側にいるわけ4




**20年前**

「あら、沙夜子ちゃん。早かったわね」

宴会のあった日から二日後。御本家のお屋敷についた私とお父さんをまず出迎えてくれたのは、5日前河原で出会った女の子を迎えに来た、あの女性だった。

どうしてこの人がここに居るんだろうと首を傾げていると、お父さんがその女性に声をかけた。

「葉子様。お久しぶりです」

「ええ、お久しぶり。佐藤さんもお変わりなく」

一度お父さんに向けた視線を私に戻した時、私が首をかしげたままだったのがおかしかったのか、お父さんから「葉子様」と呼ばれた女性は小さく笑う。

「そういえば沙夜子ちゃんにはまだ自己紹介してなかったわね。私は瀬川葉子。……まぁ瀬川といっても分家なんだけどね」

「さぁ遠慮なく上がって」そういいながら玄関に立ったままだった私の手をとった彼女は、ちょうど通りすがった恰幅のいい、ちょっと年配の女性に声をかける。

「ああ、文さん。ちょうどよかった。沙夜子ちゃんが来たって冬子姉さんに伝えてもらえる?」

小母さんは葉子様の言葉に私の顔をチラリと一瞥し、微笑みながら頷いた。

「冬子様ならすでに奥の客間でお待ちですよ、葉子お嬢様。私も裕紀様をお連れするよう冬子様より言い付かっておりますので」

「裕紀は冬子姉さんと一緒じゃないの?」

葉子様の、ちょっと眉をしかめながらのその言葉に文さんは苦笑いを浮かべながら「ええ」と頷き、何かを気にするように再び私の顔をチラリと一瞥する。

文さんのその様子に葉子様は思い当たる節があったらしく、「美鈴の所ね」と呟きながらため息を漏らし、少しの間考え込むように下を向いた彼女は、すぐに顔を上げるとそれまで握ったままだった私の手を離す。

「わかったわ、私が呼んでくるから。裕紀は文さんじゃ荷が重いでしょ。沙夜子ちゃんたちを冬子姉さんの所へ案内してあげて」

葉子様のその言葉に文さんはちょっとホッとしたような表情を浮かべ、私とお父さんに微笑みながら「こちらへどうぞ」と案内してくれる。

ただ先ほどから彼女が浮かべている笑みは、私にとって何か違和感があるものだった。何かお菓子をねだる子供のような、まるでそんな笑み。私にはそれが何かわからなかったけど、その笑みがあまり好きになれる物でない事は感じていた。

 

私達が案内された部屋には、着物姿の一人の女性が座っていた。

とても綺麗な人だった。見た目もさることながら、部屋の入り口で入ってもいいものか躊躇していた私を真っ直ぐ見つめる瞳が、雰囲気が、とても澄んだもののように感じられて、自然と私の目はその女性に釘付けとなる。

そして気になるのはもう一点……。

「冬子様。お客様をお連れしました」

文さんのその言葉に、冬子様と呼ばれたその女性は私から視線をそらし、首を傾げてわずかに悲しそうな笑みを浮かべ、ため息をついた。

「文さんには裕紀の事を頼んでいたはずだけど。……代わりに葉子が行ってくれたのかしら」

「えっ、あっ、は、はい。あの……葉子お嬢様より、裕紀様のことは自分に任せ、佐藤さんを冬子様のいらっしゃるお部屋へご案内するように、と」

「そう、文さんには忙しいのに手間を取らせてしまったわね。ごめんなさい」

文さんに微笑みながら頭を下げ、そして冬子様は再び私に視線を戻した。

「それでは私はこれで」文さんがそう言って、逃げるかのようにそそくさと場を離れたが、彼女が先ほど浮かべていた笑みから、彼女があまり好きになれそうになかった私は、別に気にも留めなかった。

「あなたが沙夜子ちゃんね。今日はごめんなさい、本来なら私と裕紀がそちらにお伺いしなくてはいけないのに、逆にこんな所へ呼び出してしまって」

冬子様はそういって、彼女の正面のソファーを勧めてくれる。

そしてソファーに腰掛けた私の顔をジッと真剣な眼差しで見つめていた冬子様は、しばらくしてニッコリと微笑み「本当ね。葉子の言ったとおりだわ」と頷いた。

「そうね、まずは私の名前から。私は宮野冬子。瀬川家先代当主の娘で、現当主の姪になるの」

「よろしくね」と相変わらずニコニコとした表情で、まるでゆっくりと歌うかのように、言葉を紡ぎながら彼女が差し出した手を、私はそっと握った。

白くて小さくて綺麗なその手は、ほんの少しでも力をいれれば、子供の私でさえ簡単に壊してしまいそうで、その手に触れるのはちょっと怖かった。

「それじゃあ早速だけど、本題に入りましょうか。……あのね、沙夜子ちゃん。もうお父様から聞いているかもしれないけど、あなたにお友達になって欲しい子がいるの。でもね、嫌だったらおうちの事は気にせず、正直に嫌って言ってくれていいのよ。お友達になってもらうのに、無理強いは出来ないものね」

