Sweet pain1 この想いは。 彼の心がコチラに向くことは絶対にないと、そうわかってはいても。 諦めていても。 それでも捨てることは出来ない。 そんな想い。 「これから、どこで寝泊りしたらいいのかな・・・」 じい様が亡くなって、先日正式に当主の座に着いた裕紀兄さんが私を呼んでいると美咲から聞いた時、私の頭に浮かんだのはそんな事だった。 『あの人達』と違って、私は今までどちらかと言えば裕紀兄さん達に近い立場にいたけど、でも当主の座に着いて真っ先に「存在が気に喰わない」という理由で自分をこの家の当主にした実の祖母に当たる大伯母様をも放逐した彼が、そんな理由だけで私をここに置いてくれるなんて思えなかった。 でもだからと言って『あの人達』と一緒に生活するなんて今更真っ平御免だったし、彼らに対して絶縁状を叩きつけたも同然の事をした私を、今度こそ彼等が受け入れるとも思えなかったから。 だから私にとって、裕紀兄さんから呼ばれていると聞いた時「とうとうこの時が来たか」って、これからどうやって生きていこうかと考えるのは当然の事だった。 「ねぇ美咲。あんたどこか住み込みで働かせてくれるところ知らない?」 半分は冗談、でも半分は本気な私の言葉に、それまで無言で私の前を歩いていた美咲は立ち止まり振り返ると、大きなため息をつく。 「何を馬鹿な事言ってるんです? 朋子様。それよりも急がないと、裕紀様がお待ちですよ」 馬鹿な事とあんたは言うけど。 だけどね、美咲。 私にとってこれは結構、本当に切実な問題なんだよ? 「将也達に関してだけどな。お前はどうすればいいと思う?」 離れにある裕紀兄さんの部屋まで案内された私が、ベッドで横になりながら何か分厚い本を読んでいる兄さんの前に正座すると、彼は相変わらずと言うか、私のことなど見向きもせず唐突に話を切り出した。 ちなみにこの部屋まで私を案内してきた美咲は、部屋の入り口で兄さんに一礼すると、さっさと自分の主人である高志のところへ行ってしまい、私にとって唯一の頼みの綱だった沙夜子姉さんは、今朝から瑞香ちゃんの具合が悪いからと病院に行っていて席を外している。 裕紀兄さんと二人きりという状況は、「今すぐ荷物を纏めて出て行け」と言われても止めてくれる人がいないという事で、現状で彼の言葉に逆らう事の出来ない私には、恐怖以外のなにものでもなかった。 「は?」 「あいつらに関しては、追い出すか。離れにおいてやるか。まだちょっと決めかねていてな。一応肉親のお前の意見を参考にしようと思ったんだ」 想像していた物と全然違う内容に私は思わず間抜けな声を出してしまったけど、彼は私のそんな声にもまったくといっていいほど反応せず、本に視線を落としたままだった。 パラリ。 思いもかけない質問に黙り込んだ私と、そんな私の答えを黙って待っている彼。 シンと静まり返った部屋では、裕紀兄さんが本のページを捲る音がやけに大きく聞こえた。 予想外の質問に思わず黙り込んでしまったけれど、そんな事はもう考える余地もなく私の中で答えは出ている。 大体私ですらこの家から追い出されるかもしれないとこの数日ビクビクしているのに、彼らにこの家で安穏とした生活を送らせる事など、想像しただけでも無性に腹がたった。 「・・・追い出してしまったほうが、裕紀兄さんの為だと思います。離れとは言え本家においておけば碌な事を考えないような人達ですし。それは裕紀兄さんにとって面倒臭い事でしょ?」 面倒臭いという言葉にちょっと力を入れて答えると、フンと鼻を鳴らして裕紀兄さんは苦笑する。 「わかった。それでいいんだな」 裕紀兄さんは私の言葉にいちいち確認をして見せたけど、決めかねていたなんて言うのはまったくの嘘で、もうすでに彼の中で答えは出ていたはずだ。 昔からこの人は、自分が嫌いな人や自分を嫌いな人にはとことん冷酷になれる人で、『あの人達』はそのどちらにも当てはまるから。 