栗さんの山のいで湯行脚 −その1−  栗秋和彦

PART4

組長に仁義をきった生竜温泉

 山野の春光うららかな日曜日。こんな日に山といで湯を稼げれば最高だ。地図を見ているうちに、豊後中村の北に位置する青野山が目に留まる。車上からいつも見ているが、まだ登ったことがない。この山と宮の原沿線のいで湯を組み合わせたら面白い山湯行になろう。早速、加藤と鈴木を誘い、山のいで湯が大好きな娘も連れていくことにした。

 朝、9時大分発。青野山も万年山と同じくメーサで親しみやすい山であるが、ルートを間違え猛烈な薮漕ぎとなり、おまけに岩場も出てくる始末。娘を背負っている我が身ではここまでと断念し、振り返ると万年山、湧蓋山をはじめ九重連山の大パノラマが楽しめる。春の陽を受けて湧蓋山のふもとでは一面に野焼きが認められる。加藤と鈴木は頂へと攀じ登り、別々に下山する。流れる汗に春風が心地よい。もちろん中腹の集落で合流し一路、壁湯を目指す。

 宮の原沿線は温泉の宝庫、私の大好きな地域である。そしてその入口にあたるのが壁湯で、町田川の川べりに洞窟温泉と集落の共同湯が並んで二つあり。今日は洞窟温泉に入ろう。昔、傷ついた鹿が湯浴みをしているのを猟師が発見した温泉であることを知り、険しい岩壁に道をつけ、洞窟に浴槽を造り入浴できるようにしたと伝えられ、最近でこそマスコミ等にも取り上げられ、一寸は有名になったが、本来は村の素朴な共同湯なのだ。唯一の宿である福元屋で断り、脱衣カゴを受け取り川端の思い思いの場所で脱ぐという図式がユニークではないか。

            
                       壁湯にて

 そして今回の主な目的は、風呂の中での食事である。以前から近在の人々はここを訪れる時は、昼をまたいで弁当持参が多いそうな。湯治をレクレーションと位置付け、湯浴みそのものに付加価値を見いだしている好例ではなかろうか。舟形の盆を浮かばせ、持参の弁当や宿に注文した丼物を湯に浸りながら食す光景は壁湯の風物詩と言っても過言ではない。ながながと浸っても温いので決して逆上することはなく、町田川のせせらぎを聞きながら弁当を食べる。心身共にリクエイトできるひとときである。我が登山隊はお酒もちょっぴりと回り、娘の歌の相手をしながら、都合一時間弱の湯浴みを楽しんだ。次は約1k上流の生竜温泉へ行こう。

 さてこの生竜集落は宝泉寺と繋がっており、宝泉寺の一部であるように思われるが、生竜温泉として独立した名称であり、宝泉寺と比べれば静かな一角といったところであろう。旅館、民宿数件から成っているが、我々の目的はもちろん村の共同湯である。町田川を対岸へ渡り、生竜集落へ入る。嗅覚を利かせて共同湯を探す。集落の奥まったところに洗い場のような小屋があり、中には水槽がある。躊躇なく手をつけると暖かい湯の感触、まぎれもない温泉である。しかし浴用ではなかろう。近くに本物の共同湯がある筈だ。直感は正しく、更に奥に行ったところにトタン屋根の立派な湯小屋を発見。

 アルミサッシの出入口には「部落外の方の入浴を断ります。生竜組」と書かれている。いわゆる営業の湯ではないし、集落の人々の維持管理によって運営されている温泉であり、当然部外者は入浴出来ぬのは自明の理である。が、あっさり引き下がったのでは『山のいで湯愛好会』の看板を降ろさなければならないだろう。さてどうしたものか、無断で入る訳にはいくまいし、先ずは生竜組の責任者を探さなければなるまい。少し下ったところに小さな広場があり、村のおばあさんたちが数人、ゲートボールに興じている。相談すると、オババの一人がゲートボールの手を休めながら、怪訝そうな表情で曰く、「そうねぇ、ほな組長に聞きなさい」と。

            
                   生竜温泉の共同湯前にて

 そしてちょうど、野焼きから帰ってきた十数人のおじさんたちの中から組長を見つけ教えて下さったのだ。運がいいぞ。先ずは長老格の組長に入浴したい旨の仁義を切る。風格のある長老の表情は最初険しく、やがて柔和な口調で「相談されたら断るわけにもいかんな」と仰せ。ありがたい。しかし周りのおじさんたちの目は「近くにはいろいろ温泉もあるし、部落の共同湯に入りたいとは面白い人や」といいたげである。もちろん詮索の視線は気にも止めず、早速入ろうと湯小屋を目指した。

 混浴なのでもしご婦人が入浴していても、入ることはかまわないが外来の身ゆえ、多少は遠慮しなければならないだろう。果たせるかな、高校生ぐらいの女の子が入浴中である。入り慣れている年配のご婦人とは勝手が違うので、残念ではあるが入口で待つことにする。そうしているうちに今度は、若奥さんといった風采のご婦人が入ってしまったのだ。また待たねばならぬのか、否、我々にも一つ緩衝剤があるぞフフフ...。まもなく3つになる娘の純である。くだんの女子高生が出た後、娘を先頭に思いきって入る。「こんにちわ」、すぐに「こんにちわ」と返ってきた。途端に溜飲が下がった思いがした。村の共同浴場は社交場なのである。臆することなく、湯を楽しめばいいのだ、納得。

            
                    生竜温泉にて、加藤とJUN

 壁には組合員の名前が書かれた名札が掛けてあり、いかにも集落の共同湯といったところ。きれいな湯、単純泉であろう。源泉は熱いが浴槽は四っあり、順に流れて適温になる。桐木や川底温泉と同じく複数の浴槽を持つ、湯量の多い宮の原沿線のいで湯の特徴なのかもしれない。この順次流れ込む複数の浴槽を持つ温泉の形態の特異な点は、一番下(しも)の浴槽では入浴したまま洗髪や洗濯ができるところにある。まさにこの地域独自の生活習慣を作り出した贅沢な湯なのである。さてゆるゆると暖まり居心地はいいが先の行程もあり、そろそろ切り上げねばなるまい。次に目指すは九重の秘湯、湯沢温泉である。夕刻近いのに途中の地蔵原高原ではいまだ野焼きの真っ最中であった。煙で頂が霞んでいる湧蓋山と周辺の草原はこれからが遅い春の訪れであろう。(昭和58年3月6日)
 
            
                     九重・湯沢温泉にて  

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