「この前の女の子?」

それはこのお屋敷で葉子様に会って、そして冬子という名前を聞いてから、なんとなく思っていたことだった。

『あるよ。でも、冬子が知らない人に名前を教えちゃ駄目だって』

名前を聞いた時のあの女の子の答え。それを私は憶えていたから。

だからこの部屋に入った時から私にはなんとなく、私がお側付とやらになる『ヒロキ』と言う御本家の子供は、5日前に出会ったあの女の子なのではないかと思っていたのだ。

それに『ヒロキ』と言う子は、つい先日街のほうからこの村に戻ってきたという。それなら私が彼女の事を知らないのも納得がいった。

そして何よりも……。

「女の子?」

私の言葉に、なぜか冬子様はちょこんと首を傾げる。

そしておそらく私の言葉遣いにだろう。お父さんが驚いたような顔で私に何か言おうとしたけど、私に視線を向けたままの冬子様が、お父さんを制すようにわずかに手を上げると、お父さんはそのまま黙り込んでしまう。

「えっとね、沙夜子ちゃん。あなたが5日前に会った子って私に似ていなかった?」

「うん。似ていました」

そう、似ていたのだ。5日前に出会ったあの女の子と、今目の前にいる彼女は。

「ああ、じゃあ間違いないわね。……えっとね沙夜子ちゃん、あの子男の子なのよ」

「男の……子?」

冬子様の言葉に、私は最初何の冗談だと思った。だってあんなに綺麗な子が、男の子の筈がないと思ったのだ。

だけど、苦笑いしている冬子様と、真剣な顔で頷いているお父さんを見て、それが嘘や冗談ではないことに気付かされる。

ならば、(あの顔で男の子だと言う事に、ちょっと納得はいかないけれど)あの子を勝手に女の子だと勘違いしていた私が悪いだけなのだし。そもそも私が興味があったのは、『あの子』であって『あの女の子』では無かったのだから。

それに……『ヒロキ』と言う『あの子』の名前。女の子っぽい名前じゃないなぁとは思っていたのだ。

「そう、あの子男の子なのよ。……男の子じゃ一緒に遊べそうにない?」

冬子様は私がどう答えるのか心配なのだろう。私の一挙一動を見逃さないと言うような真剣な眼差しで私を見つめている。しかし彼女の言葉は、あの日からあの子と友達になりたいと思っていた私にとって、まさに渡りに船だったから。

男の子だとか女の子だとか、そんな事は関係なかった。大体今までだって、男の子とか女の子とか関係なく遊んでいたんだし。

だから私は迷うことなく、そのまま「一緒に遊びたい」と頷く。

頷いた私を見て冬子様は、それまでの緊張したような真剣な眼差しから一変して表情を輝かせ、私の手をとる。

「ありがとう。葉子……葉子、そこにいるんでしょ。裕紀を連れてきて」

冬子様が廊下に向かって声をかけると、障子を開けて部屋に入ってきたのは、玄関で別れた葉子様と一人の女の子(見た目はあの子にそっくりだったけど、5日前の子とは表情や雰囲気が全く違っていたから、一目見た時から彼女が別人だというのはわかっていた)、そしてその女の子に手を引かれている、5日前河原で出会ったあの子だった。

裕紀というあの子は私の顔を見ると、初めて出会った時と同じく不思議なものでも見るかのように首をチョコンと傾けたが、なぜかすぐ怒ったかのようにムッとした表情で私から顔をそらす。

「あら、美鈴も一緒なの。美鈴、寝てなくて大丈夫?」

冬子様の言葉に美鈴と呼ばれた少女は「大丈夫」と頷くと、私にニッコリと笑いかけた。

「そう? じゃあ、沙夜子ちゃんに紹介するわね。もう会ってるでしょうけど、女の子の後ろに隠れてるのが、今あなたにお話した裕紀。で、裕紀の腕を引いてるのが姉の美鈴。ちなみにこの子は正真正銘女の子よ。それから美鈴の双子の妹で美央美って言う子もいるけど、今は外に出てるからまた今度紹介するわね。三人とも沙夜子ちゃんと学年は同じだから」

冬子様からの紹介が終わると美鈴様は、私とお父さんに向かって頭を下げ「よろしくね」と人懐こい笑顔でいい、裕紀様の手を引いて彼女の前に立たせると「裕紀もご挨拶しないと駄目だよ」と彼の耳元で囁いた。まぁ……囁いたといってもこちらまで聞こえていたけど。

「ほら裕紀。ちゃんとご挨拶しないと駄目じゃない」

彼らの隣に立って様子をみていた葉子様にまでそう言われることで、ようやく彼は私へと視線を移し、なにを思ったのかそれまでずっと握ったままだった美鈴様の手を離すと、無言で私の手をとった。

あまりに突然の彼の行動にパニックを起こしかけていた私は、誰か助けてくれないものかと周囲を見回す。

そして私の目に真っ先に飛び込んできたのは、裕紀様から離された手を寂しそうに眺めている美鈴様の顔だった。

 

