栗さんの山のいで湯行脚 −その1−  栗秋和彦
PART1
筋湯のうたせ湯は筋によく効くホントの話の巻          
 全国でも有数の温泉県大分でも、県南は非常に淋しいエリアである。九重以南では知っている限りでは竹田の十角温泉に直川村の直川温泉。いずれもいわゆる鉱泉で加熱入湯となるが、未だ未踏(湯)である。竹田は背後に祖母・傾山系が控えており、山麓に高温の温泉でも湧出すれば、『原生林と山のいで湯』と銘打って楽しく親しまれるコースとなるだろうに.....。

 高瀬とその他数名で祖母山登山を思い立った時、そんなふうにふと考え、祖母登山口である神原(こうばる)を目指す。途中、十角温泉には是非寄らなくてはなるまい。その十角温泉は竹田市入田矢原にあり神原への途中、脇道へ入ること1kmの田園地帯の真っ只中、普通の民家と見間違うような素朴な宿がそれであった。前のバス停に『十角温泉』と記されており、これで確認できるのだ。奥方らしき人に入湯の意を告げるも、「旅館はやっているが、今は温泉は引いていないのよ。ごめんね」と艶っぽく答える。心に留めていた温泉であっただけに、奥方のパフォーマンスとは別に高瀬共々ガックリくる。未練がましく裏手に廻ると、山手から引いた鉱泉とおぼしき液体がわずかに流れ出ている。何故、温泉営業を止めたのかは定かでないが、復活を強く望みながら神原へ急ぐ。

 さて、本命の祖母山へは途中5合目小屋で一泊し、翌日風雨にさらされながら山頂へ。国観峠からはいつもながらのヌルヌル、ズリズリの登路に閉口しながら黙々と歩く。山頂付近にはかなりの残雪があり、春寒の候の趣である。そして山頂はガスで視界は全く効かず、濡れた衣服と相まって寒さでガタガタと身震いを演じただけが現実であった。たまらず下山となり、神原目指して滑りやすい登山道を小走りに駆け下るうちに、“事故”は起こった。不覚にも木の根っこに足を取られ転倒してしまったのだ。しかしこの時は右膝と大腿部に少し痛みを感じるも、大したことはなく更に駆け下っていったが、少しづづ痛みが増してくる。どうも筋と関節を痛めたようである。今まで数多くの山に登ってきたが、転倒してもこんなことはなかった。何とも情けない。日頃のトレーニング不足に起因するのかなと思いつつ、神原へやっとの思いで辿りついたのだ。

           
                   国観峠にて、昭和電工の面々と


           
                       祖母山頂にて

 下山後はどこぞ山のいで湯に行き、ノンビリしようと高瀬と目論んでいたが、現実に歩行が危ぶまれる状態では、真剣に湯治を意図せざるを得ない。大分へ帰り医者へ診せる手もあったが、折角の連休を山のいで湯で過ごし、しかも癒えたら儲けものだと胸算用がはたらく。何故ならいで湯に身を任せることは、『日々の仕事を忘れさせ、ストレスを解消し、明日へのエネルギーを充電すること』であり、医学上の湯治とは自分は無縁だと、療養効果については期待していなかったからである。しかし現実は苦しい時の神頼み。九重の山懐に湧出する筋湯のうたせ湯で湯治を試みることにしよう。そして湯治なら自炊宿だ・ということで、久住町のスーパーで食料を買い込み、雨も上がり夕焼けがきれいな久住高原を一路筋湯へと急ぐ。宿は旅館街の中央、うたせ湯(共同湯)の前にあるきらく荘に申し込む。連休で行楽客も多いが、幸いにも一部屋空いており、素泊まり2千円の今宵の宿となる。

 一方、右足の状態はと言えば筋湯までの車中、さかんに患部のマッサージを行うも、ますます歩行困難となるばかり。車を降り宿までは荷物を高瀬に持ってもらい、何とか辿りついたが、部屋への階段になってからは万事休す。右足に力が入らず、四つん這いでも思うにまかせず、手伝ってもらいやっとの思いであった。最初は冗談かと言っていた高瀬も真顔になり、何よりも自分自身、湯治で治るのか心配は募る一方である。とりあえず、夕飯前にうたせることにしよう。しかし宿と目と鼻の先の“うたせ湯”までもが苦難の道程で筆舌尽くし難しであった。

 筋湯には“うたせ湯”をはじめ計4ケ所の共同湯があり、それぞれ趣を異にしているが、“うたせ湯”抜きでは筋湯は語れない程、名実共に有名な共同湯である。何本ものモウソウ竹からは湯が滝のように落ちており、筋湯の名の起こりをうかがわせるが(註:昭和58年の工事により“うたせ湯”の内部はかなり変わり、例のモウソウ竹は塩化ビニールの管に取って替わった)、今までは凝ってもいない肩を打たせたり、頭がよくならないかと頭部をうたせたりと、面白半分の湯浴みであったが、今日は右足のうたせに専念する。表情は真剣、心は神様、仏様である。

 心地よい刺激の中、膝、大腿部のマッサージを根気よく続ける。湯量豊富で湯の落下音と浴客のざわめき、立ち昇る湯気。足の故障がなければ最高だなの思いつつ、20分程うたせを続け、恐る恐る立ち上がってみると、何と殆ど痛みがとれているではないか。まさに半信半疑の面持ち。次に浴槽の中を歩き廻ってみる。先程までの難渋がウソのようである。自分自身もさることながら、仲間の驚きもまた見ものである。余勢をかって夕食は放歌喧噪の大宴会に様変わりしたことは言うまでもない。そして念のため、就寝前にもう一度、翌朝は仕上げにと浸り、都合3度のうたせで完治、感激である。

 本来、温泉は湯治(療養)により発展してきたものであり、それゆえ人々の生活に必要欠くべからざる存在であったし、現実に医者からも薬からも見放された人が、温泉で健康を取り戻したという話は伝え聞くところだが、自分自身がその立場にならなければ、単なる認識だけに終わり、湯治という言葉の重みが分からないままの温泉行脚になってしまったであろう。『ケガの功名』とも言うべき貴重な体験を得たことで、ボクは温泉道(と言うものがあるならば)の極意をきわめるための端緒についたことになろう。と同時に少しばかりの“はく”をつけたのだ。「フフフ....」一人ほくそ笑みながら、今日の行程に思いを巡らす。すっかり天気は回復し、うららかな春の一日、出発を前に高瀬が宣う。「今日のテーマは混浴の共同湯巡りがエエなぁ・・」すかさず「よし、決まりだ」の声が高らかに谷合いの湯の里に響いた。『山のいで湯愛好会』創立のきっかけとなった記念すべき、山といで湯真実真剣面白話の旅であった。(昭和57年3月20〜22日) つづく

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