適温できれいなアルカリ性単純泉が気持ちいい。まだ午後を少しまわったばかりである。よし、安心院の温泉をまわって帰ろうか。(昭和58年2月11日) つづく

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