無言で私の手を取った彼に引かれるようにしてたどり着いたのは、お屋敷の裏手にある大きな桜の木の下だった。

それまでずっと無言だった彼は、桜の根元を指差し「座ろう」となんとか聞き取れるほどの小さな声で呟く。

握ったとき同様突然手を離し、私の答えも聞かずにそのまま座り込んだ彼に私も習って、彼の隣に腰を下ろした。

「今日から、お友達でいてくれるの?」

俯くように下を向き、私の顔を見ずにそう呟いた彼の声は、嬉しそうな、でも悲しそうな感じにちょっと震えていて、私はなぜか彼を慰めなくてはいけないような気がして、彼の手をそっと取った。

慰めるといっても、彼が悲しんでいるのかどうかなど、ほとんど初対面に近い私にはまだわからないのに、それでも何故かそうしなければいけないような気がしたのだ。

「うん」

「じゃあ、約束。ずっと友達って言う約束」

頷いた私にそう言って、彼は顔をあげようやく私の顔を見てから、小指を私に差し出す。

差し出されたその小指に私は小指を絡ませた。

「ゆびきった」

お互いに絡めた小指を何度か小さく上下に振った後、彼はそう言って指をゆっくりと離す。

「これで、僕と沙夜子はお友達」

指を離した後、しっかりと私の顔を見つめながらそういった彼の表情は、先ほどと同じ喜びながら悲しんでいるかのような、悲しみながら喜んでいるかのような、そんな複雑な表情で、そんな彼の表情を見ていたら、私はどうしても聞かずにいられなかった

「私とお友達になるのに悲しいの?」

「ずっと前ここでね、美鈴と美央美と三人で約束したんだ。三人で生きて行こうって。どんな事があっても三人で生きて行こうって、今みたいに指切りして。沙夜子とお友達になっちゃたから約束破っちゃったかな。……沙夜子とお友達になれるのは嬉しいけど、美鈴と美央美との約束を破っちゃうのは悲しい」

そう言って俯いた彼になんと答えたらいいのかわからず、しばらくの間黙っていると、母屋の方から美鈴様の声が近づいてきた。

「あっ、やっぱりここにいた。……うん、ちゃんと仲良くなれたみたいだね」

私達のもとにたどり着いた彼女は、私と裕紀様の顔を相互に見つめ嬉しそうに笑う。

その彼女の顔には先ほどの寂しそうな表情はまったくなく、冬子様とそっくりな明るい表情だけがそこにあった。

「じゃあ裕紀。あの時の約束、今度美央美と沙夜子ちゃんと四人でやり直そう。・・・裕紀、ここでやった約束覚えてる?」

頷く裕紀様を嬉しそうに見つめていた美鈴様は私に視線を移し、右手を差し出しながらこう言ったのだ。

「今日から私と沙夜子ちゃんもお友達。そして今日から私達の新しい出発なんだね」

 

**現在**

「そう言ってあいつは笑ってたよな。あんな表情を見たのは、後にも先にもあの一度だけだった」

瑞香が再び眠りについた頃裕紀が散歩から帰ってきて、それから私達は彼の部屋であの時の思い出を語っていた。

裕紀とさえ美鈴さんの思い出を話すのは久しぶりの事で、それはやはり先ほどの瑞香に話した思い出が起因しての事だろう。

私は美鈴さんの事を思い出したせいか、自然とにじみ出る涙を拭いながら、彼のその言葉に無言で頷いた。

「あの後、帰ってきた美央美が大爆笑しやがった。『そんな事で約束破る事になるわけないじゃない』って」

「うん。……裕紀はそれだけ真剣だったんだよね。美鈴さんと美央美との約束に」

そう言って笑いかけると、彼は相変わらずのぶっちょう面ながら、照れたように私から顔を背ける。

そんな彼の姿にちょっとばかり悪戯心を刺激された私は、彼を背中からそっと抱きしめ耳元で囁いた。

「あの時四人でした約束は、まだ有効だよね」

そんな私に彼は右手を私の頭にのせ、ちょっと無理な体勢ゆえやりにくそうではあったが、クシャクシャと乱暴に撫で付ける。

「当然だろ」

「うん」

しばらくの間そうやって裕紀の背中を抱きしめていた私だったが、突如それまですっかり忘れていた冬子さんの言葉を思い出す。

「あ、そうそう。冬子さんが呼んでたわよ。明日の件で話があるとかって」

裕紀の背中から離れ、彼にクシャクシャにされた髪を手櫛で整えながら冬子さんから頼まれた伝言を伝えると、彼は首を傾げた。

「冬子が? ……じゃあ、ちょっと行って来る」

そういって部屋を出て行く彼の背中を見送りながら、私は先ほどまで裕紀と話していた思い出の続きを頭の中で思い返していた。

実際はあの後もちょっとした思い出があるのだが、それは私や裕紀にとって少しばかり気恥ずかしい思い出。

お互いそれを口に出さなかったのは、口に出せば恥ずかしくてどんな顔でいればいいのか、わからなくなる事がわかっていたから。そして、口に出す必要がなかったから。

けれどそんな思い出と、あの日交わした指切りこそが、今の私と裕紀を繋ぐ最初の絆である事は間違いなかった。

そして彼とのそういった様々な絆があるからこそ私は、彼の側に居続けようと思うのだ。

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