少なくとも彼を嫌ってはいなかった大伯母様すら躊躇いも無く追い出した人に、そんな彼らを気遣う心など持ち合わせていよう筈が無い。 ただ彼は、あの人たちを追い出す際の沙夜子姉さんに対する言い訳に、私を利用しようと言うのだろう。 大伯母様を追い出す際ひどく彼女が反対して、それに裕紀兄さんが随分手を焼いていたと言うのは最近高志から聞いた話だった。 肉親である私があの人たちを追い出せといったなら、裕紀兄さんと彼等、私と彼等がどんな関係かを知っている沙夜子姉さんは渋々ながら納得するだろうし、少なくともその矛先が裕紀兄さん一人に向く可能性は少なくなる。 ああそうか、これは既成事実を作るために設けられた場なんだ。だから沙夜子姉さんのいない『今』なんだ。彼女がこの場にいればその言葉を私に強要したと、きっと彼女は怒るから。 そんな事を一人で勝手に納得している私などかまわずに、彼はまたページを捲り言葉を付け足す。 「・・・それで、お前はこれからどうするつもりだ?」 来た。 その言葉に私は、彼に気づかれないように汗ばんだ掌をグッと握りこんだ。 「私は―――――」 「起きろ、朋子。とーもーこ」 ゆっくりと体を揺さぶられながら聞こえてきた声に、目を瞑ったまま「もうちょっと」と答える。 答えて、そしてあれっと思う。 美咲にしては随分と低い声だし、大体彼女は体を揺さぶったりなんて起こし方はしない。 彼女は一度だけ私の名前を呼んで、後は私が自力で起きるまで放っておくなんて、起こしてくれてるのかそうじゃないのかよくわからない起こし方しかしないから。 それに家の中で私の事を「朋子」と呼ぶのは、あいつが出て行った今では裕紀兄さんだけで。 でも裕紀兄さんが私を起こしにきたら、雨とか雪どころか本当に槍だの何だの降ってきかねないし。 ・・・そういえば昔「はれときどきぶた」って本を読んだことあったっけ。 そんな馬鹿な事を考えながら目を開けると。 そこは見慣れた離れの私の部屋ではなくて。家を出て行ったはずの男が私の顔を覗きこんでいた。 ・・・ああそっか。 意識が段々ハッキリするにつれ、今の自分の状況を思い出す。 『昨日は高志の部屋に泊まったんだっけ』 肌に直に感じるシーツの感触に、またやっちゃったんだって後悔の念がジワジワと湧いてくる。 心はお互い違う人に向きながらも報われない想いを慰める為に、コイツとこういう関係になって、その度に後悔するのだけど。 それでも断ち切ることが出来ないのは、こいつが裕紀兄さんと同じ顔をして、彼とは違いニコニコと微笑みながら優しい言葉をかけてくれるせいもあるんだと思う。 「高志・・・」 「やっと起きたか。俺、講義があるからそろそろ出るけど。お前はどうする?」 『今晩もこっちに泊まって行くか?』 言外にそう言われている事はわかるけど。高志の優しさにいつまでも甘えるわけにはいかない。 私はベッドから起き出して、とりあえず無造作に落ちていた下着だけを身に着け、コーヒーを淹れるためにキッチンに向かう。 「ううん。もう帰るわ」 インスタントだけど、ポットからお湯を注ぐとプンと香ばしい香りが漂ってきた。 うん、やっぱり元々コーヒー党の私には、美咲の入れてくれるハーブティーよりこっちの方があっているな。なんて思いながらコーヒーの匂いを楽しんでいたら、ジッとコチラを見つめている高志の視線。 「・・・わかった。・・・美咲によろしくな」 『・・・違うでしょ。頭の中に浮かんだ顔は本当は美咲じゃなくて、沙夜子姉さんだったんでしょ?』 一瞬そんな意地悪を言いたくなったけど。 でもそれは協定違反だから。 二人でいる時は、お互い相手の想い人の名前は出来るだけ口に出さない。 それは私と彼がこういうちょっとややこしい関係になってからというもの、暗黙の了解になっている事。 ホント。 本当に私達厄介だよね。お互い不毛だとわかっていても、こういうやり方でしか寂しさに蓋をすることが出来ないなんて。 ホント厄介だね。 |