側にいるわけ3




「お母さんはお父さんの事、最初女の子だと思ってたの? まぁ、わからなくはないけど……」

20年前のあの日のことは、目を閉じれば山に沈む夕陽に照らされた赤い雲の形や、川の水の流れる音や鳴いていた蝉の声、そんな物もはっきりと瞼の裏や耳の奥に感じる事が出来るぐらい、鮮明に憶えている。

そしてそれらの記憶は、こうやってあの時の事を思い出すたび、私を過去へと引き戻そうとするのだ。

瑞香に裕紀との出会いを話しながらも、そんな感じでわずかにボーっとしていた私の意識は、布団から身を起こし、それまで黙って私の話を聞いていた瑞香の声で急に現実へと立ち戻った。

「そうでしょ? あれはちょっと間違えても仕方なかったと思うの。そしてね、これが裕紀と、瑞香のお母さん『葉子さん』との出会い。……面白い話と言えるかはわからないけど。まぁ、美央美だったらそう言うかもしれないわね」

本当は美央美が面白いといったのが、私と裕紀の出会いではないことはわかっていた。そもそも彼女は私達の出会いの事を、そこまで詳しくは知らないはずなのだ。

彼女が面白いと言ったのがどの場面か大体予想は付くけれど、その話を瑞香にするつもりがなかった私は、裕紀が嫌がる事をするのが面白いという美央美の悪癖と、瑞香がその事を十分知っているのを利用して、まるで私が裕紀を女の子と間違えた事が、美央美の言う『面白い事』であるかのように、そこで話を打ち切ろうとした。

何故ならそれは、私にとって若干の恥ずかしさ、そして私と裕紀の傷と絆の根幹となる聖域のような存在に、どうしても触れなければならい話だったから。

彼女の思い出は、今の私にはどのような小さなものでも。そしてその相手が例え瑞香であっても、軽々しく話せるものではなかった。

「あっ。じゃあ、美鈴伯母様は? 美央美伯母様がね、お父さんとお母さんの話を聞くなら美鈴伯母様の話が一番重要だって」

その瑞香の言葉に私の心臓は跳ね上がる。そして心の中で20年来の親友に考え得る限りの罵詈雑言を投げつけた。

美鈴さん。

その名前こそが私達にとっての聖域だった。何人たりとも侵す事の出来ない、神聖不可侵の記憶。

だからと言って、瑞香に彼女の存在を隠してきたわけではない。

私と裕紀は二・三度瑞香を、彼女の眠る場所へ連れて行ったことがある。けれど私と裕紀の雰囲気を感じてか、瑞香は今まで一度も彼女の事を私達に聞こうとはしなかった。

でも、やはりずっと気にはなっていたのだろう。私も裕紀も、瑞香を美鈴さんの所へ連れて行くことはあっても、彼女の事を話したことはなかったから。

晴紀おじさん達や美央美も、私と裕紀に気を使ってか、もしくは私達の口から瑞香に話をさせようと思っているのか(きっと後者だろう)、美鈴さんの事を口にすることはあまりない。

ずっとこんな機会を待っていたんだろう瑞香の、真剣な表情に私は思わずため息をついた。

「今になって瑞香にそんな事を言うなんて、美央美もなにを考えているのかしら。美央美だって……ううん、あの子だからこそ私と裕紀の気持ちを知っているはずなのに」

「うん、伯母様もそう言ってたよ。『沙夜子だったらそう言うわね。でもだからこそ私なんだ』って」

その瑞香の言葉でなんとなくではあるが、美央美の考えてる事が理解できた。

『だからこそ』。その一言こそが、彼女の真意なのだと思う。

要するに美鈴さんの事を、いつまでも腫れ物のように扱うな。そう言いたいのだろう。彼女は。

美央美の考えももっともな事だとは思う。特に美鈴さんの半身であった彼女にしてみれば、美鈴さんに対する今の私達の姿は我慢ならないのかもしれない。

けれど例えそうであっても今の私には、美鈴さんが関わる話を瑞香にしてあげることは出来なかった。

美鈴さんの記憶。それは私達にとって胸の最も奥深くにしまっておくべき、大切な至宝なのだから。

「ごめんなさい、瑞香。こればかりはあなたにも話せないわ。でも誤解しないでね……あなたに話せないんじゃなくて、これは誰に対しても同じなのよ。私よりもはるかに美鈴さんのことを知っている晴紀おじさん達や美央美とだって、彼女のことは話せないの。気持ちの整理がまだ付きそうに無いから」

