佐田の名所

賀来家屋敷跡(石垣)


 キーワード: 史跡, 幕末
 山蔵地区に残る、大庄屋賀来家の石垣。
 県道716号線沿い、白山神社へ至る道の向かいに入口があります。

 かつてここには、島原領山蔵組の大庄屋「賀来家」の屋敷がありました。この地域が島原領であるより前、細川領時代から続く庄屋でした。
 明治10年(1877)、西南戦争の乱に乗じて安心院地域で発生した百姓一揆により焼かれ、現在は石垣を残すのみとなっています。また、この焼き討ちの際の当主惟弘および惟弘の祖父惟熊は、家財一切を失ってしまいましたが、再び奮起し家屋を新築し家政の復興に力を尽くしています。
 その他の写真については、こちら(外部サイト|山蔵紹介サイト内、「大庄屋屋敷跡」)をご覧ください。

 賀来家ゆかりの人物として、幕末の草本学者である賀来飛霞や、民間による大砲鋳造を行った賀来惟熊がいます。


  • [参考文献]大分県立歴史博物館(2009)『おおいた発!幕末文化維新-賀来家・華麗なる一族-』
  • [参考文献]安心院町身心すこやか事業推進委員会(1988)『ふるさと佐田』
  •  賀来家の繁栄を示す石垣