誤魔化さずに正直な私の気持ちを伝えると、瑞香はそっと私の手に触れる。

「うん、わかった。……でもいつかはお父さんとお母さんから聞きたいな、二人がどうやって今みたいな関係になれたのか。美鈴伯母様の話も含めて、ね」

いつものようにニッコリと笑ってそう言ってくれる瑞香の優しさが嬉しくて、私は瑞香の体をギュッと抱きしめた。

「彼女は私達にとってとても大切な人だったから。だからいつかあなたに話してあげたい。私と裕紀と美鈴さんとの事」

そう、いつかは彼女の死をきちんと心から受け止めて。そして思い出として、時には笑いながら、時には泣きながら、この子に話してあげたい。裕紀と彼女と美央美と私。四人で過ごしたあの日々の事を。

 

**20年前**

「お側付って? なあに、それ」

それは私にとって、ごく当たり前な質問だった。

結局は名前を聞く事の出来なかった、あの変な女の子と出合って3日後の事。お父さんが近所の小父さん達を集めてお酒を飲み始めた。

それ自体は特に珍しい事ではなかったのだが、そういった時普段なら早々に寝かされる私までもが、その席に招きいれられたのだ。

「いやぁ、沙夜子ちゃんがお側付に選ばれるとはねぇ」

「そうそう。これで佐藤さんとこも、分家さんになれるかも知れんなぁ」

そういって小父さん達はお父さんの背中をバンバンと音がするほど叩く。お父さんはと言えば「いやぁ」とか「おいおい、そんなに叩くな。痛いぞ」などといいながら、それでも気分良さそうにお酒を飲んでいた。

どうやら私が、そのお側付とやらになったから今日の宴会が開かれたらしい。と、それぐらいは私にも理解できる。

わからないのは「お側付」と言う言葉と、私がそれに選ばれたからと言って、なぜ宴会が開かれるのかという事だった。

「そうかぁ。沙夜子ちゃんはまだ聞いた事の無い言葉かも知れんなぁ」

キュウリの酢の物の入った小鉢をつつきながら、私の問いにそう答えたのはお隣に住む小父さんだった。

彼は「どう説明したもんかな」と呟きながら、小鉢をつついていたお箸を台の上に置き、ビールが並々注がれたコップを一気にあおる。

「えーとね。簡単に言うと御本家のお子様が、沙夜子ちゃんとお友達になりたいって言ってきてるんだ」

その言葉を聞いた時、私の頭に浮かんだのは「嫌!!」の一言だった。

御本家と呼ばれる瀬川家に、子供が二人いることは私も知っていた。

その中の一人がつい最近生まれたばかりだと言う事も知っているし、そして残る一人の性格も嫌というほど知っている。

将也と言うその男の子は、「瀬川家の子供」と言う以前に、この村の子供達皆から嫌われていた。

何故なら彼は瀬川家の子供だと言う事をいいことに、やりたい放題なのだ。

そんな子供の友達になるなんて死んでも嫌だった。

思ったことがそのまま顔に出ていたのだろう、お父さんが仕方なさそうに笑った。

「そんな嫌そうな顔をしたら駄目だぞ。それにまぁ、沙夜子がお側付になるのは将也様じゃなくて、宮野の裕紀様だという事だからな」

「ああ、あそこは今まで街のほうで暮らしていたからなぁ。裕紀様もちょっと癖はあるそうだが、将也様みたいな無茶はせんだろう」

お父さんの隣に座っていた小父さんが、頷きながら言葉を付け加える。

その言葉を聞いても、私は安心出来なかった。

私にしてみれば御本家の子供など皆同じようなものだと言う認識があるのだから、安心出来るわけが無い。

それに私は御本家の子供などより、友達になりたい子がいるのだ。

河原で出会ったあの女の子。瀬川家の子供などより、あの女の子と私は友達になりたかった。

「明後日、御本家にご挨拶に伺うからな。ご本家では行儀良くするんだぞ」

「うん……」

仕方無しに頷いた私の気持ちなど知らぬであろうお父さんが、私の頭をクシャクシャと撫でた。

この村で御本家に逆らっては家族に迷惑がかかる。それ位の事は子供の私にだってわかっている事なのだ。

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